最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜   作:窮北の風

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第40話 推測

 俺ができる限り目を配っていたにもかかわらず、難民たちは次々と姿を消していった。

 ある者は眠っているあいだに消えた。寝る前までは確かに毛布の上へ横になっていたのに、朝になると、そこには押しつぶされた藁だけが残っている。

 ある者は、ほんの少しまどろんだだけだった。目を開けたときには、さっきまで隣にいた人間がもういない。悲鳴を上げる暇すらない。

 

 そして十三日目に入る頃には、事態はさらに悪化した。

 もはや夜だけじゃない。

 白昼堂々、真昼間ですら人が消えるようになったのだ。

 ついさっきまで普通に話していた相手が、次の瞬間、まばたきを一つしただけでいなくなる。

 そこに残るのは、まだ空気の中へ薄く残った体温だけ。

 

 恐怖は疫病のように野営地の中へ広がっていった。

 人々は目を閉じることを怖がり、一人でいることを怖がり、果ては誰かのそばへ寄ることすら怖がるようになった。

 距離が近いほど、消える危険も高くなる。

 そんなふうに思い込み始めていたのだ。

 だが、空腹は恐怖よりもさらに容赦がなかった。

 多くの者は、もう怯えるだけの余力すら失っている。

 それぞれの粗末な小屋へ縮こまり、虚ろな目で、頭上に垂れ込めるあの灰色の霧を見上げるばかりだった。

 

 俺はそんな光景を見ながら一度大きく息を吸い、それからもう一度、手の中の紙へ目を落とした。

 一覧表だった。

 そこには、今まで消えた人間たちの情報を、分かる限りすべて書きつけてある。

 名前、年齢、性別、消える直前に何をしていたか、どこにいたか、何を食べたか、何に触れたか――拾える細部は一つ残らず、俺なりに記録したつもりだ。

 

 俺はもう三日も、その一覧を睨み続けていた。

 だが、新しく名前が増えていく以外に、何の手掛かりも見つからない。

 これまでの経験から考えれば、亜空間へ引きずり込まれるのなら、何かしらの規則があってしかるべきだった。

 特定の時間。

 特定の場所。

 特定の行動。

 どれか一つくらいは一致していてもおかしくない。

 なのに、その表に並んでいる人間たちは、年齢が八歳から八十歳までばらばらで、男女比もほぼ半々、血縁関係もない。

 消える前にやっていたこともまるで統一性がなかった。

 眠っていた者もいれば、ぼんやりしていた者もいる。用を足しに出ていた者もいれば、誰かと話していた者までいた。

 

 ……まさか、本当に完全な無作為なのか?

 もしそうなら、最悪だ。

 

「コロン……」

 傍らから、力の抜けた声がした。

 トーヴだ。

「わたしたちも、そのうち消えちゃうのかなぁ……」

 

「余計なことを考えなくていいです」

 俺はできるだけ平板な声で答えた。

 まるで、最初から分かりきっていることを口にするみたいに。

「俺がいるかぎり、トーヴさんは消えません」

 

 トーヴは俺を見た。

 口元が少し動いたが、笑おうとしても、その力すら残っていないらしい。

「ペトラぁ、もう一個だけオークの実、食べたいよぉ……」

 

「駄目」

 少し離れた場所から、すぐに返事が飛んできた。

 きっぱりした、迷いのない声。

 ペトラだ。

「あれには微量の毒がある。食べすぎると目が回るし、吐き気も出る」

 

 ペトラは二日前から、仮設の指揮所を俺の天幕へ移していた。

 表向きの理由は、「昼間に対策を相談するのに都合がいいから」。

 だが本音は分かっている。

 あの人は、俺に“剣気”のことを聞きたいのだ。

 こっちを見るたび、目の奥に小さな渇きみたいなものが宿っている。聞きたい。でも遠慮もある。そんな視線だった。

 もっとも、実際にペトラがここへいてくれるのは助かっていた。

 トーヴは放っておくと本当に好き勝手する。

 俺一人では、正直ちょっと手に余る。

 

「でもぉ、お腹すいたんだもん……」

 トーヴはしょんぼりした顔で目をぱちぱちさせ、それから今度は俺へ視線を向けてきた。

「コロン見てぇ、わたし、もうこんなに何日も食べてるのに全然平気だよぉ? もしかして前世、どんぐり食べるリスさんだったのかなぁ。じゃなきゃ、こんなに何にも感じないのおかしくない?」

 

 その理屈があまりにも理屈になっていなくて、俺は思わず笑いそうになった。

「体質の差でしょうね。耐性が強い人もいれば、弱い人もいる。たとえば、ターシャおばさんなんかは、オークの実にアレルギーが――」

 

 そこまで言って、俺はぴたりと止まった。

 オークの実。

 

