最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜   作:窮北の風

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第60話 これを知らないのか?

 マーラは静かに俺を見つめていた。

 俺も回りくどいことはせず、単刀直入に切り出す。

 

「店の地下道を借りたい」

 

「何のことを言っているのか分からないね」

 彼女の瞳孔が、ほんのわずかに収縮した。

 

「ああ、そうそう。城外へ通じるほうじゃない」

 

 その瞬間、マーラの表情が崩れた。

 俺を見る目は、まるで山羊の角が生えた雄牛でも見るようだった。

 

 どの都市にある魔女の坩堝の店舗にも、密かに二本の地下道が隠されている。

 一本は城外へ通じる道。

 これは魔女たちが自分たちのために残した逃走経路であり、同時に禁制品を密かに運び込むための裏道でもある。

 

 もう一本は城主の城へ通じている。

 ただし、その終点は店ごとに異なる。ある店では城主の秘密宝物庫へ、ある店では侍女の寝室へ、そしてまたある店では枯れ井戸の中へ繋がっていた。

 

 だが、この秘密を知っているのは、魔女地下同盟内部でも上層の者だけのはずだ。

 この若造は、なぜそれを知っている?

 まさか、どこかの魔女が産んだ私生児か?!

 

「……いいだろう」

 マーラは数秒ほど沈黙した後、ゆっくりと頷いた。

「通してやる。だが、その前に剣をどけな」

 

「いけません!」

 その時、俺の背後からオリアンの声が飛んだ。

「黒暗魔法の巫女の作法に従い、自らが信仰する本命神の名において誓わせるべきです」

 

 俺は横目でオリアンを見て、心の中で思わず感心した。

 

 アラレン大陸では、どの職業にもそれぞれの信仰がある。

 それは口号であったり、誓約であったり、あるいは一柱の鬼神であったりする。

 ただし、その拘束力はまったく同じではない。

 騎士が金銭のために王を裏切ったとしても、受ける罰はせいぜい他人からの呪詛と唾棄かもしれない。

 だが、メイジにとっての誓いは、それよりはるかに重い。

 なぜなら、すべてのメイジは初めて奥術粒子を感じ取った時、自らの本命神を定めるからだ。

 そして一度、本命神の名において誓えば、それは自分の信仰、魔力、ひいては命まで賭けるのと同じ意味を持つ。

 誓いを破ったメイジは、軽ければ魔力を失い、重ければ魔力に反噬され、その場で命を落とす。

 特に黒暗魔法を扱う巫女は、誰よりも神罰を恐れる。

 彼女たちの黒暗の力は、そもそもより狂暴で、より陰毒なものだからだ。

 

 マーラは憎々しげにオリアンを睨みつけた。

 だが最終的には目を閉じ、枯れ枝のような手を胸に当て、誓いの言葉を唱え始める。

「私、マーラは、我が仕える黒十字星を司る神の名において誓う――」

 

「待て」

 俺は彼女の言葉を遮った。

「庭に植えているのは金盞花だ。お前たち巫女同盟の掟では、あれは暗土星の標識だろう。お前が誓うべき相手は、黒十字星を司る神ではなく、暗土星を司る神のはずだ」

 

 マーラの全身が、びくりと震えた。

 この若造は、なぜここまで自分たちの組織を知っている?

 彼女は改めて俺を見た。

 濁った瞳の奥に、明らかな警戒が浮かんでいる。

 もう目の前の黒髪の若者が、何者なのか分からなくなっていた。

 

 一撃で自分の首に剣を突きつけた者。

 それだけなら、奇襲が上手くいっただけとも考えられる。

 無詠唱の密かな施法を見抜いた者。

 それも、実力を隠した同業者だと考えれば、まだ説明はつく。

 だが、自分がどの神を信仰しているかまで知っているとなれば、これはもう普通の相手ではない。

 

 そう考えたのか、マーラは深く息を吸い、もはや小細工をやめた。

 そして大人しく、自らの本命神にかけて毒誓を立てる。

 

 そこまで聞いて、俺はようやく息を吐いた。

 気づけば、背中はすでに汗でびっしょり濡れていた。

 

 俺はゆっくりと石の中の剣を引いた。

 チン、と澄んだ音を立てて、長剣が鞘に収まる。

 

 ほとんど同時に、空気の中で見えない何かが砕けるような感覚があった。

 

 俺はふと振り返り、背後のオリアンを見る。

「静音障壁《せいおんしょうへき》?」

 

「些細な小技に過ぎませぬ」

 オリアンは得意げに髭を撫で、平然とした顔をしていた。

 

 俺は彼の白髪交じりの髪と、いかにも何でもないことのように装う顔を見て、胸の奥にふっと温かいものが湧くのを感じた。

 彼は、俺がなぜ巫女を襲ったのかも知らなかった。

 それでも退かず、問いただすこともなく、真っ先に周囲へ防御の魔法を張ってくれた。

 自分の安全を賭けて、出会ってまだ一日も経たない相手に命を預けたのだ。

 こんな人物が自分に従ってくれる。

 それは、間違いなく俺の幸運だった!

