重いローター音が、旧市街の空を裂いた。
ユウは反射で顔を上げる。
煙と砂埃の向こう、崩れた建物の隙間を横切る黒い影が三つ。
ストラティオス。
その機影を見ただけで、前線の空気がほんの少しだけ変わる。
押されている。
苦しい。
それでも、誰かが来た。
それが今は何より大きかった。
『予備戦力、投入する!』
無線が飛ぶ。
その直後、上空からミサイルの軌跡が走った。
真っ先に狙われたのはゴリアテだった。
肩口。
脚部。
連続した着弾が巨体の姿勢をわずかに崩す。
倒れはしない。
それでも一瞬だけ、その動きが鈍る。
「来るぞ!」
誰かの叫び。
ユウには細かいことは見えなかった。
上空のストラティオスの腹下から、黒い機体が切り離されるのが見えた、そのくらいだ。
次の瞬間には、もう落ちてきていた。
いや、落下じゃない。
突入だ。
全身へパルスシールドをまとった黒い機体が、旧市街の空を一直線に裂く。
迷いがない。
減速もない。
落ちてくるというより、最初からそこへ向けて撃ち出された砲弾みたいだった。
地面へ届く寸前、その機体は姿勢をわずかに変えた。
ただ落ちるだけじゃない。
狙っている。
「……っ」
ユウは息を呑む。
説明なんて要らなかった。
降りてきた瞬間、周囲の火線の意味が変わる。
あれが隊長機だと、見た瞬間にわかった。
通常機と似ている。
でも違う。
装甲の厚みでも、シルエットでも、火力の重さでもない。
来た瞬間に、戦場の重心そのものがずれる。
そこを中心に、全部が動き始める。
隊長機はそのままゴリアテへ叩き込まれた。
鈍い衝突音。
街区の壁が震える。
巨体が横へ揺れる。
ゴリアテの火線が一瞬だけ逸れ、そのまま隊長機が体当たりではなく“押し切る”みたいに前へ入った。
パルスシールドが吼える。
ゴリアテの装甲と噛み合ったまま、黒い機体がその進路をねじ曲げていく。
「え」
ユウは一瞬だけ目を見開く。
弾いたんじゃない。
押し飛ばしたんでもない。
主戦場から切り離す軌道へ、ゴリアテごと持っていった。
巨体と巨体がぶつかり合ったまま、二つの影が横の街区へ消える。
遠く、視界の外で重い衝突音が続けて響いた。
壁を砕くみたいな音。
金属同士が噛み潰し合うような音。
そして少し遅れて、低い爆発音。
もう見えない。
でも、それで十分だった。
少なくとも今この場から、ゴリアテは消えた。
「前を見ろ、ユウ!」
先輩の声が飛ぶ。
「はい!」
ユウは慌てて視線を戻す。
ゴリアテが消えたからといって、戦場そのものが終わったわけじゃない。
むしろ今は、その一瞬を使わないとまずい。
残った二機のエンフォーサーが前へ出る。
通常機じゃない。
脚部と背部のスラスターが太い。
動き出した瞬間、それだけでわかった。
通常機が前線を支える盾なら、あれは違う。崩れた戦線へ踏み込み、危険目標を短時間で噛み砕くための牙。
訓練映像で一度だけ見たことがある。精鋭エンフォーサーだ。
重いのに速い。
迷いがない。
片方が正面を引きつける。
もう片方が斜めへ切り込む。
単純な挟み込みじゃない。
敵戦車の主砲線をずらしながら、こちらへ向いていた圧力そのものを削っていく。
『右の重戦車、抑える!』
『左、前へ出るな! 火線を切る!』
無線の調子まで変わっていた。
さっきまでの「耐える」声じゃない。
噛み合っていく音だ。
だが、敵もまだ終わっていない。
街路の脇から、汚染オートマタの残群がまた流れ込む。
