最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜   作:窮北の風

45 / 71
皆さま、こんにちは。
出張の都合で二日ほど更新できずにおりましたので、今回はその分少し長めの話を投稿しました。
楽しんでいただけたら嬉しいです。


第45話 現実への帰還

 亜空間が崩れ始めた。

 俺はこの目で見た。さっきまで丸ごとの仔豚の丸焼きだったものが、ほんの一瞬で親指ほどの大きさのドングリへ変わるのを。

 続いて二つ目、三つ目、四つ目――数えきれないほどのドングリが、消えかけている料理の中から次々と姿を現し、ぱらぱらと地面へ落ちて、あちこちへ転がっていく。

 木のテーブルの上に山と積まれていたご馳走は、いまや本来の姿へ戻っていた。

 ただの、目立たない茶色いドングリの実。

 それだけだった。

 濃く淀んでいた白い霧も、次第に凝縮し、縮み、やがて一滴一滴の澄んだ水粒へ変わって空中に浮かび上がる。

 その水粒は、ゆっくりと集まりながら、俺の足元へ流れてきた。

 

 その動きを追うように視線を落とす。

 すると、いつの間にか足元には、小さな身体が横たわっていた。

 

 七、八歳くらいの男の子だ。

 さっきまで黒い巨石があった場所で、身体を小さく丸めるようにして眠っている。頭は少し横へ傾き、顔つきは驚くほど穏やかだった。昏い光の中でも、肌にはまだ生者のような艶が残っていて、まるで今にも目を覚ましそうに見える。

 けれど――

 もう息はしていない。

 

 ロンだ。

 本当のロン。

 

 この亜空間は、独自のやり方で彼の遺体の“新しさ”を保っていたのだろう。もしかすると、彼が死んだその日から、この小さな身体は一度たりとも腐敗していなかったのかもしれない。

 あのドングリも。

 あの霧も。

 あれほど多くの人間を閉じ込めていた幻境も。

 すべてはこの小さな亡骸を起点にして、広がっていたのだ。

 

 空中で集まっていた水滴が、そっとロンの目元へ降りる。

 それは、そのまま透き通った涙になって、頬をゆっくりと伝っていった。

 それと同時に、周囲を埋め尽くしていたあの果てしないオークの森にも変化が起きる。

 一本一本の巨大な古木が、まるで根こそぎ命を抜き取られたみたいに、見る間に縮み、枯れ、朽ちていく。最後には、大きさも形もまばらなドングリの殻へ変わってしまった。

 何百、何千という殻が四方八方から舞ってくる。

 巣へ帰る鳥の群れのように、すべてロンの遺体の周囲へ集まり、幾重にも積み重なって、小さな丘を作り上げていった。

 

 俺は、そのドングリの殻の山をただ黙って見つめた。

 胸の奥を、何かに強く殴られたような気がした。

 ――そういうことだったのか。

 

 ロンは怪我を負ったあと、地面へ落ちたドングリを食べながら、長いあいだ生き延びていた。

 そうして、傷と病に蝕まれながら死んでいった。

 彼の中に残った、死ぬことを拒んだ孤独な心。誰かに認められたいと願い続けた心。それが、この閉ざされた亜空間へと変わったのだ。

 この亜空間の規則は単純だった——相手が生前に抱いていた願いを叶えること。

 では、金髪の男を倒す力がなく、試練を越えられなかった者たちに、なぜ彼が食べ物を与えていたのか。

 それはきっと、ロンの魂の中に、生前の優しさがまだ残っていたからだと思う。

 

 亜空間の規則は、生まれた瞬間から固定されている。

 たとえ創造者である彼自身であっても、それを変えることはできない。

 

 それでも彼は、ほかの誰かが自分と同じように飢えて死んでいく姿を見るに堪えなかった。だから、たとえ自分がすでに執念そのものへ成り果てていたとしても。

 かつて自分が誰かにしてほしかったことを、今度は彼が、ぎこちなく、そして頑なに繰り返していたのだ。迷い込んだ者たちの命を、少しでも繋ぎ止めるために。

 彼は死んだ後でさえ、誰かに食べ物を与えていた。

 死んだ後でさえ、誰かが飢えて死ぬのを見過ごせなかった。

 

「……はぁ」

 俺は深く息を吸い込んだ。

 胸の中へ、大きな石でも押し込まれたみたいに重い。握っている【石の中の剣】も、今はひどく重く感じる。柄から伝わってくる温もりすら、少し熱すぎるくらいだった。

「なんて……優しい子なんだよ」

 

 ……

 

