最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜 作:窮北の風
「む?その場で作る、だと?」
その言葉を聞いた瞬間、普段は沈着なトール男爵でさえ、思わず低い声で驚きを漏らした。
「ええ」
俺は相手の視線を正面から受け止め、ゆっくり口を開く。
「ただ、トール殿のこちらに、それに見合う道具と材料があるかどうかは分かりませんが」
「道具と材料なら心配はいらん。書斎の隣が私の工房だ。普段、私はそこで新しい酒の研究をしている」
トール男爵はゆっくりと立ち上がった。
その目は、なおも俺をじっと捉えている。
「ただし、本当に皆の前でその場で作るつもりか?分かっているとは思うが、醸造は短時間で終わるものではないぞ」
相手が心配しているのは分かった。
どうやら、情けをかけて俺に逃げ道を用意してくれているらしい。
俺が礼を言おうとした、その時。
アシュビー男爵が先に口を挟んだ。
「いやいや、コロン殿がその場で披露したいと言うのなら、むしろ願ってもないことではないか。私たちも、ちょうど証人役を務められるというものだ。ウェバー先生、そうでしょう?」
ウェバー先生は高背の椅子にもたれたまま、冷笑を漏らしただけだった。
返事をするのも面倒だと言わんばかりに、俺を見る。
その目はこう言っていた。
好きにしろ。どう収拾をつけるのか見せてもらおう、と。
「では、工房をお借りします」
俺は二人を無視し、トール男爵へ頷いた。
その後、皆は執事に案内され、書斎の脇にある彫刻入りの木扉を抜けた。
隣の工房へ入る。
中の様子を一目見た瞬間、見慣れているはずの俺でさえ、少し呆気に取られた。
そこは工房というより、むしろ巨大な錬金工房に近かった。
中央には大きな橡木の作業台が置かれている。
天板の上には、大きさの異なる黄銅製の蒸留器、ガラスの計量杯、乳鉢、濾し網などが整然と並べられていた。
どの器具も、ぴかぴかに磨き上げられている。
壁際には二つの薬棚があり、百を超える手のひら大の仕切りに分けられていた。
それぞれの格子には、様々な薬草の札が貼られている。
もう片側は貯酒区になっていた。
一ガロンしか入らない小さな橡木樽から、人の腰ほどもある大樽までが順に並び、樽の表面には白墨で酒名と年代が記されている。
「どうだ?私の工房は君の要求を満たせそうか?」
トール男爵は卓上の蒸留器に軽く手を添えながら、何気ない調子で尋ねた。
「もちろんです」
俺はようやく我に返り、力強く頷いた。
冗談ではない。
ここの道具があれば、酒造りどころか、魔法薬剤の精製だって十分にできる。
「ならば始めてくれ」
トール男爵は無駄な言葉を挟まず、作業台の奥の位置を譲った。
執事が手早く壁の六つの燭灯へ火を入れる。
暖かな黄色い光が、部屋全体へ広がった。
俺は作業台の前へ立つ。
皆は自然と、半円を描くように周囲へ集まった。
「始める前に、一つだけ小さなお願いがあります」
俺は周囲を見回し、落ち着いた声で言った。
「先に皆様で火竜の涙《かりゅうのなみだ》を味わっていただけませんか。後で俺が作り上げた時、知らぬ存ぜぬと言われては困りますので」
トール男爵はわずかに頷き、執事へ酒を注ぐよう目で示した。
執事は小さなガラス杯をいくつか取り出し、あのガラス酒壺から一つずつ半杯ほど注いでいく。
そして、その場の者たちへ配った。
「この酒一本がいくらするか分かっているのか?いや、君に言っても無駄か」
アシュビー男爵は酒杯を受け取りながら、嫌味ったらしく呟いた。
俺は彼を無視し、杯を唇へ近づける。
酒液が口に入った瞬間、俺はわずかに眉をひそめた。
違う!
