ゴブリンを甘く見るな!――元最強ギルドマスターの俺がゲーム序盤に転生、未来知識を武器に見習い傭兵から成り上がって王になるまで   作:窮北の風

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第36話 泣くロン

「四日間!?」

 トーヴの答えを聞いた瞬間、俺は思わず目を見開いた。

 普通に考えれば、オウム嘴からトゥー・リバーズ・シティへ向かう山道は、たしかに曲がりくねっていて歩きづらい。けれど隊列の中には、普段から山で暮らしている連中が大勢いる。たとえ歩みが遅くても、三日あれば十分に着くはずだった。

 それなのに今の話だと、まだトゥー・リバーズ・シティには辿り着いていないどころか、慣れたはずの地形で道に迷って足止めされているという。

 そんなの、どう考えてもおかしい。

「この道って、みんなそれなりに慣れてるはずですよね? どうして迷うんです?」

「うぅん、それがねぇ、トーヴにもよく分かんないの」

 トーヴはそう言いながら、無意識に服の裾を指先でくるくるいじった。

「四日前、みんなで山道を進んでたら、林の中に急に霧が出てきたの。それでねぇ、気づいたら道がなくなっちゃってたの。みんな、その霧の中に閉じ込められちゃって、どっちへ行っても出られなかったの」

「元の道を引き返そうとは?」

「それもやったよぉ」

 トーヴは小さく首を振る。

「でも振り向いたら、来た道までなくなってたの。周りは大きなオークの木ばっかりで、どれもこれもおんなじに見えてねぇ、ぐるぐる回っても、結局ずっと同じところに戻っちゃうの。みんなすっごく怖がってたけど、ペトラがちゃんと落ち着かせてくれたの。あ、ペトラって覚えてる? あの巡回隊の副隊長さん、灰白色の長い髪の……。あの人、ほんとにすごいんだよぉ、冷静だし、面倒見もいいし……」