「コロン様! やっと見つけました!」

 そのとき、背後からレオナルドの弾んだ声が飛んできた。

 

 振り返ると、見知った顔が何人か、少し離れた林の中からこちらへ駆けてくるのが見えた。真ん中にはトーヴがいる。いつもならのんびりした彼女の顔にも、今は珍しくはっきりした焦りが浮かんでいた。

 そして、俺が思わず驚いたのは、その先頭を走っていたのがペトラだったことだ。

 彼女は肩で息をしながら一直線に駆けてきて、あと二メートルほどのところで、ようやく自分の行動に気づいたらしい。あわてて急停止し、靴底が土を削って二本の浅い線を残した。

 

 俺は、ほんのり赤くなったその頬を見て、つい笑ってしまった。

 まさか自分が、後に名を馳せる反抗軍の指導者に、こんなふうに気にかけられる日が来るなんて。

 

 ゲームの中だったら、想像もできない話だ。

 ペトラは俺が笑ったのを見て、逆に余計に慌てたらしい。普段はあんなにきびきびしている巡回隊の副隊長が、今は視線をあちこちに泳がせ、手の置き場にも困っているようだった。

 

 そこへ、スカートの裾を摘んだトーヴが、はぁはぁ言いながら追いついてくる。

 まずペトラを見て、それから俺を見て、最後に自分の胸をぽんと叩き、心底ほっとした顔で言った。

「コロン、どこ行ってたのぉ? わたしとペトラ、すっごく心配してたんだよぉ」

 

「ト、トーヴ!」

 ペトラの声がいきなり一段高くなる。

「何を言ってるんだ! 私はそんな、すごく心配したとか……いや、その……」

 

 見ていて、さすがに少し可哀想になってきた。

 このままだと本当に穴でも掘って潜りかねない。

 だから俺はわざと話を切り替えた。

「みんな、どうやってここまで?」

 

「えっとねぇ」

 案の定、トーヴはすぐそちらへ意識を向けた。

「ちょっと前に、前にいなくなってた人たちが、みーんな急に野営地へ戻ってきたの。おじいさんも、子どもたちも、あの傭兵たちも、ひとりも欠けてなかったよぉ。でも、コロンだけいなかったの」

「それで?」

「助けられた人たちが、“亜空間の中でコロンが助けてくれた”って言ってたから、たぶんコロンもすぐ出てくるはずだって、みんなで考えたのぉ」

「それから、ペトラが気づいたの」

 トーヴはそこまで言って、にこっとペトラを見る。

「まわりの霧がねぇ、ひとつの方向へ集まっていってたの。だから、コロンはそこに出てくるかもって思って、それでみんなで霧の流れるほうへ来たんだよぉ」

「……皆で気づいたことだ」

 ペトラが小さな声で付け足した。

 

「そうでしたか」

 俺は小さく頭を下げた。

「ご心配をおかけしました。ですが、おかげさまで、どうにか片づきました」

 

「コロン様、その男の子は誰なんです?」

 レオナルドは、この場の妙な空気にまったく気づいていないらしい。いちばんに俺の後ろを覗き込み、ロンの遺体へ目を向けた。

 

「遺体? どこだ?」

 ペトラは、その一言を待っていたかのように即座に反応した。さっきまでのぎこちなさが嘘みたいに消え、あっという間にいつもの手際のいい副隊長へ戻る。

 

 俺は振り返り、まるで眠っているだけのような、あの小さな身体を見つめた。

「……この子の名前はロンです」

 少しだけ声が重くなる。

「……優しくて、不幸だった子です」

 

 みんなは、俺が幻の中で何を見たのかも、この亜空間の裏にどんな真実があったのかも知らない。

 けれど、俺の様子がいつもと違うことだけは分かったのだろう。誰も軽々しく口を挟まず、ただ静かに、俺が話し出すのを待っていた。

 俺は少し言葉を選んでから、自分の知っている経緯をできるだけ簡潔に話した。

 もちろん、【白獅子剣術】と【石の中の剣】のことは伏せた。

 ロンがどれほど父の帰りを待ち続けていたか。

 重傷を負ったあと、どれほど長くドングリを食べて生き延びていたか。

 そして、死んだあとでさえ、亜空間という形で迷い込んだ飢えた人々へ食べ物を与え続けていたことを――。

 

