休みの日の朝は、任務の日より少しだけ空気が軽い。
だからといって、レイヴンの中までのんびりしているわけではなかった。
廊下を誰かが歩く音はあるし、どこかで端末の通知音も鳴る。
支部という場所そのものが、完全に止まることはないらしい。
ユウはそんな朝の空気の中で、少しだけ気を抜いていた。
机に向かって端末をいじっていると、先輩が背後から短く言う。
「暇か」
ユウは振り返る。
「休みですからね」
「そうか」
それだけ言って終わるのかと思ったが、先輩は続けた。
「他支部を回る。来るか」
ユウは少しだけ目を瞬かせた。
「見学、みたいな感じですか」
「挨拶回りだ」
「休みの日に?」
「休みの日だからだ」
理屈がよくわからない。
でも先輩がこういう時に完全な無意味をやる人ではないのも、少しずつわかってきていた。
窓際にいたアノミマスも、こちらを見ている。
行く気らしい。
つまり、ユウだけ残る選択肢はあまりない。
「……行きます」
「なら準備しろ」
それで決まりだった。
*
支部から少し離れた連絡通路は、ユウが思っていたより広かった。
レイヴンといっても、自分たちの部屋と調査区画くらいしかまだよく知らない。
だからこうして別区画へ歩くと、同じ組織の中なのに知らない場所ばかりが続いている感じがした。
先輩が先に歩く。
アノミマスはその少し後ろ。
ユウも並びに入る。
「休みなのに、みんな普通に動いてますね」
ユウがそう言うと、先輩は前を見たまま答える。
「休みのやつと、休みじゃないやつがいるだけだ」
「夢のない言い方しますね」
「夢で回る組織じゃない」
その通りだった。
最初に通ったのは、調査群の別区画だった。
ガラス越しに見える室内では、端末をいくつも開いた隊員たちがログや記録を睨んでいる。
話し声は少ない。
代わりに、キーボードを叩く音や端末のスクロール音が途切れず続いていた。
ユウがそちらを見ると、先輩が短く言う。
「第1班《アーカイブ》寄りだ」
「情報解析専門」
「覚えてたか」
「さすがにちょっとずつは」
先輩はそれ以上何も言わなかったが、否定もしなかった。
さらに進むと、今度は通信機材の多い区画に出た。
壁面モニタ、配線、外部接続端末。
ユウが一目見て「自分には無理そう」と思う種類の空間だ。
「第2班《リンクス》」
先輩の補足はいつも短い。
「ネットワークとか、そういうやつですか」
「そういうやつだ」
「雑」
「伝われば十分だ」
たしかに伝わってはいた。
挨拶回りといっても、先輩は毎回立ち止まって長話をするわけではない。
廊下ですれ違った相手に短く声をかける。
相手も短く返す。
その繰り返しだ。
「おはようございます」
ユウが軽く頭を下げると、向こうも少しだけ視線を寄越す。
「第8班の新人か」
「はい」
「昨日の件、無事終わったらしいな」
「一応」
「一応で済ますな」
そう言いながら、その隊員は少しだけ口元を緩めた。
ユウは、自分が少しずつ「第8班の新人」として認識され始めているのを感じた。
悪い気はしない。
でも、少しだけむず痒い。
次に通った区画は、空気が少し違った。
工具の音がする。
金属を打つ小さな響き。
油と焼けた金属みたいな匂い。
ユウが顔を向けると、半開きの整備シャッターの奥に、分解された部品や作業台が見えた。
「フォージですか」
「そうだ」
答えながら、先輩は足を止めない。
奥では、外装を外された何かの機材に数人が取りついている。
ユウには何を触っているのかよくわからない。
でも、危ないものを普通の顔で触っていそうな空気だけは伝わる。
「ここ、ちょっと怖いですね」
「お前はすぐ怖がるな」
「怪談よりマシですけど、別方向で怖いです」
その時、アノミマスが作業台の上に置かれていた細い金属片をじっと見た。
ユウがそちらを見る。
「どうした」
「……きれい」
ぽつりと言っただけだった。
どうやら怖いとか危ないとかではなく、単純に光り方が気になったらしい。
そこからさらに歩くと、今度は封鎖区画の前を通る。
扉は分厚く、警告表示がいくつも並んでいる。
ユウは思わず足を緩めた。
「ここは?」
「バスティオン寄りだ。見るだけにしろ」
先輩の声が少しだけ固くなる。
それでユウもすぐに察した。
ここは“説明してもらう場所”じゃなく、“まだ近づかない方がいい場所”だ。
「はい」
素直に頷く。
そのまま通り過ぎるだけでも、扉の向こうに何かがちゃんとあるのだと感じられた。
見つけた火種を、閉じて、見張って、残しておく場所。
レイヴンの仕事が、少しずつ立体になっていく。
