最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜   作:窮北の風

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第46話 主街道への帰還

 一晩の休息を経て、翌朝――難民たちはついに、双流城へ向かう道を再び歩き始めた。

 

 足元にあるのは、湿り気を含んだ土と小石。朝の光が、皆の影を細長く地面へ引き伸ばしている。

 まだ腹は減っている。故郷も失った。しかも、自分たちが亜空間に何日閉じ込められていたのか、正確に分かる者は一人もいない。

 それでも、不思議なことに、隊列を進む人々の顔にはどこか軽い笑みが浮かんでいた。まるで、ゴブリン大軍の脅威など最初から存在しなかったかのように。

 

 そんな心境でいられるのは、短い間に二度も生死の淵を覗き込んだからだろう。

 一度目は、ゴブリンによる奇カ镇の蹂躙。二度目は、亜空間での遭難。

 地獄の門の前を二度も行き来して戻ってきたせいで、かえって多くのことを吹っ切れたのかもしれない。

 先が長いのは確かだ。

 だが、永遠に抜け出せない霧の中へ閉じ込められること以上に恐ろしいものが、いったいこの先にあるというのか。

 

 もちろん、もう一つ、もっと大きな理由もあった。

 隊列のいちばん前を歩く、黒髪の若者の存在だ。

 皆が信じていた。

 彼さえいれば、どんな困難だって乗り越えられる、と。

 

 その信頼は、何の根拠もなく生まれたものじゃない。

 たった一人でゴブリン大軍を食い止めたこと。

 亜空間の謎を解き、囚われた難民を救い出したこと。

 その若者は、自分の行動でそれを証明してみせた。

 今や、彼の背中そのものが、この一団にとって最も頼もしい支柱になっていた。まるで歩く旗印のように、あの背中が前にあるかぎり、人の心は折れない――そんなふうに思わせる何かがあった。

 

 当然ながら、俺自身も周囲の態度の変化には気づいていた。

 思い返せば、奇カ镇で初めて出会った頃、皆それぞれ勝手に歩き、勝手に喋り、互いに深い関わりなんてなかった。

 けれど今は、まるで違う。

 

 何を食べるか。

 どこで野営するか。

 二人の間で口論が起きたらどう裁くか。

 どんな些細なことでも、みんな真っ先に俺のところへやってきて、判断を仰ぐようになった。

 採れたての果実をまず俺に差し出す者もいる。

 食事のとき、一番まともなものを俺の前へ置こうとする者もいる。

 中には、白髪混じりの老人が、自分で何十年も大切に隠していた酒壺を俺へ押しつけ、「旦那様、どうか一口。これはわしが二十年寝かせた自家製なんです」と言ってくる始末だ。

 

 正直、慣れない。

 前世ではゲームの中でギルドマスターをやっていたし、何百人規模の戦いを指揮したこともある。だが、それは所詮、画面越しの話だ。モニターと回線を挟んだ先にいた“仲間”と、今こうして目の前にいる生身の人間たちとでは、まるで重みが違う。

 彼らは、命も希望も、現実に俺へ預けてくる。

 その重さは、ゲームの中とは比べものにならなかった。

 

 ただ――

 俺への信頼が高まるにつれ、持ち込まれる相談事も、だんだん妙な方向へ逸れていった。

 

 出発して三日目あたりからだろうか。

 やたらと、「結婚はしているのか」と聞かれるようになった。

 最初は隊列の中のおばさんたちが遠回しに探ってくる程度だった。だが、そのうち露骨になり、若い娘を連れてきては偶然を装って俺の前へ現れるようになった。

 極めつけは五日目の夕方だ。

 見るからに気の強そうなおばさんが、自分の娘をずるずると引っ張って俺の前まで連れてきて、その背中をぐいと押しながらこう言った。

「ほら、コロン様にご挨拶しな! 年も近いんだし、ちょっとお話ししてみなさいよ!」

 娘のほうは顔をイクラみたいに真っ赤にして、俯いたまま服の裾をもじもじいじっている。蚊の鳴くような声で「コ、コロン様……」と一言だけ口にしたかと思うと、そのまま胸元へ顔を埋めそうな勢いで縮こまってしまった。

 こっちはこっちで、どうにも手足の置き場がない。

 何か失礼のないように断ろうかと口を開きかけた、そのときだった。

 いつの間にか、トーヴが俺のすぐ横に立っていた。

 

 何も言わない。

 ただ腕を組み、無表情のまま、おばさんとその娘をじーっと見つめている。

 場の空気が、ぴたりと止まった。

 五秒ほどの沈黙のあと、おばさんの笑顔はみるみる固まり、最後には「あ、あら、じゃあまた今度ね……」とでも言いたげな曖昧な表情になって、娘の手を引いて去っていった。去り際にちらりとこちらを振り返った目には、「あの子いったい誰なの、なんであんなに圧が強いの?」という疑問がありありと浮かんでいた。

 

