ゴブリンを甘く見るな!――元最強ギルドマスターの俺がゲーム序盤に転生、未来知識を武器に見習い傭兵から成り上がって王になるまで   作:窮北の風

27 / 39
第27話 山頂

「隊長!あっちを見てください!」

 

 チカ町巡回隊の革鎧をまとった若い隊員が、手にしていた真鍮製の単眼鏡を下ろし、すぐさま隣の白髪の老人へ差し出した。

 

 ケンは険しい顔のままそれを受け取る。

 そのとき、またがっていたバンケル馬が、ふんと鼻を鳴らした。

 

 ロニクス王国北西の草原地帯が原産のこの小型馬は、体こそ小さいが持久力に優れ、気性も穏やかだ。ケンにとっては、もう十年以上連れ添ってきた相棒でもある。

 今は山頂に漂う焦げ臭い煙のせいか、少し落ち着かないらしい。蹄がその場で小さく地面を踏み鳴らしていた。

 

 六十を過ぎたケン自身もまた、内心では焦燥に焼かれていた。

 昨日、国境地帯へゴブリン軍が侵入したという報を確認して以来、彼は休む間もなく町の巡回隊をかき集めた。

 十名の隊員を二人一組に分け、周辺の町々へ戦況を知らせるために散らした。

 その一方で、自分は残りの者を率いてゼス村へ急行したのだ。

 目的は二つ。

 一つは、現地で状況を直接確認すること。

 もう一つは、途中で生き残っている村民がいないか捜索すること。

 彼はよく分かっていた。

 たかだか二十人ほどの戦力では、小規模なゴブリン斥候隊ならまだしも、精鋭戦士を伴う本隊にぶつかれば、ただ潰されるだけだ。

 だからこそ、全員に馬を使わせた。

 もし主力と鉢合わせしても、速度さえあれば離脱できる。ゴブリンには騎兵という兵科がない。それが唯一の救いだった。

 

 自分は十分に素早く動いている――そう思っていた。

 ところが、途中でチカ町からの伝令が追いつき、すべてをひっくり返した。

 町が、ゴブリン大軍の襲撃を受けたという。

 慌てて隊を引き返させたときには、チカ町の空はもう炎で橙色に染まっていた。

 

 今、彼らがいるのはチカ町から三キロも離れていない小高い丘、“オウム嘴”と呼ばれる場所だった。

 山というほど高くはない。だが町に近すぎるほど近いせいで、頂上に立てばチカ町全体を見渡すことができる。

 

「ひどい状況だな」

 ケンは単眼鏡を下ろし、眉間に深い皺を刻んだ。

「ゴブリンどもは町の西側から押し込んだらしい。あそこがいちばん火の勢いが強い。火はそのまま中心部へ広がっている」

「午後の時点で住民には警告が回っていたはずだ。そのおかげで、無秩序に散り散りになってはいない。大半は本能的に、町の東――トゥー・リバーズ・シティへ向かう側へ逃げているようだ」

「だとすれば、まずは東側で住民を集め、防衛線を作る必要がある……ペトラ、見てみろ」

 ほとんど独り言みたいに状況を整理し終えてから、ケンは単眼鏡を横へ差し出した。

 

「町の東側ですね」

 それを受け取ったのは、灰がかった白髪を揺らす若い女だった。

 ペトラ。

 チカ町巡回隊の副隊長だ。

 体にぴたりと沿う白い革鎧を着込み、その下には分厚い綿入りの上着を重ねている。大きく開いた襟元には、銀色に光る小ぶりの短剣が三本並び、その鋭く整った顔立ちをいっそう引き締めて見せていた。

 彼女は単眼鏡を目に当てたまま、素早く視線を動かす。

 そして次の瞬間、表情が変わった。

 

「まずいです!ゴブリンの一団が、町の東へ向かっています!何かを……追っています。あれは……冒険者の小隊です!」

「ん?町に残っていた冒険者どもが、自発的に動いたのかもしれん。それならそれでいい。一般住民が逃げる時間を稼げる」

「……そのはずです。前方には、たしかにかなりの数の住民がいます。たぶん、あの小隊が彼らを庇って……」

 

 そこでペトラの声が途切れた。

 そして、低く吐き出すように続ける。

 

「違う……!あの冒険者たち、止まりません!自分たちだけ先に林へ逃げ込みました!」

「何だと!?」

「しかも、その後ろには……ゴブリン精鋭戦士がいます!何体も!」

 ケンの胸が重く沈む。

 彼はほとんど奪い取るように単眼鏡を受け取り、すぐに覗き込んだ。

「くそっ……レシオか!」

 その先に見えた、無様に逃げる大柄な姿を見た瞬間、怒りが一気に湧き上がる。

「職業戦士のくせに、丸腰の住民を囮にしているのか!」

 

 その程度の小細工なら、凡庸な人間の目は誤魔化せるかもしれない。

 だが、ケンには最初からお見通しだった。

 昨日の午後、冒険者ギルドで起きたやり取りの時点で、彼の中のレシオへの評価は最悪に近かった。

 そして今、その評価は完全に地の底へ落ちた。

 今すぐ山を駆け下りて、あの男の首根っこを掴み、そのままトゥー・リバーズ・シティの異端審問所にでも突き出してやりたかった。

 自分だけ生き延びるために他人を犠牲にする。

 冒険者同士の話なら、そういうこともあるだろう。

 だが今は、国境戦争の真っ最中だ。

 こんな行為は、もはや売国に等しい。

 

 しかし、その怒りも一秒と続かなかった。

 もっと差し迫った問題が、目の前にある。

 どうやって、あの住民たちを守る?

 

「……やるしかないな。いつもの手だ」

 ケンは深く息を吐き、感情を押し殺した。

「騎兵の速度を使う。敵の攻撃圏外から、嫌がらせのように揺さぶり続けるぞ」

 

 作戦を頭の中で固め、振り向いて巡回隊へ指示を飛ばそうとした、その瞬間だった。

 脇で馬が高く嘶く。

 白い影が、まるで矢みたいに飛び出していく。

 

「ペトラ!お前!」

 ケンは、もう森へ消えかけているその背中を見て、思わずこめかみを押さえた。

 チカ町巡回隊副隊長、ペトラ。

 顔立ちは整っていて、剣の才も抜群。

 だが、その胸に詰まりすぎている正義感だけは、いつも肝心な場面で彼女を前へ押し出しすぎる。

 

「はぁ……」

 ケンは短く息を吐いた。

 

「隊長、俺たちも――」

「当たり前だ!」

 手綱を引き締めながら、ケンは低く命じる。

「いつも通りだ。目的は牽制、正面からのぶつかり合いは極力避ける!それから速度を落とすなよ。お前らの馬の鼻先が、前の馬の尻に突っ込むような間抜けな真似はするな!」

「ははっ、了解です隊長!」

「そっちこそ気をつけてくださいよ!一番遅いの、隊長の馬ですからね!」

 

 若い巡回兵たちは、声を潜めながらも、思わず笑いをこぼした。

 張りつめていた空気が、ほんの少しだけ和らぐ。

 

 ケンは、そんな活気に満ちた連中を見て、口元をわずかに緩めた。

 

 戦争は残酷だ。

 だが同時に、若者をもっとも早く成長させる火床でもある。

 この先、彼らの誰かが異族の侵略を食い止める柱になるかもしれない。

 けれど――

 ケンは再び、山の下で燃え続ける町へ目を向けた。

 その眼差しは、また静かに沈む。

 ――その中の何人が、最後まで生き残れるのだろうな。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。