酒の色は、確かに火竜の涙《かりゅうのなみだ》特有の淡い緑色だ。
澄みきっていて、透明感もある。
だが、味が俺の記憶にあるものとは明らかに違っていた。
手の中のこの酒は、口に含むと果実の香りがある。
柔らかく、滑らかだ。
飲み込んだあと、舌先に淡い温もりが浮かぶ。
しかし、本物の火竜の涙《かりゅうのなみだ》は違う。
氷と炎がせめぎ合うような、極限の刺激。
火花が舌の上で跳ね、弾けるような衝撃。
それこそが本来の味だ。
俺はさらに二口目を含み、自分の判断を確かめた。
アシュビー男爵の言う火竜の涙《かりゅうのなみだ》は、正しい製法で作られたものではない。
ただの模造品だ。
俺がそう判断できたのは、ゲーム時代にこの酒の製法と工法を専門的に研究したことがあったからだった。
見た目こそ本物に極めて近い。
だが、味は一段どころか、数段落ちる。
「どうした?コロン殿、眉をひそめているではないか。味が良すぎて、自分では及ばぬと悟ったのかな?今なら負けを認めても間に合うぞ」
俺の表情をアシュビー男爵に見咎められたのだろう。
彼は酒杯を置き、袖口で口元を拭いながら、再び得意げな確信を笑みに浮かべた。
ウェバー先生も自信を取り戻したようで、ゆっくりと髭を撫でながら言う。
「若者よ。今、素直に謝れば、我々もそこまで君を追い詰めはしない。なにしろ――」
「たぶん、問題ありません。」
俺は相手の言葉を遮った。
隣にいたオリアンの目元が、ぴくりと動く。
そして俺の耳元で小声で尋ねた。
「ご主人様……今、「たぶん」とおっしゃいましたかな?」
俺はそれ以上説明せず、彼に『安心してくれ』という視線を送った。
それから、貯酒区へ向かう。
白墨で『赤葡萄酒』と書かれた小樽を見つけると、栓をひねり、深紅の酒液を陶罐いっぱいに受けた。
作業台へ戻る途中、俺は横目でウェバー先生を見た。
先ほどまで得意満面だった笑みは、半分以上消えている。
上がった口角だけが、まだ顔に貼りついていた。
「はは、葡萄酒か。何か本物の技でもあるのかと思えば、ただの混ぜ物とはな」
アシュビー男爵は仲間の異変に気づかず、なおも面白そうに俺が恥をかくのを待っていた。
俺は葡萄酒で満たした陶罐を作業台の上へ置き、続いて薬棚から薬草を選び始める。
だが、周囲の者たちは気づいていなかった。
俺が薬草を一つ手に取るたびに、ウェバー先生の顔色が一段ずつ白くなっていくことに。
四種類目――龍牙草の根を格子から取り出した時、ウェバー先生の身体がはっきりと揺れた。
指が、無意識に酒杯を強く握り締める。
七種類目の薬草を取り出す頃には、樅郡《もみぐん》から来た醸造の名匠は、すでに長椅子から立ち上がっていた。
彼は無意識のうちに数歩前へ進み、作業台の傍らに立つ。
皺に覆われたその顔からは、もはや傲慢さなど欠片も消えていた。
そこにあるのは、必死に押し隠そうとしても隠しきれない恐慌だけだった。
傍らにいたトール男爵とアシュビー男爵も、ここでようやく異変に気づいた。
二人は顔を見合わせる。
それから、さらに作業台へ近づいた。
俺は、周囲から近づいてくる視線を気にしなかった。
甘草、太陽花、葛根など、八種類の薬草を順に取り出す。
重さを量ったあと、一つずつ酒液へ投入し、煮詰め始めた。
その後、煮詰めた酒液を濾し網に通し、ゆっくりと薬滓を取り除く。
澄んだ濃色の液体を、黄銅の蒸留器へ注いだ。
蒸留器の下にある火炉へ火を入れ、火加減を整える。
そして一歩退き、腕を組んで静かに待った。
時間が一秒、また一秒と流れていく。
蒸留器の出口に、最初の透明な液体が凝り始めた。
やがて、それはゆっくりと落ち、下に置かれたガラスの収集瓶へ滴る。
続いて二滴目。
三滴目。
それらは、やがて細い線となった。
同時に、複雑で濃密な酒香が空気中へ広がっていく。
最初に鼻腔へ飛び込んできたのは、清冽な薬草の香り。
次に、葡萄酒特有の芳醇な果実香。
最後に、ごく淡いが無視できない硫黄の匂いが一筋混じる。
その匂いを嗅いだ瞬間。
その場にいた者たちの表情が、全員変わった。
これはまさに、手にした杯の中にある火竜の涙《かりゅうのなみだ》と同じ香りだった!