「……」
霧散し、光の粒子のようになって消えていく月人たちを眺めながら。
クラインは、ありし日の光景を思い返していた。
言わずもがな、仲間たちが死んだあの時の光景。
「おつかれさま、落武者くん」
かつての仲間に想いを馳せるクラインの耳に、落ち着いた月のような印象を抱かせる声が届く。
事実、彼女は月と深く関わりを持つ存在であるのだからそうした印象を抱くことは特に間違いでもないのだろう。
「……なんか、雰囲気変わった?」
「どうかねぇ」
彼女……月見ヤチヨは、振り向いたクラインの顔を見て、小首を傾げた。
「なんか、吹っ切れたって顔してるかも」
「それは……」
勘違いだ、と否定しようとして。
確かに、今までクラインの頭に泥のようにまとわりついていた重苦しさが軽くなっていることに気づいた。
いつも、クラインに「罪を償え」と囁いてくる黒い影たちだ。
「……」
クラインにとって、罪悪感というのは何よりも信頼できる感傷だった。
常にどこか見知らぬ場所へと行こうとするクライン自身をその場に引き留める鎖のようなものだ。
それに縛られているからこそ、クラインは安心できる。
自分の中で、風化して消えてしまいそうになる者たちの顔を思い出せる。
「落武者くんは、本当に真面目だよね」
開いた手のひらを見つめるクラインに、ヤチヨの落ち着いた声が入り込む。
「ずっとずっと、自分のことを責め続けてるのは……君自身が君のことを許せないからでしょう?」
「俺は、そんな殊勝な心がけしてねぇよ」
「え?」
「ただ……」
言葉を探す。自分の中で。
「生きていく理由が、欲しかった」
そして、口に出してみて。
その理由が一番しっくりきた。
そうだ。クラインはずっと、生きていく理由が欲しかった。
仲間を失って、誇りを失って、目標を失って。家族も失って。
何も残らず、落武者となったクラインは。それでも罪の採算のために死ぬことが許されなかった。
ふと気を緩むと、自分で自分のことを殺してしまいそうになるから。
自分を責め続けることで、自分を生かしたのだ。
クラインは最初から最後まで、自分のために他者を利用していたのだ。
「救えねぇな」
ハッと笑って、自分の傲慢ぶりを嘲る。
「……落武者くん、それは違うよ」
底が抜けて、さらに落ちていくクラインの自己評価。
それに対して、ヤチヨは否を突きつけた。
「今日、君はかぐやと……彩葉と……そして、私のために戦ってくれて、守ってくれたんだよ」
正面から見るヤチヨの顔は、とても晴れやかだった。
まっすぐな瞳で、クラインのことを見つめていた。
「ありがとうございます。落武者くん……クラインさん」
まるで、由緒正しき皇族がそうするかのように。
ヤチヨはとても綺麗なお辞儀をして、クラインに頭を下げた。
その所作の流麗さに、クラインは目を奪われた。
「……昔だったら、速攻口説いてただろうな」
クラインは馬鹿な男だった。
いや、今でもそうだが……昔は馬鹿な上、だらしのない男だった。
いい歳して、ゲームと女のことしか考えていないような能無しだった。
その無能ぶりが今の致命的な状況を招いたのだと、クラインは過去の自分を嫌悪し、憎んですらいた。
だが今になって、少し思うこともある。
あのまま……致命的な悲劇など起こらず、あのだらしない男であるクラインのまま、生きていけたなら。
少しは、マシだったんじゃないかと。
意味のない問いだ。現実逃避のたらればでしかない。
だが昔に捨ててきた物の中には、本当は大事なものもあったかもしれない。
「……え?」
そう思ったクラインは、ふと思い立ちヤチヨの綺麗な手を取り、膝をついた。
どこかの何かで見た、真似事のような騎士仕草。
美しい姫に恋慕を抱く騎士がそうするように、頭を垂れた。
「月見ヤチヨ殿。お礼を言うのは自分の方です」
「お、落武者くん……?」
