毒舌スターは、やさしく笑わない。 作:ひまんちゅ
黒崎怜奈の握手会は、普通のアイドルイベントとは少し違う。
「応援してます」
「あっそ。そういう便利な言葉でまとめる人、だいたい中身ないよね」
「今日の歌、良かったです!」
「良かった、じゃわかんないんだけど。小学生の感想文? 具体的にはどこ」
「ダンスのキレ、すごかったです……!」
「そんな細かいとこまで見てるとか暇なの? キモ」
ひどい。文字に起こせば炎上しかねない返しを、黒崎怜奈は一切の淀みなく、むしろ美しく言い放つ。
それなのに、言われた側のファンはだいたい満足げな顔でブースを出てくるのだから、外から見ていると意味がわからない。
「すご……」
会場の端でそれを眺めていた三島透は、思わず小さくつぶやいた。
彼は別に、罵られに来たわけではない。
友人に誘われてライブ映像を見たのがきっかけだった。黒崎怜奈は歌が抜群にうまく、ダンスも鋭い。テレビでは強気で、配信では共演者すら切って捨てる。変なキャラだな、とは思ったが、少なくともステージの完成度は本物だった。
だから今日も、どちらかといえばパフォーマンス目当てで来ている。
目の前で行われているのが“接触イベント”という名の特殊な儀式であることには、いまだに慣れない。
「次の方どうぞー」
スタッフの声が響き、透の前にいた中年の男性が、どこか晴れやかな顔で去っていく。
今、あの人は何を言われたのだろう。心なしか足取りまで軽い。
そして列が進む。
気がつけば、もう透明な仕切りの向こうに本人がいた。
黒崎怜奈。
照明の下で見ると、ライブ映像よりもずっと輪郭が鋭く見えた。細い顎、まっすぐな鼻筋、涼しい目元。近づきがたい美人、というやつだ。だが、本当に目を引くのはそこではない。目だ。相手を見る目が、驚くほど静かだった。
ただ睨んでいるわけじゃない。
値踏みとも少し違う。
一瞬で相手を読み取ろうとする、冷たいのに妙に丁寧な目だった。
「はい、何」
透の番になるなり、怜奈は言った。
「黙ってると時間の無駄なんだけど」
声はよく通る。歌っている時と同じ声だ、と透は妙なところで感動した。
「あ、えっと……ライブ、すごかったです」
「で?」
「え」
「“すごかった”の中身。何がどうすごかったの」
「歌と……ダンスの、両方」
「雑。スーパーのまとめ売りじゃないんだからさ。適当に褒めれば喜ぶと思ってる?」
周りのスタッフは顔色一つ変えない。
つまり通常運転なのだろう。
透は少しだけむっとした。
別に傷ついたわけではない。ただ、ここまでテンプレ通りに刺してくると、逆に試されている気がする。
「二曲目の落ちサビです」
思わず口から出た。
「音源より少し強く切ってたでしょう。たぶん今日、前半で客席の熱量見て変えましたよね。あと間奏明けのターン、カメラ抜かれる位置ぴったりだった」
一秒。
二秒。
怜奈は瞬きを一度だけして、それから少しだけ口角を上げた。
笑った、というにはあまりに微細だったが、明らかにさっきまでとは違う。
「へえ」
それだけ言って、彼女は頬杖をつくように少し身を寄せる。
「そこまで見てるとか、ほんと暇なんだ」
「褒めてます?」
「褒めてない。気持ち悪いって言ってる」
「言い方が洗練されてるだけで、内容同じですよね」
「うわ、めんどくさ。そういうの、友達いないタイプ」
「そっちこそ、初対面にそれ言うんですか」
「初対面だから言うんでしょ。距離感バグってるの?」
会話のテンポが妙に噛み合っていた。
罵倒というより、なぜか軽口の応酬みたいになっている。
透はそのことに途中で気づいた。
この人、ただ適当にひどいことを言ってるんじゃない。
