「落武者さん」
夜空に浮かぶカウントダウン。
減っていく数字に合わせて盃の中の透明な液体をちびちびと消費しているとかかる声があった。
「なにしてるんですか、こんなところで」
黒羽カカだった。
当たり前のように自分の隣に座り。
腕を絡めてくる。
──いや、ちょっと待て。
「? 足も絡める?」
そうではない。
距離の詰め方が頭おかしすぎる。
マッチングアプリでも早々見ないぞ、そのスピード感は。
「あっそ。あなたは私みたいなガキには興味ないってわけね。はいはい、ヤチヨみたいな大人でセクシーな女が良かったってわけだ。はいはい悪ぅございました死ね!」
唖然とする。
どうして彼女はこんなにも怒っているのだろうか。
一瞬“生理か?”と史上最悪の考察が頭を巡ったが、流石に口に出したりはしない。
見えない地雷を避ける練習をしたことはあるのに、見えている地雷にダイブするなんて頭がおかしい。
「ねぇ、落武者。私、あなたがヤチヨから逃げる時に手伝ってあげたわよね? 私のおかげで、あなたは追っ手を振り切れた。そうよね?」
ずずいっと顔を近づけて、そう詰め寄ってくるカカにこくこくと頷く。
あの時のカカの尽力ぶりは凄まじいものだった。誰もその功績に文句を言うことはないだろう。
「誰も、じゃなくて。あなたは認めてるのよね? 私の力が必要だったって。私のおかげで生き残れたって」
首を傾げる。
カカの働きぶりに一番感謝しているのは自分だ。それで救われたのが自分なのだから当然だろう。
その礼も兼ねて、自分はカカに所持している全“ふじゅ〜”の半額を彼女に渡した。
日本円換算で、およそ8940万円。
それだけの額が彼女の懐に収まったはずだ。
ちなみにもう半分はいろPとかぐやへ。二人は元々ライバーとしてかなり稼いでいたので、必要なかったかもしれないが。
「ええ、そうね。ぶっちゃけ使い道に困って全部N◯SAにぶち込んだけど、おかげで安定した資産形成が出来たわ。それに関してはありがとう」
それは良かった、と返そうとしてうん? と首を捻る。
彼女はまだ学生だったはずだが、なぜ資産形成という単語が飛び出してくるんだろうか。
深く考え出すとこちらの日本社会の闇が見えてきそうだったので、最近の若者は進んでる。ということにしてその疑問を脇に追いやった。
「大事なのはその後。あなた、なんだかヤチヨといい雰囲気で話してたみたいですね?」
ゴゴゴ、と音が聞こえてきそうな威圧感のある笑顔でこちらを見つめてくるカカ。
ここまで聞いて、ようやく自分は彼女の言いたいことを理解した。
「あなたに協力した私を差し置いて……あなたの敵に回った女と楽しそうに飲むなんて、随分いい身分ですね? 私、逃げ回るの大変だったんですけど?」
あぁ、これは明確に自分のミスである。
ヤチヨとの和解……というか、お互いの誤解が解けるまでは色々と過程があった。
だがその一部始終を見届けたのは、かぐやといろPだけだった。
もう一人の協力者であるカカに、自分は事の次第を話していなかったのだ。
不満が出るのも当然。説明義務を放棄した自分の自業自得だ。
自分はその辺りの説明をしようと口を開こうとして。
「しっ」
カカに人差し指で唇を塞がれた。
「別に説明は求めてないです。ヤチヨと何かがあって和解した。それはわかりますから。その点についてとやかく言ったりはしないですよ」
本当だろうか。
なんだか思いっきり、思うところがありそうな喋り口調なのだが。
「本当に気にしてないですよ? 私、察せられる女ですから。あなたが言いたくないことまでわざわざ聞いたりしないんです」
にっこりと笑うカカ。
なぜだろう。今日見た彼女の表情の中では一番明るいはずなのに。
鬼に睨まれているかのような錯覚を引き起こしている。