 トーヴは二人の背中が見えなくなるまでじっと見送り、それから俺のほうへ向き直って、小さな声で言った。

「はい、じゃあ、また歩こっかぁ」

「……君、それで誤解されたらどうするんです?」

 試しにそう訊いてみる。

「ん? 何がぁ?」

 トーヴはぱちりと目を瞬かせた。

「わたし、ただコロンを呼びに来ただけだよぉ? ごはんの時間だよーって」

 そのあまりに無垢な顔を見て、俺はもうそれ以上追及しないことにした。

 

 もちろん、妙な騒動に巻き込まれていただけじゃない。

 俺自身も、やるべきことはちゃんとやっていた。

 まだ身体は本調子じゃないから、激しく動くことはできない。だが、毎日野営のあと、時間を見つけてはペトラやレオナルドたちに剣を教えていた。

 

 レオナルドは基礎がしっかりしている。

 民兵訓練所でそれなりに鍛えられてきたのだろう。飲み込みも早いし、素直だ。

 だが、天賦の才という意味では、ペトラとのあいだに銀河が一本まるごと横たわっていた。

 あの娘の剣の覚え方は、何度見ても異常だった。

 たった四日。

 それだけで、白獅子剣術の型を一通り全部記憶し、しかも流れるように繋げて見せるところまで来てしまったのだ。

 まだ“習得”と呼ぶには早い。

 けれど、それでも十分におかしい。

 

「……本当に、前にこの剣術を習ったことはないんですか?」

 五日目の夕方、俺はもう一度だけ訊いてしまった。

「ない」

 ペトラは剣を下ろし、額の汗を手の甲で拭う。

 答え方は、まるで今日は晴れている、と言うくらい自然だった。

「でも、お前が型を見せると、頭の中に自然と“こう動けばいい”って感覚が浮かぶんだ。最初から、そう使うべきだって分かる感じがする」

 

 俺はしばらく黙った。

 ロンの父親は言っていた。

 自分は白獅子剣術を仕上げるのに三ヶ月かかった、と。それでも王国史上、最上位に入る速度だ、と。

 ……なら、ペトラは何なんだ。

“最上位以上”か?

 いや、そもそもこの剣術のために生まれてきた人間なんじゃないかとすら思えてくる。

 

 もっとも、少し考えれば納得もいった。

 だって相手はペトラだ。

 未来にその名を轟かせる、あの反抗軍の旗印。

 第二次尖嶺戦争において、四方を敵に囲まれた絶望的な戦場で、彼女はわずか四十九名の聖殿騎士を率いてゴブリン軍陣へ突入し、その首魁グリン・ダンをその場で討ち取った。

 結局は多勢に無勢で、そのまま敵中に散ることになる。

 だが、彼女の最期はロニクス王国全土に語り継がれ、地下抵抗組織の者たちにとって、消えない火種になった。

 そんな伝説の女なら、才能が常識外れでも不思議じゃない。

 

「コロン?」

 俺が黙り込んでいたせいだろう。ペトラが訝しげに声をかけてきた。

「何を考えている?」

「いや、別に」

 俺はすぐに我に返り、首を振った。

「第三式から第四式へ入るとき、手首の返しをもう少しだけ小さくしてください。そのほうが速くなります」

 ペトラは素直に頷き、もう一度剣を構えた。

 

 俺は、彼女に未来のことは何も話していない。

 何度か、彼女自身が訊いてきたことはある。

 どうして白獅子剣術を知っているのか。

 なぜ俺の剣が、同年代の人間よりあれほど完成されているのか。

 けれどそのたび、俺ははっきり答えず、なんとなく誤魔化してきた。

 信頼していないわけじゃない。

 ただ、俺には分からないのだ。

 もしも今ここで未来のことを伝えたら、それが蝶の羽ばたきのように思わぬ波紋を広げ、彼女の行く末そのものを変えてしまうかもしれない。

 それが良い変化なのか、悪い変化なのか、俺には判断できない。

 だから、そういうことは自然に任せるのが一番だと思っていた。

 

 出発してから五日目――ようやく隊列が本街道へ戻ったとき、皆は嬉しさのあまり涙ぐんでいた。

 

 本街道へ戻れたということは、二つの意味を持っていたからだ。

 一つは、双流城までもうそう遠くないということ。普通の足取りで進めば、あと四日ほどで到着できる。

 もう一つは、この道には人の往来があるということだった。亜空間に閉じ込められていたときのように、外の世界から完全に切り離されることはもうない。

 

 そして実際、その通りだった。

 本街道へ出て二日目には、南から逃げてきた難民たちとぽつぽつ出会うようになった。

 彼らの話によれば、奇カ镇とその周辺の小村落はすでにすべて陥落していた。ゴブリン軍はまるで蝗害のように押し寄せ、通ったあとには草一本残らない有様だという。

 逃げ遅れた者たちがどうなったのかは、誰にも分からなかった。

 そうして、俺たちの隊列には次々と人が加わっていった。

 もともと二、三十人ほどだった一団は、三日もしないうちに百人を超える規模へ膨れ上がった。

 中には近隣の町や村から来た農民や工人もいれば、周辺で日銭を稼いでいた傭兵たちの姿もある。戦場から命からがら逃げ延びてきた者もいれば、混乱の中で自分の隊と逸れた者もいた。

