ゲヘナ特務執行隊「レイヴン」   作:ゴリさん39

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第16話 崩れない人

 

 訓練場の床は、昼前の光を鈍く返していた。

 

 ユウは手首を軽く回してから、正面の先輩を見る。

 いつも通りの無愛想な顔。

 やる気があるのかないのか、一見しただけではわからない立ち方。

 でも、その立ち方がもうすでに隙がなかった。

 

「本当にやるんですね」

 

 ユウが言うと、先輩は短く返した。

 

「お前が言い出した」

 

「まあそうなんですけど」

 

 少し前、ユウの方から頼んだのだ。

 また訓練をつけてほしいと。

 

 任務を一つ終えて、少しだけわかったことがある。

 自分はまだ全然足りていない。

 それはわかっていたが、前より少しだけ、何が足りないのかを知りたくなった。

 

 先輩は床の端に置いてあった訓練用の標的ユニットを顎で示す。

 

「今回は条件をつける」

 

「条件?」

 

「これを守る」

 

 ユウはそちらを見る。

 人型の簡易ダミー。

 軽い衝撃でも倒れるように作られた、よくある訓練用標的だ。

 

「自分がですか」

 

「違う。私がだ」

 

 ユウは少しだけ瞬きをした。

 

「……先輩が守る側?」

 

「そうだ。お前はこれを倒せ。私はそれを止める」

 

 なるほど、とユウは小さく息を吐く。

 単純な打ち合いじゃない。

 たしかに今の第8班で必要そうなのは、こっちの方だった。

 

 アノミマスは訓練場の端のベンチに座っている。

 白い髪が、少しだけ風に揺れた。

 見学する気らしい。

 

「ルールは?」

 

「訓練用装備のみ。標的へ三秒以上接触できれば、お前の勝ち」

 

「三秒」

 

「一瞬触れただけじゃ壊せない。現実でも同じだ」

 

 先輩はそれだけ言って、標的の前に立った。

 

 ユウは訓練用ライフルを持ち直し、足の位置を確かめる。

 深呼吸一つ。

 

「始めるぞ」

 

「はい」

 

 合図と同時に、ユウは左へ動いた。

 

 正面からは行かない。

 たぶんそれだと通らない。

 なら少しでも角度をずらして、先輩の視線と体を動かす。

 

 だが、そう考えた瞬間にはもう先輩も動いていた。

 

 前に出すぎない。

 でも引きもしない。

 標的を背にしたまま、ユウの射線だけをきれいに切ってくる。

 

「うわ、やりづら……!」

 

「当たり前だ」

 

 ユウは牽制を一発入れ、すぐに逆へ切り返す。

 先輩はそれも追う。

 速いというより、位置がうまい。

 ユウが行きたくなる場所に先に立っている。

 

 これがただの一対一なら、まだわかる。

 でも今回は後ろに守るものがある。

 

 なのに先輩は、標的の位置をずらさず、自分の立ち方だけでユウを回り込ませない。

 

 ユウは舌打ちしそうになるのを飲み込んだ。

 

 撃つ。

 踏み込む。

 フェイントを混ぜる。

 それでも通らない。

 

 先輩は訓練用シールドを大きく使うわけでもなく、最低限の動きで攻め筋だけを潰してくる。

 無駄がなさすぎて嫌になる。

 

「……っ!」

 

 思い切って距離を詰める。

 ライフルを下げて、接近で崩す。

 

 その瞬間、先輩の体が半歩だけ前に出た。

 

 ぶつかる。

 崩される。

 ユウの視界が揺れた。

 

 気づいた時には、先輩の訓練用ナイフが首元で止まっていた。

 

「終わり」

 

 短い声だった。

 

 ユウは一歩下がって、息を吐く。

 

「……全然通らない」

 

「通す気しか見えてない」

 

「いや通したいんだから当然では」

 

「守る相手が見えてない」

 

 ユウは少しだけ黙った。

 

 先輩はナイフを下ろす。

 

「もう一回」

 

「はい」

 

 二回目も、三回目も、大きくは変わらなかった。

 

 ユウは前より少し考えて動けるようになっているはずだった。

 任務も終えた。

 《トレイス》の仕事も少し知った。

 

 でも、知っただけでは足りないらしい。

 

 先輩は崩れない。

 

 ただ硬いわけじゃない。

 ただ強いわけでもない。

 

 守るものを背負ったまま、その条件ごと崩れない。

 それが異常に難しいのだと、ユウにも少しずつわかってきた。

 

 四回目が終わった頃、ユウは完全に息が上がっていた。

 

 訓練用ライフルを下ろし、膝に手をつく。

 

「……なんで、そんなに崩れないんですか」

 

 先輩は肩で息をしているユウを見る。

 

「前に出るだけならまだ簡単だ」

 

「はい」

 

「後ろを守ったまま崩れない方が難しい」

 

 その言葉は、妙にすっと入ってきた。

 

 先輩は標的を見もせず続ける。

 

「第8班はそういう場面が多い。アノミマスを守る。火種に近づく。処理する。下がらない。でも崩れない」

 

