ゴブリンを甘く見るな!――元最強ギルドマスターの俺がゲーム序盤に転生、未来知識を武器に見習い傭兵から成り上がって王になるまで   作:窮北の風

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第33話 引っかかったな

 ヒュッ――

 

 風を裂く音が響く。

 

 両手斧の刃が横薙ぎに振るわれ、俺の首筋まで、あと指三本ぶんという距離まで迫っていた。

 

 だが、その瞬間だった。

 まるで時間そのものが急に遅くなったように感じられた。

 

 斧を握るゴブリン精鋭戦士の口元はわずかに吊り上がり、舌先が上唇を舐めている。大きく見開かれた目には、血への渇望がむき出しになっていた。

 

 少し離れた場所で戦いを眺めているゴブリン首領は、もう勝負は決したと思ったのだろう。ゆっくりと息を吐いている。

 

 そして、自分の手で敵の首を刎ねる機会を逃した他のゴブリン戦士たちは、悔しそうな顔を浮かべながら、張り詰めていた筋肉を少しずつ緩め始めていた……。

 

 俺はゆっくりと瞼を上げ、そのすべてを見た。

 心の中には、悲しみも喜びもなかった。

 

 全身を満たしていた痛みは、潮が引くように消えていく。

 代わりに、底なしの力が次から次へと身体の奥から湧き上がってきた。

 

 ――60秒。

 ――全能力値、三倍。

 

 これが、この世界に残せる俺の最後の置き土産かもしれない。

 

「まとめて死ねえええっ!!!」

 

 ガァン!

 

 斧の刃が首を薙ごうとした、その瞬間。

 俺は左肘を一気に跳ね上げた。

 

 計算し尽くしたかのように、その肘は斧刃の側面へぴたりと当たる。

 

 次の瞬間、両手斧はそのまま凄まじい力で上へ弾き飛ばされた。

 

 横薙ぎを潰した俺は、その勢いのまま長剣を持ち上げ、目の前へ軽く一閃させる。

 

 剣閃は冷たい光となって走り、まだ興奮を浮かべたままのゴブリン戦士の腰を、するりと薙いでいった。

 

 上半身が滑らかな断面を晒しながら地面へ落ちた時になって、ようやくその顔に浮かんだ表情が歓喜から驚愕へと変わる。

 

「なっ……!?」

 

 ゴブリン首領カヴァが、目を見開いて思わず叫んだ。

 

 さっきまで、あと一息で死ぬはずだった人間の戦士が、まさか反撃してくるとは思っていなかったのだ。

 それどころか、今の一撃は、それまであの人間が見せたどの攻撃よりも正確で、どの攻撃よりも速く、どの攻撃よりも重かった。

 

「まるで……昔のLv13だった頃の感覚に戻ったみたいだ!」

 

 俺は視線を落とし、自分の手の中にある木製の柄を握り直した。

 ほんの少し力を込めただけで、それを簡単に握り潰せそうな錯覚すら生まれる。

 

 力が、まるで別物になっていた。

 

 それは腕力だけではない。

 速度も、反応も、身体全体のあらゆる性能が、以前とは比較にならないほど引き上がっている。

 

 俺は無表情のまま顔を上げ、思わず数歩後ずさっていた残りのゴブリン精鋭戦士たちを見る。

 

 さっきまでは、Lv6相当の能力値を持つ強敵だった。

 だが今となっては、もう何の脅威にも見えない。

 

 一歩踏み込み、そのまま前へ出る。

 

 頭の奥の隅に追いやられていた剣技の記憶が、今は本能のように鮮明に甦っていた。

 

 直突き。

 横薙ぎ。

 側方へ捌いてからの斜め斬り。

 

 力は一分も余らせず、一分も無駄にしない。

 

 十を超える剣技が、絶え間ない光の流れとなって敵すべてを呑み込んだ。

 

 そして三十秒後。

 

 俺の前に立っていた四体のゴブリン精鋭戦士は、すべて地面に倒れ伏し、二度と動かなかった。

 

「き、貴様……何をした!? 何が起きている!?」

 

 ゴブリン首領カヴァは、もはや先ほどまでの冷静さを完全に失っていた。

 片手の鉈をこちらへ向けながら、じりじりと後退していく。

 

 信じたくはない。

 だが、自慢の七人のゴブリン勇士の死体が、今まさに自分の目の前に転がっている。

 

「逃げろ! こいつから離れろ!」

 

 一秒にも満たない躊躇のあと、カヴァはくるりと踵を返し、後方の道へ向かって全力で走り出した。

 

 人間の戦士に何が起こったのか、彼には分からない。

 なぜあの人間が突然、ゴブリン勇士を圧倒するほどの力を得たのかも理解できない。

 

 だが、理由などどうでもよかった。

 

 ただ一つだけ、はっきり分かったことがある。

 自分の軍では、もうあいつに勝てない。

 

 とはいえ、自分さえ生き延びれば、もっと強い勇士を集め、体勢を立て直すことはできるかもしれない。

 

 速く。

 もっと速く。

 

 この瞬間、さっきまで尊大だったゴブリン首領カヴァは、心の底から母親を呪っていた。

 どうして自分を産んだのがエルフじゃなかったのか、と。

 

 もしそうだったなら、脚はあと数センチ長くなっていたかもしれない。

 歩幅も、今よりずっと広かったかもしれない。

 

 だが、そう願っても遅い。

 

 必死に逃げるその背後から、突然また風を裂く音が迫った。

 続いて、あの聞き慣れた人間の声が耳元で炸裂する。

 

「誰が帰っていいって言った?」

 

「!!?」

 

 キィィン――!

