最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜   作:窮北の風

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第67話 小さな誤解

 身につけている【烏の編み羽】のおかげで、俺は守衛の誰にも気づかれることなく、無事に野営地へ戻ることができた。

 

 この時、野営地の篝火はすでに燃え尽きかけていた。

 橙赤色の熾火が、微風の中で明滅している。

 ここまでずっと気を張り詰めていた難民たちは、緊張が一気にほどけたせいか、皆ぐっすりと眠っていた。

 ただ一人、火のそばに背筋を伸ばして座っている影を除いて。

 

 ペトラは膝の上に抜き身の長剣を横たえていた。

 けれど、その視線は剣には落ちていない。

 時折、顔を上げて営門のほうをちらりと見る。

 夜番をしているようにも見えたし、誰かを待っているようにも見えた。

 

「ペトラ、どうして休んでいないんですか? 今夜はあなたの見張り番ではなかったはずですが」

 相手を驚かせないよう、俺はわざと遠回りし、彼女の正面にある天幕の裏から姿を現した。

 

 俺を見た瞬間、ペトラの目がはっきりと明るくなった。

 だがそれもすぐに抑え込まれ、彼女はただ小さく頷いただけだった。

「トーヴと代わった。彼女には、ほかの仕事があるから」

 ペトラは少し困ったように肩をすくめ、隣の天幕のほうへ顎を向けた。

 

「ほかの仕事?」

 俺は首を傾げ、彼女の視線を追った。

 

 見ると、今のトーヴは毛布の上で大の字になって眠っていた。

 手にはまだ、途中まで読んでいた本を握っている。

 本の背は緩み、胸の上で開いたままになっていた。

 呼吸は穏やかで長く、口元には無防備な笑みが浮かんでいる。

 彼女の周囲には、子どもたちが何人も思い思いの格好で眠っていた。

 ある子は彼女の腕を枕にしている。

 ある子は彼女の脇の毛布に顔を埋めている。

 まるで、巣穴を見つけた小動物の群れのようだった。

 

 俺はその光景を見て、思わず少し笑ってしまった。

 普段は大ざっぱなトーヴが、まさかここまで子どもに懐かれているとは思わなかった。

「ああ、子どもたちを寝かしつける仕事のことですか」

「そう」

 

 ペトラの声が横から聞こえた。

 そこには、かすかに柔らかい響きが混じっている。

「ただ、本を読んでいる途中で、自分が先に眠らなければ、もっとよかった」

 

「はは。それは彼女には難しいでしょうね。文字を見るとすぐ眠くなるタイプですから」

 俺は首を横に振り、ちょうど向きを変えようとした。

 だがその時になって初めて、ペトラがいつの間にか俺のすぐそばまで来ていることに気づいた。

 

 彼女は表情を変えないまま、俺をじっと観察している。

 鼻先が、ほんのわずかに動いた。

 それから、声を潜めて尋ねてくる。

「こんな遅くに出かけていたのは、酒を飲みに行ったから? 少し、臭う」

 

 俺は内心でぎくりとし、思わず二歩ほど後ろへ下がった。

 トーヴのあの鋭い目だけでも十分警戒していたのに、今度は鼻の利くペトラまで出てくるとは。

 

「ああ、ええ。そうです」

 俺は曖昧に答えた。

「城北のほうにある小さな酒場へ行って、自称メイジの老先生と会いまして。話が合ったので、少し飲みすぎました」

 

「……本当は」

 ペトラは俯いた。

 声は次第に小さくなり、最後にはほとんど聞き取れないほどだった。

「あなたが無理をしているなら、皆に話してもいいと思う」

 

「今、何か言いました?」

 

「な、何でもない」

 ペトラは慌てて首を横に振った。

 それから、俺の外套を指さす。

「外套を脱いで。洗っておく。明日は天気がよさそうだから、半日もあれば乾く」

 

 俺は一瞬、呆気に取られた。

 自分の外套を見下ろす。

 確かにかなり埃を被っているし、汚水が染み込んだような暗い染みもいくつか残っていた。

 恐らく、地下牢で擦ったものだ。

 臭いもそこから漂っているのだろう。

 

「ありがとうございます。でも、これ以上あなたに迷惑をかけるわけにはいきません。自分でやります」

 そう言いながら、俺は襟元の紐を解こうと手を伸ばした。

 冗談ではない。

 こんなことまで彼女に頼むわけにはいかない。

 だが予想外だったのは、ペトラの動きが俺より早かったことだ。

 彼女は一歩先に、俺の襟元へ手を伸ばしていた。

 

