最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜 作:窮北の風
俺ができる限り目を配っていたにもかかわらず、難民たちは次々と姿を消していった。
ある者は眠っているあいだに消えた。寝る前までは確かに毛布の上へ横になっていたのに、朝になると、そこには押しつぶされた藁だけが残っている。
ある者は、ほんの少しまどろんだだけだった。目を開けたときには、さっきまで隣にいた人間がもういない。悲鳴を上げる暇すらない。
そして十三日目に入る頃には、事態はさらに悪化した。
もはや夜だけじゃない。
白昼堂々、真昼間ですら人が消えるようになったのだ。
ついさっきまで普通に話していた相手が、次の瞬間、まばたきを一つしただけでいなくなる。
そこに残るのは、まだ空気の中へ薄く残った体温だけ。
恐怖は疫病のように野営地の中へ広がっていった。
人々は目を閉じることを怖がり、一人でいることを怖がり、果ては誰かのそばへ寄ることすら怖がるようになった。
距離が近いほど、消える危険も高くなる。
そんなふうに思い込み始めていたのだ。
だが、空腹は恐怖よりもさらに容赦がなかった。
多くの者は、もう怯えるだけの余力すら失っている。
それぞれの粗末な小屋へ縮こまり、虚ろな目で、頭上に垂れ込めるあの灰色の霧を見上げるばかりだった。
俺はそんな光景を見ながら一度大きく息を吸い、それからもう一度、手の中の紙へ目を落とした。
一覧表だった。
そこには、今まで消えた人間たちの情報を、分かる限りすべて書きつけてある。
名前、年齢、性別、消える直前に何をしていたか、どこにいたか、何を食べたか、何に触れたか――拾える細部は一つ残らず、俺なりに記録したつもりだ。
俺はもう三日も、その一覧を睨み続けていた。
だが、新しく名前が増えていく以外に、何の手掛かりも見つからない。
これまでの経験から考えれば、亜空間へ引きずり込まれるのなら、何かしらの規則があってしかるべきだった。
特定の時間。
特定の場所。
特定の行動。
どれか一つくらいは一致していてもおかしくない。
なのに、その表に並んでいる人間たちは、年齢が八歳から八十歳までばらばらで、男女比もほぼ半々、血縁関係もない。
消える前にやっていたこともまるで統一性がなかった。
眠っていた者もいれば、ぼんやりしていた者もいる。用を足しに出ていた者もいれば、誰かと話していた者までいた。
……まさか、本当に完全な無作為なのか?
もしそうなら、最悪だ。
「コロン……」
傍らから、力の抜けた声がした。
トーヴだ。
「わたしたちも、そのうち消えちゃうのかなぁ……」
「余計なことを考えなくていいです」
俺はできるだけ平板な声で答えた。
まるで、最初から分かりきっていることを口にするみたいに。
「俺がいるかぎり、トーヴさんは消えません」
トーヴは俺を見た。
口元が少し動いたが、笑おうとしても、その力すら残っていないらしい。
「ペトラぁ、もう一個だけオークの実、食べたいよぉ……」
「駄目」
少し離れた場所から、すぐに返事が飛んできた。
きっぱりした、迷いのない声。
ペトラだ。
「あれには微量の毒がある。食べすぎると目が回るし、吐き気も出る」
ペトラは二日前から、仮設の指揮所を俺の天幕へ移していた。
表向きの理由は、「昼間に対策を相談するのに都合がいいから」。
だが本音は分かっている。
あの人は、俺に“剣気”のことを聞きたいのだ。
こっちを見るたび、目の奥に小さな渇きみたいなものが宿っている。聞きたい。でも遠慮もある。そんな視線だった。
もっとも、実際にペトラがここへいてくれるのは助かっていた。
トーヴは放っておくと本当に好き勝手する。
俺一人では、正直ちょっと手に余る。
「でもぉ、お腹すいたんだもん……」
トーヴはしょんぼりした顔で目をぱちぱちさせ、それから今度は俺へ視線を向けてきた。
「コロン見てぇ、わたし、もうこんなに何日も食べてるのに全然平気だよぉ? もしかして前世、どんぐり食べるリスさんだったのかなぁ。じゃなきゃ、こんなに何にも感じないのおかしくない?」
その理屈があまりにも理屈になっていなくて、俺は思わず笑いそうになった。
「体質の差でしょうね。耐性が強い人もいれば、弱い人もいる。たとえば、ターシャおばさんなんかは、オークの実にアレルギーが――」
そこまで言って、俺はぴたりと止まった。
オークの実。
