ゲヘナ特務執行隊「レイヴン」   作:ゴリさん39

16 / 48
第15話 待合室 

 

 その日は休みだった。

 

 だからユウは少しだけ気を抜いていたし、朝もいつもより静かに始まるものだと思っていた。

 

 先輩が端末から目を上げるまでは。

 

「ユウ」

 

「はい」

 

「バスティオンに行く。ついて来い」

 

 あまりにもいつも通りの調子で言われて、ユウは一瞬だけ聞き返しそうになる。

 

「……バスティオン、ですか」

 

「そうだ」

 

「何しに」

 

「定期確認」

 

 先輩はそれ以上は説明しなかった。

 アノミマスは窓際で静かに座ったまま、小さくこちらを見ている。

 その反応が妙に落ち着いていて、ユウはそこで初めて、これは急な話ではなく、最初から予定に入っていたものなのだと気づいた。

 

「行くぞ」

 

 短い一言で、朝の空気が少しだけ変わった。

 

 *

 

 バスティオンの待合室は静かだった。

 

 白い照明。

 低い受付カウンター。

 壁際に並んだ簡素な椅子。

 見た目だけなら、どこかの検査室の前にも見える。

 

 けれどユウは、入った瞬間に少しだけ違和感を覚えた。

 

 空気が張っている。

 うるさいわけでも、騒がしいわけでもない。

 ただ、静かなまま気を抜くことを許さない種類の空気だった。

 

 床も壁も、やけに綺麗だった。

 埃がない。

 傷も少ない。

 人がよく使う場所のはずなのに、生活の擦れた跡だけが薄い。

 

 代わりにあるのは、無機質な整い方だった。

 

 壁の高い位置に、黒い小さなレンズがいくつも埋まっている。

 見張っているのか、記録しているのか、それとも両方なのか。

 考えたくない感じだけが、はっきりとあった。

 

 先輩は慣れた足取りで受付へ向かう。

 アノミマスもその後ろを静かについていく。

 ユウだけが、少しだけ場違いな気分で周囲を見た。

 

「……ここ、医務室じゃないですよね」

 

 思わず小声で言うと、先輩が短く返した。

 

「違う」

 

「ですよね」

 

 だと思った。

 

 廊下の奥を、黒い機体が横切る。

 

 エンフォーサー。

 三機。

 

 一機はユウにも用途が想像しやすかった。拘束用の構成だ。

 だが残る二機は違う。

 装備の形が、どうにも“人を相手にするため”には見えない。

 

 その間を重武装の隊員が無言で巡回していく。

 足音は小さいのに、視界に入るだけで圧があった。

 

 細かいことはわからない。

 でも、それで十分だった。

 

 ここが治療の場所じゃなく、管理の場所なのだと、それだけで伝わる。

 

 受付の向こうで、先輩が端末を差し出している。

 短いやり取りのあと、アノミマスの手首についた細いブレスレットへ視線が向けられた。

 

「定期確認です」

 

 事務的な声だった。

 柔らかくも硬くもない。

 ただ、手順として必要なことを言っているだけの声だった。

 

 アノミマスは小さく頷く。

 抵抗も、嫌そうな顔もない。

 それが余計にユウの胸に引っかかった。

 

 定期確認。

 言葉だけなら穏やかだ。

 でもこの場所の空気の中で聞くと、妙に重い。

 

 先輩がユウの方を振り向く。

 

「座って待て」

 

「はい」

 

 ユウとアノミマスは並んで椅子に座る。

 先輩は立ったまま、壁際へ移動した。

 

 少しして、受付の奥で半透明の表示板が立ち上がった。

 淡い光の文字列が空中に浮く。

 

 次に呼ばれたのは、名前じゃなかった。

 

「管理番号ANM-03。確認室二へ」

 

 ユウは一瞬だけ、誰のことかわからなかった。

 

 隣で、アノミマスがすっと立ち上がる。

 そこでようやく気づく。

 

 今のが、彼女のことだ。

 

 ユウの背中に、冷たいものが走る。

 名前より先に番号がある。

 それがこの場所のルールらしかった。

 

 アノミマスはその呼ばれ方に特に反応しなかった。

 慣れている。

 たぶん、それがいちばん嫌だった。

 

