最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜 作:窮北の風
アラレン大陸には、すでに数百年にわたって受け継がれてきた伝統がある。
毎朝六時。
聖白教廷に属するすべての教会が、決まって鐘を鳴らすのだ。
それは、白を司る神『ニアトレス”』生まれ、初めて両目を開いた時刻だと言われている。
数百年も経てば、普通の人々にとって、その鐘の音はすでに生活のリズムの一部になっていた。
もしある日それが聞こえなければ、かえって全身が落ち着かなくなるほどだ。
神を信じない者でさえ。
あるいは、別の教派を信奉する異郷の客でさえ。
この時刻になると、心のどこかに自然と一つの考えが浮かぶ。
――そろそろ起きて仕事に行く時間だ、と。
だが双流城《トゥー・リバーズ・シティ》では、この伝統はすっかり笑い話になっていた。
なぜなら、この街にある教会の鐘は、これまで一度たりとも時間どおりに鳴ったことがなかったからだ。
午前九時半。
カァン――
長く響く鐘の音が、ようやく朝の静けさを突き破った。
城東教会の小さな寝室で、寝台に横たわっていたハリンは、ただ寝返りを打っただけだった。
薄い掛け布をぐいと引き上げ、頭まですっぽり覆ってしまう。
三秒後。
彼女はようやく、勢いよく目を開いた。
「……めぇ?」
ハリンは窓の外に広がる、眩しいほど明るい陽光を呆然と見つめた。
たっぷり十秒ほど固まる。
それから、尻尾を踏まれた猫のように寝台から跳ね起き、床に散らばっていた長裙を慌てて掴み、ばたばたと身につけ始めた。
「めぇめぇ! また寝坊しためぇ! めぇ!」
彼女は卓上に置かれた手のひらほどの鏡を前に、髪をめちゃくちゃに梳きながら、今にも泣き出しそうな声で独り言を漏らす。
鏡の中の少女は、まん丸な瞳を見開いていた。
頬には幼さを残した柔らかな丸みがあり、灰色の巻き毛は、ふわふわした雲の塊のように頭の上で膨らんでいる。
古羊族《こようぞく》であるハリンは、双流城の教会で暮らし始めて、もう丸三年になる。
だが緊張すると、生まれつきの話し方が、どうしても抑えきれずに出てしまうのだった。
彼女は長い間、そのことに悩んでいた。
自分のこの訛りが笑われるのではないか。
人間の社会に馴染めないのではないか。
けれど幸いなことに、周囲の人々はこの小柄な修女に対して、いつも驚くほど寛容だった。
通りの向かいで野菜を売っているおばさんは、こっそり彼女の籠に卵を二つ入れてくれる。
普段は怖い顔をしている傭兵たちでさえ、彼女を見かけると、笑って帽子を脱ぎ、挨拶してくれた。
だからこそ、ハリンは余計に申し訳なくなる。
なぜなら、彼女の本来の仕事――鐘を鳴らすこと――は、ほとんど一度も時間どおりに果たせたことがなかったからだ。
教会の規則は簡単だった。
毎日、十分前には鐘楼の下にある小部屋へ行き、銅鐘につながれた麻縄を一度引けばいい。
それだけでよかった。
だがハリンにとっては、一週間に二度も時間どおりに鐘を鳴らせれば、それだけで大健闘だった。
残りの日は、基本的に寝過ごしている。
「むぅ、めぇぇ! 今回は全部ライチェ主教《しゅきょう》のせいだめぇ!」
ハリンは櫛を卓にぱんと置き、鏡に向かって頬を膨らませた。
「昨日はちゃんと寝室で待ってるって約束したのに、あの子たちと泥遊びなんてしに行くから! おかげで私、一晩中服を洗うことになったんだめぇ! 鶏が鳴いたのにも気づかなかっためぇ! ほらもう、また鐘が遅れちゃっためぇ!」
彼女は化粧台の引き出しから赤い革紐を取り出すと、慣れた手つきで右側に曲がった羊角に巻きつけた。
さらに窓台の植木鉢から、ちょうど見頃を迎えていた太陽花を一輪摘み取り、その革紐に差し込む。
淡灰色の巻き毛。
橙赤色の花弁。
それは、小さな王冠のようにも見えた。
カァン――
また鐘が鳴った。
今度の音は先ほどよりも鈍く、ひどく揺れている。
まるで誰かが鐘縄と力比べでもして、あちらこちらへ引っ張っているようだった。
ハリンの足がぴたりと止まる。
「まずいめぇ……! まずいめぇ! 絶対にライチェ主教がまた遊んでるめぇ!」
彼女は椅子の背に掛けられていた外袍をひったくった。
釦を留める余裕すらなく、扉を押し開けて鐘楼のほうへ駆け出す。
足元の石畳は朝露に濡れ、走ると少し滑った。
だが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
カァン――カンカン――
頭上の鐘は、次から次へと鳴り続けている。
まったく止まる気配がない。
ハリンが息を切らしながら鐘楼一階の木戸を押し開けた時、ちょうど丸々とした人影が、両足を地面から浮かせているところだった。
その人影は、垂れ下がった太い麻縄を両手でしっかり抱きしめていた。
まるで蔓にぶら下がった熊のように、ゆらゆらと揺れながらブランコをしている。
相手は後ろへ蹴るたび、少しずつ高く飛んでいく。
そして慣性に任せて戻ってくる。
カァン――
また鈍い一撃。
「めぇ!! ライチェ主教! 何してるのか自分で見てめぇ! 早く止まって!!」
だが縄にぶら下がった丸い影は、こちらを振り返りもしなかった。
ただ再び足を畳み、力いっぱい蹴り出す。
カァン――!!
