ゲヘナ特務執行隊「レイヴン」   作:ゴリさん39

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第9話 トレイス 

 

 鍋の中で、スープが小さく音を立てていた。

 

 里屋ユウは木べらを動かしながら、ふわりと立ち上る湯気を目で追う。

 寮の共有キッチンは広くはないが、三人分くらいなら十分だった。

 

 今日はユウが料理当番だ。

 

 といっても、洒落たものではない。

 炒め物、簡単なスープ、あとは米。

 手間よりも失敗しないことを優先した、いかにもユウらしい献立だった。

 

 背後では、食器の触れ合う小さな音がしている。

 

 振り返ると、先輩が無言で皿を運び、アノミマスがその横で静かにテーブルへ並べていた。

 先輩の動きは慣れていて、余計な音が少ない。

 アノミマスの方は少し慎重で、皿を置くたびにほんの少しだけ間がある。

 

 それでもちゃんと手伝っている。

 その光景が少しだけ不思議で、でも悪くなかった。

 

「そこ、熱いから気をつけて」

 

 ユウが言うと、アノミマスは小さく頷く。

 先輩は「見ればわかる」と言いたげな顔をしたが、口には出さなかった。

 

 ユウが最後に火を弱めた時だった。

 

 皿を置いた先輩が、端末へ視線を落としたまま言った。

 

「さっき連絡が来た。明日、任務が決まった」

 

 ユウは鍋の取っ手に触れた手を少しだけ止める。

 

「明日ですか」

 

「十時入り。学園外縁の廃墟ビル」

 

 そこでアノミマスが少しだけ顔を上げた。

 白い髪が、部屋の照明を静かに返す。

 

 ユウは皿へ炒め物をよそいながら聞き返す。

 

「廃墟ビル?」

 

「最近、怪談話で少し有名になってる場所だ」

 

 その言葉に、ユウの手がほんの少しだけ止まった。

 

「……怪談話」

 

 声に出した瞬間、自分でもちょっと嫌そうな響きになったのがわかった。

 

 先輩がそれを横目で見る。

 

「人影が見える。話し声が聞こえる。誰もいない階で足音がする。そういうやつだ」

 

「普通に嫌なんですけど」

 

「嫌なら留守番するか」

 

「いや、行きますけど」

 

 行かないとは言えない。

 言えないが、怖いものは普通に怖い。

 

 ユウは昔からこういう話が得意じゃない。

 ホラー映画が見られないほどではないが、夜に思い出したくない類のものだ。

 

 アノミマスはその会話を聞きながら、テーブルにコップを並べている。

 特に怖がっている様子はない。

 やっぱり普通の子ではないのだろう、とユウは改めて思う。

 

「風紀委員会案件じゃない」

 

 先輩が短く続ける。

 

「神秘由来の滞留反応が出てるらしい。第8班の担当だ」

 

 ユウはそこで少し眉を寄せた。

 

「……その調査って、レイヴンが担当するものなんですか」

 

「神秘寄りだ。うちの範囲になる」

 

 ユウは料理をテーブルへ運びながら、小さく首をかしげる。

 第8班。自分たちの班。

 でも、その中身を自分はまだちゃんと理解していない。

 

 少し迷ってから、ユウは前から気になっていたことを口にした。

 

「そういえば、自分たちの班って正式には何て言うんですか」

 

 露骨に、先輩が少しだけ嫌そうな顔をした。

 

「……部屋に資料置いてあるだろ。確認しろ」

 

「見ましたけど、量多くて」

 

「読め」

 

「今ここで聞いた方が早いかなって」

 

 先輩は数秒だけユウを見た。

 呆れている。かなり呆れている。

 でも切り捨てるほどではないらしい。

 

 小さく息を吐いてから、先輩は答えた。

 

「レイヴン、特務調査群〈ハウンド〉第8班。神秘調査専門《トレイス》。それがお前の班だ」

 

 ユウは一瞬、言葉を頭の中で反芻した。

 

「……トレイス」

 

 冷たくて、静かで、少しかっこいい名前だった。

 

「痕跡を追う班だ」

 

 先輩は椅子を引きながら、淡々と続ける。

 

「神秘由来の残滓、異常反応、局所滞留、雷帝遺物の微弱反応。普通の観測じゃ拾いきれないものを見つけて、辿って、位置を確定して、必要なら処理する」

 

 ユウはゆっくりと席についた。

 

 その説明で、今まで部屋の中で見てきた断片が少しずつ繋がっていく。

 

 アノミマスの見ている“糸”。

 時々空中を追う視線。

 売店でも、文具棚のしおり紐を見て止まったあの感じ。

 

 ユウはアノミマスを見る。

 

「……じゃあ、アノミマスがいるのって」

 

「そのためだ」

 

 先輩があっさり言い切る。

 