その後ろで、汚れたパワーローダーが一機、瓦礫を踏み潰しながら前へ出た。
工業用の骨格を無理やり戦闘へ転用したような巨体。
片腕のアームで残骸ごと遮蔽物を薙ぎ払い、もう片側の増設火器がこちらへ向く。
「来る!」
誰かの声。
だが、その瞬間にはもう遅かった。
黒いエンフォーサーが一機、真正面から飛び込む。
パワーローダーのアームが振り下ろされる。
精鋭機はそれを紙一重でかわした。
半歩。
たった半歩ずれただけなのに、重い一撃が空を切る。
次の瞬間、右腕が閃いた。
レーザーブレード。
青白い高熱の刃が一気に伸び、黒い軌跡だけを残して走る。
斬撃は迷わず、パワーローダーの胴へ入った。
胴体中央。
装甲の継ぎ目。
硬いはずの機体が、何の溜めもなくずれた。
「……うそだろ」
ユウの口から、思わず声が漏れる。
パワーローダーの上半身が、下半身から遅れて滑り落ちる。
切断面から火花が噴き、内部機構が露出し、そのまま崩れた。
エンフォーサーは振り返らない。
もう次の個体へ視線が向いている。
速すぎる。
強すぎる。
けれど派手なだけじゃない。
必要な一撃だけで戦線の圧を消していく。
ユウの前方で、汚染オートマタがまた二体、三体と街路へ流れ込んでくる。
だが今度はその手前で、前線がちゃんと受け止める。
押し返すというより、形を整え直した感じだった。
先輩が短く言う。
「通路が戻る」
ユウは前を見る。
さっきまで潰れていたはずの細い進路が、また少しだけ見える。
完全に安全な道じゃない。
でも通れる。
通るしかない。
「アノミマス!」
先輩が呼ぶ。
白い少女は前を見たまま、小さく言った。
「……まだ奥」
「距離は」
「近くなった」
それだけで十分だった。
先輩は即座に判断する。
「第8班、前進する!」
ユウは拡散杭のケースを握り直し、アノミマスの少し後ろへ位置をつける。
先輩との訓練で叩き込まれた感覚。
守る位置。
切らない距離。
今度はちゃんと実戦で使う。
前へ。
崩れた街路を抜ける。
瓦礫を越える。
左では精鋭エンフォーサーが敵戦車の砲線を逸らし、右では別の機体がオートマタ群の進路を断つ。
さっきまでただの絶望だった圧力が、今は少しだけ分割されていた。
上空からはもうアパッチの支援はない。
その代わり、地上の動きが噛み合い直している。
ユウは走りながら、視界の端で見た。
遠くの街区の向こう。
ゴリアテが消えた方角から、また重い音がする。
激しい衝突。
爆発。
建物の壁面が震えるほどの鈍い音。
隊長機が何をしているのかは見えない。
でも、あちらでまだ戦っているのだけはわかった。
ユウの喉が少しだけ乾く。
すごい。
でも今は、それに見惚れている時間はない。
前だ。
アノミマスが角を一つ曲がり、急に足を止めた。
先輩も即座に止まる。
ユウもその後ろで踏みとどまった。
「どうした」
先輩の問いに、アノミマスは前方の崩れた建物群を見たまま答える。
「……あそこ」
白い指先が指す。
倒れた看板。
崩れた壁。
その向こうに半分沈んだ建物の影。
ユウにはただ壊れているようにしか見えない。
でも、ここまで来てアノミマスの指す先が外れたことはない。
「中心点か」
「近い。下」
先輩が一瞬だけ周囲を見回す。
前線の音はまだ近い。
だがさっきよりは遠い。
精鋭機たちが押さえてくれている。
この数十秒が、おそらく今の全てだ。
「ユウ」
「はい」
「杭を出せ」
ユウはすぐにケースを前へ回す。
手は少し汗ばんでいた。
怖い。
でも、それ以上に今は急がないといけない。