 空腹。

 アレルギー。

 三つの単語が、同時に頭の中で弾けた。

 

 俺は反射的に背筋を伸ばし、あの一覧表をひったくるように手に取る。

 そして、ターシャおばさんの欄を急いで探した。

 年齢、住んでいた場所、消えた時間、消えた場所。

 それらはちゃんと書いてある。

 だが、オークの実へのアレルギーについては、一言も書かれていない。

 

「……ペトラ」

 自分でも少し声が硬くなっているのが分かった。

「ターシャおばさんって、オークの実にアレルギーがありましたよね?」

 

 ペトラは一瞬きょとんとしたが、すぐに何か思い出したように眉を上げた。

「ああ、そうだ。最初に食べたあと、吐いてたし、全身に赤い発疹も出ていた。あのときは私が薬を調合した」

 

「じゃあ、他の消えた人たちは?」

 俺は間髪入れずに続ける。

「同じようなアレルギー症状は? あるいは、そもそもオークの実を食べていなかったとか」

 

 ペトラは眉を寄せた。

「……そこまでは見ていない」

 

「今すぐ聞いてきてください」

 俺は一覧表をそのまま彼女へ差し出した。

「消えた人たちの近くにいた連中に。オークの実にアレルギーがあったのか、あるいは嫌っていて食べていなかったのか。そこを確認してください。できるだけ早く」

 

 ペトラは、俺の顔色がいつもと違うのを見て取ったらしい。

 余計な問いは一つも挟まない。

 表を受け取ると、そのまま踵を返して天幕の外へ飛び出していった。

 

 中に残ったのは、トーヴの少し重たい呼吸音だけだ。

「コロン、原因、分かったのぉ?」

 トーヴもただならぬ空気を感じたのだろう。体を起こして、じっと俺を見た。

 

「まだ断定はできません」

 俺の鼓動は速かった。

「ペトラが戻るのを待ちます」

 

 十分も経たなかったと思う。

 ばさっと勢いよく天幕が開き、ペトラが飛び込んできた。

 肩で息をしている。

 頬は紅潮し、目は信じられないものでも見たみたいに大きく見開かれていた。

 

「コロン!」

 ほとんど叫ぶような声だった。

「全部、その通りだ! 消えた連中のそばにいた人間へ確認した。消えた者は、オークの実にアレルギーがあるか、もしくは匂いそのものを嫌って食べていない。とにかく――ほとんど全員、オークの実を口にしていなかった!」

 

 頭の中で、何かが大きな音を立てて繋がった。

 これまで散らばっていた線が、一気に一本の形になる。

 このオークの森。

 抜け出せない霧。

 続いている失踪。

 全部、オークの実が鍵だ。

 正確には――食べなかったことが。

 つまり、これは無作為じゃない。

 選別だ。

 だが、そこで同時に、もう一つの矛盾が浮かび上がる。

 ……いや、待て。

 俺は怪我のせいで、これまで一度もオークの実を口にしていない。

 それなのに、なぜ俺はまだ消えていない?

 

「コロン! 分かったんだよねぇ?」

 トーヴが勢いよく立ち上がろうとして、膝から崩れ落ち、また座り込んだ。

 

「俺も……まだ確信はありません」

 拳を握る。

 手のひらは汗でぐっしょりだった。

 

「えぇ?」

 トーヴとペトラの声が、ほぼ同時に重なる。

 

「だから――」

 俺は大きく息を吸った。

「自分で試します」

 

「駄目だ!」

「だめだよぉ!」

 二人の声が、これまでにないほど強く重なった。

 

 俺はその必死な顔を見て、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。

「でも、確かめないと、明日もまた誰かが消えます」

 俺は落ち着いた声のまま言った。

「次に消えるのが、あなたかもしれない。トーヴさんかもしれない。それとも、今までちゃんとオークの実を食べてきた別の誰かかもしれない」

 そこで一度だけ言葉を区切る。

「あの人たちの命だって、命です」

 

 ペトラは黙った。

 トーヴも、しゅんとしたまま何も言わない。

 天幕の外では、相変わらず霧が濃かった。

 まるで、一生溶ける気のない綿の塊みたいに。

 

 俺は地面へ手をついてゆっくり立ち上がると、天幕の隅へ立てかけてあった長剣を手に取った。

 それから、まだ呆然としているペトラのほうへ向き直る。

 少しだけ笑って、言った。

「ペトラさん。あなた、ずっと“剣気”がどうやって身につくのか知りたかったんでしょう? 来てください」

 

「剣の稽古を、今から?」

 ペトラはさすがに驚いたようだった。

 

「もちろんです」

 俺はそれだけ言うと、先に天幕を出た。

 向かう先は、少し離れたところにある空き地だ。

 もし俺の推測が正しいなら――

 今夜は、もう誰も消えない。

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