ゴブリンを甘く見るな!――元最強ギルドマスターの俺がゲーム序盤に転生、未来知識を武器に見習い傭兵から成り上がって王になるまで 作:窮北の風
疲れが限界だったせいで、俺は横になった瞬間、そのまま深い眠りに落ちた。
夢の中で、ルクとシモンズ、それに隊長のカッセがいた。
あいつらは焚き火を囲んで座り込み、何かを話している。全員の手には、それぞれ金貨が一枚ずつ握られていた。
火の明かりに照らされた顔には、やけに穏やかな笑みが浮かんでいた。
だが、おかしい。
俺がそいつらの前まで歩いていくと、全員が一斉に立ち上がり、そのまま燃え盛る焚き火のほうへ向かって歩き出したんだ。
俺は叫んで止めようとした。
けれど、あいつらには何も聞こえていないみたいだった。
一人、また一人と、そのまま炎の中へ消えていく。
炎が唐突に大きく跳ね上がる。
灼けつく熱気が顔へ吹きつけ、肌を舐める。
その熱さに耐えきれなくなった瞬間、俺ははっと目を覚ました。
……
宿舎の窓の外は、すでに大騒ぎになっていた。
揺れる火の光がカーテンの隙間から差し込み、俺の顔の上で忙しなく跳ね回っている。扉の隙間からは濃い煙が流れ込み、空気には焦げ臭さがはっきり混じっていた。
胸の奥が、一気に冷たくなる。
「火事か?」
そう思ったが、すぐに自分で否定した。
「違う……ゴブリン軍が、もうチカ町に入ってきたのか!」
正直、昼間に侵攻の報を伝えたばかりで、その日の夜にはもう敵の大軍が押し寄せてくるなんて、想像していなかった。
早すぎる。
しかも勢いが強すぎる。
たった一晩で、町の中心部にある冒険者ギルドにまで戦火が及んでいるなんて。
ケンがちゃんと情報を上へ回せたのか。住民たちに備えを取らせられたのか。
そんなことが頭をよぎる。
荷物をまとめて外の様子を見に行こうとした、そのときだった。窓のほうで、小さな物音がした。
俺はぴたりと動きを止める。
ゴブリンかもしれない。
いや、仮に違ったとしても、ろくな相手じゃないだろう。真夜中に他人の部屋の窓から近づいてくる時点で、まともなはずがない。
俺はすぐ荷物から手を離し、壁に体を寄せる。短剣を抜き、息を殺した。
やがて、窓の外から一つの影が、こそこそと部屋へ這い込んでくる。
若い娘だった。
飾り気のない長いワンピースを着て、両手にはしっかりと麺棒を握っている。窓枠をまたぐ動きは慎重というより、むしろもたもたしていて、見ているこっちが心配になる。
どうにか全部体を入れてから、ようやく部屋の中を見回すのを思い出したらしい。慌てて首を巡らせ、そして壁際に立つ俺を見つけた。
娘は目に見えてびくっと跳ねた。
小さな顔が一瞬で真っ青になる。
だが、そのおかげで俺は相手の顔をよく見て、同時に、この不用心さに思わず頭を抱えたくなった。
栗色の長い髪は後ろでまとめられ、どこかきちんとした雰囲気がある。細めの目元には少し色気があるのに、まっすぐ通った鼻筋と小さく引き結ばれた唇のせいで、全体には愛らしい印象のほうが強い。
それに腰には、小ぶりな茶色の革鞄が提げられていた。金具の先には、小さくて精巧な竹筒がちょこんと揺れている。
妙に整っていて、しかもかわいらしい。
端正さと、女の子っぽい柔らかさが、変にちぐはぐにならずに一つへ収まっていた。
俺は相手が誰かすぐに分かった。
向こうも、俺が誰か分かったらしい。
娘は大きく息を吐き出し、豊かな胸をぽんぽんと押さえながら、ほっとしたように笑った。
「なぁんだ、コロンだったのぉ。びっくりしちゃったよぉ」
「トーヴさん……どうしてここに?」
俺は相手を見て、思わず頭が痛くなった。
目の前にいるこの娘が、俺の“幼なじみ”にあたるトーヴだ。
パン作りを習うために、今はチカ町で叔母の家に身を寄せている。
この体の記憶によれば、彼女は昔から妙に明るくて、ちょっと抜けていて、それでいて変なところで肝が据わっている女の子だった。