 

「オリアン」

「何ですかな、貴殿」

「暖炉のそばにある食器棚を見てください」

 

 オリアンは一瞬きょとんとした。

 何をさせられるのか分からない様子だったが、それでも言われた通りに歩いていく。

 

 食器棚は橡木製で、塗装は斑に剥げていた。

 上には飾り用の陶皿がいくつか雑に置かれ、その中に一つ、奇妙な形をした梟の木彫りが混じっている。

 

「その梟の像を回してください」

 

 オリアンは手を伸ばし、梟の胴を掴む。

 そして軽く捻った。

 

 カチリ。

 壁の奥から、澄んだ機械音が響く。

 次の瞬間、食器棚全体が音もなく反転し始めた。

 その裏から現れたのは、暗色の木製棚だった。

 棚の上には、大小さまざまな木箱、巻物、硝子瓶が十数個、整然と並べられている。

 

「オリアン、すみませんが、棚の第一段、右から四番目の箱を取ってください。それから第六段の二番目にある巻物、第七段の一番奥にある硝子瓶も。ほかのものには一切触れないでください」

 

 オリアンは動かなかった。

 ただその場に立ち尽くし、目の前の棚を呆然と見つめている。

 彼は今になって、完全にこの“偽りの騎士”に屈服していた。

 相手の知識は自分に劣らないどころか、もはや彼の目には、どこか底知れないものに映っている。

 

 一方のマーラは、まったく別の意味で極限まで追い詰められていた。

 今の自分は、深い深い奈落に落ち込んだようなものだ。

 先ほどまでの件なら、まだほかの巫女から聞き出した可能性もある。

 だが、この棚の配置は違う。

 どれが罠で、どれが本当に使える品なのか。

 それを知っているのは、実際にこの手で並べた自分だけのはずだった!

 それなのに、この若者は迷うことなく言い当てた!

 まったく、悪夢そのものだった!!

 

「オリアン? 大丈夫ですか?」

「お、おお……問題ございませぬ……」

 

 オリアンは我に返ると、慎重な手つきでその三つを取り出した。

 彼はまず細長い木箱を卓の上に置き、蓋を開ける。

 中に収められていたのは、一本の魔杖《まじょう》だった。

 杖身は全体が深い墨緑色をしており、木質はきめ細かい。表面には、細かな光の粒がかすかに走っているように見えた。

 

「これは……」

 オリアンの声が、わずかに震えた。

「これは、ツリーエルフの品でございますぞ……!」

 

 俺は歩み寄り、手を伸ばしてその魔杖を取り出した。

 眼前に光幕が浮かび上がる。

 

「これは【緑魔の指《りょくまのゆび》】という名前です」

 俺はその杖をオリアンの前へ差し出した。

「ツリーエルフ王室法師団の制式装備で、自然系法術の威力を三割ほど高める効果があります。差し上げます。出会いの贈り物ということで」

 

 オリアンは両手を震わせながら魔杖を受け取った。

 粗い指先で、杖身に刻まれた細かな紋様を何度も何度もなぞる。

 喉仏が何度も上下し、やがて彼はかすれた声で、ようやく一言だけ絞り出した。

「……このような貴重な品を、貴殿はそう易々とお譲りになるのですか。儂は、まだただのメイジ見習いに過ぎませぬのに……」

 

 俺は片手を上げて、その言葉を遮った。

 そして、二つ目の品を見るよう促す。

 

 オリアンは魔杖を大切そうに腰へ差し、それから細口の硝子瓶を手に取った。

 袖口で表面の埃を拭う。

 瓶身は透き通っており、中には鮮やかな蒼色の液体が満たされていた。

 蝋燭の光の下でゆっくりと揺れるその液体は、まるで瓶の中に閉じ込められた海のようだった。

 

「これはまた……何でございますかな?」

 オリアンは眉をひそめ、瓶へ顔を近づけてじっと覗き込む。

 

「これも知らないんですか?」

 俺は少し意外に思い、オリアンを見た。

 それから視線をマーラへ向ける。

 

 マーラも疑わしげに顔を上げ、乾いた声で言った。

「その瓶は、うちに何年も置いてある。ただ、中の液体が弱い魔力を放っていることだけは分かっていた。でも、それが何なのかまでは、ずっと分からなかった」

 

「これは魔力薬剤《まりょくやくざい》ですよ。二人とも、どうしてこれを知らないんですか?」

 

 室内が、一瞬で死んだように静まり返った。

 

「あり得ませぬ!」

 オリアンはほとんど叫ぶように言った。

「伝説に語られる、メイジの法力を瞬時に補う魔力薬剤は、とうの昔に失伝したはずです! 儂は古籍を漁り尽くしましたが、見つかったのは断片的な記述のみ。薬剤がどのような姿をしているかすら、誰も知らぬのですぞ!」

 

「そんなに驚くことですか? ゲームだと……」

 俺は肩をすくめかけた。

 だが、口に出しかけた言葉を慌てて飲み込む。

 ゲームでは、こんなものは街中にいくらでもあった。

 初心者村の商人ですら、わざわざ棚に並べるのを面倒くさがるような代物だ。

 だが、ゲームと現実は違う。

 ゲームでプレイヤーが何気なく倉庫に放り込み、埃を被らせていた“ガラクタ”が、この世界では多くの者が一生をかけても手に入れられない至宝である可能性がある。

 

「一つ聞きます」

 俺は思考を引き戻し、オリアンを見た。

「古籍の記述では、この魔力薬剤には魔力を補う以外に、どんな効果があるとされていますか?」

 

「それは……メイジの魔力上限を高めることができる、と」

 オリアンの呼吸が荒くなった。

「一時的なものではありません。永久的に、です」

 

「では、あなたにとっては?」

 俺はまっすぐ彼を見た。

 

 オリアンはその硝子瓶を強く握りしめていた。

 指の関節が白くなるほどに。

 唇が何度も震え、ようやく一つの文を形にする。

「これがあれば、儂は……何の障害もなく……一環メイジになれます!」

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