最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜 作:窮北の風
俺はカードを斑のある卓の上へそっと置き、オリアンの前へ押し出した。
彼は二本の指でカードをつまみ上げると、油灯の近くまで引き寄せ、目を細めてしばらく眺めた。
そしてようやく、口元をわずかに歪める。灰青色の瞳には、どこか諦めたような色が浮かんでいた。
「なぜ、それを先に仰らなかったのですかな」
彼は小さくぼやくと、カードを卓の上へ戻した。
それから俺を上から下まで何度か見回し、疑わしげに問いかけてくる。
「お前さんが……例のタワーナイトだってのか?」
俺は答えなかった。
ただ微笑み、今度はあの貴族徽章を差し出す。
ところが、相手はそれを受け取ろうともしなかった。
むしろ小さく鼻で笑い、卓上のタロットカードを片づけ始める。
「徽章など、見るまでもございません。この手のものは、若い娘御の前で多少役に立つ程度の代物です。信じられぬと仰るなら、城西教会の願掛け池でも漁ってご覧なさい。いくつかは出てくるでしょうな」
その言葉を聞き、俺は眉をひそめた。
不快だった。
だが、それは相手の無礼な態度に腹を立てたからではない。
もし本当にこの老人を雇った場合、俺のこの“偽りの身分”が、いつでも暴かれかねないと気づいたからだ。
いや、暴かれる可能性は高い。
かなり高い。
なぜ相手が俺の身分を信じないのかは分からない。
だが、さっきまでの会話だけでも、この老人の見聞が並ではないことははっきりしている。
こういう人間を完全に味方へ引き込めないなら、必ず後々の禍根になる。
それなら、いっそ雇うこと自体を諦めたほうがいい。
そう判断した俺は、空中に差し出したままだった手を引っ込めた。
そして立ち上がり、卓上のカードを回収して懐へしまう。
「閣下が私を信用できないというのであれば、ここで失礼します。酒代はすでに払ってありますので、占いの代金として受け取ってください」
そう言って、酒場の扉へ向かって歩き出した。
だが、俺が彼の横を通り過ぎようとした瞬間、オリアンは突然、俺の腕を掴んだ。
「お待ちなさい。その剣……少し、拝見してもよろしいかな?」
俺は彼の視線を追って、腰元へ目を落とした。
どうやら、立ち上がった拍子に、腰に佩いた石の中の剣が外套の端から少しだけ覗いていたらしい。
酒場の灯りは暗い。
漆黒の剣身はほとんど影に溶け込んでいた。
ただ、鍔元に嵌め込まれた暗赤色の宝石だけが、淡い赤い光を宿している。
そしてオリアンの視線は、その赤い光に釘付けになっていた。
俺は、その異変に気づいた。
出会ってから今まで、この老人はずっと、思わせぶりに振る舞うか、あるいはどこか人を食ったような態度を取っていた。
だが、その内側には常に淡々とした余裕があった。世界の何にも心を乱されない、とでも言いたげな空気だ。
しかし今、彼の顔に浮かんでいるのは明らかな驚愕だった。
先ほど杯を倒したことにすら、まるで気づいていない。
同じように、俺もその表情を見て内心で驚いていた。
俺のようなトッププレイヤーですら来歴を知らない石の中の剣を、この老人は知っているのか?
