ふと、体にノイズが走って動きが止まる。
しばらくそのままで放置していると、やがてノイズもフリーズも収まって、自分は10秒前にいた位置に巻き戻っていた。
かの月の使者との戦闘を経てから、自分のアバターにはこうした異常が起こるようになった。
明確な原因はわからないが、そもそも正規のログイン手段でツクヨミに現れたわけではない、システムの“バグ”的存在である彼らが、正規の手段どころか思いっきり裏口入門した自分というバグに干渉した結果、こういうことが起こるようになったのだと考えている。
近くある、かぐやを月に連れ戻すための月の使者の大攻勢とそれを迎え討つために、表面上は「かぐやの卒業ライブ」と銘打たれた月の勢力との総力戦。
それに手を貸すと大見得を切った直後にこうした異変に見舞われるようなってしまったことで、自分は手を貸すどころか己の身すら怪しくなってしまった現状を、正直にヤチヨに報告せざるを得なくなった。
彼女にメッセージを送った直後から、ヤチヨとの連絡は途絶えている。
彩葉やかぐやもそうだと言うので、彼女はそれこそ神話に語られる天照大御神よろしく引き篭もってしまったということだ。
大言壮語を吐いたというのに、自分があまりにも情けない現状だから呆れ返ってしまって顔も見たくないのだろう。
まぁ、それは別に構わない。嫌われることには慣れ切っている。
問題なのは、この調子で月の軍勢とやり合えるのかどうか、だ。
ヤチヨの話では、彼らはかぐやから抵抗の意思を削ぐ意味も込めて一応はツクヨミでのシステムに則って戦いを挑んでくるらしい。
だが、そもそも彼らはヤチヨの存在を飛び越えてツクヨミをハックできるような超常の技術を持った者たち。本気を出されれば容易く崩壊する見せかけの均衡だ。
それでも彼らがシステムを逸脱しているように、自分もまたツクヨミに発生したバグのような存在であることに変わりはない。
実際、先の戦闘では彼らは自分との交戦を避けているように感じられた。だからこそ、本来あり得ないはずの形勢逆転が起きたのだから。
『次は、そうはいかないと思うよ』
夜空を背景にそう語るヤチヨの姿が瞼に焼き付いている。
本気になった月の軍勢に対して、今の不調な自分がどこまでやれるか……これはそういう切実な問題だ。
そもそも。
その“次”の時まで、自分はここに存在し続けられるのだろうか。
「なーに辛気臭い顔してんのっ」
物思いに耽る自分の背中に、ドサっと被さる少女一人分の重量。
「オッチン、また固いこと考えてたんでしょー?」
肩に顎を乗っけて不満そうにこちらを見るのは、器用に背中に乗っかったかぐやだった。
固いこと、というのがなんのことかはわからない。だが真面目なことを考えてはいた。これまでのことと、これからのことを。
「そーいうのが固いんだよっ!」
ぐいっと首にかぐやの腕が絡まり締め上げられる。
非戦闘状態なのでダメージはないし、振り払おうと思えば簡単にできる。
しかし、自分はかぐやからの不満を受け止める意味でもそういうことはしなかった。
「これからのこととか、考えてもわかんなくない!? 何が起きるかわかんないだし、さっ!」
そう言って背中から降りて、頬に指を押し付けてきたかぐやの論にも一理ある。
確かに、これから何が起こるかなんて自分も含めて誰にもわからない。結局は、起きたことにどうやって対処するかでしかないのだから。
だが、起きたことに対する素早い対処のためには、様々な想定をしておくことがやはり必要になるだろう。
「堅物、真面目、朴念仁」
矢継ぎ早の指摘をはいはいと流そうとして、最後の一文だけ聞き捨てならない。
朴念仁はどういうことだ。自分はそこまで鈍い人間のつもりはない。むしろかなり周囲には気を配ってるつもりだが。
「はぁー……」
そう言ったら、何故かかぐやに呆れられてしまう。意味がわからない。
「こりゃヤチヨは苦労するわけだ。あとあのカラスの人も」
……???
