最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜   作:窮北の風

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第80話 魔法師の従僕

「誰だ!我がご主人様を侮辱する命知らずは!」

 

 俺とダタンが睨み合い、指先がすでに剣柄へ触れた、その瞬間。

 人群れの外から、低く響く声が炸裂した。

 

 決して大声ではない。

 だが、奇妙なほど強い浸透力を帯びていた。

 遥か遠くから聞こえてくるようでありながら、誰かが耳元に口を寄せて話しているようにも感じられる。

 その場にいた学生たちは、反射的に身体を強張らせ、一斉に大門のほうへ顔を向けた。

 

【伝音】の魔法だ。

 奥術粒子を振動させ、声を遠方まで届ける補助魔法。

 効果としては通信器具に近く、伝達できる距離は術者の魔力水準によって変化する。

 すべての魔法師が必ず身につけなければならない、基礎的な補助法術の一つだった。

 

 もちろん、俺はこの魔法を知っている。

 そして、この声にはさらに聞き覚えがあった。

 他でもない。

 昨夜別れたばかりのオリアンだ。

 

 なぜ今になってようやく現れたのかは分からない。

 だが一つだけ確かなのは、彼がこれ以上ないほど絶妙なタイミングで来てくれたということだった。

 

 ダタンは眉をひそめ、俺から視線を外すと、人群れの間に開いた通路へ目を向けた。

 

 そこには、大門のほうから大股で歩いてくるオリアンの姿があった。

 身にまとっているのは、真新しい深緑色の魔法師長袍。

 袖口には、金糸で簡潔な符文模様が刺繍されている。

 常に手放すことのない魔杖【緑魔の指】は、腰に取りつけられた精巧な魔杖入れへ、まっすぐ収められていた。

 髪も髭も綺麗に整えられ、目には鋭い光が宿っている。

 背筋を伸ばしたその姿は活力に満ち、何も言わずとも周囲を圧する威厳を漂わせていた。

 昨夜、酒場で酒瓶を抱えたまま離そうとしなかった、あのだらしない姿とはまるで別人である。

 

 さらに俺を驚かせたのは、彼の胸元に新たに付けられていた、六芒星をかたどった金属製の徽章だった。

 一環魔法師の資格を示す証明だ。

 

「あれは……奥術協会の徽章か?」

「魔法師?どうして俺たちの訓練営に魔法師が来たんだ?」

「待てよ。さっきあの人、何て言った?『ご主人様』?主人がここにいるのか?」

「まさか……その主人って、コロンのことじゃないだろうな?」

 

 その推測が口にされた瞬間。

 周囲の学生たちは、揃って息を呑んだ。

 俺へ向けられる視線には、さらに強い信じ難さが加わる。

 レオナルドでさえ、口を丸く開けていた。

 ハリンに至っては、両手で口元を覆い、目を大きく見開きながら、オリアンと俺を交互に見比べている。

 

 だがオリアンは、周囲の驚いた表情などまったく目に入っていないようだった。

 人群れをまっすぐ横切り、俺の前まで来る。

 そして右手を左胸に当て、寸分の乱れもない正式な貴族礼をもって、深々と腰を折った。

「ご主人様。オリアン、参上が遅れましたこと、どうかお許しください。これより、ご命令をお待ちしております」

 

 俺と彼の視線が重なった。

 その瞬間、俺は相手の目の奥に浮かんだ、ほとんど気づかないほど小さな笑みを読み取った。

 このじいさん、俺の箔をつけに来てくれたのか!

