最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜   作:窮北の風

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第38話 剣気、猛威を振るう

 人垣は、まるで見えない手に左右へ押し分けられたみたいに、真ん中から細い道を作った。

 俺はその先頭を歩く。

 隣ではトーヴが俺の腕を支えてくれている。

 歩幅はかなり遅い。

 遅すぎて、周囲にいる全員の呼吸が、ひとつひとつ聞き取れるくらいだった。

 荒かった息は、俺たちの姿を見た途端に止まり、やがて小さく息を呑む音へ変わり、最後にはさざ波みたいな囁き声の群れになって広がっていく。

「コロン様だ……!あの夜、ゴブリン大軍を食い止めた若い戦士様だ!」

「目を覚ましたんだ!これで助かる……!」

「でも、まだあんなに怪我をしてるのに……どうして出てきたんだ?」

 四方八方から、人々の声が流れ込んでくる。

 細い流れが、少しずつ集まって大きな川になるみたいだった。

 髪の白い老婆が一人、両手をきつく組み合わせて、震える唇で何かを唱えているのも見えた。祈りなのか、それともただ感謝の言葉なのか。濁った涙が頬を伝って流れている。

 もちろん、見覚えのない顔もあった。

 おそらく同じようにこの霧へ閉じ込められた、別の難民たちなんだろう。彼らは事情を詳しく知らないらしく、目の中には戸惑いも混じっていた。

 

 前の人生でも、この世界へ来てからでも、俺はこんなふうに大勢の視線を真正面から浴びたことはなかった。

 さすがに少し落ち着かない。

 それでも、足は止めない。

 

 途中でペトラの姿が目に入った。

 見張りに押さえられている彼女も、こっちへ気づいたらしい。最初は明らかに愕然とし、それからすぐ眉をきつく寄せた。何度も首を横に振り、口を動かしている。

 唇の形だけで分かった。

 ――来るな。

 そう言っていた。

 俺は小さく笑って、それを見なかったふりをする。

 

 少し離れた場所では、レオナルドが地面へ座り込んでいた。右手はまだ震えていて、短剣は泥の上へ落ちたままだ。

 あいつの視線はずっと俺に張りついていた。

 驚愕から始まり、次に崇拝になり、それが羨望へ変わり、最後にはほとんど狂信に近い熱へ変わっている。

 ……正直、ちょっと重い。

 

 その一方で、俺の隣にいるトーヴは、最初から最後まで、そんな空気をまるで気にしていないみたいだった。

 俺の腕を支えながら、のんびりと、危なげもなく歩いている。

 緊張も興奮もしていない。

 それどころか、途中でこっそり皮を剥いた茹でオークの実を口へ放り込み、こりこりと音を立てて噛んでいた。頬がふくらんで、まるで盗み食いしているリスみたいだ。

 俺は思わず横目で彼女を見た。

 するとトーヴはぱちりと片目をつぶり、残り半分になった実を俺へ差し出してくる。

「コロンも食べるぅ?これ、けっこうおいしいよぉ」

 一瞬で、顔の筋肉が七、八回くらい勝手に引きつった気がした。

 ……でも、不思議なことに、さっきまで少しだけ張っていた気持ちは、その一言で妙に静まっていた。

 

 立ち合いに使われていた空き地は、そう広くない。

 周囲の茂みは踏み荒らされて倒れ、中央の泥地には、さっきの争いの痕が生々しく残っている。

 乱れた足跡。

 踏み潰された泥溜まり。

 それから、地面へ突き立ったままになっている、ペトラの長剣。

 

 俺はそこまで歩き、そっとトーヴの手を離した。

 そしてその剣の脇に立ち、ゆっくりと背筋を伸ばしながら、正面のレシオを見据える。

 レシオは空き地の真ん中に立っていた。

 左手にはまだ抜き身の重剣。

 右足の脇には、蹴り飛ばされた老婆の荷物袋。

 俺を見た瞬間、あいつの顔色はわずかに変わった。

 だが、それもほんの一瞬だけで、すぐに何でもないふうを装う。

 