「……ちょっと待ってください」

 俺はそこで彼女の話を遮った。

「今、オーク林って言いましたよね?」

「うん、そうだよぉ。すっごく太いのがいっぱいあるの」

 トーヴは両手を広げて大きさを示した。

「でも変なんだよねぇ。この道、トーヴも前に通ったことあるのに、あんな大きなオーク林なんて見たことなかったもん……」

 そこから先、トーヴの声は少し遠くなった。

 奇卡町郊外。

 オーク林。

 深い霧。

 その単語が並んだ瞬間、俺の頭の中で、まるで雷でも落ちたみたいに記憶が弾けた。

 ゲームの中でも有名だった、不気味な任務――《泣くロン》。

 それはゲーム序盤、ロニクス王国南部のプレイヤーだけが、トゥー・リバーズ・シティの牢獄で一体の死体を調べたとき、ごく低確率で受注できる特殊任務だった。

 内容は単純だ。

 奇卡町からトゥー・リバーズ・シティへ向かう山道の途中で、行方不明になった少年を探せ、というもの。

 だが、その任務を受けたプレイヤーは皆、霧の中へ入ってから五日目になると、突然画面が暗転する。

 そして次に気づいたときには、見知らぬ小さな木造家屋の前へ立たされており、そこで幽霊になった少年と出会うのだ。

 ――それで終わりだった。

 攻撃しても駄目。

 慰めても駄目。

 会話しても駄目。

 少し経つと、プレイヤーは強制的に霧の外へ弾き出され、画面にはただ冷たく**「任務失敗」**の文字だけが残る。

 任務の真相も、最後の報酬も、何一つ分からない。

 当時はゲームのバグじゃないかとまで言われていた。

 しかもその任務は一回限りの発生型で、一度誰かが触れれば消えてしまううえ、低レベルのプレイヤーには難しすぎた。

 そのため、長いあいだ誰一人として攻略できないまま放置されていた。

 そして後に、トゥー・リバーズ・シティがゴブリン軍に陥落したことで、その任務自体も完全に失われた。

 ……ところが、もっと後になってから話が変わる。

 ゲーム後半、《ロニクス王都防衛戦》の中で、あるプレイヤーが王都の英雄墓地に建つ名無しの墓碑に、こんな一文を見つけたのだ。

「愛しきロンよ。今の君が、立派な男になっていることを願う。――永遠にお前を愛する父より」

 そこから、勘のいいプレイヤーたちが二つを結びつけた。

 任務に出てきたあの少年ロン。

 その父親こそ、この無名の英雄なのではないか――と。

 さらに後の検証で、その墓地に眠るのは、王国最強の軍勢として知られた白獅軍団の兵士たちだけだということも判明した。

 だが、真実がどうだったのかは最後まで分からないままだった。

 俺自身、その頃にはすでにロニクス王国を離れていたから、細かいことは人づてに聞いた程度でしかない。

 それでも今、こうして“オーク林”や“霧”という条件が重なった以上、もう確信していい。

 俺たちの難民隊は、間違いなく**《泣くロン》**の任務空間へ迷い込んでいる。

 問題は一つだけだ。

 この任務の通りなら、俺たちは五日目に、ちゃんと無事に外へ戻されるのかどうか。

「トーヴ……本当に、もう四日もここに閉じ込められてるんですね?」

 俺は確認するようにもう一度聞いた。

「うん、そうだよぉ」

 トーヴは腰につけた茶色い小さな鞄から、細いガラス瓶を取り出した。中には白い砂が少しだけ溜まっている。

「霧でお日さまは見えないけどねぇ、トーヴの砂時計はごまかせないもん」

「そんなものまで持ち歩いてるんですか?」

「だってぇ、懐中時計は高いんだもん」

 トーヴは小さな砂時計を目の高さまで持ち上げ、きらきらした目で眺めた。

「トーヴねぇ、いつかお金が貯まったら、すっごくいい懐中時計を買うの。裏側に方位磁針もついてるやつぅ」

 夢の懐中時計について、うっとりした顔で語り始めたそのとき、天幕の外が急に騒がしくなった。

 少しして、今度ははっきりと金属がぶつかり合う甲高い音まで響いてくる。

 刀剣の打ち合う音だ。

「外、何が起きてるんです? 巡回隊の訓練とか?」

 俺が眉をひそめて聞くと、トーヴも耳を澄ませ、少しだけ困ったような顔になった。

「うぅん、違うみたい。巡回隊の人たちはねぇ、霧の中へ入る前に、ほとんどケン隊長が道を探しに連れて行っちゃったの。今ここに残ってるのは、ペトラと、あと二人だけだよぉ」

「じゃあ、この打ち合いの音は?」

「たぶん、一緒に霧に閉じ込められた傭兵たちが、また食料を取りに来たんだと思う。でも、どうして喧嘩みたいな音までしてるのかは、トーヴにも分かんない」

「傭兵? 俺たち以外にも誰かいるんですか?」

「うん、いるよぉ。トーヴたち、ちゃんと会ってるもん」

 そう言ってトーヴは、少しむっとしたように口を尖らせた。

「オウム嘴の山のふもとで見た、あの傭兵小隊の人たち。先頭にいた人……たしか、レシオって名前だったよぉ」

 ————————

 レシオは足元に転がっていた太った傭兵を蹴り飛ばしながら、腹の底から悪態をつきたくなるのを必死でこらえていた。

 自分の手下どもは、すでに四人続けてあの灰白色の長髪の少女に挑み、そして四人とも負けた。相手の剣筋そのものは、そこまで派手でも精妙でもない。だが、とにかく足運びが安定していて、間合いの取り方も正確で、何より出が速く、狙いが迷わない。どう見ても、正規の訓練を受けた人間の剣だった。

 このままではまずい。

 この調子だと、あと数日もしないうちに、自分も、背後にいる十数人の傭兵どもも、この忌々しい霧の中で揃って飢え死にすることになる。

 レシオには、どうしても納得できなかった。

 ようやくゴブリン大軍の牙から命拾いし、夜通し山を越えて逃げ延びたと思ったら、その先で待っていたのはこのふざけた霧の迷路だ。気づけば丸四日、出ることもできずに閉じ込められている。

 しかも運の悪いことに、逃げ出したときはあまりにも慌ただしく、持ち出せた食糧も最初から大した量じゃなかった。それが二日前にはきれいさっぱり尽きてしまった。

 一昨日、偵察に出した手下が、奇卡町から逃げてきた難民たちの一団を偶然見つけたと報告してきたとき、レシオはまず驚いた。

 あのゴブリンどもが、丸腰の平民を見逃す?

 そんな馬鹿な話があるものか。

 だが疑問より先に、空腹のほうが深刻だった。

 どうやって逃げてきたかなんてどうでもいい。重要なのは、そいつらが食い物を持っているかどうか、それだけだ。

 自分はれっきとした“鉄級”の戦士だ。

 その自負に背中を押されるまま、レシオは堂々と難民の隊列へ近づいていった。本当なら、最初から堂々と食糧を要求するつもりだった。断られたら、そのまま力づくで奪えばいい。そう考えていた。

 だが、実際に近づいてみて、その考えは一瞬で吹き飛んだ。

 隊列の中央で守られるように担架に寝かされていた、あの若い男――コロンを見つけてしまったからだ。

 奇卡町の東口で、たった一人でゴブリン大軍の前に立ちはだかっていた、あの狂った若造。

 今は全身血まみれのまま、意識を失って動かない。

 レシオの胸が、どくりと嫌な音を立てた。

 難民の列がほとんど無傷でこの場所まで辿り着いている。

 だとしたら、まさか――あの小僧が、本当にあのゴブリン軍を押し返したのか?

