ゴブリンを甘く見るな!――元最強ギルドマスターの俺がゲーム序盤に転生、未来知識を武器に見習い傭兵から成り上がって王になるまで 作:窮北の風
「その隊には、ゴブリン兵が何十匹もいたってのか?しかも精鋭戦士まで?」
「そのあと、通りすがりの正義の魔法使いが火炎魔法で、その精鋭戦士をぶっ殺したって?」
「で、お前はその混乱に乗じて逃げてきた、と?」
「……は、はい」
隊の連中がそろって幽霊でも見たみたいな顔をしているのを前に、俺は少しばかり後ろめたくなって、つい視線を落とした。
仕方ない。こんな起伏に富んだ話、吟遊詩人が酒場で語る英雄譚みたいなものだ。誰の身に起きたとしても、そう簡単に信じられる話じゃない。
俺はてっきり、これで今回の任務はうやむやのまま終わると思っていた。
ところが、ドワーフのシモンズがふいに他の二人へ目配せし、にやりと笑った。
「お前らも知ってるだろ?チカ町の冒険者ギルドじゃ、ずっとゴブリン討伐の懸賞が出てる。緑皮の耳一つで銀貨一枚だぜ」
焚き火の前の空気が、その瞬間ぴたりと固まった気がした。
半獣人のルクは、ぺしゃんこになった鉱夫袋を握りしめたまま、勢いよく顔を上げる。
「……つまり、どういうことだ?」
「俺が昔、民兵やってたときの経験じゃ、ゴブリンの軍隊っていっても兵の数は多くて二十匹前後だ。それに、もしその魔法使いが首領を仕留めたなら、ゴブリンみたいな生き物は高い確率で仲間の死体を捨てて逃げる。ってことはだな……」
カッセがそこまで言いかけたところで、シモンズが興奮気味に割り込んだ。
「ってことは、今のゼス村には銀貨がそこら中に転がってるってことだろ!」
「銀貨!」
ルクはわざと声を潜めていたはずなのに、興奮のせいで逆に甲高い声を上げてしまった。だがすぐ、その声は途中で止まる。
「で、でもよ……そのゴブリンども、魔法使い様の獲物なんじゃねえのか……?」
「安心しろって」
シモンズは得意げに髭を撫でた。
「昔、義兄貴から聞いたんだが、魔法使いってのは魔力のこもった下着一本でも何十枚も金貨になるらしい。たかが銀貨数枚程度、連中からしたら手が汚れるだけだよ」
カッセも一見すると冷静にうなずいていた。だが、その目の奥には、同じように高揚と欲がちらついている。
今回、こいつが「ゼス村との連絡途絶」を調べるE級任務を受けた本当の目的は、実のところ村の西にある鉱洞で希少な鉱石を掘り当てることだった。
そうでもなければ、一人あたり銅貨四十五枚の報酬なんて、道中の飯代にも足りやしない。
そして今、十中八九もぬけの殻になっているゼス村は、まともに戦える冒険者パーティーから見れば、まるで金鉱みたいなものだった。
多少の危険はある。
けれど、得られるかもしれない利益に比べれば、その程度の危険がなんだというんだ。
そもそも冒険者なんてものは、危険を避けたいなら畑でも耕していればいい。
ゼス村の村人たちがどうして消えたのか。今どこにいるのか。
そんな問題は、どうせ短時間で俺たち数人に解決できるような話じゃない。なら、今ここで回収を優先したところで「時間を無駄にする」とは言えない。
そうして三人は、胸の奥で膨らむ欲に突き動かされるまま、ゼス村へ入る経路や準備、さらには戦利品の分配に至るまで、熱っぽく相談し始めた。
俺はその輪に加わらなかった。
さっき俺が、「まずはゴブリンの軍勢が現れたことを急いで報告すべきじゃないか」と口にしたとき、返ってきたのは三人分の露骨に嫌そうな目つきだったからだ。
「怪我人は黙って指示に従ってりゃいい……」
「へえ。見かけによらず、うちの臨時メンバーはずいぶん高尚な坊ちゃんだったんだなあ?」
ルクとシモンズは、俺の提案をあからさまに馬鹿にした。
二人とも、口を開けば嫌味と皮肉ばかりだ。
隊長のカッセだけはそのやり取りに加わらなかったが、最後にただ一言、平坦な口調でこう言っただけだった。
「構わん。ただし、戻るなら道中は一人で歩け」
カッセの言いたいことははっきりしていた。
――みんな金を稼ぐためにここへ来てる。お前の言う“正義”で俺たちを縛るな。嫌なら一人で帰れ。