 

 次の瞬間、激しい金属の衝突音とともに、カヴァのすぐ脇で眩しい火花が弾け散った……。

 

「くそっ!」

 

 俺が咄嗟に振るった一撃は、またしてもカヴァの《剣戟偏向結界》に弾かれた。

 

 各種身体能力は一時的に三倍まで跳ね上がっている。

 それでも、刃を通して返ってくる凄まじい反震で、手首には鋭い痛みが走った。

 

 だが、この痛みには十分な価値があった。

 

 今の一撃は身体までは届かなかったものの、確実に相手の足を止めた。

 それどころか、その衝撃で相手は地面に叩き倒されていた。

 

「あははは……お、お前には……俺を殺せない!」

 

 ゴブリン首領は地面を器用に二度転がって俺との距離を取ると、息を荒げながら高笑いした。

 

「そうか?」

 

 俺は一切言い返さず、足の裏をぐっと曲げて地面を蹴った。

 そして、目にも止まらぬ速さで相手へ飛びかかる。

 

 ガン――!

 

 ガン――!

 

 走る勢いをそのまま腕に乗せ、続けざまに二度剣を振り下ろす。

 だが、ほとんど全身の力を込めたその二撃ですら、散ったのは眩い火花だけだった。

 

 その時になって、俺はようやく気づいた。

 

 こいつの纏っているこの魔法防護は、少なくともLv10以上のメイジが作った代物だ。

 そうでもなければ、今のLv13相当の筋力をもってしても破れないはずがない。

 

 視界の端では、【天賦:無畏】の文字が狂ったように点滅している。

 残り時間は、わずか10秒!

 

 ガン――!

 

「砕けろ!」

 

 ガン――!

 

「砕けろって言ってるだろ!」

 

 ガン――!

 

「砕けろおおお!!」

 

 バキィィィィ――ッ

 

 砕けたのは、《剣戟偏向結界》ではなかった。

 

 三日間、俺と共に戦ってきた長剣そのものが、ついに限界を迎え、真ん中から二つに折れたのだ。

 

 俺は空中へ跳ね上がった半分の刃を、ただ見つめたまま、その場で凍りついたように動けなくなる。

 

 残り5秒――

 

 ゴブリン首領は、その一瞬の隙を鋭く見逃さなかった。

 嗜虐的な笑みを浮かべながら、手にした短剣をまっすぐ俺へ突き出してくる。

 

 ぶすっ。

 

 刃先は何の抵抗もなく、俺の腹へ深々と潜り込んだ。

 熱い血が、圧し出されるように傷口から弾ける。

 

「死ね、人間のガキ!」

 

「はっ、お前こそ……引っかかったな」

 

 俺は口元を歪めて笑った。

 そして、驚愕に染まる相手の目の前で、空から落ちてきた半分の剣身をしっかりと掴み取る。

 

 残り2秒――

 

「死ぬのは、お前だ!!」

 

 ぶしゅっ!

 

《剣戟偏向結界》は、もう現れなかった。

 鋭く折れた半分の刃が、そのまま相手の頭を貫いていた。

 

 ————

 

【天賦:無畏、効果終了!】

【警告! 虚弱状態に突入、全能力値50%低下!】

【警告! 生命値が危険域です!!】

【警告! このままでは30分後に死亡します!!】

 

 痛みと疲労が、堰を切ったように一気に脳へ押し寄せてくる。

 視界の輪郭は再び崩れ、景色が滲み始めた。

 

 俺は二歩ほど後ろへよろめき、腹に刺さった邪魔な短剣をゆっくりと引き抜く。

 

 ぬるく粘つく液体が、たちまち両手を覆った。

 全身の力までもが、その傷口から流れ出していくようだった。

 

 周囲で、またぞろぞろと足音が鳴り始める。

 

 人間のものではない。

 おそらく、残っていたあの普通のゴブリン兵どもだろう。

 

 ……本当に、どこまでも欲深い連中だ。

 

 だめだ。

 もう力が出ない。

 

 せめて一度だけでも、後ろの難民たちが無事に離れられたかどうか、振り返って確かめたかった。

 だが首にもう力が入らず、顔すらまともに動かせない。

 

 ……いいさ。

 

 どうせなら、このまま立ったまま死のう。

 

 そうすれば、ほんの少しでも、みんなの時間を稼げるかもしれない。

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