最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜   作:窮北の風

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第43話 光

 目の前の金髪の男が構えた剣の型を見た瞬間、俺の頭皮がじわりと痺れた。

 すでに【白獅子剣術】を身につけた今だからこそ分かる。

 あの男は、はるかに上だ。

 細かな重心移動、手首の返し、剣先のわずかな揺れ――そういう何気ない動きの一つ一つに、俺との埋めようのない差がはっきり現れている。下手をすれば、ゲームで見てきたLv30前後の熟練戦士たちよりも、なお強いかもしれない。

「……ロン、お前の父親、いったい何者なんだよ……」

 

 そんな考えが頭をよぎった瞬間、俺はすぐに方針を変えた。

 さっきまで前へ向けていた短剣を胸元まで引き戻し、切っ先を上に向ける。

 取ったのは、完全な防御の構えだった。

 

 ゲーム時代から数えきれないほど戦ってきた俺には分かっている。

 自分より圧倒的に上の相手に、先に斬りかかるのは愚策だ。

 自分では上手く打ち込んだつもりの技も、強者から見れば隙だらけにしか見えない。なら、無理に攻めるより、まずは崩れないことに集中し、相手がわずかでも綻ぶ瞬間を待つほうがいい。

 

 金髪の男は何も言わなかった。

 ただ、つま先で地面を軽く蹴っただけで、その身体が矢のようにこちらへ滑ってくる。

 速さそのものは、そこまで異常じゃない。

 なのに――異様に、重い。

 何の変哲もないただの斬り下ろしにしか見えない一撃なのに、俺には、身体ごと剣影に覆われたような錯覚があった。右へ避けても、左へ逃げても、結局追いつかれる。そんな圧迫感だ。

 

 俺はほとんど反射的に腕を上げ、短剣を横にして受けた。

 

 ガン――!

 刃と刃がぶつかり合い、火花が散る。

 その瞬間、虎口に鋭い痛みが走った。腕の骨までびりびりと痺れる。

 

「くっ……!」

 心の中で思わず悪態が漏れる。

 ――今の俺、小さい子どもの身体なんだぞ!?

 技以前に、腕力そのものが違いすぎる。これでどう戦えっていうんだ。

 

 交差した剣越しに相手の目を見る。

 薄灰色の瞳は、静かな湖面みたいに揺れていない。

 なのに、その奥は妙に冷たかった。

 

 そして、たぶん俺の気のせいじゃない。

 ほんの少し、心が揺いだその瞬間――あの男の目の奥に、一瞬だけ失望の色が宿った気がした。

 

 次の瞬間には、男はもう黒い長剣を引き戻している。

 腰をひねり、そのまま二撃目を横に薙いだ。

 ガン――!

 今度はさらに重い。

 

 短剣はほとんど手からすっぽ抜けそうになった。

 

 そこから先は、もう途切れなかった。

 三撃目。

 四撃目。

 五撃目。

 波だ。

 いや、そんな生ぬるいものじゃない。

 押し寄せる海嘯そのものだった。

 

 さっき光幕から流れ込んだばかりの【白獅子剣術】が、あまりの圧力に少しずつ崩れていく。

 俺は、荒れ狂う大海に投げ出された小舟みたいなものだった。ほんの一瞬でも舵を失えば、そのまま砕け散る。

 

 金髪の男の眉は、どんどん険しくなっていく。

 不満が、隠そうともせず顔に出ていた。

 

 そのときだった。

 不意に、心の奥底から声が聞こえた。

 ――やっぱり……父さんの言う通りなのかもしれない。

 ――俺は、戦士には向いてないんだ。

 

 俺の声に似ていた。

 でも、完全に俺のものじゃない。

 違う。

 これは、この身体の持ち主――ロン自身の心の声だ。

「……っ!?」

 俺は内心で愕然とした。

 ロンの意志は、まだ消えていないのか。

 しかもその自己否定が、こちらの意識にまで染み込んできている。

 

 そのせいか、手の動きが目に見えて鈍くなる。

 受けが少しずつ遅れ、剣筋も乱れる。

 そして六撃目が来たとき、俺はついに完全に相手の流れから外された。

 男は長剣の軌道をわずかに変え、今度は剣の腹で俺の脛を鋭く打ち払う。

 あっ、と思ったときにはもう遅い。

 俺の身体はあっさりと均衡を失い、そのまま仰向けに倒れ込んだ。

 