 受付の職員がユウと先輩の方を見る。

 

「同行一名まで」

 

 先輩はユウを見た。

 

「行け」

 

「自分ですか」

 

「お前以外に誰がいる」

 

 ユウは小さく息をついて立ち上がる。

 アノミマスは何も言わず、ただ少しだけ歩く速度を落としてユウを待った。

 

 確認室二は、待合室よりずっと小さかった。

 

 白い机。

 簡易端末。

 検査用らしい光学装置。

 部屋の隅には、ブレスレットの調整機器らしい細いアームがある。

 

 それだけ見ればただの確認室だ。

 だが壁際には余計なものがあった。

 

 開閉式の固定具。

 引き出し式のロック端子。

 通常は使わないが、必要ならすぐ使えるように置かれている部品たち。

 

 見なかったことにできる程度には目立たない。

 けれど、一度見てしまえば、見えなくはならない。

 

 担当者が事務的な声で言う。

 

「体調確認から行います」

 

 アノミマスは椅子へ座る。

 手首を差し出す動きが妙に慣れていた。

 

 ユウはそれを見て、また少しだけ胸が詰まる。

 

 たぶん、何度も来ているのだ。

 今日だけじゃない。

 ずっと前から。

 

 担当者は端末へ情報を打ち込みながら、ブレスレットの表面に何かを走らせる。

 薄い光が一度だけ流れた。

 

「偏差軽微。記録範囲内」

 

 事務的な言葉。

 

 ユウはしばらく黙っていたが、どうにも気になって聞いた。

 

「これって……普通の体調確認、なんですか」

 

 担当者の手がほんの少しだけ止まる。

 先に答えたのは、部屋の入口に立っていた先輩だった。

 

「普通ではない」

 

 ユウがそちらを見る。

 

 先輩は平然とした顔で続けた。

 

「体調確認でもある。管理確認でもある」

 

「管理」

 

「そうだ」

 

 ユウは少しだけ声を失った。

 

 先輩は隠す気がない。

 でも必要以上に感情も乗せない。

 

「アノミマスは管理される火種枠だ」

 

「……火種」

 

 口の中でその言葉が重く落ちる。

 

 ユウはアノミマスを見る。

 白い少女は検査台に座ったまま、手首を触られている。

 怖がってもいない。

 怒ってもいない。

 ただ静かにそこにいる。

 

「危険物扱い、って意味ですか」

 

 聞いた声は、自分でも少し硬かった。

 

 先輩は首を振らない。

 でも、肯定もしないまま言う。

 

「単純じゃない。保護対象でもある。だが、観測対象でもある」

 

「それって……」

 

「レイヴンでは珍しくない」

 

 短く切ってから、先輩はアノミマスを見る。

 

「珍しいのは、こいつが普通に喋って歩いて飯を食うことだ」

 

 ユウは返す言葉を一瞬失った。

 

 担当者が端末を操作するたび、卓上の薄いモニターに項目が浮かび上がった。

 半透明の光が何枚も重なって、部屋の空気だけが少し冷たく見える。

 

 ユウは見ない方がいい気がして、すぐに視線を逸らしかけた。

 だが、完全に外す前に、いくつかの文字が勝手に目へ入ってくる。

 

管理番号:ANM-03

記録名称:アノミマス

旧識別名:あり

保護年:5年前

記憶残存:低

身体成長:停止傾向継続

 

 喉が少しだけ詰まった。

 

 五年前。

 成長停止。

 旧識別名あり。

 

 そこまで読んだところで、別の欄が切り替わる。

 次に浮いた単語は、もっと意味が悪かった。

 

関連資料:回収済

器体定着

魂移行

説明不能機能部位:あり

 

 意味を理解しきる前に、担当者が画面を閉じる。

 光の板が静かに消えて、何もなかったみたいに机の上だけが残った。

 

 ユウはすぐには何も言えなかった。

 

「……覚えてないのか」

 

 気づけば、そう聞いていた。

 

 アノミマスは少しだけ考えてから答える。

 

「ほとんど」

 

「保護される前のことも?」

 

「……うん」

 

 声はいつも通り小さい。

 でも、曖昧ではなかった。

 

「嫌じゃないのか」

 

 聞いてから、ユウは少し遅れて後悔した。

 変な聞き方だった気がする。

 

