最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜   作:窮北の風

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第69話 狂った主教

 アラレン大陸には、すでに数百年にわたって受け継がれてきた伝統がある。

 

 毎朝六時。

 聖白教廷に属するすべての教会が、決まって鐘を鳴らすのだ。

 

 それは、白を司る神『ニアトレス”』生まれ、初めて両目を開いた時刻だと言われている。

 

 数百年も経てば、普通の人々にとって、その鐘の音はすでに生活のリズムの一部になっていた。

 もしある日それが聞こえなければ、かえって全身が落ち着かなくなるほどだ。

 神を信じない者でさえ。

 あるいは、別の教派を信奉する異郷の客でさえ。

 この時刻になると、心のどこかに自然と一つの考えが浮かぶ。

 ――そろそろ起きて仕事に行く時間だ、と。

 

 だが双流城《トゥー・リバーズ・シティ》では、この伝統はすっかり笑い話になっていた。

 なぜなら、この街にある教会の鐘は、これまで一度たりとも時間どおりに鳴ったことがなかったからだ。

 

 午前九時半。

 

 カァン――

 長く響く鐘の音が、ようやく朝の静けさを突き破った。

 

 城東教会の小さな寝室で、寝台に横たわっていたハリンは、ただ寝返りを打っただけだった。

 薄い掛け布をぐいと引き上げ、頭まですっぽり覆ってしまう。

 

 三秒後。

 彼女はようやく、勢いよく目を開いた。

「……めぇ?」

 

 ハリンは窓の外に広がる、眩しいほど明るい陽光を呆然と見つめた。

 たっぷり十秒ほど固まる。

 それから、尻尾を踏まれた猫のように寝台から跳ね起き、床に散らばっていた長裙を慌てて掴み、ばたばたと身につけ始めた。

 

「めぇめぇ! また寝坊しためぇ! めぇ!」

 彼女は卓上に置かれた手のひらほどの鏡を前に、髪をめちゃくちゃに梳きながら、今にも泣き出しそうな声で独り言を漏らす。

 

 鏡の中の少女は、まん丸な瞳を見開いていた。

 頬には幼さを残した柔らかな丸みがあり、灰色の巻き毛は、ふわふわした雲の塊のように頭の上で膨らんでいる。

 

 古羊族《こようぞく》であるハリンは、双流城の教会で暮らし始めて、もう丸三年になる。

 だが緊張すると、生まれつきの話し方が、どうしても抑えきれずに出てしまうのだった。

 

 彼女は長い間、そのことに悩んでいた。

 自分のこの訛りが笑われるのではないか。

 人間の社会に馴染めないのではないか。

 けれど幸いなことに、周囲の人々はこの小柄な修女に対して、いつも驚くほど寛容だった。

 通りの向かいで野菜を売っているおばさんは、こっそり彼女の籠に卵を二つ入れてくれる。

 普段は怖い顔をしている傭兵たちでさえ、彼女を見かけると、笑って帽子を脱ぎ、挨拶してくれた。

 

 だからこそ、ハリンは余計に申し訳なくなる。

 なぜなら、彼女の本来の仕事――鐘を鳴らすこと――は、ほとんど一度も時間どおりに果たせたことがなかったからだ。

 

 教会の規則は簡単だった。

 毎日、十分前には鐘楼の下にある小部屋へ行き、銅鐘につながれた麻縄を一度引けばいい。

 それだけでよかった。

 だがハリンにとっては、一週間に二度も時間どおりに鐘を鳴らせれば、それだけで大健闘だった。

 残りの日は、基本的に寝過ごしている。

 

「むぅ、めぇぇ! 今回は全部ライチェ主教《しゅきょう》のせいだめぇ!」

 ハリンは櫛を卓にぱんと置き、鏡に向かって頬を膨らませた。

「昨日はちゃんと寝室で待ってるって約束したのに、あの子たちと泥遊びなんてしに行くから! おかげで私、一晩中服を洗うことになったんだめぇ! 鶏が鳴いたのにも気づかなかっためぇ! ほらもう、また鐘が遅れちゃっためぇ!」

 

 彼女は化粧台の引き出しから赤い革紐を取り出すと、慣れた手つきで右側に曲がった羊角に巻きつけた。

 さらに窓台の植木鉢から、ちょうど見頃を迎えていた太陽花を一輪摘み取り、その革紐に差し込む。

 淡灰色の巻き毛。

 橙赤色の花弁。

 それは、小さな王冠のようにも見えた。

 

 カァン――

 また鐘が鳴った。

 今度の音は先ほどよりも鈍く、ひどく揺れている。

 まるで誰かが鐘縄と力比べでもして、あちらこちらへ引っ張っているようだった。

 

 ハリンの足がぴたりと止まる。

「まずいめぇ……! まずいめぇ! 絶対にライチェ主教がまた遊んでるめぇ!」

 

 彼女は椅子の背に掛けられていた外袍をひったくった。

 釦を留める余裕すらなく、扉を押し開けて鐘楼のほうへ駆け出す。

 足元の石畳は朝露に濡れ、走ると少し滑った。

 だが、そんなことを気にしている余裕はなかった。

 

 カァン――カンカン――

 頭上の鐘は、次から次へと鳴り続けている。

 まったく止まる気配がない。

 

 ハリンが息を切らしながら鐘楼一階の木戸を押し開けた時、ちょうど丸々とした人影が、両足を地面から浮かせているところだった。

 その人影は、垂れ下がった太い麻縄を両手でしっかり抱きしめていた。

 まるで蔓にぶら下がった熊のように、ゆらゆらと揺れながらブランコをしている。

 相手は後ろへ蹴るたび、少しずつ高く飛んでいく。

 そして慣性に任せて戻ってくる。

 

 カァン――

 また鈍い一撃。

 

「めぇ!! ライチェ主教! 何してるのか自分で見てめぇ! 早く止まって!!」

 

 だが縄にぶら下がった丸い影は、こちらを振り返りもしなかった。

 ただ再び足を畳み、力いっぱい蹴り出す。

 

 カァン――!!