 ……

 

 再び起き上がったとき、世界はすっかり変わっていた。

 

 俺は木造の小屋の隅にうずくまっていた。

 頭上には低い梁。

 背中の下にはざらついた木の床。

 世界は色を失っていた。

 灰と白だけで構成された、音のない古い映画みたいに、すべてがかすれて見える。映像はところどころ途切れ、今にも燃え尽きそうなフィルムのようだった。

 少し離れたところで、一人の美しい女性が小さな女の子を抱きしめ、扉の陰へ身を縮めている。二人とも全身を震わせながら、俺を見ていた。

 ……いや、違う。

 俺の後ろを見ている。

 

 俺は苦労して首を回した。

 木の扉が外から乱暴に蹴破られる。

 三人の覆面姿の男たちが、小屋へ踏み込んできた。

 

 女性は悲鳴を上げながら引きずられていく。

 小さな女の子は泣き叫びながら母親の服を掴もうと手を伸ばした。

 だが、その指先は何も掴めなかった。

 声は聞こえない。

 口だけが大きく開いているのに、何一つ音にならない。

 

 その代わり、胸の奥からどうしようもない感情が噴き上がった。

 焦り。

 怒り。

 悲しみ。

 それが、まるで俺自身のものみたいに全身を焼く。

 ――これはロンの感情だ。

 

 俺は必死に立ち上がろうとした。

 床へ転がった短剣を拾おうと手を伸ばす。

 だが、この身体はもうまともに動かなかった。

 腕は不自然に腫れ上がって歪み、脚は何か所も折れている。力がまるで入らない。

 次の瞬間、覆面の一人が振り向き、その拳が俺の顔面へ叩き込まれた。

 視界がまた黒に沈む。

 

 どれほど時間が過ぎたのか分からない。

 次に目を覚ましたとき、小屋の中は空っぽだった。

 誰もいない。

 俺は折れた腕でなんとか身体を支え、少しずつ、少しずつ玄関まで這っていった。

 外の世界も、やはり灰白色のままだ。

 人の姿は、どこにもなかった。

 

 日が沈み、月が昇る。

 月が沈み、また日が昇る。

 

 喉が渇けば、軒先にたまった雨水を舐める。

 腹が減れば、地面へ落ちたドングリをかじる。

 傷は腐って、虫がわき、高熱が貪欲な獣みたいに、残った命を少しずつ食いちぎっていく。

 そして、ひどくよく晴れた朝だった。

 俺は蛆虫みたいに地面を這いながら、裏庭のあの黒い巨石の前まで辿り着いた。

 

 その石には、黒い長剣が一本突き立っている。

 父親が残していった剣だ。

 出征の前、父はこう言ったのだ。

 ――この剣を自分の手で引き抜けたとき、お前は本当の男になる。

 ――そのとき、俺は帰ってくる。

 

 俺は残った力を全部かき集めて、剣の柄へ手をかけた。

 けれど――

 もう、その剣を抜くことはできなかった。

 

 ……

 

 目の前の景色に、少しずつ色が戻ってくる。

 

「ごめんなさい……父さん」

 低く、泣き出しそうな声が耳元で響いた。

 

 ロンだ。

 この記憶の中に、何年も、何年も閉じ込められていたあの幽霊の少年。

 

「僕が……もっと賢ければ、あの剣術も覚えられたかもしれないのに」

「自分を責めなくていい。あの剣術は、もともとすごく難しいんだ」

「父さんの期待を裏切って、母さんも妹も守れなかった。僕は……ただの、役立たずだ」

「違う」

 俺は即座に否定した。

「ロン、お前は役立たずなんかじゃない。誰もいないあの森の中で、折れた手足を引きずったまま、たった一人で何日生き延びた?十日か?二十日か?それだけで、お前は十分すぎるほど立派な男だ」

 

「……でも、どうして」

 ロンの声がまた響く。

 深い迷いと、自責に満ちた声だった。

「どうして父さんは、僕を見るたびに、あんなに失望した顔をしてたの?」

 

 俺は地面に手をついて立ち上がり、草むらに落ちていた短剣を拾った。

 そして迷わず、残っていたスキルポイントのうち50点を消費して、【白獅子剣術】をLv2まで引き上げる。

 その瞬間、膨大な剣技の感覚が、一気に頭の中へ流れ込んできた。

 さっきまでは慌ただしくなぞるだけだった動きが、今は一つ一つ細かく分解され、組み直され、より深く身体へ刻み込まれていく。

【白獅子剣術 Lv2(1/100)】

【残りスキルポイント:2】

 