正直に言えば、あのとき俺は、もう少しでその場を飛び出すところだった。
ゴブリンの大軍が国境を襲おうとしている。その情報を知らせることこそ最優先じゃないのか、と。
もし今の俺に傷がなく、一時間の衰弱状態さえなければ、Lv3の能力値がある以上、誰の助けも借りずにチカ町まで戻ることだって不可能じゃなかった。
だが今の俺は違う。
弱りきっていて、下手をすれば普通のゴブリン一匹にすら勝てない。
あいつらも、今の俺が一人では動けないことを見抜いていたんだろう。だからこそ、「一人で帰れ」なんて言葉で平然と突き放せたんだ。
それでも、俺の中にはまだ焦りがあった。
俺の知っている歴史では、この時点ですでに西南山脈一帯のゴブリンはすべて統一され、再編されている。
その根源にいるのは、群れの中から生まれた一体の異端――グリン・ダン。
「伝説」と呼ぶには少し大げさかもしれない。
だが、ゴブリンという種族にとって、魔法を使え、しかも近接戦闘でも強く、なおかつ高い知能を持つ個体など、もはや伝説そのものだった。
噂では、グリン・ダンの母親はダークエルフだという。
その混血の肉体こそが、奴に異常な知恵と力を与えたのだと。
そしてその頃、古いロニクス王国はちょうど衰退の坂を転がり落ちていた。
一方には、山奥で木の皮を噛みながらも勢いを増していく種族。
もう一方には、力を失いつつあるくせに、美酒と白パンを抱え込んだ王国。
この二つがぶつかるのは、最初から避けようのないことだった。
後の戦争で、このゴブリン大軍はアラレン大陸全土を驚かせるほどの統率力と判断力を見せつけることになる。
だが皮肉なことに、ロニクスが国土の大半を失うそのときまで、誰一人として本当の意味で警戒はしなかった。
山脈の向こうで、あの種族は確かに力を蓄えていた。
そして、すぐにも最盛期を迎えようとしている。
「……あいつらは、もうお前らの知ってるゴブリンじゃないんだ」
そう叫んでやりたかった。
けれど、そんなことを言ったところで何になる?
しばらくして、俺の感情は少しずつ落ち着いていった。
そしてそのとき、ようやく思い知ったんだ。
ここは本当に、現実の世界なんだと。
人間社会の底辺で生きている普通の人間たちに、熱血だの大義だのがあるわけじゃない。
「栄光」や「正義」みたいな言葉を、毎日口にして生きているわけでもない。
こいつらの目の前にあるのは、もっと切実で、もっと現実的な問題だけだ。
今夜、自分は腹いっぱい食えるのか。
妻に、湯気の立つ白キノコのスープを飲ませてやれるのか。
子どもたちに、寒さをしのげる服を着せられるのか。
依頼を受けるのも、怪物を殺すのも、全部、自分の命を切り売りして金を稼ぐためだ。
それが間違っているのか?
間違ってなんかいない。
それは恥ずべきことなのか?
もちろん、そんなはずもない。
むしろ、そういうものこそが、血の通った一人の人間にとっての本当の「誇り」なんじゃないのか。
そこまで考えたとき、俺はさっきの自分を少し恥じた。
俺はこの世界の未来を知っている。
ロニクス王国の今後についての見立ても、ゴブリンという種族の習性についての理解も、この冒険者パーティーの誰よりはるかに深い。
けれど、その「知っている」という優越感のせいで、俺はどこかずっと、この世界から浮いたままだった。
無意識のうちに、この世界の人間をみんなNPCみたいなものだと思っていた。
主人公である俺の指示に従って当然だと、どこかで思い込んでいた。
他人が何を考え、何を恐れ、何を守ろうとしているのか。
そんなことを、少しもちゃんと考えていなかった。
俺はまだ、本当に理解していなかったんだ。
転生したその瞬間から、この世界はもう、血も肉も通った現実になっていたということを。
「……本当に、悪かった」
その謝罪を、俺は口には出さなかった。
ただ心の中で、静かにそうつぶやいただけだ。
けれど、もう一度顔を上げて、少し離れたところであれこれ相談している「ろくでなし」の仲間たちを見たとき、俺の中にはさっきまでとはまるで違う感情が生まれていた。
コロン。
できる限りでいい。
この世界にいる一人一人を、大事にしろ。