 

「なぜ今頃になって来たんです?」

 俺は剣柄に添えていた手を自然に下ろし、わざと不機嫌そうな表情を作った。

 そして気だるそうに手を振る。

「もう少し遅ければ、俺はこの教官殿に詐欺師として縛られ、衛兵隊へ突き出されていたところですよ」

 

 それを聞いたオリアンは、さらに深く腰を折った。

 声には、申し訳なさが溢れている。

「誠に申し訳ございません、ご主人様。午前中、儂は双流城の奥術協会へ赴き、魔法師資格の再認定を受けておりました」

「それほど時間はかからぬと思っておりましたが、手続きを担当する学徒どもの動きが、あまりにも鈍く……そのため、到着が遅れてしまいました」

 

「そうですか」

 俺は興味がないような顔を装い、何気なく尋ねた。

「それで、認定は順調だったのですか?」

 

 オリアンは身体を起こし、顔にわずかな不屑を浮かべた。

「ご主人様はご存じないでしょうが、あまりに順調すぎて退屈なほどでした」

 彼は大げさに首を横へ振った。

「協会が用意した認定試験は、簡単な一環法術を二つ実演し、それに加えて基礎魔法陣をその場で構築するだけだったのです」

「儂は主考官に、他に試験項目はないのかと尋ねました。すると相手は、何と言ったと思われますか?」

 オリアンはわざと一度言葉を切った。

「これですべてだ、と言ったのです。すべてですぞ!」

 手にした魔杖を軽く一回転させ、彼は鼻を鳴らした。

「儂の実力であれば、真剣に申請すれば二環魔法師の資格を得ることも、決して不可能ではありません」

「ただし、それにはさらに大きな都市まで赴いて申告せねばなりませんのでな。今回は仕方なく、一環の徽章で妥協した次第です」

 

 オリアンは滔々と語り続けた。

 その口調には、魔法師特有の傲慢さが滲んでいる。

 

 一方、周囲の学生たちは、話を聞けば聞くほど目を大きくしていた。

 一環魔法師でさえ、滅多に目にすることはない。

 それなのに、この老人は二環魔法師の資格すら問題ないと言っているのだ。

 しかも、その人物が――。

 この黒髪の青年の従僕だというのか?

 

 瞬く間に、無数の視線が再び俺へ集中した。

 そして、それらの視線の外側。

 ダタンの顔色は、もはや『悪い』という言葉だけでは表現できないほどになっていた。

 

 つい先ほどまで浮かべていた余裕も、傲慢さも、跡形もなく消えている。

 顔全体が、恐ろしいほど真っ白だった。

 あの黒髪の青年は、本当に貴族だったのか!?

 しかも、少なくとも一環相当の実力を持つ魔法師を、従僕として連れている。

 双流城でこれほど長く暮らしてきたダタンでさえ、そのような話は聞いたことがなかった。

 

 アラレン大陸において、一環魔法師と鉄級戦士の等級は、形式上では同格とされている。

 しかし、魔法師はその数自体が極めて少ない。

 さらに、同じ等級の戦士を大きく上回る戦闘力を持つため、その地位も戦士より遥かに高かった。

 それ以上に重要なのは、魔法師という者は概して誇りが高く、容易には誰かへ頭を下げないということだ。

 本物の魔法師が、心から誰かをご主人様と認め、仕える。

 それが意味するものは、二つしかない。

 天を覆うほど巨大な権勢か。

 あるいは、魔法師すら心服させるほど圧倒的な実力か。

 

 どちらにせよ、ダタン程度の人間が手を出してよい相手ではなかった。

 その脳裏に、ある考えが閃いた。

 つい先ほどまで、鼻で笑っていた恐ろしい推測だ。

『まさか……このコロンという若者は、本当にロニクス王家から派遣されてきた人物なのか?』

 

 そう考えた瞬間。

 ダタンは表情を変えないまま、ゆっくりと後ろへ足をずらし始めた。

 学生たちの注意が、全員オリアンへ集まっている隙を狙い、一歩、また一歩と後退していく。

 

 コロンという少年が、いったいどのような出自なのか。

 もはや、そんなことはどうでもよかった。

 難民営の者たちは、あと二日もすれば別の場所へ移されるはずだ。

 そうなれば、この者たちも自然と訓練営を離れていくだろう。

 自分は二日ほど病欠を取り、この騒ぎが収まるまで姿を隠していればいい。

 そうすれば、この件もそのまま終わる。

 

 ダタンは極めてゆっくりと動き、ほとんど物音を立てなかった。

 だが。

 その肩が背後へ向いた瞬間、俺の視界の端は、その動きをはっきりと捉えていた。

 