「ロン」

 俺はゆっくり顔を上げ、木屋の軒先に立つ金髪の男を見つめた。

 深い灰色の瞳は静かに光り、手にした黒い長剣は、陽の光を浴びてやわらかな艶を帯びている。

「俺は父親になったことなんてない。だから、父親の気持ちを全部分かったようなことは言えない」

 そこで一度言葉を切る。

「でも、一つだけ、はっきり分かることがある。お前の父親には、何度だって俺を一太刀で叩き伏せる機会があった」

 俺は背筋を伸ばす。

 あの男みたいに、まっすぐに。

「それなのに、そうしなかった。あの人が見ていたのは、失敗したお前じゃない。できないお前でもない」

「ずっと待ってたんだ。お前が、自分でそれを理解するその日を」

「いつか年を取るかもしれない。いつか、この世からいなくなるかもしれない。それでも、あの人はずっと、お前がちゃんと一人の男として育っていくことを願ってたんだと思う」

「剣術を覚えられないからって、失望してたんじゃない。むしろ逆だ。あの人は、お前にその剣だけへ縛られてほしくなかったんだ」

「お前が執着を手放して、ちゃんと幸せに生きてほしかったんだよ。将来どんな仕事をしても、どんな人間になっても、それでよかったんだ」

 目の奥が熱くなる。

 けれど、俺は歯を食いしばって、涙だけは落とさなかった。

 

「ロン」

 そのとき、金髪の男が口を開いた。

 今度の声には、もう叱責も冷たさもなかった。

 あるのは、これまで一度も見せなかった、どうしようもなく優しい温度だけだ。

「前に言ったことを、覚えているか?」

 彼は静かに、そう問いかける。

「これから先、お前がどんな人間になろうと、どんなことで生きていこうと――背筋だけは、この剣みたいに真っ直ぐでいろ」

 彼はゆっくりと、黒い長剣を立てた。

 金色の髪が刃をかすめ、陽の光を受けてきらりと光る。

「お前は俺の息子だ。俺はいつだって、お前を誇りに思ってる」

 それから、男はほんの少しだけ口元を緩めた。

「来い」

「俺がいないあいだ、お前が何を身につけたのか……見せてみろ」

 

 俺は強く頷いた。

 袖で顔をごしごし拭う。頬はとっくに涙でぐしゃぐしゃだった。

 それでも、深く息を吸って、短剣を握り直し、そのまま一気に踏み込む。

 

「ガン――!ガン、ガンッ!」

 剣と剣が何度もぶつかり合い、明るい火花を散らした。

 

「いいぞ!今の一太刀は実に鋭い!」

「おっと……危ない危ない。今のは、うちのロンにやられるところだったな」

「まさか、お前がここまで剣を磨いていたとは……本当に驚いた」

 金髪の男の声は、どんどん軽やかになっていく。

 嬉しそうで、誇らしそうで、心から満足している声だった。

 彼の剣は相変わらず、速く、重く、揺るがない。

 

 けれど、俺の剣ももう乱れない。

 Lv2になった白獅子剣術が、この小さな身体の中で、ようやく本来の輝きを放ち始めていた。

 一つ一つの型が、きちんと収まり、きちんと生きている。

 

 だが、打ち合いを続けるうちに、俺は自分の身体が少しずつ透けていくのを感じ始めた。

 それと同時に、男の手にある黒い長剣が、今度は眩しい金色の光を放ち始める。

 

 その光はどんどん強くなり、やがて彼の全身を包み込んだ。

 

 姿が徐々に薄れていく。

 まるで、消えていく煙みたいに。

 

 俺はその小さな身体から、少しずつ引き剥がされていく感覚を覚えた。

 次の瞬間、意識ごと、ものすごい速さで空へ吸い上げられていく。

 

 ぼやけていく視界の中で、俺は最後に一つの光景を見た気がした。

 淡い金色の光の中に、大きな人影と、小さな人影。

 二つの影が、しっかりと抱き合っている。

 父の大きな手が、息子のぼさぼさの頭をやさしく撫でる。

 息子は、その広い胸に顔を埋めていた。

 ――あまりにも幸せそうに……

 ――あまりにも満ち足りた顔で……

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