 レオナルドは、途中から目を赤くしていた。

 顔を少し背け、袖でこっそり目元を拭っている。肩が小さく震えていた。

 ペトラは下唇を噛みしめ、拳を固く握っていた。指の節が白くなるほど力が入っている。

 彼女は何も言わない。ただ、安らかな顔で眠るロンをじっと見つめたまま、胸だけが激しく上下していた。

 だが、トーヴの反応は少し意外だった。

 彼女は静かにそこへ立ち、泣きもしなければ、何かを言うわけでもなかった。ただ少しだけ俯いて、長い睫毛をかすかに震わせている。

 レオナルドみたいに涙を流すわけでもなく、ペトラみたいに怒りを露わにするわけでもない。

 その様子を見て、一瞬だけ、俺の話し方が下手だったのかと疑ったくらいだ。

 

「……埋めてあげよぉ」

 トーヴがぽつりと言った。

 俺は黙って頷いた。

 

 俺の提案で、俺たちは木屋の前の空き地に、小さな穴を掘った。

 水車のある方角へ向けて。

 大きな墓穴ではない。ただ、身体を丸めたロンが、そのまま静かに横になれるくらいの深さと広さがあれば十分だった。

 

 トーヴは近くで平たい石板を見つけてきた。

 ペトラは短剣を使い、その石へ一文字ずつ、丁寧に刻んでいく。

 ――ここに、善良な子どもが眠る。

 

 埋葬の前に、俺はその場へしゃがみ込み、ポケットから四つのドングリを取り出した。

 さっき消えかけた木の机のそばで、無意識に拾っていたものだ。殻つきのまま残っていたそれを、一つずつ丁寧に剥いていく。

 淡い黄色の実が現れる。

 俺はそれを、ロンの手元へそっと並べた。

 殻を剥いた四つのドングリ。

 どうか天国では、二度と飢えることがありませんように。

 ――もし、この世界に天国というものがあるのなら。

 

 土をかけ、石板を立てる。

 立派な墓標はない。

 祈りの言葉も、祈祷師もいない。

 ただ、風だけが残っていた。

 オーク林にわずかに残った木々の間を吹き抜け、さらさらと葉を鳴らす。その音は、まるで古い時代の誰かが歌う弔歌のようだった。

 

 ……

 

 野営地へ戻った頃には、空はもう暗くなりかけていた。

 助け出された難民たちは、俺の姿を見つけるや否や、一斉に駆け寄ってきた。

 老人、女、子ども――焚き火の灯りに照らされた顔はどれも赤く上気し、興奮と安堵でいっぱいだった。

 俺の手を握る者がいた。

 服の裾を掴む者がいた。

 何も言わず、ただぽろぽろと涙を流す者もいた。

 

「コロン様……! あなたは、俺たちの恩人です!」

「あなたがいなかったら、あたしたち、あの恐ろしい場所でいつまで閉じ込められてたか分かりません……!」

「きっと、天が遣わしてくださったんです……!」

 

 感謝の言葉が、次々と波のように押し寄せてくる。

 俺はどう返せばいいのか分からず、ただ何度も頷き、笑い、「大したことじゃありません」「皆が無事でよかったです」と繰り返すしかなかった。

 

 トーヴはそんな俺のすぐ横にぴったりくっつき、俺の腕を抱えたまま、目を細めて皆の称賛を気持ちよさそうに浴びていた。

 その顔は、まるで日向でぬくぬくしている猫みたいだ。

 

 思わず苦笑しそうになったが、さすがに大勢の前で何か言うわけにもいかない。

 助かったのは、そこへレオナルドが割って入ってくれたことだ。

「コロン様はお疲れなんです! 少し休ませてあげてください!」

 そんな調子で、宥めたり押しやったりしながら、どうにか人の輪を解いていく。

 最後に残っていたおばさんたちまでが、帰り際に何度も振り返って手を振り、「トゥー・リバーズ・シティへ着いたら、ぜひご飯をご馳走しますからね!」なんて言い残していった。

 

 俺は最後まで口元に笑みを貼りつけたままだった。

 だが、本当に最後の一人がいなくなった瞬間、ようやく長く息を吐き出す。

 頬の筋肉が引きつりそうだった。

 正直、たった三十分にも満たないあの時間は、幻境の中でロンの父親と剣を交えたときより、よほど疲れた気がする。

 

「コロン、じゃあ、わたしたち、もうトゥー・リバーズ・シティに向かっていいんだよねぇ?」

 小さな天幕へ戻るなり、トーヴが待ちきれないといった様子で尋ねてきた。

 彼女は藁の上にぺたんと座り込み、両手で顎を支えて、目をきらきらさせている。どうやら、もう頭の中では勝手にその先の予定が進んでいるらしい。

「トゥー・リバーズ・シティに着いたら、わたし、絶対いっぱい食べるのぉ!」

 声は期待で弾んでいた。

「今のわたしなら、羊のもも焼き一匹分でも食べられる気がするしぃ、子豚の丸焼き半分でもいけるかもぉ……あ、でもお金があんまりなかったら、焼きネズミ定食を三人前でもぜんぜんいいよぉ!」

