最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜   作:窮北の風

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第53話 夜行

「えっ、まだあるんですか?」

 茶髪の受付嬢は目を丸くし、カウンターの上に置かれた小さな革袋をひょいと持ち上げて軽く振った。中からは、金属同士がぶつかる澄んだ音がした。

 

 だが次の瞬間、彼女は口元を少しへの字に曲げて、困ったように言う。

「申し訳ありません、お客様。こちらで買い取れるのはゴブリン関連の戦利品か依頼品だけなんです。装飾品やその他の貴重品をご売却なさりたいのでしたら、向かいの競売所へどうぞ。あちらには鑑定士もおりますので」

 

 そう言ってから、彼女は少しだけ身を乗り出し、俺にだけ聞こえるよう声を潜めた。

「ただ、お姉さんから一つだけ忠告しておきますけど、物を売るには出所の証明が必要なんです。出どころの怪しい品は、あっちもさすがに引き取れませんから」

 

 俺はその言葉を聞いて、思わず笑ってしまった。

 どうやら完全に勘違いしているらしい。

 とはいえ、わざわざ説明するほどのことでもない。俺は革袋を指差しながら言った。

「そんな大した物じゃないですよ。開けて見てもらえれば分かります」

 

「金銀の装飾品じゃないんですか……?」

 茶髪の娘は小さくそうぼやきながら、袋の口を結んでいた細紐を解いた。

 そして中身を見た瞬間――その目が大きく見開かれる。

「こ、これは……ゴブリン精鋭戦士の身分牌……!?」

 

 その声が響いた瞬間、カウンター周辺三メートルほどの空気が、一瞬だけ静かになった。

 だが次にはまた、すぐにざわめきが戻ってくる。

 近くで依頼の受け渡しをしていた傭兵たちが、不満そうな視線をこちらへ向けた。隣の窓口にいた職員まで、小声で文句を漏らしている。

 

「ゴブリン精鋭戦士の身分牌くらい、別に珍しくもないでしょ。そんな大声出すこと?」

「ほんとそれ。もう少し研修受け直したほうがいいんじゃないの?」

 

 自分の失態に気づいたのだろう。茶髪の受付嬢は慌てて何度も頭を下げ、周囲へぺこぺこと詫びる。

 ようやく誰も見なくなったところで、ほっと胸を撫で下ろし、改めて俺を見た。

 ただし、今度の態度はさっきまでとまるで違っていた。

 営業用の愛想笑いは消え、その代わりに、もっと慎重で真面目な表情になっている。

「あの……差し支えなければ、お伺いしてもよろしいですか。こちらの身分牌は、どこで手に入れられたものなんでしょう?」

 

「もちろん、あの緑皮どもの死体から拾ったんですよ」

 俺は肩をすくめながら、何でもないように答えた。

 別にもったいぶっているわけじゃない。ただ、こんな場所で目立ちたくないだけだ。

 何しろ今は、難民たちに食料を持ち帰るのが最優先だ。ここで妙に騒ぎ立てられても困る。

 

 俺の投げやりな態度から何か察したのだろう。茶髪の娘はそれ以上追及せず、革袋を逆さにして中身をカウンターの上へ転がした。

 八枚の長方形の金属板が、カラン、カランと軽やかな音を立てて石の天板の上を滑る。

 色はくすんだ灰色で、縁は意外なほど滑らかだ。表には歪んだ文字が刻まれ、裏には粗雑な浮き彫り――おそらく何かの紋様だろう――が彫られている。

 

 数自体は少ない。

 だが彼女は、一本一本を三度も数え直した。

 当然、そのたびに周囲のざわめきも少しずつ静かになっていく。

 そして、たっぷり二分ほど経ってから、彼女は大きく息を吐いて胸元を押さえた。

「……ふう。閣下、全部で八枚です」

 

 その一言で、周囲は今度こそ完全に静まり返った。

 しかも、さっきよりずっと長く。

 

