言うまでもないことだが。
クラインにとって、”黒の剣士“は最強のSAOプレイヤーだ。
恐らく、クラインのみならず他の多くのプレイヤーにとってもそうだったはずだ。
あのデスゲームが始まった初日の時点では、βプレイヤーとログイン初日のプレイヤーという違いはありはしたが。
少なくとも同じスタート地点を、彼とは共有していた。
しかし、最悪のデスゲームが始まり、クラインは仲間たちと合流するため彼とは袂を分かった。
そして、そこからクラインは転がり落ちて彼は駆け上がった。
同じ時間、同じ歩数分だけ進んだはずなのに、辿り着いた場所はまるで真逆だ。
いや……同じだけ進んだ、というのは正しくないだろう。きっと。
クラインが足踏みをしている間も、彼は生き残るために歩き続けていたのだから。
“黒の剣士”とクラインの間に横たわる歴然とした実力差は、そのままクラインが停滞していた時間の現れだ。
「だからこそ、気に食わねぇな」
クラインの前に立つ、トラウマとでも呼ぶべき黒衣の少年……の、レプリカ。
この世界に彼は存在しない。
ならば、月人が彼の姿を模った理由はただ一つ。
クラインが殺した者たちの顔を浮かべたのと同じ理由で……それが“最も効く”と判断しただけのこと。
クラインを倒すために、こちらの記憶の中にいる彼を呼び出した。それだけなのだ。
ハッと鼻で笑い、不細工な物真似をする月人を嘲る。
「お前なんかじゃ、あいつの強さの100分の1も再現できねぇよ」
そう肩をすくめた。
次の瞬間。
「遅ぇ」
偽物の黒衣の姿がかき消え、視界から消失。
と同時に、クラインはソードスキルを放った。
カタナ単発技。居合い系抜き打ち重斬撃。
“絶空”。
瞬時に放ったソードスキルは……死角から襲いくる偽黒衣に対して強烈なカウンターとなり、その右腕を落としていた。
「ほらよ。くっつけられるんだろ? やれよ」
クラインはボトリと地面に落ちた腕を掴み、彼の足元に投げ捨てた。
偽黒衣は飛んできた腕にちらと視線をやると、それを拾うことなく右腕に雲のような物質を纏い再生させた。
その様子に動揺や恐怖のようなものは感じ取れない。
「NPCでももうちょいマシな反応するってのに。つまんねぇな」
今、クラインと相対するのが本物の黒の剣士だったなら。
そもそもカウンターを放ったところで腕を落とすようなことはなかっただろうし。
あんな闘志も戦意も感じさせない無機質な目を向けてくることもないだろう。
偽黒衣が地面を蹴り、光に包まれた二振りの長剣を構える。
片手剣4連撃。
“ホリゾンタル・スクエア”。
彼が好んで使用していた、使い勝手の良いソードスキルだ。
クラインの記憶の中の彼が、スキルを使っていた姿がそのまま形になったかの様な。
形だけのソードスキル。形だけのステータス。
「話にならねぇ」
クラインは矢継ぎ早に繰り出される水平4連撃を、ソードスキルではないただのカタナの受け流しによっていなした。
そしてスキル後の硬直に易々とカウンターを決めて、今度は両腕を飛ばす。
偽黒衣は距離を取り、そして瞬時に両腕を再生させた。
「芸がねぇな」
偽黒衣の動き自体は、中々のキレと技の冴え、熟達した立ち回りによって見れる程度の代物にはなっていた。
ただし、それはただの模造品だ。
「俺の記憶の中のアイツを再現している内は、かすり傷も付けらんねぇよ」
記憶の中の動きを再現するということは、容易にその動きを見切れるということでもある。
いくらそれが最上位プレイヤーの技であっても、来るとわかっている攻撃にわざわざ当たるバカはいない。
「いつまでそのヘッタクソなモノマネ続ける気だ? もうネタ切れならさっさと終わらせ──あん?」
想像通り、いや想像以下の見掛け倒しにクラインは欠伸を噛み殺しながらさっさとこの戦いを終わらせようかと構えると同時。
偽黒衣の片口から、新たに2本の腕が生えた。
