最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜   作:窮北の風

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第55話 帰順

 ドグがそう言い終えると、背後にいた子分たちはまず一瞬ぽかんとし、すぐに顔をぱっと明るくした。

 肝の据わった何人かなどは、獣みたいに吠え声を上げる。

 彼らは互いに肩を押し合いながら、二歩、三歩と前へ出た。

 だが、本当にそこまでだった。

 まるで見えない縄で足首を縛られたかのように、それ以上は誰一人として前へ踏み出せない。

 

“鉄槌《てっつい》”ボニーに至っては、最初から微動だにしなかった。

 彼は沈んだ顔で黙り込み、目の端で隣をちらりと見る。そして、ドグがいつの間にか一歩後ろへ下がっていることに気づいた瞬間、頬の筋肉をびくりと引きつらせた。

 やっぱりか。

 

 この“野良犬”、馬鹿じゃねぇ!!

 

 こいつも気づいてやがる。

 媚びへつらいと太鼓持ちで団長の椅子に座ったドグとは違い、ボニーは今の地位を、自分の剣で競争相手どもを一人ずつ蹴落として手に入れた男だった。

 だからこそ、彼はこの場の誰よりもはっきり理解していた。

 向かいに立つあの少年の剣が、どれほど恐ろしいものなのかを。

 

 あれほど狭い路地で、あれほど鋭い剣を振るう。

 剣を振るたび、力は一分も余らず、一分も足りない。角度はまるで定規で測ったかのように正確で、動きは無駄なく、致命的で、それでいて優雅ですらあった。

 

 ボニーは頭の中で、双流城《トゥー・リバーズ・シティ》で名の通った剣の使い手を素早く思い浮かべた。

 そして導き出した結論に、背筋が冷たくなる。

 おそらく、剣術であの若者とまともに数合打ち合えるのは、傭兵団【至福の刻】の団長くらいだ。

 

 その瞬間、ボニーの中に今回の襲撃を諦めるという考えが浮かんだ。

 いや、正確に言えば――どうやってあの若造の手から逃げ切るか、という計画だった。

 だが、今ここで背を向けるわけにはいかない。

 自分が逃げれば、どうにか保っている士気は一瞬で崩れ落ちる。

 そうなれば、この場の連中は狩る側から狩られる側へ変わり、あの少年に羊の群れみたいに追い立てられて、まとめて斬り捨てられるだけだ。

 

「仕方ねぇ。あれを使うしかねぇか。」

 ボニーは手首をわずかに捻った。

 すると、中指ほどの長さの短剣が袖口から滑り落ち、掌に収まる。

 

 刃には、月明かりを受けて幽かな青い光が揺れていた。

 猛毒を塗ってある証だ。

 

 そう。

 彼には、隠し武器を投げる奥の手があった。

 この不意打ちで、ボニーは自分よりはるかに腕の立つ相手を何人も殺してきた。

 唯一の欠点は、至近距離でなければならないこと。距離が開けば、それだけ避けられる可能性が高くなる。

 

「ハハハハ――!」

 ボニーは突然、声を張って笑い出した。

 その笑い声は人気のない路地の中で何度も跳ね返り、そばにいた子分たちまでびくりと肩を震わせる。

 彼は目の前にいた手下を押しのけ、ゆっくりと対面の若者へ歩み寄った。

 

「いやァ、驚いたぜ。まさか今日このボニーが、ここまで見事な剣を拝ませてもらえるとはなァ」

 十五メートル。

 まだ、少し足りねぇ。

 

「改めて名乗らせてもらうぜ。俺ァ、ボニー。傭兵団【血骨団】の団長だ。双流城じゃ、まあ少しは名の通った男でな」

 十メートル。

 よし。届く。

 

「こうしようや。今回は俺たちの目が節穴だった。閣下に無礼を働いちまった。筋ってもんがある。詫びとして、金貨一枚を――」

 ボニーはそう言いながら、短剣を握った手を腰の金袋へ伸ばした。

 見た目には金を取り出そうとしているだけ。

 だが実際には、その腕の筋肉一本一本が、投擲のためにじわりと力を溜め込んでいた。

 じゃあな、小僧!!

