六神将のお世話係   作:俺は悪くねぇ!

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教官と少年と毒

 〇月△日 天候:曇り(ダアトの空は少し重苦しい)

 

 今日は恐らく一番負担が大きい仕事をしている女性、リグレット教官について日記を書こうと思う。

 

 僕が彼女と初めて会ったのはヴァンに拾われて間もない頃だった。廃棄場から這い出たばかりの僕は泥と煤にまみれた、ただの「出来損ないのレプリカ」に過ぎなかった。そんな僕を彼女は氷のような冷徹な瞳で見下ろした。それが第一印象。

 

「……閣下。このような戦力にもなり得ぬ欠陥品を側に置くのは時間の無駄かと」

 

 それが彼女が僕に向けた最初の言葉だった。軍人としての正論。無駄を嫌いヴァンの理想のためにすべてを捧げる彼女らしい、鋭い刃のような評価。

 

 普通の人なら萎縮して泣き出してしまうような威圧感だったけど、前世で彼女の「最期」を知っていたから。あんなに気高く誰よりも不器用な愛を抱えて散っていった彼女を怖いとは思えなかったんだ。

 

 だからこそ彼女の負担を軽減させたいと考えた。あ、そうそう負担っていうのは六神将のまとめ役の事ね。

 よく考えてごらん? 曲者ばかりの六神将を一つにまとめるのってとんでもない負担だから。

 

 唯一言うことを聞いてくれそうなのはアリエッタぐらいじゃない? 彼女はなんだかんだで素直な子だし。

 でもそれ以外の男連中は基本自己中、ラルゴは言えばわかってくれそうだけどそれ以外は論外。

 

 実際リグレットを廊下で見かけた時お腹を擦って溜め息を吐いていた。たぶん言う事聞いてくれなさすぎてストレスがやばいんだろうね。

 

 それに彼女は自分を律しすぎる。食事は栄養補給としか考えていないし、睡眠時間も極限まで削ってヴァンの計画のために書類仕事に没頭する。そんな彼女を放っておけるはずがない。

 

 最初は僕が彼女の執務室にお茶を持っていくたびに、「出て行け」と冷たくあしらわれた。でも、僕はめげなかった。

 

「リグレット、気分が落ち着くハーブティーを作ったんだ。よかったらどう?」

「……私を物で懐柔しようとでも? 下らない真似はよせ」

「そっか。じゃあここに置いておくね。もったいないから気が向いたら一口だけでも」

 

 そうやって、毎日毎日彼女の心の壁に小さな穴を開けるように通い詰めた。

 

 変化が現れ始めたのは、一ヶ月が過ぎた頃だろうか。

 彼女は相変わらず僕を「出来損ない」と呼ぶけれど、僕がハーブティーを持って部屋に入ると無言で書類の端を片付けて、カップを置くスペースを作ってくれるようになった。

 最近では僕が少しでも遅れると、彼女が執務室のドアをチラチラと気にしているという噂を部下の騎士から聞いた。

 

 ……もう、可愛すぎる。

 

 彼女は僕のことをどう思っているんだろう。

 時折ふとした瞬間に彼女が僕を見る瞳に深い戸惑いと、それ以上の慈しみが混ざるのを感じる。たぶんだけど。

 

 最初は彼女にとって僕は出来損ないのレプリカでしなく、ヴァンの気まぐれに過ぎない存在だった訳で。

 でも今はちょっとした世間話ぐらいはする仲にまでなった。

 

「貴様は……なぜ、これほどまでに私に構うのだ」

 

 以前、夜更けに肩叩きをしてあげた時、彼女が消え入るような声でそう呟いたんだ。

 人に弱みを見せない彼女にしては珍しい姿にちょっと驚いたけど、僕は何でもないように応えたんだ。

 

「別に大きな理由はないかな? ただほっとけないって思ったのとあんな濃いメンツをまとめてて大変そうだから何か手伝えないかなって思ったんだ」

 

 彼女はそれ以上何も言わなかったけど、その日以降は僕の事をちゃんと名前で呼ぶようになった。

 

 

 

 =======

 

 

 

