ゲヘナ特務執行隊「レイヴン」   作:ゴリさん39

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第11話 糸の集まる階

 

 廃墟ビルを前にすると、噂が先に立つ理由が少しだけわかった。

 

 近づくだけで空気が違う。

 冷たいわけでも、暗いわけでもない。

 ただ、人が長くいなかった場所特有の空っぽさに、何か別のものが薄く混じっている。

 

 ユウにはそれが何かまではわからない。

 わからないが、あまり居心地のいい場所ではなかった。

 

 その横で、アノミマスがビルを見上げる。

 

 白い横顔は静かなままだ。

 目だけが、ユウには見えない何かを追っている。

 

 やがて小さな声が落ちた。

 

「……三階」

 

 ユウがすぐに聞き返す。

 

「三階?」

 

「糸が、集まってる」

 

 ユウはビルを見る。

 当然、何も見えない。

 黒ずんだ窓が並んでいるだけだ。

 

 それでも先輩は迷わなかった。

 

「三階から確認する。ユウ、拡散杭を持て」

 

「はい」

 

 短い指示だけで、任務はもう動き始めていた。

 

 ビルの入口は半分崩れ、ガラス片が足元に散っていた。

 中へ入ると、埃っぽい空気がすぐに鼻へつく。

 使われなくなって長い建物特有の匂いだ。

 だがそれだけじゃない。

 奥に行くほど、少しずつ違和感が混じる。

 

 先輩が先行し、アノミマスがその少し後ろを歩く。

 ユウは拡散杭を持って最後尾についた。

 

 足音が、妙に響いた。

 

 三人分のはずなのに、時々一つ多い気がする。

 遅れて鳴るような、壁の向こうを並走してくるような、そんな嫌な響きだ。

 

 ユウは黙って歩いた。

 黙ってはいたが、意識がそっちへ引っ張られているのは自分でもわかった。

 

 階段へ差しかかった時だった。

 

 上の方から、足音が落ちてきた。

 

 コツ、コツ、コツ、と。

 乾いた靴音みたいな響きが、誰もいないはずの踊り場から下りてくる。

 

 ユウの足が一瞬だけ止まる。

 

「……っ」

 

 反射で顔を上げる。

 だが当然、誰もいない。

 割れた窓から差し込む光と、剥がれた壁材が見えるだけだ。

 

「先輩、今――」

 

「聞こえてる」

 

 短い返事だった。

 でも先輩の足は止まらない。

 

 アノミマスも、白い横顔のまま小さく言った。

 

「気にしなくていい」

 

「いや、気にはなるだろ」

 

 思わず返した声が少しだけ早かった。

 自分でも、ちょっとビビっているのがわかる。

 

 先輩が振り返りもせず言う。

 

「怪談の方に意識を持っていかれるな。火種を見る」

 

「……はい」

 

 ユウは返事をしながら、もう一度だけ上を見た。

 やっぱり誰もいない。

 

 いないのに、さっきの足音だけが妙に耳に残っていた。

 

 階段を上がるにつれて、アノミマスの歩く速度が少しだけ変わった。

 迷いが減る。

 正確に言えば、目に見えない何かへまっすぐ近づいていく感じだ。

 

 三階に着いた時、空気が一段だけ重くなった。

 

 ユウは思わず眉をひそめる。

 

「……なんか、ここだけ違わないですか」

 

「違う」

 

 先輩が即答する。

 

 アノミマスは廊下の奥を見ていた。

 そこは薄暗く、天井の一部が落ちていて、壁紙もほとんど剥がれている。

 なのに彼女は、もっと先を見ている。

 

「……こっち」

 

 小さな声に、先輩が頷く。

 

「行くぞ」

 

 三人で進む。

 ユウは周囲を見ながらついていくが、正直あまり落ち着かない。

 割れた窓に映る自分たちの影が一瞬だけ四人に見えた気がして、思わずそっちを二度見した。

 

 もちろん三人だった。

 

 気のせいだ。

 いや、気のせいじゃなく、たぶんこれも神秘の偏りが見せる歪みなんだろう。

 理屈はそうでも、嫌なものは嫌だった。

 

 廊下の途中で、アノミマスがふいに立ち止まる。

 

 小さく首を傾けて、壁の向こうを見るみたいに視線をずらす。

 