 

 彼がまさに腕を振り抜き、短剣を放とうとした瞬間――

 一本の白い線が、路地全体を横切るように、何の前触れもなく目の前へ現れた。

 

 その白線は、無数の白い霧が渦を巻いて凝縮したようなものだった。

 見た目には、風が吹けば散ってしまいそうなほど薄い。だが実際には、恐ろしいほど研ぎ澄まされている。

 そして、速かった。

 あまりにも速すぎた。

 ボニーが瞬きをする暇すらないうちに、その白線は彼の胸元をすっと掠めていた。

 

 ヴゥン――——

 

 彼はゆっくりと視線を落とした。

 胸元の服に、細い裂け目が一本増えている。

 口を開いた。

 何かを言おうとした。

 だが、視界が傾き始める。

 最後に映ったのは、足元の汚れた泥水だった。

 そこへ、温かな赤い液体が凄まじい勢いで広がっていく。

 

 ……

 

 ドグは地面に尻餅をついたまま、呆然と顔を上げた。

 左右の壁には、深く抉られた剣痕が残っている。

 そして、彼の股間はすでにぐっしょり濡れていた。

 

「危なかった!!!」

 

 あの白い線が飛んできた時、ドグの頭上との距離は指半分もなかった。

 もし、あの瞬間に腰を抜かして倒れていなければ。

 もし、反応がほんの少しでも遅れていれば。

 泥水に散らばる手足の中に、間違いなく自分のものも混じっていた。

 

 そう思った瞬間、ドグの喉が激しく波打った。

 夕方に食べた甘瓜の泥みたいな残りが、胃液と一緒に一気に喉元へ込み上げ、口の端から溢れ出す。

「お、うぇ――っ!」

 

 ……

 

 俺は地面に膝をつき、吐き続けている男を見下ろしながら、ゆっくりと手にした石の中の剣を持ち上げた。

 剣先を、その後ろ首へ向ける。

 

 正直に言えば、こういう武芸の心得もろくにない傭兵を殺すことに、さほど興味は湧かなかった。

 だが、あとあと面倒を残さないためにも、禍根は断っておくに越したことはない。

 

「お、お助けを……お助けください、旦那様ァ!」

 後ろ首に触れる冷たい気配を感じ取ったのか、ドグは電気でも流されたように跳ね起き、そのまま地面へ額をこすりつける勢いで何度も土下座した。

「持ってるもんは全部差し出します!家財も、金も、全部です!なんなら奴隷にでもなります!俺は双流城で生まれ育った男です。どの通りも、どの路地も、隅々まで知ってます!俺は旦那のお役に立てます!だから、どうか命だけは!」

 

「ん?」

 俺の手首が止まった。

 宙に浮いた剣先も、そのまま動きを止める。

「今、双流城に詳しいと言ったか?」

 

「詳しいです!そりゃもう、滅茶苦茶詳しいです!俺ァ双流城の生まれなんで!」

「その台詞なら、冒険者ギルドでも一度聞いたな」

「わ、私めは……絶対に嘘は申しません!信じられねぇってんなら、毒誓だって立てます!人に聞いてくださっても構いません!このドグの名は、まあ評判こそよくねぇですが、城の裏事情じゃ多少は顔が利きますんで!」

 

「人に聞く?それは、こいつらのことか?」

 俺は剣先で、地面に転がる死体を指した。

 横たわる体、泥水に沈む手足、もう動かない顔。

 

 わざと隠さず、嘲りを込めてそう言うと、ドグは全身をびくりと震わせ、それ以上何も言えなくなった。

 

 俺はズボンのポケットから、深い茶色をした丸い実を一つ取り出した。

 夜の中ではほとんど黒く見え、何の変哲もない小さな玉にしか見えない。

 別に特別なものではない。

 トーヴが昔、樫の森で俺に押しつけてきた間食――どんぐりだ。

 双流城へ向かう道中は食料にそこまで困らなかったため、結局このどんぐりは今まで残っていた。

 