「奥術協会の話は、あとで詳しく聞きましょう」

 俺は片手を上げ、滔々と語り続けるオリアンを遮った。

 その肩越しに視線を向け、今まさに背を向けようとしている人影を見る。

「そちらの教官殿。どちらへ行かれるのですか?」

 

 周囲の学生たちが、一斉に振り返った。

 俺の視線を追い、そこでようやく気づく。

 先ほどからずっと黙り込んでいたダタン教官が、いつの間にか人群れの端まで後退していた。

 身体は半ば横を向き、片脚は後ろへ踏み出そうとした姿勢のまま。

 その場で、完全に固まっている。

 

 レオナルドの反応は早かった。

 素早く足を運び、真っすぐダタンの退路を塞ぐ。

 両腕を胸の前で組み、顎を高く上げていた。

 その得意げな表情は、自分が三人を相手に勝利した時以上だった。

 あの眼差しは、明らかにこう語っている。

『だから俺の師匠は普通の人じゃないと言っただろう?信じなかったくせに。今さら驚いたのか?』

 

 ダタンは何度か口を開閉させた。

 その声は、ひどく乾いている。

「わ、私は急に思い出したんだ。宿舎に何か忘れ物をしたような気がしてな……そうだ、忘れ物だ……」

 

「おお――」

 見物していた学生たちが、示し合わせたように声を伸ばした。

 あちこちから、からかうような声が上がる。

 

 オリアンは眉をひそめ、俺へ顔を向けた。

 その目には、はっきりと疑問が浮かんでいる。

「ご主人様。これは、いったい何があったのですかな?」

 

 俺は、先ほど起きた出来事を簡単に説明した。

 レオナルドがどのように嘲られていたのか。

 ダタンが皆の前で俺を詐欺師と決めつけ、さらに退学を持ち出してレオナルドを脅したこと。

 一つ一つ、淡々と話した。

 誇張は一切加えない。

 

 話を聞くにつれ、オリアンの表情は少しずつ険しくなっていった。

 彼は身体を回し、ダタンと正面から向き合う。

 胸元の六芒星の徽章が、午後の日差しを受けて冷たい光を放っていた。

 

「訓練営の教官という立場にありながら、主観的な憶測だけで一人の貴族を詐欺師と決めつけ、皆の前で侮辱する。極めて品位に欠ける行為ですな」

 オリアンの声は大きくなかった。

 だが、魔法師特有の落ち着きと圧迫感を帯び、一言一言がはっきりと響いた。

「まして、学生の将来を取引材料にして口を封じるなど、決して許されることではありません。『ロニクス王国貴族名誉保護法』によれば、公の場で貴族の身分を侮辱した者は、軽ければ罰金および拘留。重ければ公職と軍階級を剥奪されます」

 オリアンは目を細めた。

「王国の正式編制に属する民兵教官である貴殿が、この法律をまったく知らぬということはありますまい?」

 

 その瞬間、ダタンの顔から完全に血の気が引いた。

 

「儂に言わせれば、先ほどご主人様が要求された『謝罪』など、すでに極めて寛大な処置です」

 オリアンは顎を上げ、冷たい目で相手を見下ろした。

「それを貴殿が受け入れたくないのであれば、もはや謝罪の必要はありません。訓練営の教官が皆の前で貴族を侮辱し、平民学生を退学によって脅迫した件について、詳細をまとめて双流城市政庁へ提出するとしましょう。その後の判断は、市政庁に委ねればよい」

 

「い、いや……待ってくれ……私は、そういうつもりでは……」

 ダタンの声は、完全に狼狽していた。

 唇が激しく震えている。

 その目は二人の民兵、学生たち、そして俺の間を慌ただしくさまよった。

 誰か一人でも自分を庇ってくれる者を探しているようだった。

 だが目に入るのは、冷ややかな顔か、あるいは面白がるような顔ばかりだった。

 

