ゴブリンを甘く見るな!――元最強ギルドマスターの俺がゲーム序盤に転生、未来知識を武器に見習い傭兵から成り上がって王になるまで 作:窮北の風
レシオの吊り上がった口元が元に戻るより先に、ペトラは七、八メートルの間合いを一気に詰め、真正面まで踏み込んできた。
そのまま、迷いなく一太刀。
切っ先はレシオの左肩を狙って走り、彼は慌てて剣を持ち上げて受ける。
だが、それは最初から囮だった。
ペトラは踏み込んだ足を急に止めると、次の瞬間にはもうレシオの右側へ回り込み、逆手気味に剣を返して腰を薙いだ。
レシオは最初、相手をからかうつもりでわざと半拍遅らせて動いていた。
だからこそ、その一撃の速さと鋭さに対応が遅れた。
わずかに躱したものの、腰の革鎧には白い筋が一本、はっきり刻まれる。
「このアマァ!!」
レシオの顔が一気に怒りで歪んだ。
十数人の手下の前で、巡回隊の小娘にあわや斬られかけたとなれば、面子が丸潰れだ。
「今夜はたっぷり相手してもらうぞ!」
怒鳴ると同時に、彼はもう手加減を捨てた。
“鉄”級戦士の膂力が一気に解放され、幅広の重剣が横薙ぎに唸りを上げる。
距離が近すぎたせいで、ペトラは避けられず、咄嗟に剣で受けるしかなかった。
ガァンッ!!
凄まじい音とともに、彼女の長剣は手から弾き飛ばされ、そのまま空高く舞い上がる。
レシオはそこへさらに踏み込み、今度は剣の柄を思いきりペトラの腹へ叩き込んだ。
ぐっ、と鈍い声が漏れる。
ペトラの体はえびみたいに折れ、そのまま地面へ崩れ落ちた。両腕で腹を抱えたまま、しばらく息すらできない。
戦いは、始まりも唐突だったが、終わりもまたあまりに早かった。
互いに二度刃を交えただけで、もう勝敗は決していた。
さっきまでペトラを女神みたいな目で見ていた難民たちは、その彼女がこんなにもあっさり倒されたのを見て、顔から希望を一気に失っていく。
「誰か来い、こいつを縛れ!」
レシオは鼻で笑い、背後へ手を振った。
「残りは、食い物を“買い”に行け」
言い方だけ聞けば穏やかだが、その場にいた誰もが分かっていた。
そんなものは買うんじゃない。
ただの略奪だ。
そして、すでに目をぎらつかせていた傭兵たちは、飢えた狼みたいに難民の列へ飛びかかっていく。
難民たちも、もう何が起きるか分かっていたのだろう。
悲鳴も上げず、逃げもせず、ただ諦めたように、それぞれの荷物からわずかな食べ物を取り出し始めた。
そのときだった。一つの影が、いちばん前へ進み出る。
レオナルドだった。
両手で剣を握り、脚は震えている。それでも彼は人々の前に立ち、なんとか道を塞いだ。少し遅れて、残っていた巡回隊の二人も顔を見合わせ、歯を食いしばってその横に並ぶ。
「やめろ! それは略奪だ!」
レオナルドの声は震えていた。だが、訓練所で何度も何度も頭の中で練習した文句を、彼はどうにか叫び切る。
「ぼ、僕はトゥー・リバーズ・シティ民兵訓練所の訓練生だ! お前たちみたいな強盗行為は、町に出たら絞首台行きだぞ!」
声だけは立派だった。
そのせいで、逆に場が一瞬だけ静まり返る。
両手を縛られたまま地面に転がされていたペトラは、内心でひやりとした。
――この馬鹿!