小さい頃は、「一緒に外の世界へ冒険に行こうよぉ」とか、「わたし、行商人になっていろんな町を見て回りたいなぁ」とか、そんな突拍子もないことをよく言っていたらしい。
その後、俺は冒険者になるため故郷を出た。
ちょうど同じ頃、トーヴもまた町を離れた。
つい最近になってチカ町で偶然再会し、ようやくまた交流が戻ったところだった。本当なら明日にでも彼女を訪ねるつもりだったんだが、まさか向こうから来るとは思わなかった。
「えっとねぇ、冒険者ギルドの裏口から、こっそり入ってきたの。あ、でもコロンのお部屋、すっごく分かりにくかったよぉ。危うく迷子になっちゃうとこだったの」
トーヴはぶつぶつ言いながら、しゃがんでスカートの裾を直している。
――誰も来いなんて言ってないだろ。
その言葉は飲み込み、心の中でだけ突っ込んでおく。
「いや、そうじゃなくて。どうして俺がここにいるって分かったんですか?それに、こんな夜中に何をしに来たんです?」
「えっとねぇ、わたし、毎日パン屋さんのお仕事が終わったあと、ギルドでコロンのこと聞いてたの。今日はちょうど、帰ってきたって聞いたからぁ。でも、お部屋に来たときはいなかったの」
そこまで言ってから、彼女はきょとんとした顔で俺を見る。
「それで、来た理由?そんなの決まってるよぉ。コロンが心配だったからぁ」
言いながら、トーヴの目は俺の荷物のほうへ移っていた。いかにも気になる、といった顔だ。
「そうだ、コロン。あの子たち見た?ちっちゃくて、みどりで、ぴょこぴょこしてるの。ゴブリンっていうんでしょぉ?」
「……やっぱり、ゴブリン軍が来たんですね」
彼女のその言葉で、俺の推測は確信に変わった。
やはり、相手はあの緑皮どもだ。
状況はもう、かなり悪い。
ゲームの歴史通りなら、チカ町が落ちてからわずか三日で、城壁も高く兵も揃っているはずのトゥー・リバーズ・シティですら陥落する。
誰も、ゴブリンがここまで破竹の勢いで攻め込むなんて思っていなかった。
そして誰も、ロニクス王国の軍権を握る貴族たちが、ここまで脆いとも思っていなかった。
「コロン?コロン?」
考え込んでいた俺の腹を、トーヴがつんつんと指でつついた。
俺がはっとして顔を上げると、彼女はいつの間にか俺のすぐ後ろに回り込み、こそこそ声で言う。
「ねぇコロン、お外の音、聞こえる?」
俺はうなずいた。
宿舎の扉の向こう、廊下にはたくさんの足音が響いている。数も多いし、音の軽さからして体重もそれほどない。
おそらく、ゴブリン兵だ。
俺はトーヴへ静かにするよう手で示し、そのまま彼女の腕を引いて窓際まで下がった。
今の俺なら、数匹のゴブリン兵くらい簡単に片づけられる。
だが問題はそこじゃない。
ここで戦闘音を立てれば、近くにいる本隊へ気づかれる可能性がある。より高位のゴブリンが寄ってきたら、包囲されるのは時間の問題だ。
しかも、今は戦えない女の子を一人連れている。
「どうやら、あなたが来た道から出るしかなさそうですね」
「うんっ、大丈夫だよぉ。じゃあ、わたしが案内するねぇ」
そう言うなり、トーヴは俺より先に窓枠へよじ登った。
さっき一度入ってきた分、少しは慣れたのか、今度はだいぶ滑らかだ。
俺がそのあとを追って窓の外へ出ると、チカ町の夜空はもう完全に橙色へ染まっていた。
遠くでは武器のぶつかり合う音が響き、人々の悲鳴が混ざる。燃え上がる炎が、空の半分を真っ赤に染めていた。
「ねぇ、コロン。あのゴブリンたち、なんでわたしたちを襲うの?コロンは知ってるんでしょぉ?」
トーヴは俺のすぐ横で、少し声を震わせながらも尋ねてきた。
怯えていないわけじゃない。
でも、その震えの中には恐怖だけじゃなく、知りたいという気持ちもちゃんと混じっている。
俺は深く息を吸い、火の海になりつつあるチカ町を見つめた。
「……あれはゴブリンの軍隊です」
「戦争が、始まったんですよ」