 

 ハリンは、自分の巻き毛が逆立ちそうになるのを感じた。

 彼女は歯を食いしばり、腰を落とす。

 頭を低く下げ、二本の曲がった羊角を、今まさに“飛び立とう”としている太った男へ向けた。

 四肢で石床を蹴る。

 小さな砲弾のように、鐘縄の真下へ向かって突進した。

 

 どんっ!!

 

 羊角が、ライチェ主教の腰の後ろに真正面からぶつかる。

 鈍い衝突音が響いた。

 ハリンは、自分が柔らかな壁に突っ込んだような感覚に襲われた。

 次の瞬間、巨大な反作用が羊角から首へ、首から全身へと伝わってくる。

 そして彼女の身体は、投石紐から放たれた石のように後方へ弾き飛ばされた。

 ごろん、と尻もちをつく。

 

 だが、その一撃のおかげで、自分の世界に浸っていたライチェはようやく我に返った。

 彼は鐘縄から手を離し、二歩ほどよろめいてから、やっと立ち止まる。

 振り返って、床に座り込んで尻をさすっている小さな修女を見た。

 最初はぽかんとしていたが、すぐにやたらと柔和な笑みを浮かべる。

「ああ! ごめんごめん。さっきは気づかなかったよ」

 

「痛いめぇぇぇ!」

 ハリンは頬を膨らませ、彼が差し出してきた手をぱしんと払った。

 自分で床に手をつき、立ち上がる。

「昨日、寝室で私が行くのを待ってるって約束したでしょ! どうしてまた一人で出てきたの?」

 

「え? そんなこと言ったっけ?」

 ライチェ主教は眉を寄せ、右頬を手で撫でた。

 そこには火傷の跡が広がっている。

 皮膚は皺を残したまま滑らかに引きつれ、ぴったりと貼りついていた。

 本来なら目があるはずの場所まで、その焼け跡に覆われている。

「おかしいな。君が言っていたなら、どうして僕は見ていないんだろう?」

 ライチェ主教は、心底不思議そうな声で言った。

 

 ハリンは彼の失明した右目を見つめた。

 胸の奥で燃えていた怒りが、冷たい水を浴びせられたように消えていく。

 彼女は口を開きかけた。

 だが結局、ただ小さくため息をつき、彼の大きく温かな手を取った。

「見えてなかったなら、仕方ないめぇ……。まだ朝ご飯食べてないでしょ? ほら、戻ろう」

 

 二年前、双流城の教会で爆発事故が起きた。

 原因は誰にも分からない。

 地下室に置かれていた古い薬剤が変質したせいだと言う者もいた。

 主教が悪魔の怒りを買ったのだと言う者もいた。

 とにかく、その夜、教会の半分は瓦礫と化した。

 そしてライチェ主教は顔の半分を焼かれ、右目を永遠に失った。

 幸い、教会内にいたのは彼一人だけで、ほかの者に被害は出なかった。

 だがあの爆発には、もう一つの副作用があった。

 かつて穏やかで頼りがいがあり、自分を引き取ってくれたライチェ主教は、それ以来、まるで子どものようになってしまったのだ。

 記憶は途切れ途切れになり、時には自分が朝食を食べたかどうかさえ覚えていない。

 

「たしかに、少しお腹が空いたな」

 ライチェ主教は素直にハリンに連れられて外へ歩き出した。

 ふっくらした手のひらで、逆に彼女の小さな手を包み込む。

 その声には、当たり前のような期待が混じっていた。

「でも、ずっと分からないことが一つあるんだ」

 

「何のことめぇ?」

 

「うちの庭に、いつからブランコができたんだい?」

 ライチェは首を傾げ、残された片目で不思議そうにハリンを眺めた。

「ライムおばさんがこっそり作ってくれたの? 君は本当に優しいなあ」

 

「誰がライムおばさんめぇ!? 私はハリンだめぇ!」

 ハリンは爪先立ちになって、彼に向かって叫んだ。

 

「はいはい、分かってる、分かってるよ」

 ライチェ主教は何度も頷いた。

 顔の笑みはいっそう柔らかくなる。

「それでライムおばさん、今日の朝ご飯は何を作ってくれたんだい? 言っておくけど、うちには小さな修女が一人住んでいてね。料理が本当に下手なんだ。毎日毎日、腌黄瓜か黒パンばかりで、もう吐きそうでさ……」

 

「……」

 ハリンの口元がぴくりと引きつった。

 

「はは、まあ本当は、僕はあまり好き嫌いしないんだけどね」

 ライチェは隣の少女の顔色がどんどん黒くなっていくことに、まったく気づいていないようだった。

 勝手に話を続けている。

「ただ、もう腌黄瓜だけは食べさせないでくれれば、それでいいよ。ほかなら何でもいい」

 

「じゃあ、何が食べたいのめぇ?」

 ハリンの声は、今にも沸騰しそうな水のように静かだった。

 

 ライチェ主教は少し考えた。

 そして目を輝かせる。

「……羊乳?」

 

「めぇ!! 死んじゃえめぇ!!!」

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