「おい見ろよ、またゴブリン精鋭戦士の身分牌だぞ」

「身分牌くらいで騒ぎすぎだろ。そんな珍しいもんでもねえのに」

「馬鹿、枚数の話だよ。今までだって城の傭兵団が何枚か持ち帰ることはあったさ。でもあいつ、一度に八枚出したんだぞ」

「はぁ!?八枚!?あの男、まさか“銅級”の職能者か?」

「銅級だぁ?寝ぼけてんのか。そんなの王国中探しても何人いると思ってんだよ。こんなとこにいるわけねえだろ」

「じゃあ、この八枚をどう説明すんだよ?」

 

 人垣はどんどん厚くなっていく。

 あちこちから好き勝手な推測が飛び交い、ざわざわとうるさい。まるで巣をつつかれた蜂の群れみたいだった。

 

 そんな中でも、茶髪の受付嬢は怒ることなく、むしろさっきより柔らかな笑みを浮かべて俺に向き直る。

「閣下、現在の換金相場ですと、身分牌一枚につき金貨一枚になります。全部で金貨八枚です。――こちら、換金なさいますか?」

 

「……ん?」

 俺は眉を寄せ、その小さな山になった身分牌の中から一枚だけ摘み上げた。

 それは他の物より少し大きく、刻まれた文様も細かい。しかも表面には、よく見なければ分からない程度に淡い青色の光沢があった。

 奇カ町で最後に倒した、あのゴブリン首領――カヴァが持っていたものだ。

「ゴブリン首領の賞金も、やっぱり金貨一枚なんですか?」

 

「ゴ……ゴブリンに……首領、ですか?」

 茶髪の娘の声が明らかに震えた。

 そして助けを求めるように、慌てて隣の同僚へ視線を送る。

 だが、その同僚も目を瞬かせるばかりで、まるで事情を知らないらしかった。どうやらゴブリンの首領なんて話自体、ここでは聞いたこともないのだろう。

 

 彼女が奥へ確認に行こうとしたところで、俺は慌てて呼び止めた。

 人はますます増えている。

 中には前のほうへ押し込んできて、カウンターの上を覗こうとする連中まで出始めていた。このままじゃ、そのうちここから抜け出すことすら難しくなる。

 

「いや、いいです。残りの七枚だけ換金してください。これは手元に残しておきます」

「は、はい……承知しました、閣下」

 

 受付の少女は、ほっとしたように息をつくと、手際よく金貨を数え終え、それらを深い青色の小さな財布へ入れた。財布の表には、冒険者ギルドの紋章が刺繍されている。

 

 俺はすぐにはそれを受け取らず、まずフードを少し深くかぶり直した。

 それから懐から一通の手紙を取り出し、彼女の前へそっと差し出す。折りたたまれた封書の上には、黒ずんだ徽章が一枚のせられていた。

 

 これは、カエル湖のほとりに放置されていた馬車から拾った、あの二通目の手紙だ。

 中には、俺が騎士として従者を募集しているという内容が書かれている。

 そして、これこそが今回わざわざ冒険者ギルドへ来た目的の一つでもあった。

 どうにか騎士の身分を使って、ちゃんと従者を雇えないか――そう考えていたのだ。

 もちろん、アラレン大陸には「次元袋」や「収納指輪」のような便利な道具も存在する。

 だが、そんなものはレベル十にも満たない若造の戦士が夢見ていい代物じゃない。

 ペトラやトーヴが荷物を少し持ってくれるとはいえ、あの二人にもそれぞれやることがある。

 俺一人だけが、毎日重い荷物を背負ってうろつくわけにもいかなかった。

 

「すみません。以前出した募集の件、少し調べてもらえますか?今どうなっているのか、応募した人がいるのか知りたいんです」

「えっ……あ……なるほど、閣下は騎士様でもいらしたのですね。先ほどは失礼いたしました。あれほどのお強さにも、納得です……」

「世襲です、世襲」

 急にしおらしくなった彼女を見て、俺は曖昧に二度ほどそう返した。

 

 もっとも、彼女はきちんと職業意識を持っていたらしい。俺に雑談を続ける気がないと察すると、すぐに腰をかがめ、カウンターの下から大きな帳簿を取り出して、日付を照らし合わせながら頁をめくり始めた。

 今回は少し時間がかかった。

 後ろに並んでいた傭兵が、あからさまに舌打ちを始める。

 ちょうどその頃、ようやく少女は顔を上げた。

 ただ、こちらを見る目には、どこか妙な色が混じっていた。

 