「任せて。これは……あなたに剣術を教えてもらっている礼だから」

「いや、本当にそこまでしてもらう必要は――」

 

 俺たちが妙に近い距離で押し問答をしていた、その時だった。

 背後にある天幕の垂れ幕が、細くめくれた。

 

 レオナルドがズボンを押さえながら、眠たげに出てくる。

 彼はまず、ぼんやりと篝火を見た。

 それから、俺とペトラへ視線を移す。

 まばたきを一つ。

 それから目をこする。

 まだ完全には目が覚めていないようだった。

 だが口元だけは、すでに勝手に緩み始めている。

 

「おおー……道理でペトラ姉さん、今夜はどうしても見張りをやるって言ってたわけだ」

 彼は欠伸をしながら、わざとらしく語尾を長く引いた。

 まるで俺たち二人に聞かせるために言っているようだった。

「コロンの旦那を待ってたんですねぇ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ペトラの顔が一気に赤くなった。

 そこでようやく、自分がコロンに近づきすぎていたことに気づいたらしい。

 彼女は慌てて一歩下がり、急いで弁解する。

「ち、違う。何もない。ただ、外套を脱がせようと……いや、外套を洗おうとしただけ」

 

 だが残念ながら、その途切れ途切れの説明は、焦った末の言い訳にしか聞こえなかった。

 そこへ真っ赤になった彼女の顔が加わると、説得力はますます薄くなる。

 

 もっとも、レオナルドはまったく気にしていないようだった。

 彼の目には、コロンの旦那ほど優れた人物に女の子が好意を寄せないほうが、むしろよほど不自然に映るのだろう。

 

 子どもたちに囲まれて眠っていたトーヴも、その騒ぎで目を覚ました。

 彼女は寝ぼけ眼のまま身体を起こし、ペトラを見て、それから襟元を半分ほど解きかけている俺を見た。

 数秒ほど固まった後、何かを突然理解したように、目をほんの少し輝かせる。

 

 ペトラは彼女に誤解されまいと、必死に目配せしていた。

 だが、トーヴはまるで気にした様子もなく、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。

「ペトラなら、別にいいと思うよ」

 

「トーヴ、あなた!!」

 ペトラの顔が、一気に真っ赤になった。

 

 彼女はトーヴをきつく睨みつけた。

 今にも外套を丸めて相手の口に押し込みたそうな顔だった。

 そしてすぐに、勢いよく背を向けると、ぎこちない足取りで遠くへ歩いていく。

「み、水を汲んでくる!」

 数歩先から届いた声には、隠しきれない苛立ちが混じっていた。

 

「いや、本当に皆が考えているようなことじゃありません。夜に少し出かけて、外套を汚しただけです。ペトラが洗ってくれようとしただけで」

「へえー」

 

 俺が説明すると、レオナルドはすぐに興味をなくしたらしい。

 欠伸をしながら、そのまま用を足しに行ってしまった。

 

 だが、トーヴの反応は俺にとってかなり意外だった。

 彼女はぴんと背筋を伸ばし、まるで山積みの金貨でも見るような目で俺を見ている。

「コロン、もしかして皆に内緒で、どこかへ宝探しに行ってたの?」

 トーヴはそっと俺のそばへ跳ねるように寄ってきて、小首を傾げながら小声で尋ねた。

 

「な……何を言っているんですか。あなた、寝ていたんじゃないんですか?」

 俺は少し後ろめたくなり、思わず視線を逸らした。

 後ろめたくならないわけがない。

 魔杖、魔力薬剤、そしてあの技能巻物。

 この三つは確かに、今の俺が双流城で見つけられる数少ない“宝”だったのだから。

 

「ふふん。実はさっき、ずっと寝たふりをしてコロンの帰りを待ってたんだよ。だって、こそこそ出ていくところ、私ちゃんと見てたもん」

 トーヴは胸を張った。

 まるで、当然のことを告げているかのようだった。

 

「はいはい。それは本当にお疲れさまでした、トーヴ様」

 俺は彼女の鳥の巣のようになった髪をちらりと見て、さらに口元に残っている涎の跡に気づき、危うく吹き出しそうになった。

 

「宝探しじゃないなら、何をしに行ってたの?」

「……確認したくないことを、いくつか確認しに行っていました」

 俺は少し沈黙してから、ようやくそう答えた。

 

 トーヴはそれ以上、追及しなかった。

 ただ小さく頷き、その曖昧な答えを受け入れたようだった。

 そして身を屈め、自分の後ろから手巾に包まれたものを取り出し、俺の前で広げる。

 