連絡通路を抜けた先で、モービル寄りの区画へ入った。
ここは空気が少し広い。
天井が高く、通路も広い。
車両搬入口が近いからだろう、ほかの区画より人の動きも機材の動きも大きい。
ユウは少しだけ周囲を見回す。
「ここ、落ち着かないですね」
「搬送区画だからな」
先輩が言ったちょうどその時だった。
周囲の空気が、ほんの少しだけ変わった。
誰かが走ったわけじゃない。
怒鳴り声が上がったわけでもない。
でも、整備員が顔を上げる。
搬送担当が端末を確認しながら歩調を速める。
遠くの区画で合図灯が点き、何人かが自然に通路の端へ寄った。
「……何か来るんですか」
ユウがそう聞いた直後だった。
低く、重い音が空を震わせた。
最初は風かと思った。
でも違う。
回転音だ。
しかも一つや二つじゃない。
大きなプロペラが空気そのものを押し潰すみたいな重い響きが、頭上から落ちてくる。
ユウは反射で顔を上げた。
「……でか」
上空にいたのは、巨大な輸送ヘリだった。
黒い。
異様に大きい。
腹部は広く、両側の貨物固定部がむき出しになっている。
ただ飛んでいるだけなのに、戦場そのものを運んでくるみたいな圧があった。
先輩が平然と口を開く。
「特務機体《エクドロモイ》だ」
「エクドロモイ……」
「貨物輸送装備。重装備と機体移送用だ」
機体は唸るようなローター音を撒きながら、指定区画へゆっくり降下していく。
吹き下ろす風の中で、ユウは目を細めた。
そして見えた。
機体下部の搭載フレーム。
そこに固定されている黒い機体群。
一機じゃない。
二機でもない。
複数のエンフォーサーが、整然と並んで吊られていた。
「……あれ、全部」
「エンフォーサーだ」
先輩が当たり前みたいに言う。
「モービル支部主導の大規模点検だ。最低でも年一回は止めて見る。どうせエクドロモイも点検で止めるなら、周辺支部の機体もまとめて回す」
ユウはしばらく言葉を失った。
今まで見てきたエンフォーサーは、せいぜい一機か二機だった。
それが今、空からまとめて運ばれている。
自分が憧れていた機体が、個人の夢とか、隊長機とか、そういう話を越えて、組織の戦力として動いていた。
「……すごいですね」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
先輩は視線を上に向けたまま答える。
「平時だから見られる運用だ」
「事件じゃないんですね」
「違う。だから騒ぎじゃなく、仕事で済んでる」
たしかにその通りだった。
周囲は慌ただしい。
でも緊迫はしていない。
全員が決まった手順を、そのままこなしている空気だった。
横を見ると、アノミマスが少しだけ耳のあたりへ手をやっていた。
音が大きいらしい。
「大丈夫か」
「……おと、おおきい」
「まあ、だろうな」
ユウは少しだけ笑って、それからまた空を見る。
巨大な機体。
その下に並ぶ複数のエンフォーサー。
整備と点検のため、当たり前のように動く人たち。
レイヴンは思っていたよりずっと大きい。
自分の班だけ見ていた時にはわからなかったものが、今は目の前でちゃんと動いていた。
先輩が歩き出す。
「見るものは見ただろ。戻るぞ」
「はい」
ユウはそう返しながらも、すぐには視線を外せなかった。
あの黒い機体たちも、あの巨大な輸送機も、全部がレイヴンの中で繋がっている。
《トレイス》が火種を見つけ、エンフォーサーが止め、バスティオンが閉じ、フォージが改良し、モービルが運ぶ。
組織って、こういうことか。
そんな当たり前みたいなことを、ユウはようやく少し実感した。
先輩の背中を追いながら、最後にもう一度だけ振り返る。
特務機体《エクドロモイ》はまだローターを回していた。
重い風を撒きながら、黙って大量の戦力を運び続けている。
ユウはその姿を目に焼きつける。
たぶん、次にあれを見る時は、もっと違う意味を持つ。
そんな気が、少しだけした。
特務機体 〈エクドロモイ〉
レイヴンの空中運用を支える大型特務航空機。
重輸送、空中指揮、電子支援、局地航空支援を一体化している。
完全武装時は空中支援要塞、輸送仕様時は大型機材運搬機として機能。
主兵装
大型ミサイルポッド
対地制圧、対大型兵器、局地面制圧用。
2門の4連ガトリングガン
近距離対空、対地迎撃、自衛火器。
備考
他の大型特務機体を外部懸架方式で限定条件下輸送可能。
懸架時は機動性・回避性能・火力運用に制約が生じるため、輸送中は護衛と迅速展開が優先される。
見た目:惑星封鎖機構大型武装ヘリ