「閣下、募集のほうには確かに応募がございました。ですが、報酬が……少々、お安かったこともありまして。それに加え、ゴブリン軍が辺境へ侵攻してきた影響で、かなりの方が双流城《トゥー・リバーズ・シティ》を離れてしまいまして……現在残っている応募者は、一名だけです」

「ひ……一名だけ?」

「はい……。ですが、お急ぎでなければ、もう少し待たれてもよろしいかと。あるいは別の町で募集なさるとか……」

「いや、それで構いません。その人の情報を教えてください。とりあえず面接だけでもしてみます」

 

 冗談じゃない!@!

 一ヶ月銀貨十枚の給金で雇われようなんて人間がまだ残っていたこと自体、俺には驚きだった。今の物価で考えれば、ちょっといい餌を食わせたロバ一頭の維持費と、そう変わらない額なのだから。

 

「分かりました」

 茶髪の少女は頷くと、一枚のカードを俺に差し出した。

「この方のお名前はオリアン。登録されている職業は……メイジ、です」

 

「メイジ!?確かなんですか?」

 

「はい、間違いありません」

 彼女は口元を引き締めながらも、どこか笑いをこらえているような顔をしていた。

「だって、その方、双流城《トゥー・リバーズ・シティ》ではそれなりに“有名人《ゆうめいじん》”ですから」

 

「有名人?」

 

「申し訳ありません。顧客の個人情報保護がございますので、それ以上は申し上げられません。ご了承ください」

 

 俺は首をひねりながら、そのカードを受け取る。

 絵葉書ほどの大きさのそれには、特殊なインクで奥術協会の紋章が印刷されていた。おそらく偽物ではないだろう。

 名前と職業以外で使えそうな情報は、住所欄に書かれていた一文だけだった。

 城内の「ハエの脚」という酒場。

 

 メイジが酒場暮らし?

 ……いや、考えてみれば、メイジなんて職業は頭の構造が普通じゃないことも多い。単に酒好きというだけなのかもしれない。

 

 ついでに、その酒場の場所も聞いておこうと思った、その時だった。

 ほんの少し立ち止まっていただけなのに、いつの間にか後ろの苛立った傭兵に押しのけられ、俺はカウンターの脇へ追いやられていた。そして、受付の茶髪の少女も、もう次の仕事へ戻ってしまっている。

 

「閣下、“ハエの脚”酒場へ行きてぇんで?」

 

 その時、すぐ横から声がした。

 振り向くと、さっき高利貸しを持ちかけてきた、あの猟師風の傭兵が立っていた。

 いつの間にか、また俺のそばへ戻ってきていたらしい。

 

「その場所、知ってるのか?」

「ええ、知ってますぜ。あそこはちょいと分かりづらい場所にありまして、普通はあんまり知られてねえんですが、ちょうど俺の家が近くなんで。銅貨一枚でご案内しますぜ」

「また、それを口実に高利貸しを勧めるつもりじゃないだろうな?」

「とんでもねえ。ただの道案内です。小遣い稼ぎってやつでさぁ」

 

 俺は相手をちらりと見た。

 服装は俺よりもさらにみすぼらしく、背中の弓に至っては弦まで切れている。

 ……まあ、こいつもこいつで苦しいのだろう。

 そう思うと、少しだけ気の毒になった。俺は小さく息を吐いて頷く。

 

「分かった。じゃあ案内してくれ」

「へい、毎度!」

 

 猟師は愛想よく顔をほころばせると、そのままギルドの出口へ向かって歩き出した。

 俺もその後に続き、騒がしい人の波を抜けて、冒険者ギルドの外へ出る。

 

 時間はもうかなり遅い。

 さっきまで賑やかだった通りも、今はだいぶ静まり返っていた。

 猟師は前を歩き、足取りは妙に速い。

 ときおり振り返っては、俺がちゃんとついてきているかを確かめている。

 

 ただし、俺が知らなかっただけで――

 俺たちがギルドを出たその直後、背後では七、八人ほどの傭兵風の男たちが同時に立ち上がり、こちらを遠巻きに追い始めていた。

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