「自分は、仮想世界というものを憎んでいました。現実でなく、仮初の世界での死を齎すこの世界は、存在してはいけないと思っていたのです」
クラインは目を閉じて、ツクヨミの世界で見てきたものを思い起こす。
死と結びついていない、本来の魅力を持った仮想世界。
「あなたのおかげで、そうではないと気づいた」
結局のところ、自分が見たのは悪い夢でしかなかったのだ。
一人の狂った男は、仮想世界を「現実」にするために死というものを持ち込んだ。
独りよがりのエゴ。狂気的な集団自殺願望によって。
だが、彼女は違う。
「仮想世界という夢に、あなたはたくさんの希望を詰め込んだ。この世界で生きた自分には、それが分かりました」
クラインにとっては、それは希望だった。
自分の体験した地獄が、ただ「運が悪かった」から起きたことなのだと知ることができたから。
「ありがとうございます。月見ヤチヨ殿」
クラインは深く頭を下げた。
そんな彼に、唖然として固まるヤチヨの視線が突き刺さる。
彼女からすれば、クラインの個人的な感謝など知ったことではないだろうが。
それでもクラインは言っておきたかったのだ。
二人の間に、僅かな沈黙の間が訪れる。
「……なんて。ま、ただの自己満だな。好きに流して……」
そんな沈黙を気まずく感じたクラインは、頭を掻きながら立ち上がって。
涙を流すヤチヨの顔を見て固まった。
「……お礼を言うのは、ヤッチョの方だよ。落武者くん」
ヤチヨは顔をくしゃりと歪めながら、クラインの手を両の手で包み込んだ。
「ありがとう、私の世界に……ツクヨミに来てくれて。“素敵だ”って言ってくれて。その言葉が、ヤッチョにとっては、何よりもの宝なのです」
「……ヤチヨ」
「あなたに、そんな風に思ってもらえる世界にできて、よかった……」
ぽた、ぽたと固く握った手の上に滴り落ちる涙。
ただの電子信号でしかないその涙の熱さが、何よりも雄弁に彼女の心を映し出しているようだった。
「……俺じゃなくても、誰だってそう思うに決まってる。君はそれくらい……」
「ううん、あなたに言ってもらえたから嬉しいんだよ? 落武者くん」
「……なんでそんなに俺の意見を欲しがるかねぇ」
「だって……!」
苦笑するクラインに、ヤチヨが何事かを言おうとして、ヤチヨが言葉が詰まる。
「それ、は……だっ、て……君のこと、が……」
配信上や立体映像では言葉に詰まる場面なんて殆どない彼女が、どういうわけか本当のロボットのようにしどろもどろ。
視線が右往左往。結い髪は彼女の内心の混乱ぶりを示すようにぐるんぐるんと揺れていて。
「……た、大切だから!」
最終的に、そんな言葉に着地したのだった。
クラインは、目を見開いてから、ふっと笑って破顔すると。
「あぁ、俺にとってもそうだ。何よりも大切なもんが出来たよ」
「……それって?」
「決まってんだろ。この世界での思い出だ」
上目がちに聞いてくるヤチヨに当然とばかりに返す。
「……むぅ」
「?」
だが、喜んでもらえると思ったはずの言葉になぜかヤチヨは頬を膨らませていた。
「あーあ! 落武者くんは八方美人だなー! そうやって思わせぶりな態度ばっかり取ってると、そのうち酷い目に遭うんだよー?」
「なんだそりゃ。キリの字でもあるめぇし……」
なぜか若干不機嫌気味になったヤチヨのわざとらしい態度に肩をすくめ、その様に、かの黒衣の剣士の姿を思い浮かべて……。
「──」
自分の手が、今にも消え入りそうなくらい消え掛かっていることに気づいた。
「落武者くん?」
酷くなっていくノイズの向こう側に、彼女のきょとんとした顔が見える。
「……!? 待って!!」
その彼女の瞳が、ノイズに覆われていくクラインに気づいた瞬間大きく見開かれ、その顔が悲痛な色に染まってしまう前に。
クラインは、言うべきことを言った。
「頑張れよ」と。
想い人に会うために、8000年もの旅を超えた。
彼女の幸せを心から願って。
ノイズの中に、消えていった。