オリアンというこのメイジは、一体何者なのか。
そして、石の中の剣とは何なのか。
さらに重要なのは――この剣にまつわる背景が、俺に余計な厄介事をもたらす可能性があるかどうかだ。
頭の中では多くの考えが巡った。
だが、それはほんの一瞬のことだった。
俺は彼の問いには答えず、何食わぬ顔で再び席に戻る。
両手を膝の上で組み、ゆっくりとした口調で逆に問い返した。
「失礼ですが、貴方は何環のメイジですか?」
「な……何ですと?」
オリアンはまだ俺の腰の剣を見つめており、すぐには理解が追いついていないようだった。
「メイジの等級は一環から五環までに分けられている。各環は奥術制御能力の差を示し、他職の五段階の職能認定とも対応している」
俺は一語ずつ、はっきりと言った。
「私が尋ねているのは、貴方が何環のメイジなのか、ということです」
その言葉を聞いて、オリアンはようやく苦しげに視線を引き戻した。
ただし、その顔色はどこかぎこちない。
「若き御仁。初対面のメイジに環数を問うというのは、初対面の淑女に年齢を問うのと同じでございます。極めて無礼なことですぞ」
「もちろん、答えない権利は貴方にあります。ですが同じように、私にも貴方の質問に答えない権利があります」
オリアンは唇を何度か開閉させた。
だが、しばらく悩んだ末にも、結局何も言わなかった。
「では、こうしましょう」
俺はそれ以上、その質問にこだわらなかった。
「環数を口にする必要はありません。代わりに、**霊集術(れいしゅうじゅつ)**を一度見せてください。それを拝見すれば十分です」
霊集術。
メイジにとって、最も基礎となる入門法術である。
だが同時に、基礎力を測るための重要な基準でもあった。
試されるのは、ただ一つ。
奥術粒子をどれほど速く、どれほど純粋に凝集できるか。
剣術で言えば、最初に習う一つ目の型に近い。
もっとも多く繰り返され、もっとも身体に染み込ませるべき動作だ。
だからこそ、初心者が本当に入門できているかどうかは、達人ならその一手を見るだけで分かる。
向かいに座るオリアンは、俺の要求を聞いた途端、目に見えて表情を緩めた。
霊集術は、彼の得意分野なのだろう。
剣を使う戦士などに、そこから何が分かるものかとでも思っているに違いない。
「よろしいでしょう。貴殿のお望みとあらば」
彼はゆったりと酒杯を置くと、右手を差し出した。
掌を上へ向け、静かに目を閉じる。
親指の先が、他の指の腹を順に押していく。
それに合わせるように、周囲の空気の温度が急激に下がり始めた。
白い気流が、四方から彼の掌へ集まっていく。
渦を巻き、凝り固まり、圧縮される。
ほんの数呼吸の後、透き通った氷錐が一本、彼の掌の上に浮かび上がっていた。
薄暗い灯りを受けて、細かな光をきらきらと反射している。
「いかがですかな。これで貴殿のご要望には応えられましたかな?」
彼は自信ありげに笑い、わざわざその氷錐を俺のほうへ少し差し出してみせた。
「ええ」
俺は頷いた。
「凝集速度は十分に速い。氷錐の純度も高い。奥術親和性は悪くありません。ただし、第八動作と第十五動作は余計です。大きな問題ではありませんが、奥術粒子の安定性には影響します。だから、ここ――」
俺は手を伸ばし、氷錐の先端から三センチほど下の位置を、指先で空中に示した。
「不純物の混じった気泡が、いくつか入っています」
オリアンの口が、わずかに開いた。
灰青色の目が、丸く見開かれる。
「それから、奥術粒子を凝集する速度から見て、貴方はおそらく――まだメイジ見習いですね!」
パキン――
制御を失った氷錐が、卓の上に落ちて砕け散った。
「貴殿……いったい何者ですかな?」
オリアンの声は、少しかすれていた。
「ただの戦士が、ここまで魔法に通じているはずがない。ましてや、石の中の剣を持っているなど……あり得ぬ」
俺の心が、ぴくりと動いた。
石の中の剣という名前は、俺自身も属性パネルを通して知ったものだ。
だが、目の前のこの老いたメイジ見習いは、それを一目で見抜いた。
「すでにお伝えしたはずですが?」
俺は内心の動揺を押し隠し、軽く笑った。
「私はタワーナイトです」
「馬鹿言うな!」
オリアンは即座に吐き捨てた。
しかしすぐに自分の失態に気づいたのか、慌てて声を落とす。
「わしは確かに、立派なメイジではございません。ですが、オズ・ウィザードの蔵書館に二十年おりました。タワーナイトは、その剣術の都合上、小指の爪先に強い摩耗痕が残る。貴殿に、それがございますかな?」
一瞬、背筋に冷たい汗がにじんだ!
しまった!
見落としていた!!
すべてのタワーナイトは剣術を学ぶ際、小指で剣柄の末端を押さえるよう教え込まれる。
そうすることで、騎乗して敵と打ち合う時、より大きな角度で剣刃を返すことができるからだ。
この知識自体は、ロニクス王国ではそこまで秘密でもない。
だが、その細部を、俺は完全に見落としていた!
「それに、石の中の剣の来歴など、ロニクス王国全体を見渡しても、九十九パーセントの者は聞いたことすらありません。運悪く、わしは残り一パーセントの側でございましてな。つまり――」
オリアンは荒く息を吐きながら、俺の目をじっと見据えた。
だが数秒後、彼はまるで空気の抜けた革袋のように、椅子の背へ沈み込んだ。
まぶたを重く垂らし、自嘲するように小さく笑う。
「つまり、互いにもう少し正直になるべきなのでしょうな……。なにせ、わしは失敗しきった、余命いくばくもないメイジ見習いに過ぎぬのですから」