「でもムカつきはしますよ? どうしてあなたと敵対したはずのヤチヨと仲良くしてて、私への報告は事後になっているのか。筋が通らないですよね? お金だけ渡してハイ終わりって、それ本当に仲間って言えますか? その辺、落武者さんはどう思ってるのでしょうか?」
自分は冷や汗を流しながら迫ってくるカカの顔から目を逸らした。
確認するまでもなく、彼女は相当怒っていた。
いつの間にか口調も変わっている。これが彼女の素なんだろうが。
「……そもそもですね」
どうしたものか、と自分が思案しているとカカは身を引いて空を見た。
「卒業ライブって、どういうことですか」
減っていくカウントダウン。
残り時間は00:21:34となっていて、それは3時間後にかぐやの卒業ライブが開催されることを意味していた。
ツクヨミをあっという間に駆け上り、ヤチヨとのコラボライブまで駆け抜けたかぐやは、ここ最近で言えばKASSENで暴れ回った自分以外では最も注目を集めたライバーだろう。
そんな彼女が人気絶頂で電撃引退ライブ。
ネット上は騒然としており、彼女の引退を惜しむ声や引退の理由に自論を展開して流布する者までたくさんだ。
かぐや自身が引退の理由についてぼかしているということも手伝って、いろPとの不仲説からいろPの子供を妊娠した説まで幅広い。
ともかく注目を集めているこのライブは、ツクヨミ界隈の外まで話題が広がりまだ開演3時間前なのにすでに配信待機所には多くのアバターの姿が見て取れた。
「あなたもゲスト出演するんですよね? 確か。落武者さんって歌えましたっけ?」
事前告知では、いろPはもちろん黒鬼のゲスト出演も告知されており、その中に自分も混じって出演する。
とは言っても彼女の懸念通り自分は歌えも踊れもしない。ただカタナを振り回して喜んでるだけの場違いな人選だ。
自分に期待されている役目は、ただひたすら月の軍勢に対する対抗手段としてでしかない。
そして、恐らくこのライブが終わった時、自分もまたツクヨミから消えることになる。
「落武者さん?」
小さく笑った自分に、カカが怪訝な顔を向ける。
カウントダウンの残り時間は、あとわずかだった。
*
2030年9月12日。
この世界でも自分の知る歴史が適用されていれば、2022年に発生したSAO事件からは実に8年の月日が流れているはずのこの日。
かぐやの卒業ライブが始まった。
「みんな、ありがとー!」
主役のかぐや姫は、ライブ会場に改造された『KASSENN』のステージ上からファンに向けて手を振る。
「今日でお別れみたいなんだけど、悲しくはしたくないんだ! みんなでお見送りしてハッピーに卒業させて!」
自分はひょんなことからSAOを抜け出して、死とは無縁のこの仮想空間『ツクヨミ』へとやって来た。
この世界で過ごした数ヶ月は、アインクラッドで過ごした頭の隅に死と恐怖がこびりついていた日々とは一線を画している。
もし、自分が本来望んだ仮想空間というものが実現していたのなら、きっとこうだっただろうという理想の通りに。
置き去りにした同胞も罪も、過去も置き去りにして今ここで過ごしてきた。
そんな自分が眺める空に、数百という規模の花が咲く。
事情を知らなけば、ライブ演出だと誰もが疑わない花弁が弾けて中から現れる異形の人型。
かぐやを迎えにやってきた月人たち。
「よし、行こ──って落武者さん!?」
帝率いるブラックオニキス。
いろPと、彼女の友人だという二人のライバー、ROKAとまみまみ。
そんな彼らをまるで無視するように、紫電を纏った真っ黒な桃が空から舞い降りて。
空中で真っ二つに割れ、中から亡霊が飛び出した。
月人たちが異質な気配を感じて、空を見上げると。
──その視線は、次の瞬間カタナにより粉微塵に切り裂かれた。
“カタナ”範囲攻撃スキル『
異形の月人たちを前に、蹂躙の喜びが口端を歪ませる。
──イッツ・ショウ・タァーイム。