なぜここでヤチヨの名前が出てくるんだ。全く意味不明だ。
「えっ、マジで気付いてないの? フリとかじゃなくて? マジ?」
うへぇー、と苦虫を噛み潰したような顔をするかぐや。
まさかとは思うが、ヤチヨが自分に対して何か異性としての感情を抱いているとか……そういう類の話をしているのだろうか。
「えっ、あっ、違うの?」
マジにそう思っていたらしい。今度はかぐやがきょとんとした顔をする番だった。
「いやー、だってさ。この前の宴会の時めっちゃいい雰囲気だったじゃん、明らかに。ヤチヨ、めっちゃ女の顔してたよ?」
ハッ、と思わず鼻で笑ってしまう。
「は? なにその反応めっちゃムカつくんだけど殺していい?」
自分を呪って殺してくれるなら、相手が誰であろうとこちらとしては歓迎だが。
残念ながら、ヤチヨと自分の間にその手の感情はない。
というか……かぐやは気づいていないんだろうか。ヤチヨと自分の関係に。
「? はぇ?」
自分の疑問に、かぐやはぽかんと口を開けて応じた。OK、これは全くなにも知らないと見ていいな。
なるほど、それならかぐやの誤解も無理からぬことだ。
そもそもヤチヨはツクヨミのトップライバーとして一個人に対して特別な感情を抱くことなどないのであって、その姿勢を一貫していることこそ彼女の誠実さの証明だ。
大体、男と絡んでメロついてるヤチヨなんて解釈違いにも程がある。ヤチヨエアプか? そんなアホは“ラフコフ”の名にかけて必ず殺してくれる。みんなのアイドルであるヤチヨを独占しようなどと傲慢の極みだ。考えただけで反吐が出る。
かぐやもそう思うだろう?
「……」
かぐやがドン引きしていた。
「い、いや。なんていうか……キモい……」
ガクッと膝を折って項垂れる。
今のかぐやの一言は、間違いなくツクヨミで今まで受けた攻撃の中で最大級の威力を発揮したものだった。
「ま、まぁオッチンがヤチヨのこと大好きだってのはわかったよ……」
なにを当たり前のことを言っているのか。
「うわぁ、いきなり立った!」
ヤチヨのことを好きだとか、そんな感情はとっくに超越している。そもそも自分は生涯愛した女性は一人だけだ。ヤチヨに対する感情はそれとは別の、全く異なる感情である。
「……ん?」
いわばそれは、女神を崇めるに近い感情だ。人は美しいものを目の前にした時、思わず立ちすくんで見惚れてしまうしかできないというが、自分は常にその状況にあるというだけのこと。
「あ、あの、ちょっと?」
そういう存在を前にしては、そもそも好きなどという感情を抱くことすら不敬に値する。ましてや性的な目で見ようなどもっての外だ。いや、まぁヤチヨにそういった魅力が全くないというわけではなく、むしろ魅力に溢れすぎているが故にそうした汚れた感情は抱きようがないという話でしかないのだが。
というか普通にヤチヨは肌を出しすぎではないだろうか。あんなに露出していたら悪い虫がついてしまう。そんなものは自分が全員斬って仕舞えば済むことだが、下衆の血で彼女が作ったこのツクヨミを汚すのは避けたい。いや、そもそもそんな連中自体が汚れているのだから害虫駆除という名目なら──。
「志村ー! 後ろー!」
後ろ?
くるりと振り向く。
「……」
顔を真っ赤にしてプルプルと震えながら立っているヤチヨが、そこにいた。
無言の時間が、流れる。
「……お」
ヤチヨが震える唇で、なにかを言う。
「おいたは、だめだよ……?」
そう言うと、ヤチヨの体は光る蝶に包まれてその場から消えた。
「どんまい」
ぽん、と肩に手を置いてそのまま去っていくかぐや。
……一人になった自分は、おもむろに壁に頭をめり込ませて誰かが自分を殺してくれるのを待った。
百合の間に挟まる男絶対許さない侍「(無言で刀を抜く)」