空腹。
アレルギー。
三つの単語が、同時に頭の中で弾けた。
俺は反射的に背筋を伸ばし、あの一覧表をひったくるように手に取る。
そして、ターシャおばさんの欄を急いで探した。
年齢、住んでいた場所、消えた時間、消えた場所。
それらはちゃんと書いてある。
だが、オークの実へのアレルギーについては、一言も書かれていない。
「……ペトラ」
自分でも少し声が硬くなっているのが分かった。
「ターシャおばさんって、オークの実にアレルギーがありましたよね?」
ペトラは一瞬きょとんとしたが、すぐに何か思い出したように眉を上げた。
「ああ、そうだ。最初に食べたあと、吐いてたし、全身に赤い発疹も出ていた。あのときは私が薬を調合した」
「じゃあ、他の消えた人たちは?」
俺は間髪入れずに続ける。
「同じようなアレルギー症状は? あるいは、そもそもオークの実を食べていなかったとか」
ペトラは眉を寄せた。
「……そこまでは見ていない」
「今すぐ聞いてきてください」
俺は一覧表をそのまま彼女へ差し出した。
「消えた人たちの近くにいた連中に。オークの実にアレルギーがあったのか、あるいは嫌っていて食べていなかったのか。そこを確認してください。できるだけ早く」
ペトラは、俺の顔色がいつもと違うのを見て取ったらしい。
余計な問いは一つも挟まない。
表を受け取ると、そのまま踵を返して天幕の外へ飛び出していった。
中に残ったのは、トーヴの少し重たい呼吸音だけだ。
「コロン、原因、分かったのぉ?」
トーヴもただならぬ空気を感じたのだろう。体を起こして、じっと俺を見た。
「まだ断定はできません」
俺の鼓動は速かった。
「ペトラが戻るのを待ちます」
十分も経たなかったと思う。
ばさっと勢いよく天幕が開き、ペトラが飛び込んできた。
肩で息をしている。
頬は紅潮し、目は信じられないものでも見たみたいに大きく見開かれていた。
「コロン!」
ほとんど叫ぶような声だった。
「全部、その通りだ! 消えた連中のそばにいた人間へ確認した。消えた者は、オークの実にアレルギーがあるか、もしくは匂いそのものを嫌って食べていない。とにかく――ほとんど全員、オークの実を口にしていなかった!」
頭の中で、何かが大きな音を立てて繋がった。
これまで散らばっていた線が、一気に一本の形になる。
このオークの森。
抜け出せない霧。
続いている失踪。
全部、オークの実が鍵だ。
正確には――食べなかったことが。
つまり、これは無作為じゃない。
選別だ。
だが、そこで同時に、もう一つの矛盾が浮かび上がる。
……いや、待て。
俺は怪我のせいで、これまで一度もオークの実を口にしていない。
それなのに、なぜ俺はまだ消えていない?
「コロン! 分かったんだよねぇ?」
トーヴが勢いよく立ち上がろうとして、膝から崩れ落ち、また座り込んだ。
「俺も……まだ確信はありません」
拳を握る。
手のひらは汗でぐっしょりだった。
「えぇ?」
トーヴとペトラの声が、ほぼ同時に重なる。
「だから――」
俺は大きく息を吸った。
「自分で試します」
「駄目だ!」
「だめだよぉ!」
二人の声が、これまでにないほど強く重なった。
俺はその必死な顔を見て、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
「でも、確かめないと、明日もまた誰かが消えます」
俺は落ち着いた声のまま言った。
「次に消えるのが、あなたかもしれない。トーヴさんかもしれない。それとも、今までちゃんとオークの実を食べてきた別の誰かかもしれない」
そこで一度だけ言葉を区切る。
「あの人たちの命だって、命です」
ペトラは黙った。
トーヴも、しゅんとしたまま何も言わない。
天幕の外では、相変わらず霧が濃かった。
まるで、一生溶ける気のない綿の塊みたいに。
俺は地面へ手をついてゆっくり立ち上がると、天幕の隅へ立てかけてあった長剣を手に取った。
それから、まだ呆然としているペトラのほうへ向き直る。
少しだけ笑って、言った。
「ペトラさん。あなた、ずっと“剣気”がどうやって身につくのか知りたかったんでしょう? 来てください」
「剣の稽古を、今から?」
ペトラはさすがに驚いたようだった。
「もちろんです」
俺はそれだけ言うと、先に天幕を出た。
向かう先は、少し離れたところにある空き地だ。
もし俺の推測が正しいなら――
今夜は、もう誰も消えない。