 ユウは呼吸を整えながら、なんとか頷く。

 

「お前が覚えるのは、攻める形だけじゃない」

 

「守る形も、ってことですか」

 

「そうだ」

 

 短い。

 でも十分だった。

 

 ユウはようやく、自分が見ていた先輩の強さが、少しだけ違って見え始める。

 

 倒すのがうまいから強いんじゃない。

 守る条件が乗っても崩れないから強い。

 

 それはたぶん、普通の模擬戦だけじゃ見えにくい強さだった。

 

 ベンチの方から、小さな声がした。

 

「……崩れてない」

 

 アノミマスだった。

 

 ユウがそちらを見ると、白い少女はいつも通り静かに座っている。

 でも、その目はちゃんと訓練を見ていたらしい。

 

「うん、全然崩れない」

 

 ユウがそう返すと、アノミマスは少しだけ頷いた。

 

「そういう人」

 

 まるで前から知っていたみたいな言い方だった。

 

 訓練はそこで終わった。

 

 ユウはベンチへ座り込み、腕をぶら下げて息を整える。

 正直きつい。

 悔しい。

 でも、前よりわからない悔しさではなかった。

 

 その横で、先輩はもう次の動きに入っていた。

 

 訓練用の装備を外し、保護具の擦れを確認し、使ったものをひとつずつケースへ戻していく。

 雑に置くものが一つもない。

 弾倉の位置、保護具の向き、端末の収納場所まで、全部が決まっているみたいだった。

 

「……几帳面ですね」

 

 ユウが言うと、先輩は視線も上げずに返した。

 

「管理しない方が面倒だ」

 

「私物もそんな感じなんですか」

 

「だいたいは」

 

 ケースの中には必要なものだけが入っていた。

 予備の認証タグ、端末、整備用の小物。

 そのどれもがきれいに収まっている。

 

 ユウが何気なく見ていると、隅に見覚えのある小さな包みがあった。

 

 飴だ。

 

 ユウは思わず目を細める。

 

「……それ」

 

「見るな」

 

「いや、見える位置にあるじゃないですか」

 

 先輩は無言でケースの蓋を半分閉める。

 わかりやすい。

 

 ユウは少し笑ってしまう。

 

「アノミマス用ですか」

 

 先輩は答えない。

 でも否定もしない。

 

 その沈黙がだいたいの答えだった。

 

 ベンチの端でアノミマスが小さく言う。

 

「……私の」

 

「やっぱりか」

 

「予備だ」

 

 先輩がようやく短く言った。

 

「予備って言い方」

 

「無くて困るなら持つ。それだけだ」

 

 その返しも、先輩らしかった。

 

 ユウは背もたれに体を預ける。

 

「なんか、戦い方と一緒ですね」

 

「何がだ」

 

「崩れないようにしてる感じです」

 

 先輩の手が一瞬だけ止まる。

 ほんの一瞬だった。

 

「……そう見えるなら、それでいい」

 

 ユウは少しだけ口元を緩める。

 

 たぶん、今のはかなり肯定に近い。

 

 訓練場には、まだ昼の光が残っていた。

 さっきまで息が上がるほど動いていたのに、今はもう静かだ。

 

 先輩はケースを閉じて立ち上がる。

 アノミマスもそれに合わせて立つ。

 

 ユウも少し遅れて腰を上げた。

 

 今日の訓練で勝てたわけじゃない。

 たぶん、まだしばらく勝てない。

 でも、前より少しだけ目指す形は見えた気がした。

 

 前に出るだけじゃ足りない。

 守るものを背負ったまま、崩れないこと。

 

 それが、先輩の強さだった。

 

 そしてたぶん、《トレイス》で必要になる強さでもある。

 

 先輩が歩き出しながら言う。

 

「ユウ」

 

「はい」

 

「次はもう少し考えて動け」

 

「今日のは考えてたつもりなんですけど」

 

「足りない」

 

「厳しいなあ」

 

「甘くしても意味がない」

 

 ユウはため息をつくふりをして、その背中を追う。

 

 悔しさはまだ残っている。

 でもそれは、前よりちゃんと前向きな悔しさだった。

 




名前:氷室シオン
所属:レイヴン / 第8班《トレイス》
役割:前衛・現場指揮補助・追跡判断
武器:バリスティックシールド
   コンパクト・カービン
    CR-09《ハッシュ》
ポジション:FRONT
戦闘スタイル:近〜中距離制圧 / 前衛護衛型

紹介文:
レイヴン第8班《トレイス》の実働を支える先輩隊員。
口数は少なく、必要なことしか言わないが、現場では誰よりも早く状況を読み、短い指示で班を動かす。
無駄を嫌う実務家であり、新人の甘さや判断の遅れには容赦がない。
戦場では取り回しの良いコンパクト・カービンを用い、前に出すぎず、それでいて一歩先に立つ位置で味方の線を整える。
追跡、護衛、封止杭の運用判断まで幅広く担っており、第8班においては“流れを切らさないための軸”に近い存在。
一見冷たく見えるが、必要な相手は見捨てず、面倒ごとまで含めて最後まで引き受けるタイプ。
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