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花粉のピークが過ぎ去ってしまえば、春という季節は四季の中でいちばん心地の良いものだと、僕は思う。
ぽかぽかと降り注ぐ太陽の光と、頬を撫でるやわらかな春風。門出を祝うかのように美しく咲き誇る花々。それらすべてが、子供の頃に感じたあのワクワクした気持ちを、そっと思い出させてくれるのだ。
「チャァ〜……ピカチュ♪」
うすチュウも、僕と同じようにこの春を感じているのだろうか。花の香りを楽しむように鼻先をくすぐらせ、満足げに口元をゆるめている。
身体を動かすたびに、ポケモン用の小さなポーチとピッピ人形がゆらりと揺れて、その仕草がまた、愛らしさを際立たせていた。
『うすチュウ』というのは、この前僕が見つけた、薄い白色に近い体色をしたピカチュウのことだ。
薄い色のピカチュウ。略して『うすチュウ』。
我ながら単純なネーミングだが、本人はいたく気に入っているらしい。
名前を呼べば、嬉しそうに目を細めて笑い、こちらに駆け寄ってくる。ずいぶんと人懐っこい性格だ。
このうすチュウは、電気袋に異常があるのか、うまく発電ができないようだった。力を込めて雷を放とうとしても、せいぜい静電気程度の電気が、薄桃色の頬からパチパチと音を立てるくらいしか出ない。
ジョーイさんの話では、過去に過剰な放電をした形跡があるらしい。その影響で、外部から電気を蓄えることはできても、自ら電気を発電することが難しい体になってしまったのだという。
かつてトレーナーから酷い扱いを受けたのか、それとも群れの中で何かがあったのか。
想像はいくらでもできる。
けれど、当の本人は、そんな過去を微塵も感じさせない。心に傷を負っている様子も、トラウマを抱えているような素振りも、まるで見せないのだ。
それどころか、僕やジョーイさんに対しては、どこか献身的ですらある。温厚で、優しくて、まるでこちらを気遣ってくれているかのような振る舞い。
となると、仲間や大切な誰かのために無理をして、その結果、発電できなくなり、体の色さえも薄れてしまった。そんな物語めいた想像すら、ついしてしまう。
……まあ、所詮はただの想像でしかないのだけれど。
そしてなぜか、このうすチュウは、僕が面倒を見ることになった。
本来なら、ジョーイさんに任せるつもりだった。けれど、うすチュウは妙に僕に懐いていて———いや、それだけじゃない。どこか「離れようとしない」ような、そんな意志すら感じたのだ。
なぜだろう。
もしかして、自分より弱い存在だとでも思われているのだろうか。だから守らなきゃいけない、とでも?
……いやいや。さすがにそこまで落ちぶれてはいない。むしろ、今にも消えてしまいそうなのはお前の方だろう、と声を大にして言いたい。
とはいえ結局、ジョーイさんにも強く念押しされてしまった。
『野生のポケモンを拾ったのなら、最期まで面倒を見なさい!』
———と。
まるで母親のような言い方だった。いや、実際かなりそれに近い。
昔から世話になっている手前、僕は強く反論することもできず、結局そのまま引き受けることになった。
もっとも、僕の住む屋敷には今、使用人もいない。広すぎる家に一人きりだ。そう考えれば、気晴らしに誰かと一緒に暮らすのも悪くない。
……それに、この儚げな様子を見る限り、どうせ僕より先に、旅立ってしまうだろうしね。
「あ、うすチュウ、ちょっと止まって。ピッピ人形、外れそうだ」
僕はしゃがみ込み、ポーチに付けられているピッピ人形の紐を結び直す。
このピッピ人形は、昔、曾祖父母が買ってくれた思い出の品だ。
僕は、両親や祖父母から、いわゆる“プレゼント”らしいものをもらったことはない。だからこそ、これは僕にとって数少ない宝物のひとつだった。
では何故、そんな大切なものをうすチュウに渡したのかというと、僕の部屋に飾ってあったその人形を、うすチュウがずっと物欲しそうに見つめていたからだ。
最初はあげるつもりなんてなかった。
けれど、あまりにもじっと見つめ続けるものだから、根負けしてしまったのだ。
ただ、人形だけを渡すのはどこか味気なく感じた。それで結局、ポーチも一緒に持たせることにしたのだ。
人形を受け取ったうすチュウは、しばらくそれをまじまじと見つめたあと、大事そうに、ぎゅっと抱きしめた。
その姿が、昔の自分と重なって見えて。
なんとも言えない懐かしさが胸に広がったのを、今でもよく覚えている。
「ピカ……? ピカピカチュウ♪」
結び直しが終わると、うすチュウはいつもの、儚くもどこか上品な笑みを浮かべて、ぺこりと頭を下げた。
……うん、かわいい。
なんだろう、このピカチュウ。
妙にお嬢様っぽいというか、どこか気品があるというか。恋愛ゲームに出てくるヒロインみたいな雰囲気すらある。
身近な例で言えば———
若い頃の曾祖母に、お嬢様要素と清楚さをこれでもかと詰め込んだような、そんな感じだ。
これがもし人間の女の子だったら、きっと相当人気が出ただろうな、なんて思ってしまう。
「それじゃあ、そろそろ帰ろうか。ほら、おいで」
「ピッカッチュウ♪」
手を広げると、うすチュウは嬉しそうに鳴きながら、トテトテとこちらへ歩いてくる。
その小さな体を、そっと抱き上げた。
「それにしても、本当に軽いな」
「ピカ〜?」
「色もさ、こんなに薄いし。僕の髪より淡い黄色って、相当珍しいんだぞ?」
「ピカ〜……ピカチュッチュ♪」
「なんだよ、そんなに見比べて。似てるって思ってるのか?」
「ピッカッ♪」
「はは、そっか。……僕も、ちょっと嬉しいよ」
胸元に頬を擦り寄せながら、愛らしく鳴くうすチュウ。その仕草に、自然と笑みがこぼれる。
少し前までは、一人の方が気楽だと思っていたのに。今では、うすチュウがそばにいる日常が、当たり前のように感じられている。
———ずいぶんと、絆されてしまったものだ。
そう思いながら、僕はうすチュウの頭を優しく撫でた。
まあ、この様子だと、長くはないだろう。だからこそ。それまでの間くらいは、この穏やかな日々を、しっかり味わっておこう。
そう心に決めて———
今日も僕たちは、僕らの家へと帰っていくのだった。
「うふふっ、ピッピ人形を置いてくれてありがとうございます、メタモンさん♪」
“———?”
「人形が好き……と言いますか、どうやらわたくしは、ピッピ人形がとっても好きなようです♪」
「ピッピ人形が好きな理由は分からないのですが…… これを見ていると、何故だかとっても心が温かくなるんです♪もしかしたら、大切な人との思い出の人形なのかもしれませんね♪」