「どうしたんです?」

 俺は静かに口を開いた。

「俺が寝てるあいだに、ロニクス王国はもうゴブリンに滅ぼされたんですか?じゃなきゃ、堂々たる“鉄級”戦士が、ただの女の子相手に手を上げたりしないでしょう。レシオ、あんたの名誉心はどこへ行ったんです?」

 

「それは誤解ですよ、コロンさん」

 レシオは作り物みたいな笑みを浮かべ、重剣の柄を握り直した。

「我々はただ、まっとうな勝負をしていただけです。もちろん、賭けるものはありましたがね――食料です。あちらが負けたので、私は約束通り、こちらの取り分を受け取ろうとしていただけですよ」

 

「勝負?賭け?」

 俺はあいつの目を見たまま、淡々と声を返す。

 大声ではない。だが、この場にいる全員へはっきり聞こえる程度には、よく通った。

「その実力で、わざわざ勝負なんて必要だったんですか?違いますよね。あんたは手下を引き連れて難民の野営地へ押し入り、巡回隊の副隊長を叩きのめし、老人の荷物を奪って、そのうえ丸腰の民兵訓練生まで殺そうとした」

 そこで一度だけ間を置き、さらに言い切る。

「まさか俺が、何も見えてないとでも思いましたか?」

 

 レシオの表情が、ぴくりと固まった。

 それでも言い返さない。

 ただ視線だけがちらちらと揺れ、俺の体を上から下まで舐めるみたいに見てくる。手足の動き、立ち方、胸元の包帯。そういうところを細かく観察しているのが、見なくても分かった。

 やがて、乾いた唇をぺろりと舐めた。

 そして、にたりと笑う。

「……なら、こうしませんか?」

 あいつは重剣を少し持ち上げながら言った。

「ここで俺とあんたで一勝負するんです。勝っても負けても、俺はもう難民どもには手を出さない。あんたが勝てば、俺は仲間を連れてさっさと引き下がる。逆に、俺が勝ったら、食料の半分を寄越してもらう。それなら公平でしょう?」

 

 俺は二秒ほど、黙ってあいつを見た。

 ……一勝負、か。

 要するに、こいつは自分の目で確かめたいだけだ。

 俺の傷が、どこまで深いのか。

 もし俺が少しでも弱った様子を見せれば、その瞬間に最後の皮を脱ぎ捨てて、本物の飢えた獣になるつもりなんだろう。

 

 俺がまだ返事をしていないのに、周りの人々が先にざわめき始めた。

「コロン様!そんなの駄目です、まだ傷が……!」

「そうだ!怪我人相手に勝負だなんて、そんなの卑怯だろうが!」

 中年の男が一人、人垣を押し分けて叫ぶ。目は赤く潤んでいた。

「コロン様!食べ物がなくなるならなくなるで、みんなで我慢します!あんたはもう一度、俺たちのためにゴブリンを止めてくれたんだ!これ以上、あんたにまで――」

 

 俺は片手を軽く上げ、その言葉を制した。それから、少し勝ち誇ったような顔になっているレシオへ目を向ける。

「いいですよ」

 

 レシオの目が、わずかに光る。

 

「ただし――」

 俺はそこで、声の調子を変えた。

「これは貴族同士の遊びの立ち合いじゃない。不殺だの何だの、そういう甘い話は無しにしましょう」

 ほんの少し前へ体を傾け、言葉を一つずつ置くように続ける。

「もし俺が手加減を誤って、あんたを殺したとしても、そのことで誰も俺を責めない。そういう条件です」

 そこで止め、真正面から問いかけた。

「――同意できますか?」

 

 空気が、一瞬だけ凍りついた。

 

