ゴブリンを甘く見るな!――元最強ギルドマスターの俺がゲーム序盤に転生、未来知識を武器に見習い傭兵から成り上がって王になるまで 作:窮北の風
レシオの言葉が落ちたあと、冒険者ホールの中では、じわじわと別のざわめきが広がっていった。
「その依頼、俺も見たことあるぞ。報酬は銀貨三十五枚だったはずだ。あの程度じゃ割に合わねえって見送ったが、緊急任務扱いになれば金貨一枚の上乗せがある。あいつ、まさかそれ狙いじゃないだろうな?」
「仮に本当だったとしても、あの有名なケチのカッセが、臨時の隊員なんかにそんな大金を受け取りに来させるか?」
「まさか、本当に全滅したのか……?じゃああの若造、やっぱり嘘つきなのか?」
最初に火をつけた大男は、周囲から同意の声が上がったことで、ますます調子づいたらしい。わざとらしく咳払いを一つして、いかにも事情通めいた顔を作る。
「お前ら、あの隊のことを知らねえだろうが、俺はよく知ってる。《矢の刃》なんて、隊長のカッセがどうにか二、三発矢を飛ばせるくらいで、あとの二人――半獣人とドワーフは、どこの隊でも余り物にされたガラクタだ。実力なんざ、たかが知れてる」
そこでレシオは声を少し落とした。
だが、わざとホール中の全員に聞こえるような声量は保ったままだ。
「それにな、ゴブリン軍ってのは、あの一メートルもない緑虫どもだけじゃねえ。中には、とんでもなく強え精鋭戦士もいる。俺だって勝てるかどうか怪しい相手だ。そんな連中を、あの隊がどうにかできるわけがねえ」
そして、あからさまな嘲りを口元に浮かべたまま、俺を斜めから見下ろしてきた。
「俺の予想じゃ、お前らはゴブリンにぶつかって、力負けして壊滅した。ただ一人、お前だけが命からがら逃げ帰ってきたんだろ。負け犬みてえに慌てふためいて報告に来て、さっさと金だけ受け取って逃げるつもりだったんじゃねえのか?」
その言葉に、大広間のあちこちから、意味ありげな失笑が漏れた。
だが、その空気を断ち切るように、低く響く声がカウンターの奥から飛んだ。
「レシオ。ここは私の管轄だ。事実が明らかになる前に、勝手なことを喋るな。黙れ」
ケンだった。
白髪交じりのその老人は、カウンターの奥からゆっくりと歩み出てきた。眉間には深い皺が寄り、その目は鋭くレシオを射抜いている。
年齢こそ重ねているが、立ち姿はいまだに真っ直ぐだ。その厳しさは、若い頃に軍で人を叩き上げてきた者だけが持つものだった。
人前でぴしゃりと叱責されたレシオは、一瞬だけ顔を引きつらせた。だがすぐに鼻で笑い、吐き捨てるように言う。
「年寄り、そうやって偉そうにするのも大概にしとけ。あんたが昔みたいにトゥー・リバーズ・シティの民兵教官だった時代は、とっくに終わってんだ」
そこで彼は、肩を鳴らしながら口の端を吊り上げた。
「それに俺は、ただの戦士じゃねえ」
パシン――
そう言うなり、深い灰色をした丸い徽章を、彼はカウンターの上へ叩きつけた。
ホールの空気が、一瞬で変わる。
その徽章は大きくもない。見た目だけなら、少し大ぶりな銅貨のようなものだ。
表面にはロニクス王国の紋章――翼を広げたグリフォンの横顔。そしてその下には、小さな文字が刻まれている。
それが何なのか、この場にいる冒険者なら誰でも知っていた。
戦士協会が発行する、職業認定の証。
しかも、最低位とはいえ正式な鉄級戦士の徽章だ。
このチカ町みたいな辺境で、それを持っている人間はほんの一握りしかいない。
それはつまり、レシオがすでに“普通の冒険者”ではないことを意味していた。
周囲から向けられる視線が変わる。
驚き、羨望、そして露骨な計算。
さっきまで離れた場所にいた、体つきのいい女冒険者の一人などは、さりげない仕草で髪をかき上げ、そのまま二歩ほどレシオのほうへ寄っていた。
そんな視線を浴びるのが心地いいのだろう。
レシオは満足げに徽章の縁を指でなぞり、鼻にかかった声で言う。
「だからな、年寄り。口の利き方には気をつけろ。でなきゃ、“職業者への侮辱”って名目で、決闘を申し込んでやってもいいんだぜ?」
そして、わざとらしく肩をすくめた。
「そのときになって、老人相手に手加減しなかったとか言われても困るからな」
さらに、いかにも親切顔で付け足す。
「それに、俺はあんたのために言ってやってるんだ。本当に騙されてたらどうする?笑いものになるのは、その若造じゃなく、ここの看板だぞ」
「貴様……」
ケンの顔が怒りでわずかに青ざめた。
十年前の彼なら、こんな若造には即座に一発くれてやっていたかもしれない。
だが、その視線はふと、自分の空っぽの左手首へ落ちた。
目の奥で燃え上がりかけた怒りは、そこで何度か揺れたあと、ゆっくりと沈んでいった。
俺はその一連のやり取りを、黙って聞いていた。
そしてようやく、静かに口を開く。
「それなら……たぶん、これがさっきあんたが言ってた“ゴブリン精鋭戦士の武器”なんじゃないか?」
ガン――
俺は背中にくくりつけていた黒布巻きの大剣を外し、そのままカウンターの上へ載せた。
重い金属音が、静まり返ったホールにやけに大きく響く。
視線が一斉にそこへ集中した。
布でぐるぐるに巻かれているせいで全体は見えない。だが、それでも分かる。