こんな場面で身元を明かすなんて、それこそ口封じに殺してくれと言っているようなものだ。
案の定、レシオは目を細め、周囲をゆっくり見回した。
傭兵たちは皆、彼の顔色を窺っている。その目には、はっきりした迷いがあった。
さらにその先では、難民たちが息を潜めて震えている。
そんな光景を一通り眺めてから、レシオは突然、腹を抱えるみたいに笑い始めた。
ひとしきり笑ったあと、ぴたりと表情を消す。
「トゥー・リバーズ・シティ? 絞首台?」
一語ずつ噛みしめるように口にするその声は小さい。だが、刃物みたいに鋭く、全員の耳を撫でていった。
「俺たちはな、このクソみたいな場所にもう四日も閉じ込められてるんだ。いつ外へ出られるかなんて、誰にも分からねえ。だが一つだけは分かってる」
彼は一歩前へ出る。声音はさらに低く、陰惨になる。
「このまま食わずにいたら、ここにいる全員、揃って飢え死にだ」
少し間を置いてから、吐き捨てるように続けた。
「だったら俺は、強盗にでも何にでもなってやる」
そして最後に、脅しを隠そうともせず、肩をすくめて言い足す。
「それに、この霧の中でお前ら全員が獣か怪物に食われたとしても……そんなの、どう考えても自然なことだろうが?」
その言葉を聞いて、傭兵たちの顔つきがじわじわ変わっていった。
腹の中の飢えが、毒蛇みたいに最後の理性を噛み砕いているのだ。
あいつらにも家族はいるだろう。夢だってあったかもしれない。
だが、自分が死ねば、そんなものは全部泡みたいに消える。
そう思ったのだろう。ある者は腰の剣へ手をかけ、ある者は乾いた唇を舐めた。その目に残っていた迷いは、次第に凶暴な光へ変わっていく。
生きるか死ぬかのときに、誰かのために身を引くなんて芸当は、聖人のやることだ。
こいつらはただの底辺傭兵にすぎない。荒野を這って日銭を稼ぐ、どこにでもいる連中だ。
レシオは、その変化を見て満足そうにうなずいた。それ以上、言葉を重ねる必要はなかった。
彼はそのまま、一人の震え上がった老婆の前まで歩み寄る。
老婆が大事そうに抱えていた黒パン二つを叩き落とし、そのまま腕の中の荷物袋を乱暴に引ったくった。
「や、やめて……! それはうちの全部の食べ物だよ! そんなことされたら、うちの家族みんな死んでしまう!」
老婆は狂ったようにレシオへしがみついた。両腕で彼の腕に食らいつき、爪が肉へ食い込むほど力を込める。
「ちっ、うっぜえ!」
レシオは何度か振り払おうとしたが、うまく離れない。苛立ちと恥が混ざって、一気に怒りへ変わった。
次の瞬間、彼は老婆を思いきり蹴り飛ばした。
「失せろ、クソババア!」
「母さん!!」
人混みの中から、レオナルドが叫んだ。
目は真っ赤に血走っている。
彼は短剣を握りしめたまま、一直線にレシオへ斬りかかった。
レシオは半身だけでそれを避ける。顔に浮かんだ苛立ちは、そのまま冷たい殺意へ変わっていた。
今夜は何なんだ。
手下は女一人に転がされ、自分も一度は傷を入れられかけた。そのうえ今度は、こんな青臭いガキまでが自分へ剣を向けてくる。“鉄”級戦士の威厳というものは、そんなに安く見られるものなのか?
……もういい。
血を見せるべきだ。
恐怖を教えなければ、誰がこの場の支配者か理解しない。
レシオは剣を返し、レオナルドの刃へ横から叩きつけた。
“鉄”級戦士の筋力を、普通の若者が受けきれるはずがない。
短剣は手から吹き飛び、レオナルド自身も数歩後ろへよろめいた末、三メートルほど先の泥へ尻から倒れ込む。
右手は痺れてしまい、もうしばらく力が入らない。
「身の程を知れよ、ガキ」
レシオは長剣を引きずるようにしながら、ゆっくりと近づいていく。
「今日はお前の血で、ここにいる全員へ教えてやる。生き残るってのがどういうことか、な」
難民たちは誰一人、前へ出られなかった。
ただ一人、レオナルドの父親だけが人垣を掻き分け、必死にこちらへ走ってくる。
だが距離がありすぎる。
どう考えても間に合わない。
レシオはレオナルドの目の前で立ち止まり、重剣を高々と掲げた。
冷たい光を帯びた刃に映っているのは、青ざめ、絶望した若者の顔。
そのとき――
「レシオ!! 死にたくなかったら、そこでやめろ!!」
大きな声ではなかった。
だが、その一言は、まるで氷水みたいにその場の全員の頭へぶちまけられた。
人々が一斉に振り返る。
誰かが最初に一歩引いたのをきっかけに、人垣は水が割れるみたいに左右へ分かれていった。
その隙間の向こうから、一人の黒髪の少年が現れる。
その横では、美しい少女が彼の体を支えるように肩を貸していた。
少年の全身は包帯だらけで、立っているだけでも危なっかしい。歩き方もふらついていて、今にもその場へ倒れそうだった。
けれど、その目だけは静かだった。
まるで風一つない湖面みたいに、どこまでも平らで、冷たい。
レシオは、重剣を持ち上げたまま固まった。
顔からみるみる血の気が引いていく.........