リュカ家の年代記   作:ひまんちゅ

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紀元前18世紀頃


バビロンの市場

朝の光が、城壁の上からゆっくりと降りてくる。

 

バビロンの朝はいつも騒がしい。

ロバの鳴き声、パンを焼く匂い、遠くで流れるチグリス川の水音。

 

市場の通りにはすでに人が集まり始めていた。

 

私は父の店の前に立っていた。

 

私の名前はルカ。

父は商人だ。

 

店といっても、石と泥で作られた小さな建物にすぎない。

だが父はよく言う。

 

「ここは世界の入口だ」

 

棚にはさまざまな品物が並んでいる。

 

羊毛

青い石

乾燥した香料

 

そして粘土板。

 

粘土板は私の仕事だった。

商売の記録を書くのだ。

 

誰から何を買ったか。

どの町に送ったか。

 

父は言う。

 

「商売は記録だ」

 

私はまだ十五歳だが、楔形文字を書くことを覚えていた。

 

粘土板に葦のペンを押しつけると、柔らかい土にくさび形の跡が残る。

それが文字になる。

 

世界の出来事は、こうして粘土に刻まれる。

 

市場の通りから騒ぎが聞こえた。

 

「広場へ行け!」

 

誰かが叫んでいる。

 

私は顔を上げた。

 

人々が同じ方向へ歩いている。

兵士もいる。

 

父が店の外へ出てきた。

 

「何だろう?」

 

「王の命令らしい」

 

父は少し考えたあと言った。

 

「行こう」

 

広場は人で埋まっていた。

 

兵士たちが立っている。

中央には、大きな黒い石の柱が運ばれていた。

 

柱には文字が刻まれている。

 

びっしりと。

 

私の目でも読めるほど大きな文字だった。

 

役人が声を上げた。

 

「これはハンムラビ王の法である!」

 

人々がざわめく。

 

ハンムラビ王。

この広大な国の支配者。

 

私は父に小声で聞いた。

 

「法律?」

 

父はうなずいた。

 

「国を治めるための決まりだ」

 

役人が読み上げる。

 

 目には目を

 歯には歯を

 

私は息をのんだ。

 

そんな厳しい言葉を、私は聞いたことがなかった。

 

人々の間から声が上がる。

 

「これで裁判が変わる」

 

「盗みはどうなる?」

 

「商売は?」

 

父は腕を組んで石柱を見つめていた。

 

「良いことだ」

 

父が言った。

 

「法律がある国は商売がしやすい」

 

私は驚いた。

 

「そうなの?」

 

父は笑った。

 

「商人にとって一番怖いのは混乱だ」

 

確かにそうだ。

争いが起きれば交易は止まる。

 

市場も閉まる。

 

世界がつながらなくなる。

 

父は石柱を見ながら続けた。

 

「覚えておけ」

 

私は父を見た。

 

父は静かに言った。

 

「国は変わる」

 

「王も変わる」

 

「だが交易は残る」

 

そのとき、私はまだ知らなかった。

 

この都市も、

この国も、

やがて長い歴史の中で消えていくことを。

 

だが父の言葉は、

私の家系に残ることになる。

 

その日の夜。

 

父は古い箱を取り出した。

 

箱の中には粘土板が一枚入っていた。

 

古びている。

とても古い。

 

「これは何?」

 

私が聞くと、父は言った。

 

「我が家の家宝だ」

 

私は粘土板を手に取った。

 

そこには短い言葉が刻まれていた。

 

私はゆっくり読んだ。

 

 世界は道でつながる

 

私は首をかしげた。

 

「どういう意味?」

 

父は肩をすくめた。

 

「祖先が残したものらしい」

 

「私にも分からない」

 

私はもう一度粘土板を見た。

 

世界は道でつながる。

 

その言葉は、なぜか胸に残った。

 

その夜、私は初めて思った。

 

世界はこの街だけではない。

 

エジプトもある。

遠くの山の国もある。

 

そして、それらはすべて道でつながっている。

 

もし父の言う通りなら。

 

商人は、その道を歩く人間だ。

 

私はまだ少年だった。

 

だがこの日、

私の人生は静かに動き始めていた。

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