ゴブリンを甘く見るな!――元最強ギルドマスターの俺がゲーム序盤に転生、未来知識を武器に見習い傭兵から成り上がって王になるまで 作:窮北の風
“オウム嘴”――チカ町の東にそびえるこの小さな山は、高さこそ百メートルにも満たず、ロニクス南部に連なる山々の中では、まったく目立たない“小粒”にすぎない。
それでも、この山だけが地元の人々の間でちゃんと名前を持っているのには理由がある。
山の形が、まるで胸を張って立つ一羽のオウムみたいに見えること。
そして、その“腹”を縫うように石畳の山道が走り、トゥー・リバーズ・シティへ続いていることだ。
その“オウム”の腹にあたる山腹で、今、七、八人ほどの冒険者の一団が森を抜けて山道へ出ていた。
レシオは首を反らせ、最後の一口まで水を飲み干すと、空になった水筒を無造作に隣の太った冒険者へ放り投げる。
受け取った男は、体を半分そらせてこっそりと口をへの字にしたが、すぐにその表情を引っ込めた。腰へ水筒を丁寧に戻す頃には、顔にはもう媚びるような笑みがべったり張りついている。
「旦那、ここまで来りゃ、もう安全ですよね?」
「何だ?俺が信用できねえってのか?」
「い、いえいえ、とんでもない!」
太った冒険者は慌てて手を振り、笑みをさらに深くした。
しばらくの沈黙のあと、隊の中でも若いほうらしい冒険者が、ついに耐えきれず口を開いた。
「旦那……さっきの、あれでよかったんですか?あの住民たちは……」
「何だ?今さら良心が痛んでんのか?」
レシオは鼻で笑った。
若い冒険者は口を開いたものの、結局何も言い返せなかった。
だが、その顔を見れば、まさにその通りだというのは誰の目にも明らかだった。
「戻りたきゃ今からでも戻れ。もしかしたら間に合うかもしれねえぞ。ゴブリンどもが人間をどう食うか、いい勉強になるんじゃねえか?」
レシオは顎をしゃくって山下の方角を示した。
隊の者たちは一様に黙り込む。
何人かは俯き、拳を握り締め、また何人かは顔を背けた。
そのうちの一人が、低い声でぽつりとこぼす。
「……あの中には、町で世話になった店の人もいた。飯だって食わせてもらったことがある」
レシオは、そんな感傷じみた言葉に露骨にうんざりしたようだった。
冷えた目で全員を見渡し、吐き捨てるように言う。
「この世はな、人が人を食うんだよ。まだ分かってねえのか?飯を食わせてもらった?その代わりに金は払わなかったのか?向こうが善意で食わせたとでも思ってんのか?全部ただの取引だ」
そこで一拍置き、鼻で笑う。
「そういうことを理解できる奴だけが、冒険者って稼業で長生きできるんだよ」
誰も言い返さなかった。
レシオも、もとから返事など期待していなかったのだろう。
そのままくるりと振り返り、山の下を見下ろす。
幾重にも重なる枝葉が視界を塞いでいて、町の様子はもう見えない。
それでも彼の頭には、今ごろ山の下で広がっているだろう光景が、ありありと浮かんでいた。
炎。
悲鳴。
血。
地獄のような光景。
そのとき、不意に彼の脳裏へ、あの若い男の顔が浮かんだ。
冒険者ギルドで、片手で大剣を掲げ、自分に恥をかかせたあの黒髪の若造。
レシオの口元が、ゆっくりと歪む。
少し力があるからといって、住民を連れてゴブリンを食い止められるとでも思ったのか。
甘い。
そんなものは、ただの馬鹿げた英雄ごっこだ。
きっとあの男も、いずれ限界を思い知る。
抱えた重荷は自分では支えきれず、最後には他の冒険者と同じ選択をするしかなくなる。
――つまり、住民を捨てて自分だけ逃げる。
それが冒険者ってものだ。
誰だって同じだ。
そう思うと、レシオは急に先を急ぐ気を失った。
むしろ、少し待ちたくなった。
あの黒髪の若造が、この山道の向こうから現れるところを見たかったのだ。
信念が砕け、勇気が潰え、最後には怯えと怒りと無力感しか残らなくなった、あの顔を。
そのときこそ、思いきり嘲笑ってやれる。
俺より強かろうが、あの大剣を持ち上げられようが、結局最後は俺と同じだ。
負け犬みたいに、みっともなく命からがら逃げてくるしかない。
そう想像すると、胸がすくような気分になった。
口元の笑みは、もう耳元まで裂けそうなほどだった。
――そのときだ。
尻の下の地面が、かすかに震えた。
「……馬?」
レシオははっとして立ち上がり、山道の先へ目を向ける。
まさか、トゥー・リバーズ・シティの援軍か?