 要するに、いろんな人間が入り混じっていた。

 

 人数が増えれば、それだけ面倒も増える。

 

 まず問題になったのは食事だ。

 百を超える口を毎日満たすとなると、粥だけでも大鍋が何杯もいる。

 幸い、この山地には野草や野の果実が比較的多かった。男たちが採取に出て、女たちが火を起こして炊事をし、子どもたちが薪を拾う。そんなふうに役割を分ければ、どうにかこうにか持ちこたえられた。

 次は、安全の問題だった。

 隊列の規模が大きくなるにつれ、ゴブリンの斥候たちもこちらの存在を無視できなくなったらしい。小柄な緑皮どもが幽霊みたいに隊の後ろへ張りつき、見えたり消えたりを繰り返すようになったのだ。

 何度か、夜のうちに野営地へ近づこうとしたこともあった。

 だが、そのたびにペトラが巡回隊と数名の傭兵を率いて先に察知し、きっちり追い払っていた。

 

 そのおかげで、難民たちの間でのペトラの評判もどんどん上がっていった。

 見た目は綺麗だし、剣の腕も立つ。性格は少し冷たいが、そのぶん無駄がなく、きっぱりしているところが、むしろ頼もしく映るのだろう。

 若い男たちの中には、彼女を見る目が露骨に熱っぽい者も少なくなかった。

 一度、若い猟師が勇気を振り絞って野花の束を差し出したことがあったが、ペトラは無表情のままそれを受け取ると、すぐ隣にいた小さな女の子へ「これで遊べ」とでも言うようにぽんと渡してしまった。

 あの猟師は、そのあと数日ほど目に見えて落ち込んでいた。

 

 もっとも、当のペトラはそういった好意にまるで興味がないらしかった。

 彼女の関心は俺に向いていた――いや、正確に言えば、俺の頭の中にある剣術の知識や戦闘経験に、だ。

 毎日、野営の準備が終わる頃になると、彼女は必ず剣を提げて俺の天幕のそばへ現れる。目がこう言っていた。

 ――さあ、続きを教えろ。

 

 そのせいで、ある連中の目には、俺が完全に“最大の恋敵”として映ったらしい。

 時おりこちらへ向けられる敵意混じりの視線で、それは嫌というほど分かった。何人かの若い連中に至っては、俺をまるで自分の宝物でも奪われた相手みたいな顔で睨んでくる。

 正直、笑うしかなかった。

 だが、わざわざ説明するのも変な話だ。

 ――違う、君たちが思ってるような関係じゃない。あいつはただ剣を習いたいだけだ。

 そんなことを言ったところで、誰も信じないだろうしな。

 

 そしてついに、出発して八日目。

 俺たちが狐岭という場所まで辿り着いたところで、面倒事が起きた。

 

 狐岭はそれほど高い丘ではないが、やたらと広い。地面は起伏が多く、低木や雑草が一面に生い茂っているせいで、隊列の進みも自然と遅くなった。

 その日の午後だった。

 トーヴが天幕を張り終え、今まさに火を起こして夕飯の支度に入ろうとしていたとき、少し離れた場所から馬蹄の音が聞こえてきた。

 俺は顔を上げ、音のしたほうを見る。

 

 すると、山道の曲がり角から、一頭の真っ白な駿馬が姿を現した。

 馬上には若い男が一人。

 身につけているのは銀灰色の軽鎧で、胸元には見覚えのない家門の紋章が刻まれている。髪はペトラと同じ銀色で、顔立ちも整っていた。だが、その眉や目元には、隠そうとしても隠しきれない傲気があった。

 男は俺たちの近くまで馬を進めると、見栄えを意識した、いかにも“美しい”所作で馬上から降り立った。

 それから手綱を引きつつ、まっすぐこちらへ歩いてくる。

 俺の三歩ほど手前で足を止めると、実に型通りの騎士礼を取り、わずかに身をかがめた。

 

「閣下が、コロン騎士殿にてあらせられますでしょうか」

 声音は大きくも小さくもない。だが、あまりにもきっちり整いすぎていて、礼儀正しさをわざわざ演じている感じすらあった。

 

「俺はコロンです」

 俺は軽く頷き、相手を見返した。

「それで、あなたは?」

 

「私の名は、アルベルト・フォンと申します」

 自分の姓を口にしたとき、彼はほんの少しだけ顎を持ち上げた。

「父は双流城民兵訓練営の首席教官を務めております。閣下が難民保護のため重傷を負われたと伺い、まことに深く敬服いたしました」

 そこで一拍置く。

 そして、手にしていた手綱をこちらへ差し出してきた。

「つきましては――この馬を、どうぞ閣下にお貸し申し上げたく存じます」

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