「これは俺が調合した遅効性の毒だ。飲み込むか、ここで死ぬか。選べ」

 

 ドグはその黒っぽい丸い実を見つめ、全身をがたがた震わせた。

 だが、頭上にある冷たい剣先へ目を向けると、結局、ゆっくりと口を開ける。

 そして目をぎゅっと閉じ、一息でどんぐりを飲み込んだ。

 

「よし」

 俺は満足げに頷き、長剣を引いた。

「これでもう、毒誓なんて立てる必要はない。俺もお前を信用できる」

 

 ドグは喉を押さえ、顔色を灰のように悪くしていた。

 まるで全身のあちこちから、小さな痛みがじわじわ伝わってきているような顔だ。

 

「そう心配するな」

 俺はしゃがみ込み、ぽん、とその肩を軽く叩いた。

「この毒は効きが遅い。お前が大人しく俺のために働くなら、七日に一度、少しずつ毒を抜いてやる。命までは取らない。もちろん、信じるかどうかはお前の自由だ。ほかの誰かに解毒を頼みに行ってもいい。ただし、手間取って毒で死んでも、俺を恨むなよ」

 

 ドグはその言葉を聞き、目の前が真っ暗になったような顔をした。

 腐っても傭兵団の団長だ。

 人から笑われるような小さな団とはいえ、双流城の裏稼業ではそれなりに顔の知られた男ではあったのだろう。

 それが今や、他人に縄をつけられた犬だ。

 しかも毒入りの犬ときた。

 よほど惨めだったのか、ドグはとうとう子供のように鼻をすすり、低く泣き出した。

 

「もういい。泣くな」

 俺は立ち上がった。

「別に、いつまでも毒でお前を縛るつもりはない。俺が双流城で用を済ませたら、ちゃんと完全に解毒してやる。そもそも、その程度の腕じゃ、ほかの土地まで連れ回しても役には立たないからな」

 人を本気で使おうと思うなら、脅すだけでは駄目だ。

 ちゃんと希望も与えなければならない。

 そして、ドグのように命惜しさで動く傭兵にとって、一番大きな希望は、自分の命が助かることに決まっている。

 

「そ、それは……本当ですかい?」

 案の定、ドグの涙はぴたりと止まった。

 顔を上げたその目に、わずかな光が戻る。

 

「こいつらの死体はお前が片づけろ。身につけている金はお前にやる」

 俺は正面から答えず、ポケットから金貨を一枚取り出して投げた。

「明日の昼までに、五十人が三日食えるだけの食料を買いそろえろ。それを城東の民兵営へ届けるんだ」

 

 ドグは金貨を受け取り、それから少し離れたところに転がる死体の腰袋へ目を向けた。

 ふくらんだ金袋を見た瞬間、顔にかかっていた暗い雲がみるみる晴れていく。代わりに浮かんだのは、命拾いした人間特有の安堵だった。

 彼は胸を叩き、無理やり笑みを作る。

「旦那様、ご安心くだせぇ!このドグ、ろくな人間じゃありませんがね、一度引き受けた仕事はきっちりやり遂げますんで!」

 

「そうか」

 俺は小さく頷いた。

「なら今すぐ、“ハエの脚”酒場への道を教えろ。俺一人で行く」

「へ、へい……ただ、その……旦那は少し戻ることになりますぜ……」

 

 ドグは怯えながら、酒場までの道順を説明した。

 俺は大まかな方角を頭に入れると、それ以上この場に留まらず、身を翻して鼠小路の出口へ向かう。

 

 数歩進んだところで、ふと振り返った。

 ドグはまだその場に立っていた。

 腰を深く折り、頭を下げたまま、微動だにしない。

 月明かりの下、その従順な姿は、たしかに少しだけ忠実な下僕めいて見えた。

 

「面白いな」

 俺は視線を戻し、夜の闇へ大股で歩き出した。

 もしかすると、こいつを生かしておいたのは正解かもしれない。

 これからの双流城では、意外と役に立つ場面があるかもしれないからだ。

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