「あいつが見てる糸は、神秘由来の痕跡に繋がる」

 

 ユウは少しだけ黙った。

 

「本当に見えてるんですね」

 

 言い方が少し雑だったかもしれない。

 でも、素直な感想だった。

 

 先輩は頷きもしないまま続ける。

 

「本人にしか見えない。理屈も完全にはわかっていない。機械でも再現しきれていない」

 

「何でも見つけられるんですか」

 

「何でもじゃない」

 

 即答だった。

 

「濃いものほど見やすい。近い方が拾いやすい。逆に薄いもの、遠いもの、入り組んだものは追いづらい」

 

 ユウは少し安心した。

 全部見える万能能力、というわけではないらしい。

 

 先輩はそこで一拍置いた。

 

「追わせすぎると体調を崩すこともある」

 

「負荷、あるんですね」

 

「ある」

 

「だから見つけるのはあいつ。処理するのはこっちだ」

 

 かなり綺麗に腑に落ちた。

 

 アノミマスが糸を辿る。

 班が現場へ行く。

 先輩が護衛する。

 自分は補助する。

 

 つまり。

 

「……この班、ほぼアノミマス前提じゃないですか」

 

「そうだ」

 

 あまりにもあっさり肯定されて、ユウは本気で少し引いた。

 

 売店で小銭を数えていた子だ。

 白い飲み物の前で悩んでいた子だ。

 先輩の後ろに隠れるように立っていた子だ。

 

 その子が、班の中核らしい。

 

「結構すごいところに配属されたんだな……」

 

 思わず漏れた本音に、先輩が少しだけ目を細める。

 

「今さらか」

 

「今さらですけど」

 

「勘違いするな。お前がすごいんじゃない。班が重いだけだ」

 

「わかってますよ」

 

「ならいい」

 

 横を見ると、アノミマスは静かに座っていた。

 何も言わない。

 でも、心なしかほんの少しだけ姿勢が良い。

 

 気のせいかと思ったが、もう一度見るとやっぱり少しだけ胸を張っているように見える。

 

 ユウは目を細めた。

 

「……なあ」

 

 アノミマスがこっちを見た。

 

「ちょっとドヤってないか?」

 

「どやってない」

 

 小さい声で、即答だった。

 

 その返しが余計に怪しい。

 

 ユウが口元を緩めると、アノミマスは少しだけ視線を逸らした。

 たぶん気のせいじゃない。

 ほんの少しだけ、自分の能力の話をされて得意だったのだろう。

 

 それがわかると、なんだか少し安心した。

 こんなに特別な班の中心みたいに扱われていても、ちゃんと少し得意げになったりする子なんだなと思えたからだ。

 

 先輩が箸を取る。

 

「現地ではまず外から確認する。内部へ入るのはその後だ」

 

「いきなり突っ込まないんですね」

 

「無駄が多い」

 

「怪談の現場に無駄なく入りたくないんですけど」

 

「なら余計に外から見る」

 

 その理屈は正しい。

 正しいが、怖いものは怖い。

 

 ユウはスープを口に運びながら、端末に送られてきた任務概要を軽く確認する。

 廃墟ビル。継続する怪奇現象。神秘滞留の疑い。中心点を特定し、拡散杭による処理を行う予定。

 

 派手な怪異退治、みたいなものを勝手に想像していた。

 でも実際はもっと実務的だ。

 見つけて、刺して、測って、散らす。

 たしかにレイヴンらしい。

 

「拡散杭って、あの杭みたいな装置ですよね」

 

「そうだ」

 

「刺して終わりですか」

 

「終わりじゃない。測定しながら周囲へ神秘を逃がす。偏りを崩して薄める」

 

 ユウは少しだけ頷く。

 

 怪異を倒す、というより滞留を散らす。

 その方がしっくり来た。

 

 ただ、そこでひとつ引っかかった。

 

「……放っておくと、どうなるんですか」

 

 先輩が箸を止める。

 

「何がだ」

 

「こういう怪異現象です。滞留とか、神秘反応とか」

 

 少しだけ間があった。

 先輩はその問いを雑には流さなかった。

 

「最初は小さい」

 

 低い声で、短く答える。

 

「人影が見える。音がする。気分が悪くなる。そういうところから始まる」

 

 ユウは黙って聞く。

 

「だが、放置すると濃くなる」

 

 先輩は続けた。

 

「滞留が偏る。反応が定着する。そうなると、現象だったものが影響を持ち始める」

 

「影響って」

 

「体調不良が出る。判断が鈍る。転落や接触事故が増える。怪我人が出る」

 

 ユウは少しだけ眉を寄せた。

 

 怪談話みたいなものだと思っていた。

 でも今の話は、もっと現実的で嫌だ。

 

 先輩の声は変わらない。

 