 でもアノミマスは怒らなかった。

 少しだけ視線を下げて、ぽつりと言う。

 

「……ないものは、思い出せない」

 

 ユウは黙る。

 

 かわいそう、とはすぐに言えなかった。

 軽すぎる気がした。

 でも平気でもいられない。

 

 どう受け止めればいいのか、うまくわからなかった。

 

 担当者の声が入る。

 

「生体反応は安定。ブレスレットも問題なし」

 

 その言い方はどこまでも事務的だった。

 だから余計に、この場所の重さが際立つ。

 

「次回確認は通常周期で」

 

「了解」

 

 先輩が短く返す。

 

 確認はそれで終わった。

 

 待合室へ戻る途中、ユウはしばらく黙っていた。

 アノミマスも黙っている。

 先輩だけがいつも通り前を歩いている。

 

 ユウはやっと、小さく言った。

 

「……知ってたんですね」

 

「知ってる」

 

「最初から」

 

「最初からだ」

 

 先輩は振り返らない。

 

「だから守ってるんですか」

 

 その問いに、先輩は少しだけ間を置いた。

 

「それだけじゃない」

 

「え」

 

「必要だから守る。大事だから守る。役に立つからじゃない」

 

 ユウは少し目を見開く。

 

 先輩の言葉はいつも短い。

 でも、たまにこういうふうに真ん中だけを置いていく。

 

「勘違いするな」

 

 先輩が続ける。

 

「管理対象だから距離を置くわけじゃない。管理が必要でも、人は人だ」

 

 ユウはそこでようやく、小さく息を吐いた。

 

 待合室へ戻ると、さっきと同じ静けさがそこにあった。

 

 巡回する機体。

 重武装の隊員。

 白い椅子。

 低い照明。

 

 でもユウの目には、もう少し違って見えた。

 

 ここは危険なものを閉じる場所だ。

 人も、物も、神秘も、機械も。

 その中にアノミマスもいる。

 

 けれど、だからといって彼女が“物”になるわけじゃない。

 そう思わせたのは、たぶん先輩の言葉だった。

 

 帰り道、連絡通路を歩きながらユウはアノミマスを見る。

 

 白い少女はいつも通り静かだ。

 細い手首には、点検を終えたブレスレットがある。

 

「……疲れたか」

 

 聞くと、アノミマスは少しだけ考えてから答えた。

 

「少し」

 

「そっか」

 

「でも、平気」

 

 その返事が妙にいつも通りで、ユウは少しだけ救われる。

 

 しばらく歩いてから、アノミマスがふいにユウの袖を軽く引いた。

 

 ユウは足を止める。

 

「どうした」

 

 アノミマスは小さな声で言った。

 

「……知っても、変わる?」

 

 ユウは数秒だけ黙った。

 

 その問いの意味は、ちゃんとわかった。

 五年前のこと。

 記憶がないこと。

 管理対象であること。

 そういうのを知っても、自分の見方は変わるのかという問いだ。

 

 ユウは正直に考えて、それから答えた。

 

「びっくりはした」

 

 アノミマスは何も言わない。

 

「でも、それで急に別人になるわけじゃないだろ」

 

 白い横顔が、少しだけこちらを見る。

 

「アノミマスはアノミマスだし。今まで通り静かだし、声小さいし、たまにちょっと不思議だし」

 

「……ちょっと」

 

「かなり、かもしれない」

 

 ユウがそう言うと、アノミマスはほんの少しだけ口元を緩めた。

 笑ったと言うには小さい。

 でもたしかに、少しだけ空気がやわらいだ。

 

 前を歩いていた先輩は、たぶん聞こえていた。

 でも何も言わなかった。

 

 支部へ戻る頃には、ユウの中の重さはまだ消えていなかった。

 たぶんすぐには消えない。

 

 でもその重さは、怖さとは少し違うものに変わっていた。

 

 守る対象。

 班の中核。

 管理される火種。

 その全部を抱えたまま、アノミマスは今日も静かに歩いている。

 

 ユウはその横顔を見て、小さく息を吐く。

 

 自分はまだ全部を理解できていない。

 でも、理解できないものがあるからって、離れる理由にはならない。

 

 少なくとも今は、そう思えた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。