 執務室の窓から差し込む陽光は、ダアトの高く澄んだ空を思わせるほどに白い。

 私はペンを置き、眉間に寄った皺を指先でなぞった。目の前には山積みの軍議資料と閣下が進める新世界への工程表。それらは私の人生そのものであり捧げるべきすべてだ。

 

 ふと、デスクの隅に置かれたこの殺風景な部屋には似つかわしくない可愛らしい陶器のカップに目が留まる。中身はもう空だが、微かに残るハーブの香りが先ほどまでここにいた彼の残照のように漂っている。

 

 あの、不思議と心が安らぐ奇妙な存在。

 私が彼――サンと出会ったのは閣下からの紹介だった。

 

 あの日、私は閣下と共に廃棄場にいた。第七音素の適正を欠いたあるいは自我を持たぬまま形だけを成した「失敗作」たちを処分するためだ。それは慈悲であり合理的な判断だった。

 導師イオンという絶対的な器の代わりにもなれぬ泥の人形。それらが無数に折り重なる光景に、私は何の感慨も抱いていなかった。軍人として閣下の理想の駒として不要なものは切り捨てる。それが私の正義だ。

 

 その筈だった。

 

「また無理をして。はい、ハーブティーのおかわり」

 

「別に無理などしていない。これぐらいは普通だ」

 

「いや、この書類の束は普通じゃないのでは?」

 

 顔を引き攣らせるサンに、私はつい笑みが溢れる。

 

「閣下の悲願を思えばこれぐらいなんということはない。計画が本格的に動くとなったらこれ以上の働きをしなくてはならないからな」

 

「ヴァンの計画ね……リグレットはこの世界が憎い?」

 

「愚問だな。私だけではない。六神将全員がそうだ。それはお前もよく知っているだろう?」

 

「知っているよ。勿論ね」

 

 サンは寂しそうな表情をしていた。それが私の心臓を締め付ける。

 

「だが、お前は違うのだろう?」

 

 私の問いにサンは答えなかった。ただ、空になったカップをトレイに載せ窓の外に広がるダアトの街並みを眺めていた。その背中は導師イオンと同じ形をしていながらどこか決定的に異なっている。

 

 レプリカ。作られた命。

 本来なら感情の振れ幅など持ち得ぬはずの存在。だというのに彼はこの殺伐とした組織の中で、誰よりも人間らしく、誰よりも今を愛おしんでいる。

 

「僕はねリグレット。預言は好かないけど……世界を破壊したいとまでは思えないんだ」

 

 サンが振り返る。前髪で隠れていた緑色の瞳が窓の風が吹くことで現れる。預言に記された冷徹な未来など一欠片も映していないようだった。

 

「六神将のみんなが笑っていられる場所を壊したくないって思うんだよ。ヴァンが作ろうとする新しい世界に、今のみんなの笑顔は連れていけるのかな」

 

 心臓が不快な音を立てて跳ねた。

 それは禁句だ。閣下の理想を疑うことは私のこれまでの人生すべてを否定することと同義。私は厳しい声を出すべきだった。彼を叱責し軍紀を叩き込むべきだった。

 だが、喉の奥に張り付いた言葉は彼の悲しげな微笑みの前で溶けて消えた。

 

「……お前は、お人好しすぎる。自分が廃棄されるはずだった存在だということを……忘れたのか」

 

「忘れてないよ。だからこそ、今こうして君にお茶を淹れられる時間が奇跡みたいに思えるんだ」

 

 彼は私のデスクに歩み寄ると、山積みの資料の端を器用に片付け小さなスペースを作った。そして、持参したバスケットからまだ温かいスコーンを取り出す。

 

「はい、これはディストの実験を手伝ったお礼に厨房を借りて作ったんだ。リグレットは甘さ控えめがいいでしょ?」

 

 断る理由はいくらでもあった。公務中であること。空腹ではないこと。レプリカに施しを受ける謂れはないこと。

 しかし、私の指先は吸い寄せられるようにその温かな焼き菓子へと伸びていた。口に含むと素朴な小麦の香りと、控えめな蜂蜜の甘さが広がった。

 

 ……毒だ、と思った。

 

 この少年の優しさは、私たちが抱くべき研ぎ澄まされた憎悪を鈍らせる、甘い毒だ。

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