 レシオは何も言わずに俺を見た。

 その目は、俺の顔を、肩を、足元を、何度も何度も行き来する。

 虚勢か。

 それとも本当に、まだ自分を殺せるだけの何かを隠し持っているのか。

 あいつは必死に見極めようとしている。

 そして数秒後――ようやく、腹を括ったらしい。

「……いいでしょう!」

 レシオは一歩踏み出すと、周囲を見回し、全員へ聞こえるようわざと声を張り上げた。

「この俺、レシオ――“鉄級”戦士は、本日ここでコロン殿と勝負する!」

 そこで重剣を高く掲げる。

「生死は問わず!互いに、その結果について一切責任を追及しない!俺は、それを承諾した!」

 

 その宣言が終わった、まさに次の瞬間だった。

 耳をつんざくような空気の裂ける音が、いきなり空き地いっぱいに炸裂した。

 ヒュン――

 細く、鋭く、逃げ場のない音だった。

 まるで見えない針が、その場にいた全員の鼓膜をまとめて貫いたみたいだった。

 

 レシオの顔に張りついていた笑みが、ぴたりと凍る。

 だが、腐っても実戦経験だけは積んできた男だ。本能のほうが先に動いた。

 彼は咄嗟に体を右へ逸らす。

 その視界の端を、白い閃きが一筋、左耳をかすめて走り抜けていった。

 そして次の瞬間、彼は自分の左肩に、妙な違和感を覚えた。

 軽い。

 妙に、軽い。

 視線の前を、何かがくるくると回りながら飛んでいく。

 血飛沫を引きながら宙を舞うそれは、太く逞しい一本の腕だった。

 ……あれは。

 ……俺の腕か?!!

 理解が追いつかない。

 だって、そんなはずがない。

 今の一瞬で、何が起きた?

 さっきの白い光が、自分を斬ったのか?

 あれは何だ?

 ――剣気。

 あの黒髪の若造は、剣気を使ったのだ。

 一瞬で、頭の中の疑問が全部一本に繋がった。

 なぜ、あいつは平然と“生死不問”の条件を口にできたのか。

 なぜ、最初からあんなに落ち着き払っていたのか。

 なぜ、わざわざ自分から空き地の中央にある剣の近くまで歩いて行ったのか。

 あれは全部、虚勢なんかじゃない。

 最初から全部、計算ずくだった。

 ――あいつは、俺を殺すつもりでここへ来たのだ。

 だが、そこまで考えが至ったところで、遅すぎた。

 次の瞬間には、津波みたいな激痛が一気に押し寄せ、レシオの意識を呑み込んでいく。

 

「がぁぁぁぁぁッ!!」

 レシオは口を大きく開け、獣じみた絶叫を上げた。

 よろめきながら二歩、三歩と後退する。

 その顔は、さっきまでの横柄さが嘘みたいに引きつり、目には剥き出しの恐怖しかなかった。

 くそ。

 くそ、くそ、くそ!

 勝てるわけがない。

 こんな化け物じみた剣の天才に、自分なんかが勝てるはずがない!

 ――逃げる。

 結論は一瞬だった。

 未練も、体裁も、捨て台詞すらない。

 レシオはくるりと踵を返すと、そのまま一目散に後方へ走り出した。少しでも速く逃げるために、手にしていた重剣さえ途中で放り捨てる。

 ほんの数呼吸もしないうちに、その大きな背中は灰白色の霧の壁の中へ呑まれ、完全に見えなくなった。

 

 ……

 

 空き地は、死んだみたいに静まり返っていた。

 風が一筋、木々のあいだを抜ける。

 枯れ葉が何枚か、くるくると回りながら落ちてきて、泥の上へ、血だまりの上へ、そしてぽつんと転がったあの切り落とされた腕の上へ、静かに降り積もった。

 