次の瞬間、白い影が山道の曲がり角から弾かれた矢のように飛び出してきた。
レシオは目を細めた。
すぐに分かる。
あの鎧の形式は、チカ町巡回隊のものだ。
援軍じゃない。
しかも、一騎だけ。
奇妙だったのは、その騎手が、こちらの集団を見ても速度を落とさなかったことだ。
それどころか、馬の尻をさらに強く叩いたらしい。白い影は、さっきより明らかに勢いを増して、真っ直ぐこちらへ突っ込んできた。
山道の幅は狭い。
あれは明らかに、わざとだ。
レシオは反射的に、道の脇へ二歩ほど飛び退いた。
別に、怖かったからじゃない。
巡回隊に手を出せば重罪になる。それくらいの分別は、さすがに彼にもある。
だが、本当の理由はもっと単純だった。
止められる自信がなかったのだ。
いくら“鉄”級の戦士でも、全力疾走する戦馬の突進を正面から受け止めるのは、人の身体でどうにかなるものじゃない。
彼はほとんど無意識のうちに、道の端へ身を躱していた。
馬蹄が唸るような音を立てて目の前を駆け抜ける。
跳ねた小石が脛へぶつかり、鋭い痛みが走った。
その一瞬で、レシオは馬上の騎手の顔を見た。
女だ。
まだ若い。
灰がかった白い髪が風に踊り、白い革鎧がその鋭い顔立ちをいっそう際立たせている。
通り過ぎざま、彼女はちらりとレシオの方へ目を向けた。
その視線には、見定めるような冷たさがあった。
怒りもあった。
そして、ほんのわずかに――軽蔑に似た“惜しさ”まで混じっていた。
馬蹄の音はすぐに遠ざかり、白い影はそのまま山道の先へ消えていった。
レシオはしばらく呆然と立ち尽くした。
やがて我に返ると、地面へ向かって強く唾を吐く。
「行けよ。さっさと戻れ。あの若造と一緒に、仲良くそこでくたばれ。英雄様が二人も揃ってるんだ、ちょうどいいだろうが」
吐き捨てた声には、さっきまでの余裕はもうどこにもなかった。
彼は苛立ち紛れに振り向く。
だが、そこにいた隊員たちは、誰一人としていつものように媚び笑いを浮かべていなかった。
みな、黙ったまま彼を見ている。
その目にあるのが何なのか、レシオには上手く言葉にできなかった。
軽蔑。
失望。
あるいは、その両方か。
「何見てやがる!」
レシオは怒鳴りつけるように言った。
「最初に約束した通りだ。お前らをここまで連れ出してやったんだ。銀貨五十枚ずつ払え」
一行は沈黙したまま立ち上がった。
誰も何も言わない。
ただ無言で、自分の金袋へ手を伸ばす。
レシオは一人ずつ回り、銀貨を奪うように受け取っていった。
だが、一人から受け取り、次の一人へ向かうたび、その背中へ視線がねっとり張りつく。
まるで焼けた鉄を押し当てられているみたいに、ひどく居心地が悪かった。