「どうした」

 

 先輩が聞く。

 

「集まってる」

 

「この先か」

 

 アノミマスは頷いた。

 

「でも、薄く散ってる。下にも残ってる」

 

 ユウはその言葉に少し反応する。

 

「下にも?」

 

「うん。ここが、いちばん濃い」

 

 ユウには何も見えない。

 でも、アノミマスの声に迷いがないのはわかった。

 

 先輩が短く指示を飛ばす。

 

「ユウ、記録。中心反応は三階奥、下層へ流出あり」

 

「はい」

 

 端末へ簡単に入力しながら、ユウは少しだけ息を整える。

 こういう時、自分に見える仕事があるのは助かる。

 怖さが少しだけ脇へ寄る。

 

 廊下の奥、かつては事務室か何かだったらしい部屋の前で、アノミマスがまた止まった。

 

 扉は半分外れ、内側は暗い。

 窓も割れている。

 床には古い書類と機材の残骸が散っていた。

 

 その部屋を見た瞬間、ユウの背中にぞわりとしたものが走る。

 

 部屋の奥から、話し声がした気がした。

 

 ぼそぼそと。

 何を言っているかまではわからない。

 でも、誰かが確かに何かを囁いたような気がした。

 

 ユウは反射で肩を強張らせる。

 

「……っ、今の」

 

「聞こえてる」

 

 また先輩が先に答えた。

 

「声、ですよね」

 

「そういうふうに聞こえるだけだ」

 

 言いながらも先輩は銃を下げない。

 警戒はしている。

 ただ、怯えてはいない。

 

 ユウは小さく息を吐いた。

 自分だけが普通に嫌がっている気がして、ちょっとだけ悔しい。

 

「怖いなら、そう言っておけ」

 

 先輩が前を見たまま言う。

 

「……怖くないとは言わないです」

 

「なら十分だ」

 

 その返しに、ユウは少しだけ気が抜けた。

 

 怖い。

 でも任務は止めない。

 たぶん今の自分にはそれでいい。

 

 部屋の中へ入る。

 

 中は思ったより広かった。

 壁際に壊れた端末がいくつか転がり、奥には配線が剥き出しの制御盤みたいなものが残っている。

 何かの作業室だったのかもしれない。

 

 アノミマスは部屋の中央を通り過ぎて、奥の床近くでしゃがみ込んだ。

 

「……ここ」

 

 ユウと先輩が近づく。

 

 床板の隙間。

 そこから薄く、嫌な空気が滲んでいるような感覚があった。

 見えない。

 でも、さっきまでの違和感がここへ集まっているのだけは、ユウにもなんとなくわかった。

 

「下にあるのか」

 

 先輩が聞く。

 

 アノミマスは床へ指先を向けたまま頷いた。

 

「ここに落ちてる。ずっと、ここにある」

 

 ユウは思わず息を呑んだ。

 

 本当に辿り着いた。

 怪談の正体が、この何でもない床の下にある。

 

 先輩が短く周囲を見回す。

 窓、出入口、崩れた壁、退避路。

 その全部を一瞬で確認してから言った。

 

「ユウ。拡散杭を出せ」

 

 ユウはすぐに背負っていたケースへ手をかけた。

 重くはない。

 でも、その中身がようやく意味を持ち始める。

 

 これを打ち込めば終わるのか。

 怪談は止まるのか。

 そう思いながらケースを開いた時、ユウはもう一度だけアノミマスを見る。

 

 白い少女は、静かにそこにいた。

 相変わらず声は小さい。

 大きなことをした顔もしない。

 ただ、自分にしか見えない糸の終わりを、きちんとここまで辿ってきた。

 

 説明で聞いたすごさと、現場で見るすごさは別だった。

 

 ユウがそれを本当に理解したのは、怪談の真ん中で、アノミマスが何の迷いもなく床を指した今だった。




封止杭
神秘由来の滞留反応を拡散・減衰させるための携行処理装置。
局所的に偏った神秘を周囲へ逃がし、濃度と定着性を下げることで現象の沈静化を図る。
怪異を破壊する兵器ではなく、火種の段階で異常をほどいて消すための処理機材。
特務調査群〈ハウンド〉第8班《トレイス》では、中心点の確定後に打ち込み、実害が拡大する前の初期処理に用いられる。
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