ハリンは、自分の巻き毛が逆立ちそうになるのを感じた。
彼女は歯を食いしばり、腰を落とす。
頭を低く下げ、二本の曲がった羊角を、今まさに“飛び立とう”としている太った男へ向けた。
四肢で石床を蹴る。
小さな砲弾のように、鐘縄の真下へ向かって突進した。
どんっ!!
羊角が、ライチェ主教の腰の後ろに真正面からぶつかる。
鈍い衝突音が響いた。
ハリンは、自分が柔らかな壁に突っ込んだような感覚に襲われた。
次の瞬間、巨大な反作用が羊角から首へ、首から全身へと伝わってくる。
そして彼女の身体は、投石紐から放たれた石のように後方へ弾き飛ばされた。
ごろん、と尻もちをつく。
だが、その一撃のおかげで、自分の世界に浸っていたライチェはようやく我に返った。
彼は鐘縄から手を離し、二歩ほどよろめいてから、やっと立ち止まる。
振り返って、床に座り込んで尻をさすっている小さな修女を見た。
最初はぽかんとしていたが、すぐにやたらと柔和な笑みを浮かべる。
「ああ! ごめんごめん。さっきは気づかなかったよ」
「痛いめぇぇぇ!」
ハリンは頬を膨らませ、彼が差し出してきた手をぱしんと払った。
自分で床に手をつき、立ち上がる。
「昨日、寝室で私が行くのを待ってるって約束したでしょ! どうしてまた一人で出てきたの?」
「え? そんなこと言ったっけ?」
ライチェ主教は眉を寄せ、右頬を手で撫でた。
そこには火傷の跡が広がっている。
皮膚は皺を残したまま滑らかに引きつれ、ぴったりと貼りついていた。
本来なら目があるはずの場所まで、その焼け跡に覆われている。
「おかしいな。君が言っていたなら、どうして僕は見ていないんだろう?」
ライチェ主教は、心底不思議そうな声で言った。
ハリンは彼の失明した右目を見つめた。
胸の奥で燃えていた怒りが、冷たい水を浴びせられたように消えていく。
彼女は口を開きかけた。
だが結局、ただ小さくため息をつき、彼の大きく温かな手を取った。
「見えてなかったなら、仕方ないめぇ……。まだ朝ご飯食べてないでしょ? ほら、戻ろう」
二年前、双流城の教会で爆発事故が起きた。
原因は誰にも分からない。
地下室に置かれていた古い薬剤が変質したせいだと言う者もいた。
主教が悪魔の怒りを買ったのだと言う者もいた。
とにかく、その夜、教会の半分は瓦礫と化した。
そしてライチェ主教は顔の半分を焼かれ、右目を永遠に失った。
幸い、教会内にいたのは彼一人だけで、ほかの者に被害は出なかった。
だがあの爆発には、もう一つの副作用があった。
かつて穏やかで頼りがいがあり、自分を引き取ってくれたライチェ主教は、それ以来、まるで子どものようになってしまったのだ。
記憶は途切れ途切れになり、時には自分が朝食を食べたかどうかさえ覚えていない。
「たしかに、少しお腹が空いたな」
ライチェ主教は素直にハリンに連れられて外へ歩き出した。
ふっくらした手のひらで、逆に彼女の小さな手を包み込む。
その声には、当たり前のような期待が混じっていた。
「でも、ずっと分からないことが一つあるんだ」
「何のことめぇ?」
「うちの庭に、いつからブランコができたんだい?」
ライチェは首を傾げ、残された片目で不思議そうにハリンを眺めた。
「ライムおばさんがこっそり作ってくれたの? 君は本当に優しいなあ」
「誰がライムおばさんめぇ!? 私はハリンだめぇ!」
ハリンは爪先立ちになって、彼に向かって叫んだ。
「はいはい、分かってる、分かってるよ」
ライチェ主教は何度も頷いた。
顔の笑みはいっそう柔らかくなる。
「それでライムおばさん、今日の朝ご飯は何を作ってくれたんだい? 言っておくけど、うちには小さな修女が一人住んでいてね。料理が本当に下手なんだ。毎日毎日、腌黄瓜か黒パンばかりで、もう吐きそうでさ……」
「……」
ハリンの口元がぴくりと引きつった。
「はは、まあ本当は、僕はあまり好き嫌いしないんだけどね」
ライチェは隣の少女の顔色がどんどん黒くなっていくことに、まったく気づいていないようだった。
勝手に話を続けている。
「ただ、もう腌黄瓜だけは食べさせないでくれれば、それでいいよ。ほかなら何でもいい」
「じゃあ、何が食べたいのめぇ?」
ハリンの声は、今にも沸騰しそうな水のように静かだった。
ライチェ主教は少し考えた。
そして目を輝かせる。
「……羊乳?」
「めぇ!! 死んじゃえめぇ!!!」