 いや、あり得ない。

 レシオは胸の中で何度もそう否定した。

 二十にもなっていないようなガキに、そんな芸当ができるわけがない。自分だって“鉄級”戦士の中では腕の立つほうだという自負がある。だが、ゴブリン大軍を撃退するどころか、あの精鋭戦士どもの包囲から無傷で抜けられる自信すらない。

 だとすれば、考えられる可能性は一つだった。

 あの小僧は、最初から力を隠していたのではないか。

“鉄級”なんかじゃない。もしかしたら“銅級”、あるいはそれ以上の戦士なのではないか。

 その考えが頭をよぎった瞬間、レシオの背筋に冷たいものが走った。

 彼は無意識に足音を殺し、声まで低くした。結局、妙なことは一切口にせず、ちゃんと銀貨を出して食糧を買い取った。終始びくびくしながら、あの若造がふいに目を覚まして自分を認め、そのまま一太刀で叩き斬ってくるんじゃないかと、内心ではずっと怯えていた。

 だが、幸いにもコロンは最後まで目を覚まさなかった。

 レシオは買った食糧を抱え、まるで盗人みたいにこそこそと自分たちの野営地へ戻った。

 それが、四日前の話だ。

 あれから四日。

 霧は一向に晴れる気配を見せず、難民たちの一団もまた、この迷いの森を出られないままだった。

 しかも厄介なことに、向こうも自分たちの食糧が十分ではないと悟ってからは、もう二度と売ろうとしない。金なんて、命の前ではただの鉄くずだと分かっているのだ。

 今日に至っては、手下どもが周囲数キロの森を漁り尽くし、木の実も茸も、果ては苔まで食い荒らして帰ってきた。それでも、まともな食料は一粒も手に入らなかった。

 だから、レシオも腹を括るしかなかった。

 危険は承知の上で、今夜決着をつける。

 そう決めたのには、理由がある。

 コロンが、いまだ一度も目を覚ましていないことだ。

 四日も昏睡したままなら、受けた傷は自分が思っていた以上に深刻だったのだろう。仮に今さら目を覚ましたとしても、あの夜のような恐ろしい戦闘力を、そのまま維持しているはずがない。

 そこまで考えたからこそ、レシオは今夜、正面から揺さぶりをかけるつもりでいた。

 まずは決闘の形で探る。

 少しずつ相手の底を見極める。

 それでもなお、コロンが出てこないなら、そのまま一気に食糧を奪い取る。

 どうせこの霧の山中からは、誰一人として出られない。

 外から誰かが入ってくることもない。

 この場では、自分こそが最強の戦力だ。

 なら、ここで全員殺したとしても、誰が知る?

 手下が四人続けて敗れたとはいえ、ペトラという女の腕前も、もう大体は見えている。

 剣の基礎はしっかりしている。だが、それでも自分には一歩及ばない。

 そして何より、いちばん警戒していたコロンが、いまだ姿を見せていない。

 それで十分だった。

「ちっ、ほんとに使えねえ連中だ」

 レシオは地面へ唾を吐き捨て、長剣を提げたまま空き地の中央へ歩み出た。

 干からびた唇をぺろりと舐め、目の前に立つペトラの全身を、隠しもしない目つきでじろじろとなめ回す。

「おい、嬢ちゃん。もう面倒なことはやめようぜ。お前じゃ俺には勝てねえ。おとなしく食糧を差し出しな」

 そこで一度言葉を切り、意味ありげな笑みを口元に浮かべる。

「もちろん、お前がこの俺の相手を二日ほどしてくれるってんなら、少しくらいはそっちにも分けてやってもいい。悪い話じゃねえだろ?」

 その言葉を聞いた瞬間、ペトラの頬がかっと赤くなった。

 唇は固く結ばれ、目の奥には鋭い怒りが宿る。

 だが彼女は何も言い返さなかった。

 ただ静かに手の中の長剣を持ち上げ、その切っ先をまっすぐレシオへ向ける。

 次の瞬間、彼女は地を蹴って、一気に踏み込んだ。

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