「謝る!今すぐ謝る!」

 ついに耐えきれなくなったダタンは、勢いよく俺へ腰を折った。

 さらに慌てて身体を回し、レオナルドのほうへも頭を下げる。

「申し訳なかった。本当に申し訳ない……先ほどは、私の判断が軽率すぎた……」

 

 俺は、慌ただしく頭を下げる彼の姿を見つめた。

 しばらく黙っていたが、ふいに何もかもがどうでもよくなったような気分になった。

 

「もう構いません」

 俺はオリアンへ手を振った。

「謝ったのですから、この件はここまでにしましょう」

 

 オリアンは小さく頷き、俺の隣へ一歩下がった。

 それ以上は何も言わない。

 

 ダタンは救われたような顔をした。

 数歩後退すると、すぐに背を向け、宿舎のほうへ足早に歩き去っていく。

 その後ろ姿は、どう見ても逃げ帰っているようにしか見えなかった。

 

 レオナルドは、ダタンの姿が営舎の角へ消えるまで見送っていた。

 顔に浮かぶ得意げな笑みを、まったく隠せていない。

 彼は振り返り、俺に何か言おうとした。

 だが、厳しい顔を作った俺と目が合った瞬間、その笑みは固まった。

 

「レオナルド。こちらへ来てください」

 

 彼は肩を落とし、俯きながら俺の前へ歩いてきた。

 

「どういうことですか?」

 俺は声を潜めた。

「一人で千匹以上のゴブリンを斬った?こういう話を広めたのは、あなたですか?」

 

 レオナルドは顔を上げた。

 その目には、なぜか本当に戸惑いと無実を訴える色が浮かんでいた。

「違います……師匠。俺も、どうしてこんな話になったのか分からないんです。俺が話したのは、師匠がゴブリン首領を斬ったことと、橡の森で俺たちを助けてくれたことだけです。その後、どんどん話がおかしくなって……俺も、どうして『千匹以上』になったのか分かりません……」

 

「あなたは……はあ……」

 真相を知った俺は、こめかみが脈打つのを感じた。

 何か説教をしようとした。

 だが結局、それは長いため息に変わった。

 考えてみれば、この件を彼だけの責任にすることはできない。

 それどころか、俺は彼の無意識の行動によって、職業認定任務を一つ達成できたのだ。

 結果だけを見れば、彼は間違いを犯したどころか、むしろ功績を立てている。

 

 もういい。

 噂というものは、最初の一人だけで作られるものではない。

 皆がそれぞれ一筆ずつ加えた結果、今のような馬鹿げた絵が完成したのだ。

 

 そう考え、俺は身体を回した。

 まだその場に残っている学生たちを見渡し、軽く咳払いをする。

「皆さん。先ほどの一件は、すべて誤解です」

 声は大きくなかった。

 だが訓練場は、針が落ちる音さえ聞こえそうなほど静まり返っている。

「実を言えば、俺は王族の血を引いているわけではありません。剣術も、どうにか人前で使える程度です。ただ、皆さんが剣術について何か相談したいことがあるなら、俺に時間がある時でよければ、いつでも話しに来てください」

 

 俺が言い終えると、学生たちの表情は、むしろ先ほどより明るくなった。

「ほら見ろ。やっぱりコロン旦那様は謙虚なんだ」

「貴族なのに、あれほどの度量があるなんて、本当に珍しい」

「今度、絶対に剣術を教えてもらおう!」

 

 彼らは三人、五人と集まりながら、その場を離れていった。

 皆、去り際に満足そうな視線を俺へ向けてくる。

 先ほどの説明によって誤解が解けるどころか、俺の姿が彼らの中でさらに一回り大きくなったように見えた。

 

 俺はその場に立ち、遠ざかっていく彼らを黙って見送った。

 急に、どうしようもない無力感が押し寄せてくる。

 

 もういい。

 どう説明しても、理解してもらえそうにない。

 

 俺はオリアンへ視線を向けた。

 それから少し離れた場所にいるハリンと、小石で遊んでいるライチェ主教へ手招きをする。

「行きましょう。皆さんを営地へ案内します。ちょうど、オリアンのことも皆に紹介しておきましょう」

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