どこから歯車がズレたのか、と聞かれても困る。そんなもの、自分が一番知りたいのだから。
だがあえて言えば、最初から。最初のあの日。
あの手を取らないと決めた瞬間から、全てが間違っていたのだと、そう結論せざるを得ない。
過ぎた時間は戻らず自分は失い続けた。仲間を失い、時間を失い、自分を見失った。
ただの気合と意地と根性で、ようやく仲間を殺したプレイヤー達に復讐を成し遂げた。仲間を募り、狡猾に罠を張り、確実な殺意でもって人を殺したのだ。
正直に言って、何も感じなかった。少しは気が晴れるかと思えばそんなこともなく、あれほど憎い相手がこちらに憎悪と罵倒を向けながらポリゴンになっていく瞬間はさぞ快感だろうと思ったが、押し付けられた仕事を何時間も残業してようやく終わらせたら朝になっていたような。そんな、虚脱感と憂鬱さが混じる昏い疲労を感じただけだった。
復讐は何も生まないと言う人間がいる。他方、復讐した方が心がスッキリするのでやった方がいいと言う人間がいる。
どちらが正解かなんてわからないが、復讐というマイナスをゼロに戻す作業を完遂するのは、ただただ疲れる。それは事実だった。
「……満足したか?」
そう問いかけられて、自分はなんと返したのだったか。答えなかった気がするし、なにごとか言った気もする。
ただ、自分の個人的な事情のために手を貸してくれた彼に対して労りの言葉ひとつも寄越さなかったのは、今思えば義理人情に反していたと言わざるを得ない。
仮にも刀を下げていた自分が、義理も人情も忘れれば如何者にもなれるはずはない。だからあの時から自分は落武者となって、それらを捨てたのだ。
そんな風にふらふらとしていたから……最終的に、彼と殺し合う羽目になったのだろうが。
*
「もうすぐ、ヤチヨカップが終わるね」
ツクヨミ内をヤチヨと二人で歩きながら、彼女の後ろ姿を眺めていた。
直前の盛大な勘違いを取り繕う道はもはやないが、ヤチヨが深く追求してこなかったので助かった。
「ありがとね、落武者くん。いろPのこと気にかけてくれて」
“気にするな”と返し、逆にヤチヨに対して問いかける。一体なんの用で自分のところまでやってきたのか、と。
「ん〜? お話、だよ。キミのことについて、色々とね」
自分のシンプルな問いかけに対して、ヤチヨは含みのある態度で返した。
これだ。こういう態度が、自分の中でのヤチヨへの人物評価を惑わせる。要するに、彼女はツクヨミの管理人として平等に振る舞っている様に見えて、実際には一部のプレイヤーへ必要以上に入れ込んでおりそしてそれを隠そうともしていないのだ。
露骨なのは“ヤチヨカップ”の勝利条件。それはイベント期間中に“より多くの新規ファンを獲得した者”が優勝となるものだった。
新規ファンの基準は「初めて投げ銭されたプレイヤー」の数だ。これは明らかに、イベント開催前から圧倒的な人気を持っていたブラックオニキスなどは不利になる設計だ。
批判をかわすためか、3ヶ月以上投げ銭の間隔が空いていたファンは新規ファンとして数えるという仕様は存在するが、それでもやはり上位プレイヤーの不利は避けられない。
現に、本来なら勝負の土俵にも立てないはずのかぐやが急速な勢いでランキングを伸ばしている。元は無名であり、イベント期間中に知名度を高めたかぐやは最もこの仕様の恩恵を受けているのだ。
ヤチヨはかぐや……というよりいろPに対して必要以上に過干渉しているように感じざるを得ない。
かぐやがここまで急速に伸びるなんて誰にも予想はできなかったはずなので、この事実だけをもってヤチヨが彼女に肩入れしているというのは乱暴かもしれないが。
しかし、やはり不可解に思わずにはいられない。
ヤチヨがAIライバーならば、何よりも優先すべきはツクヨミの運営の維持と公平性を担保することにあるだろう。