 それは、こんがりと焼けた一枚の平たいパンだった。

 表面からはまだわずかに湯気が立っている。

 上には濃い色の干し葡萄がいくつか散らされており、独特の穀物の香りがふわりと漂った。

 

「食べて。コロンの分、残しておいたの」

 彼女はそのパンを俺の手に押し込んできた。

 

 俺は手の中のパンを見下ろし、それから彼女を上から下まで眺めた。

「このパン……どこから手に入れたんですか?」

 

「もちろん、私が野営地で作ったんだよ」

 トーヴの声には、少し得意げな響きがあった。

「でも小麦粉があまり多くなかったから、最後に六枚しか作れなかったの。ほとんど皆に配っちゃった。この一枚は、コロンのためにこっそり残しておいたんだ」

 

「小麦粉はどこから?」

 

「ローランおじさんがくれたんだよ。チカ町で製粉所をやっていたローランおじさん。あそこの家で挽いた小麦粉は、細かくて白くて、焼くと独特の麦の香りがするの」

 彼女の声は最初、軽やかだった。

 だが“チカ町”と言ったところで、声が自然と低くなる。

「でも、これからは……もう買えないかもしれないね」

 

 彼女が何を思い出したのか、俺には分かった。

 チカ町はすでに陥落した。

 あの製粉所も、ローランおじさんも、彼女の知っていた人や物も、おそらくもう残っていない。

 

「そんなことはありません」

 俺はパンを一口かじり、よく噛んだ。

 できるだけ軽い口調になるよう意識して言う。

「ゴブリンは、いつか必ず敗れます。その時になったら、あなたが欲しいだけの小麦粉を、俺が買ってきます」

 

 トーヴはすぐには答えなかった。

 しばらく俯き、地面を見つめている。

 だが再び顔を上げた時には、もう笑顔に戻っていた。

 そして、パンをさらに俺の手へ押し込む。

「早く食べて。冷めちゃうよ」

 

パンは確かに美味しかった。

 外側は少し焦げていて、噛むとぱりっとする。

 けれど中は柔らかく、しっかりとした噛み応えがあり、穀物本来の自然な甘みがあった。

 もしこれがゲームだったなら、このパンにはきっと、“体力回復速度上昇”のようなバフ効果が表示されていただろう。

 いや。

 この本物の世界では、こうして腹の奥から広がる温かさのほうが、どんな状態欄の文字よりもずっと確かだった。

 

 俺は大口で食べながら、ふと一つ思い出し、口の中にパンを含んだまま曖昧に呟いた。

「そういえば、双流城へ来る途中、あなたが小麦粉を持っているところなんて見ませんでしたけど」

 

「あ、実は橡の森に閉じ込められていた時に出そうとしたんだけど、この竹筒がどうしても開かなかったの」

 トーヴは腰から、ずっとぶら下げていた小さな竹筒を外し、手の中でくるりと回してみせた。

「その後、主道に戻ったら食べ物も足りていたから、そのまま忘れちゃってて……」

 

「竹筒が開かなかった?」

 俺は咀嚼を止め、その目立たない竹筒へ視線を落とした。

 

 見た目はごく普通だ。

 トーヴの身につけているこまごまとした小物の中に紛れていれば、まったく目を引かない。

 

「そうだよ」

 トーヴは竹筒を俺の前へ差し出した。

「これ」

 

 俺は受け取って、軽く重さを確かめる。

 ひどく軽い。

 中に重いものが入っているようには思えなかった。

 軽く振ってみると、硬いものがぶつかり合う細かな音がした。

 まるで、乾いた石片か小さな木片がいくつか入っているような音だ。

「これに、小麦粉の袋が入るんですか?」

 俺は疑わしげにそれを眺めた。

 

「もちろん、そのまま入れるわけじゃないよ」

 トーヴは竹筒を受け取り、目を閉じた。

 何かに意識を集中しているようだった。

 

 数秒後、彼女は筒口を下へ向け、地面へ傾ける。

 ざららっ。

 雑多な品々が、何もない空間から彼女の足元に現れた。

 一本の麺棒。

 小さな平鍋。

 いくつかの瓶や壺。

 手縫いの粗末な人形が数体。

 そして、丸められた布切れの束。

 数こそ多くはない。

 だが、二人の間の空間は、それだけでほとんど埋まってしまった。

 

 俺は固まった。

 口の中のパンを噛むことすら忘れていた。

 

「次……次元収納袋《じげんしゅうのうぶくろ》? トーヴ、どうしてそんなものを持っているんですか!?」

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