「……君の叔母さんのケイリーさんは、きっと真っ先に顔を出さないと悲しむでしょうね」

「うううぅん……」トーヴは首を傾げて少し考えた。

「そっかぁ。ケイリーおばさん、トゥー・リバーズ・シティで待ってるもんねぇ。じゃあ予定を組み直さなきゃだぁ。先におばさんのとこ行って、それからおばさんに羊のもも焼き奢ってもらうの!」

 

 俺は思わず額を押さえた。

 相変わらず、うちの幼なじみの思考回路は理解しがたい。

 

「ようやくトゥー・リバーズ・シティへ行けるんですね!」

 今度はレオナルドが顔を真っ赤にして拳を握りしめた。

「これで訓練所の仲間たちにも会えます! そのときは、コロン様の英雄譚を絶対にみんなへ話して聞かせますから! 先生にも友人にも紹介したいですし、きっと皆、コロン様のご活躍に心から敬服するはずです! もしかしたら、教官になってほしいって頼まれるかもしれません!」

「それはまた、先の話ですね」

 俺は笑って返した。

 肯定もしないし、否定もしない。

 

「ペトラはどうするのぉ?」

 トーヴが突然、天幕の隅で静かに座っていた銀髪の少女へ顔を向けた。

「わたしたちと一緒に来るぅ? おばさんの家、トゥー・リバーズ・シティにあるし、けっこう広いんだよぉ」

 

 ペトラは少しだけ顔を上げた。

 だが、その表情にはまだ迷いが残っていた。

「……分からない」

 答えた声は低い。

「私がケン隊長から受けた命令は、難民たちをトゥー・リバーズ・シティまで送り届けることだけだ。その先の指示はない。……たぶん、近くの町を回って隊長たちを探すべきなんだと思う」

 

「でもそれ、ひとりであちこち探すのって大変じゃないかなぁ?」

 トーヴは即答だった。

「危ないしぃ、難しいしぃ。だったら、うちのおばさんの家に一緒に泊まったほうがいいよぉ」

 

「トーヴさんの言う通りです」

 俺も言葉を継ぐ。

「当てもなく動き回るより、まずはトゥー・リバーズ・シティで待ったほうがいい。ケン隊長ほどの人なら、任務を終えたあと、高い確率でトゥー・リバーズ・シティに向かうはずです」

 そこで少しだけ言葉を選ぶ。

「それでも心配なら、道中の野営地や中継所に伝言を残していきましょう。ケン隊長の経験なら、それで十分辿り着けます」

 

 ペトラは視線を落とし、しばらく黙っていた。

 やがて、本当に小さく頷く。

 

 俺は内心でそっと安堵した。

 もちろん、もう一つ理由がある。

 今は言わないだけだ。

 この先、ゴブリン大軍の勢いはますます強くなる。ロニクス王国南部は、やがて広い範囲で陥落していく。

 十数人しかいない地方の巡回隊が、何千何万という軍勢に抗えるはずがない。

 ケンみたいな老兵なら、戦場の匂いだけでその現実を嗅ぎ取るだろう。そして、必ずトゥー・リバーズ・シティへの退却を選ぶ。

 だったら、ペトラを一人でうろつかせるより、今は自分たちの近くに置いておくほうがいい。

 

「コロンは、トゥー・リバーズ・シティで何かやることあるのぉ?」

 トーヴがまた、ぱちぱちと目を瞬かせた。

「もし困ってることがあるなら、わたしたちも手伝えるよぉ?」

 

「トゥー・リバーズ・シティ、ですか……」

 その問いに、俺は少しだけ言葉を失った。

 もともと、俺がトゥー・リバーズ・シティへ向かう理由は二つだけだった。

 一つは教会へ行き、“生命本源受損”という厄介な負の状態を解除すること。

 もう一つは、職業認定任務の手がかりを探すこと。

 だが、今はもう一つ増えている。

 

 俺はゆっくりと東の空を見た。

 天幕の布も、幾重にも重なった木々の梢も、その先にあるはずの青灰色の城壁も、まるごと見通してしまえそうな気がした。

 指先が、無意識に【石の中の剣】の刃をなぞる。

 内部から伝わってくる柔らかなぬくもりに触れた途端、心臓の鼓動がまた少し強くなった。

 

「俺は、あの街へ行きます」

 低い声で、そう言う。

「一人の小さな男の子のために――ひとつ、けじめをつけに」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。