人の半身ほどもある長大な剣。
カウンターを沈ませるような重量。
それだけで、ただのガラクタではないことは十分すぎるほど伝わった。
場がしんと静まり返る。
ついさっきまで愉快そうに笑っていたレシオの顔から、色が引いた。
「お、おい……そんなもん、どっかで拾った鉄くずかもしれねえだろ……!」
明らかに声音が弱くなっていたが、それでも虚勢だけは崩さない。
「見せろ」
最初に動いたのはケンだった。
彼は脇に置いてあった拡大鏡を手に取り、素早くカウンターの前まで出てくる。
布を一重ずつ、慎重にほどいていく。
一巻き。
二巻き。
やがて、煤けた鈍い金属光沢が現れた。
剣身は広い。
大人の手のひらほどの幅があり、火に焼かれたせいで表面は黒くくすんでいる。それでもなお、元々の鍛造技術がかなり良いものであったことは一目で分かった。
刃にはいくつか目立つ欠けがあり、鍔のあたりには粗いながら力強い刻線が刻まれている。
ゴブリン特有の紋様だ。
ケンは老眼鏡までかけ直し、剣先から鍔、刃の巻き具合、血溝に至るまで、細部を一つ残らず見ていく。
彼は、ただのホール管理人ではない。
かつてトゥー・リバーズ・シティで民兵を鍛えた教官だった男だ。普通の冒険者では届かない経験と見る目を持っている。
そして彼は知っている。
ゴブリンの中には、確かに精鋭戦士が存在することを。
かつて彼自身、二十人の民兵を率いてその一体を討伐したことがあった。あのときは三人が重傷を負い、それでようやく倒せた。
戦いの後、彼らはその変異種を詳しく調べた。
普通のゴブリンとは比べ物にならない知性。
専用の武器と装備。
判別のための特徴も、今の彼の中にははっきり残っている。
一分も経たないうちに、ケンは顔を上げた。
だが、すぐには何も言わない。
ホール中の、息を呑んで結果を待つ人々をぐるりと見回し、最後にその視線を俺へ戻す。
「間違いない」
短く、しかしはっきりとした声だった。
「これは確かに、ゴブリン精鋭戦士が用いる専用武器だ」
「なっ……!?」
「本物なのか!?」
「じゃあ、ゴブリン軍侵入の話も、本当ってことか……」
「まさか、あのどうしようもない小隊が、精鋭戦士まで倒したってのか?」
「いや……待てよ。もしかして精鋭戦士って、言うほど大したことないんじゃ……レシオの実力もその程度とか」
「おい、聞こえるぞ。黙れ!」
ざわめきは一気に向きを変えた。
さっきまで俺を疑っていた声が、今度は別の対象へ向かっていく。
レシオはその場に立ち尽くしたまま、顔色を青くし、次の瞬間には赤くした。握った拳からは、ぎしぎしと音がする。
ほんの少し前まで彼のそばへ寄っていたあの女冒険者も、いつの間にか距離を取っている。
俺は静かに振り返り、まっすぐ彼を見た。
「小隊の他の連中についてだが……」
一拍置く。
声は低く抑えたが、それでも場にいた全員にきちんと届くように。
「そこだけは、あんたの言う通りだ。全員死んだ」
ホールがまた静まり返る。
「だけど、あいつらは最後まで俺のために時間を稼いでくれた」
言葉を一つ一つ、区切るように続けた。
「だから、さっきの言葉は取り消してもらう。それから……あの数人の勇敢な冒険者に、最低限の敬意を払え」
本当の死因を知っているのは、たぶん俺だけだ。
だが、それでもあいつらがゴブリンの脅威を止めるために働いたのは事実だ。
理由がどうであれ、その功績まで踏みにじられるべきじゃない。
それに、死んだ人間に少しでもまともな名を残してやることが、遺された家族への助けになるかもしれない。
ケンはゆっくり歩み寄り、俺の肩を力強く叩いた。
「……皆、立派な若者たちだった」
その言葉に、周囲の冒険者たちも無言でうなずいた。
そしてレシオへ向けられる視線には、さっきまでとは違うものが混じる。
距離。
軽蔑。
冷えた無関心。
もちろん、当の本人もそれを感じ取っただろう。
レシオの顔は、みるみるうちに真っ赤に膨れ上がっていく。
やがて彼はがっと俺へ顔を向け、牙でも剥くみたいに唇を歪めた。
「小僧……てめえ、よくも“戦士”にそんな口を利けたな?死にてえのか?」
その声には剥き出しの威圧があった。
見物していた連中は、さっと口を閉ざす。
さっきまで面白半分で囁いていた何人かは、もうさりげなく入口のほうへ下がり始めていた。
鉄級戦士。
たとえ最下位ランクでも、その身体能力はこの場の九割以上の冒険者を軽く踏み潰せる。
それこそが、レシオがここまで好き勝手に振る舞える理由だった。
探るような目。
嘲るような目。
まだ疑う目。
いろんな視線が俺へ集まる。
だが、俺の心はひどく静かだった。
まるでレシオの脅しなど耳に入っていないかのように、俺はそのままカウンターへ歩み寄る。
そして、あの大剣の柄へ手を置いた。
次の瞬間、ぐっと握り込んで、そのまま一気に持ち上げる。
ざわっ、と空気が揺れた。
およそ三十キロはあるはずの大剣が、まるでただの木切れみたいに、俺の片手で軽々と頭上まで持ち上がる。
剣先は天井へ向けて、真っ直ぐに伸びていた。
微かな震えすらない。
「戦士?それも鉄級?」
俺は顔だけをゆっくりとレシオへ向けた。
視線は冷たいまま。
「……だから、何だ?」