相手が本気でへこまない線を、たぶん最初の数秒で見切っている。
怜奈の視線が、透の服装、立ち方、目線の泳ぎ方を一度だけなぞった。
観察されている、という感覚が遅れてやってくる。
「……あんたさ」
「はい」
「別に罵られに来たわけじゃないでしょ」
「まあ、はい」
「なのに逃げないんだ」
「パフォーマンスは本物だと思ってるので」
「ふうん」
そこだけ、少し低い声だった。
「時間でーす」
スタッフの声が割って入る。
透は慌てて一歩下がった。
「じゃあ」
「待って」
珍しく、怜奈の方が引き止めた。
透が目を上げると、彼女はいつもの冷たい顔に戻っていた。
「次からは“すごい”とか“良かった”とか、ぼんやりした言葉で済ませないで」
「……はい」
「ちゃんと見たなら、ちゃんと刺してきて。こっちもその方が楽しいから」
「それ、ファンサですか?」
「調子乗んな。特別扱いだと思った?」
「違うんですか」
「全員に夢見せるのが仕事なんで」
そこで時間切れになった。
係員に促され、透は半ば押し出されるようにブースを離れる。
列の外まで来てから、彼はようやく息を吐いた。
なんだ今の。怖かったような、そうでもないような。嫌な気分には、なぜかなっていない。
それどころか、もう一度話したいとすら思ってしまっている。
「初めて?」
隣で声をかけてきたのは、年上らしい女性ファンだった。落ち着いた雰囲気で、首から提げた会員証の色が一般とは違う。
「顔がそう言ってる」
「そんなにわかりますか」
「わかる。びっくりしたでしょ」
「まあ……思ったよりちゃんとしてるというか」
「ちゃんとしてるよ、あの人は」
女性は少し笑った。
「表ではああいうキャラだけど、雑じゃないから」
「やっぱりキャラなんですね」
「それはみんな、なんとなくわかってる。でも、だからって安く“本当は優しいんです”って消費しないのがファンの礼儀」
妙に含みのある言い方だった。
透が首をかしげると、女性はそれ以上は語らない。ただ、少しだけ誇らしげだった。
「ライブ後の限定配信、見られるなら見てみなよ。高いけど、一回きりだし。無理にとは言わないけど」
「限定?」
「うん。民度、問われるやつ」
そう言って、彼女は手を振って去っていった。
透は会場の出口へ向かいながら、さっきの言葉を反芻する。
全員に夢見せるのが仕事。
あの冷たい声で言われたそれは、妙に耳に残った。
虚勢にも、冗談にも聞こえなかったからだ。
会場の外では、夜風が少し冷たかった。
ビルの壁面モニターには、ちょうど黒崎怜奈のCMが流れている。挑発的な目つきで、こちらを見下ろすように笑う姿は、さっきまで目の前にいた本人と寸分違わない。
なのに透は、あの一瞬だけ見えた微かな変化を思い出していた。
ほんの少しだけ。
“へえ”と言った時の、あの小さな温度。
「……変な人だな」
自分でも笑ってしまう。
好きか嫌いかでいえば、まだよくわからない。
だが、もう一度見たいとは思っている。
歌でも、ダンスでもない。
たぶん、あの完璧な毒の奥に、何を隠しているのかを。
スマホを開く。
公式サイトを辿る。
そして、少しだけ迷ったあと、透は例の高額会員プランのページを開いた。
画面には注意書きが並んでいた。
『限定配信の内容を外部に漏らさないこと』
『演者のプライベートを過度に詮索しないこと』
『夢を壊すためではなく、守るための場所であることを理解できる方のみ』
「守るため、ね」
最後の一文だけ、妙にまっすぐだった。
黒崎怜奈というアイドルは、もしかすると誰よりも真面目に“嘘”をやっているのかもしれない。
そう思った瞬間、透の指は、入会ボタンを押していた。