「さらに悪化すると、局所現象じゃ済まなくなる」

 

「……済まなくならないと?」

 

「封鎖が要る。制圧班が出る。最悪、大部隊が必要になる」

 

 その言い方は脅しじゃなかった。

 見たことがある人間の言い方だった。

 

 ユウは思わずスープの湯気を見る。

 

 ただの怪談じゃない。

 ただの気味の悪い建物でもない。

 小さいうちに処理しないと、ちゃんと面倒になる。

 

「だからトレイスが先に行く」

 

 先輩が言う。

 

「火種の段階で見つける。燃え広がる前に消す。そのための班だ」

 

 短い。

 でも、今まで聞いた説明の中で一番わかりやすかった。

 

 アノミマスが糸を見つける。

 トレイスが場所を確定する。

 杭で散らす。

 大きくなる前に終わらせる。

 

 つまりこの班は、怪異を派手に倒す班じゃない。

 大事になる前に止める班だ。

 

 ユウは小さく息を吐いた。

 

「……思ってたより地味ですね」

 

 先輩が少しだけ目を細める。

 

「そうだ」

 

「でも、たぶん大事なんですね」

 

「そうだ」

 

 今度の返事は、少しだけ速かった。

 

 食事は、気づけばそれなりに進んでいた。

 ユウが作った料理に先輩は特に感想を言わない。

 アノミマスは静かに食べている。

 でも箸が止まっていないので、たぶんまずくはないのだろう。

 

 少しして、先輩が言った。

 

「質問は」

 

 ユウの頭にはいくつか浮かんでいた。

 でもその中で一番大きいのは、やっぱりこれだった。

 

「……やっぱり、自分ここでよかったんですか」

 

 先輩がほんの少しだけ間を置く。

 

「何の話だ」

 

「いや、その……思ってたより特殊だし、重い班だし」

 

「だから何だ」

 

「もっと普通の班だと思ってたんで」

 

 先輩はしばらく黙っていた。

 それから、いつもより少しだけ言葉を選ぶみたいに口を開く。

 

「お前は普通だ」

 

「またそれですか」

 

「普通のまま、変に踏み込みすぎない。必要な時は声をかける。無駄に怯えもしない」

 

 ユウは少し黙る。

 

「それで十分な役もある」

 

 短かった。

 でも、思っていたよりちゃんとした答えだった。

 

 ユウはほんの少しだけ視線を下げてから、また上げる。

 

「……了解です」

 

「なら食って寝ろ。明日早い」

 

 先輩はそれで話を打ち切った。

 

 食後、食器を片付ける頃には、部屋の空気も少し落ち着いていた。

 アノミマスはコップを流しへ運んで、先輩はそれを受け取る。

 ユウは鍋を洗いながら、さっき聞いた班名を頭の中で何度か反芻した。

 

 猟犬部隊、調査部門第8班。神秘調査専門《トレイス》。

 

 思っていたより、ずっとすごいところだった。

 

 布団へ入っても、ユウの頭には廃墟ビルの黒い外観と、白い少女のほんの少しだけ得意げな横顔がしばらく残っていた。

 

 怖い任務だ。

 でも、それ以上に少しだけ、明日が気になっていた。




特務調査群〈ハウンド〉
レイヴンにおいて、火種の発見・確認・追跡・初期管理を担う調査群。
神秘由来の異常、危険物、旧雷帝派の遺産、未管理対象などを“怪談で済んでいる段階”で見つけ、処理部門へ繋ぐことを主任務とする。

班編成一覧

第1班 情報解析専門《アーカイブ》
報告書、監視記録、事件履歴、内部資料を照合し、火種の兆候を拾う基礎班。

第2班 電子調査専門《リンクス》
通信記録、監視ログ、不正端末、裏通信など電子的痕跡を追う班。

第3班 学外実地調査専門《アウトライド》
学園外縁、封鎖区域、廃墟、旧施設などの現地調査を担当する班。

第4班 物証回収専門《ラッチ》
危険物、遺留物、試作品、封印対象などの回収と搬送を担う班。

第5班 人的調査専門《ハッシュ》
噂、証言、聞き込み、非公式情報網から火種の入口を拾う班。

第6班 観測技術専門《スコープ》
測定器や観測装置を用いて、神秘反応を定量観測する班。

第7班 封鎖監視専門《バリケード》
即時処理できない危険区域や封印対象を監視・再評価する班。

第8班 神秘調査専門《トレイス》
神秘由来の痕跡、残滓、滞留、異常導線を追跡する班。
アノミマスの“糸”の知覚を中核に置く、ハウンド内で最も新しく、最も特殊な班。
既存の観測手段では拾いきれない火種を見つけ、怪異が大事になる前に中心点を確定し、処理へ繋ぐ。
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