特定ユーザーへの肩入れなど、最たる愚行として切って捨てるだけの判断をする頭脳が彼女にはあるはずだ。
贔屓、忖度、特別扱いほど非効率的で人間臭い行動も中々ない。それが大衆をまとめる上で時に必要になることは自分も理解しているが、少なくともこんなに露骨にやるべきじゃない。
何故なら、あのSAOですら一応は全てのプレイヤーが同じ土俵、同じ前提条件でゲームに参加できる様に最大限の取り計らいがされていたのだから。
予告もなくデスゲームに参加させた時点で公平性も何もないと言われたらそれまでだが。しかし、そのデスゲームの内容自体は難関続きであっても理不尽と言えるものは少なかったのだ。
……いや、本当にそうか? アナウンス無しでベータ版と正式版で仕様が変更されていたり、転移結晶が使用不可のボス部屋とかは普通にカスだった気がする。
うん、やっぱり茅場はカスだ。奴に比べればヤチヨは女神みたいなもんだ。危ない危ない、騙されるところだった。
話が脱線し過ぎた。相手の話を聞かずに考え込んでしまうのは自分の悪癖だ。
前はもっと会話が得意だったつもりだが、すっかり没交渉になってしまったらしい。
「ねぇ、ここ来て」
気づけばヤチヨと自分は、階段を登ってずいぶん高いところに来ていたらしい。
展望台のようになっているそこは、下を見下ろすとツクヨミの全貌を視界に収めることができる絶景スポットだった。
「ヤッチョはここから見える景色が大好きなのですよ〜。みんな自由に動いててさ〜……なんて言うのかな。報われる? みたいな?」
手すりに肘をつきながら、ヤチヨはツクヨミを一望していた。
ツクヨミの明かりに照らされる彼女の横顔は……掛け値無しに綺麗だと言えるものであり、自分はここに居てもいいのかという疑問が湧いてきた。
ヤチヨは依怙贔屓をしている。それは間違いない。
だが、その寵愛が向けられる先はあくまでかぐやといろP……“いろは”であって、自分ではないはずだ。自分という存在は彼女にとってイレギュラーでしかないはず。
なんとなく思ったことだが、きっとヤチヨがツクヨミを作った理由は極めて個人的な動機なのだろうと感じる。
この世界の節々に、ヤチヨが想う誰かへの狂おしいほどの思慕が読み取れる。アインクラッドを知っている自分にはそれが分かる。
ヤチヨが誰かに向けた世界に、土足で踏み入る自分のことを、彼女はどう思っているのか……なんて。
あぁ、困ったな。
これではまるで恋する乙女のようだ。そんな感情、とっくの昔に捨て去ったはずなのに。
この煌びやかな世界が魅せる幻想が、どうしても自分を惑わせてしまうのだ。
「落武者くんはさ、ツクヨミのこと、好きになってくれた?」
いつの間にか、ヤチヨは右手におちょこを持って語りかけてきた。そこに酒の類があるのかはわからないが、器に口をつける彼女の姿はまるで精霊のようだ。
内心の昂りを表に出ないようにしながら、“おかげさまで”と返した。
当初の約束通り、ヤチヨはツクヨミから出られない自分に便宜を図ってくれた。ふじゅ〜は自分で稼いだが、この世界での立ち回りがまるで初心者のような自分に手解きをしてくれたのは彼女だ。
「ふふっ、それならよかった」
笑う彼女は、こちらにあまり目を合わせようとしなかった。
それをもどかしく感じたことと、結局、彼女がなんのために自分をここに呼んだのかがわからず、自分は彼女に向き直って口を開いた。
「ごめんね」
しかし、自分の口から声が出ることはなかった。いや、口だけじゃない。全ての五感が言うことを聞かない。
「こうするしかないから」
視線だけを動かして、下を見る。
ヤチヨが持つ和傘の骨組みが、針のように鋭く尖り自分の胸を突き刺していた。
“fatal error”
視界の真ん中で警告音と共に明滅する真っ赤な表示を、薄れていく視界の中で捉えて……ブツリ、と自分の視界は強制的にシャットダウンされた。