「はッ」
その姿を見て、思わずクラインは嗤ってしまった。
2対の腕にそれぞれ、黒と白の長剣を携えて都合4本。
腕が倍増すれば手数も倍増する……とばかりの安直な発想には、クラインをして失笑せざるを得ない。
「“二刀流”ですらなくなるってのは、まぁ斬新かもな」
薄ら笑いを浮かべるクラインに、地面を蹴った偽黒衣……いや、もう偽ですらないただの4本腕のモンスターが襲いくる。
この構えは……。
“スターバーストストリーム”。
二刀流、16連撃。
その名の通り、流星とでも称すべき高速の剣戟が、クラインの視界いっぱいに広がった。
“黒の剣士”キリトを代表する大技であり、以前このスキルを目にしたクラインは“あぁ、こいつには逆立ちしても勝てないな”と思い知らされた。
しかし、不思議なもので。
「使い手がゴミだと、ここまでチープな技になり下がるんだな」
今、クラインの目に映るその剣筋の光は、記憶にある脅威を全く感じさせない濁ったものに見えていた。
手数が増えて、確かに避けにくくなっただろう。正確無比な斬撃は、尋常の手段による受け流しを困難にするものだろう。
だけど、それだけだ。
多少避けづらく、受けづらく、眩しいだけ。
そんなものに薄皮さえ切らせてやる義理はない。
「お前の剣はな、ただの遊びなんだよ」
4本の剣を跳ね飛ばし、胴体を蹴り上げる。
くの字に折れる体に、回し蹴りを入れて吹き飛ばした。
要するに、魂が籠っていないのだ。
彼の剣はもっと逼迫していた。命のやり取りの上に剣が置かれ、その技が鈍ることは死を意味した。
彼のみならず、あの世界で生きていた最前線の剣士たちは皆そうだった。
「俺たちがやってるのはゲームであって、遊びじゃねぇんだ」
己の持つ一本の剣に、自身の命を乗せて戦う。
それがどういう意味を持つのかは、あの世界で生きてみなければ分かりようがない。
ただ記憶を盗み見て、表面だけ整えたうわべの剣筋にそういう必死さが宿ることはない。
「もう一度言うぜ。お前なんかじゃ、あいつの強さの100分の1も再現できてねぇんだよ」
とうとう人間の形すら保たなくなり、異形の怪物の姿となった月人が。
それまでがじゃれあいだったのかと錯覚するほどの速度で、そしてパワーでもって襲いくる。
それはシステム的に“撃破不可能”に設定された理不尽。
こちらの攻撃は出鱈目な数値に設定された“防御力”に阻まれ、攻撃が掠りでもすれば一瞬でクラインのヒットポイントは削り切られる。
調子に乗るな、とそれまで感情らしいものを覗かせなかった月人が、初めてその表情に怒りを顕にして行う攻撃。
「ようやくマシな面になったな?」
下手なモノマネなんかせず、最初からそうしていればよかったのに。
と、言外に煽ってカタナを構える。
さて、“理論上斬れない”相手を前にした時それをどう斬るべきか?
矛盾しているその問いに対する答えは、意外とシンプルだ。
なにせ、今のクラインは存在そのものがこの世界における“バグ”。
最初から、0と1の数字の羅列にはそこまで意味はない。
SAOでもツクヨミでも、プレイヤーの“想像力”がそのまま現象として反映されるなら。
ただひたすらにイメージを作り上げればいい。
斬れないモノを、斬るイメージを。
練り上げるだけでいい。
他の全ての思考はいらない。
クラインは考えることをやめ、右足を踏み込んで左足を引き、体が前に倒れるほどの前傾姿勢を取った。
腰に据えたカタナに、意識を集中する。
カタナ最上位技。回避不能。単発攻撃。
「“居合”」
刹那。
轟いたのは“雷鳴”だ。
雷鳴が響き、光が瞬き。
……月人は上下真っ二つに寸断され、体が“ズレた”。
肉が形を失い、崩れ去っていく。
「最後まで不細工は変わんなかったな」
崩れ落ちる肉の音を背後に、クラインはカタナを鞘に収めた。
周囲を囲む月人たちもまた、空に溶ける様にして消えていった。