背後で銃声が短く響く。
先輩が護衛位置に入ったのだと、それだけでわかる。
「アノミマス、位置を切るな」
「うん」
白い少女は崩れた地面の端へしゃがみ込み、見えない糸の終わりを探るみたいに視線を落とす。
「……ここ」
ユウは膝をつく。
瓦礫をどける。
崩れた配線材。
粉塵。
その下に、妙に嫌な空気の溜まる一点があった。
見えない。
でも、わかる。
ここだ。
ユウは杭を構える。
その時、遠くで今までより一段重い爆発音が鳴った。
ゴリアテのいた方角だ。
反射でユウの意識がそちらへ引っ張られかける。
だが先輩の声がすぐに戻した。
「ユウ、前だ!」
「……はい!」
意識を切る。
今見るのはそっちじゃない。
杭を打ち込む。
鈍い感触。
硬い何かの層を抜けて、先端が沈む。
ユウはすぐに起動端末を開いた。
「設置、入ります!」
アノミマスが小さく言う。
「そこ。深く」
ユウは押し込む。
最後まで入る。
固定の感触。
起動。
薄い光が地面の下へ染みるように広がった。
端末上の数値が動く。
神秘偏差。
局所密度。
拡散率。
中心点反応――低下開始。
「……入った」
ユウが呟くと同時に、アノミマスが小さく息を吐いた。
「ほどける」
先輩は前方を警戒したまま言う。
「確認しろ。止まるな」
ユウは端末を見る。
確かに数値が落ち始めていた。
急激ではない。
でも崩れている。
中心がほどけていく。
その瞬間、前線の無線がまた変わった。
『汚染濃度低下確認!』
『オートマタ群、動き鈍る!』
『敵戦車火線減衰! 押し返せる!』
ユウは思わず息を呑む。
戦場全体はまだ終わっていない。
でも、流れが変わる。
変わった。
これだ。
自分たちが刺した杭が、あの広い戦場全部の流れを少しだけ変えた。
先輩が短く言う。
「ユウ」
「はい」
「立て。下がる」
ユウは端末を掴み直して立ち上がる。
その時、遠くの街区の向こうから最後にもう一度だけ、鈍く重い衝突音が響いた。
それから少し遅れて、低い爆発音。
隊長機の戦いはまだ見えない。
見えないままでいい。
今はそれより、自分たちがやるべきことの方がはっきりしていた。
アノミマスが前を向いたまま言う。
「……消えてく」
ユウはその小さな声を聞いて、やっと少しだけ息を吐く。
まだ終わっていない。
でも、ちゃんと火種には届いた。
それだけで十分、前に進める気がした。
特務執行装甲〈エンフォーサー〉(精鋭)
通常のエンフォーサーを基礎に、出力、機動性、スラスター制御、近接戦能力を強化した精鋭仕様。
レイヴンの即応制圧戦力の中でも、突破、強襲、重目標制圧を担う上位実働機にあたる。
通常機が前線を支える“盾”であるなら、精鋭機は敵陣をこじ開ける“牙”である。
守るために立つ通常機に対し、精鋭機は崩れた戦線へ踏み込み、危険目標を短時間で排除し、主導権を奪い返す役目を持つ。
機体出力は通常機より高く、特に脚部・背部スラスター周辺は強化されている。
これにより、短距離突進、急角度回避、強引な間合い詰め、重装甲目標への瞬間加速攻撃が可能。
その分、運用負荷と整備負担も大きい。
また、精鋭機には通常機では制限される試作兵装・専用武装の使用が許可される。
レーザーブレード強化型、高出力パルス兵装、特殊拘束装備など、任務内容に応じた装備変更も認められている。
隊長機ほどの自由度はないが、一定範囲の機体カスタマイズも可能であり、操縦者の適性や戦闘思想が反映されやすい。
見た目:LC高機動型