 その場にいた全員が、目を限界まで見開いていた。

 口は半開きのまま、完全に固まっている。

 視線は、俺と、地面の断腕のあいだを何度も往復し続けていた。

 たぶん、誰の頭の中でも、理解がまだ追いついていないのだろう。

 今の一撃は、明らかにこの場の常識を超えていた。

 

 最初に我へ返ったのは、ペトラだった。

 彼女は拘束されたままだった両手をぐっと動かし、それでようやく、いつの間にか縄が緩んでいたことに気づいたらしい。自力でそれを外しながら、呆然とした顔のまま俺を見つめてくる。

 唇が何度か震えた。

 けれど、結局一言も出てこなかった。

 

 レオナルドは地面に座ったまま、ぽかんと口を開けていた。

 もう少しで本当に涎まで垂れそうな顔だ。

 あいつの目に映る俺の姿は、さっきまでよりさらにずっと熱を帯びていた。あの崇拝の熱は、もはやさっきの十倍くらいに膨れ上がっている。

 

 それに比べて、トーヴは本当にいつも通りだった。

 特に大げさな反応も見せず、まず俺の右手を見て、それからレシオが消えた霧のほうを見て、小さく「あ、そうなんだぁ」みたいに一声漏らしただけ。

 そのあと、何事もなかったみたいにポケットからもう一つオークの実を取り出して、せっせと皮を剥き始める。

 ……この子、肝が据わりすぎじゃないか?

 

 俺は周囲の視線を一切無視して、そのままペトラの見張りをしていた太った傭兵へ顔を向けた。

 そいつはもう、全身を篩みたいに震わせていた。

 腰のあたりはぐっしょり濡れていて、鼻をつく尿の臭いまで漂ってくる。

 手から長剣ががしゃんと落ちる。

 そのまま膝が崩れ、どさりと地面へ跪いた。

 

「だ……だ……大人……!お、お助けを……!どうかご勘弁をぉ……!」

「……まだ放さないんですか?」

 俺は、相談でもするみたいな軽い声で言った。

「は、はひっ!ただいま!」

 太った傭兵は転がるようにペトラのところへ駆け寄り、残っていた縄を慌ててほどこうとした。

 だが、手が震えすぎてうまくいかない。

 何度かもたついた末、とうとう苛立ったように短刀を引き抜き、そのまま縄をぶつりと切った。

 

 ペトラはゆっくり立ち上がり、赤く擦れた手首をさすりながら、こちらへ歩いてくる。

 俺は彼女へ何か声をかけようとした。

 だが、その前に視界がふっと霞んだ。

 膝から力が抜ける。

 体が前へ倒れかけたところを、トーヴがすかさず抱きとめた。

 手の中で剥いていたオークの実が、ころころと地面を転がって遠くへ行く。

 

「もう、かっこつけすぎだよぉ」

 トーヴは少しだけむくれた声でそう言うと、俺の腕を自分の肩へ回した。

「もう戻って、ちゃんと寝てなきゃだめなの」

 

 俺は彼女へ体を預けたまま、弱々しく口元を緩める。

 言い返す気力もなかった。

 

 その瞬間、ようやく周りの人々も現実へ引き戻されたらしい。

 空き地いっぱいに、歓声が爆発した。

 それは波みたいに何度も何度も押し寄せ、空き地の真ん中から野営地の隅々まで駆け抜けていく。濃い霧まで震わせるほどの、大きな歓声だった。

 

 ペトラは少し離れた場所で立ち止まり、じっと俺を見ていた。

 俺が顔を上げてその視線に気づくと、彼女は慌てたみたいにそっぽを向き、そのまま残っていた巡回隊員たちへ指示を飛ばし始める。

 残りの傭兵どもから武器を取り上げろ、ということらしい。

 

 そうして俺は、人々に囲まれながら、ゆっくりと天幕のほうへ戻っていった。

 背後では、霧は相変わらず綿みたいに濃いままだった。

 けれど、その中を歩く皆の足取りだけは、ついさっきまでとは比べものにならないほど軽くなっていた。

 

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