最初に変わったのは、音だった。
銃声でも、爆発でもない。
それまで絶え間なく混じっていたオートマタの駆動音が、一つずつ途切れていく。
ユウは杭の端末を握ったまま、息を詰めて前を見た。
街路の向こうで動いていた個体が、急に膝を落とす。
別の一体はその場でわずかに痙攣したあと、完全に沈黙した。
壁際を前進していた機体も、途中で糸が切れたみたいに止まる。
『汚染個体群、動力低下確認!』
『前線、残存反応再確認! 不用意に近づくな!』
『重戦車火線停止! オートマタ群、沈黙中!』
無線が飛ぶ。
歓声ではない。確認の声だ。
だが、その呼吸はさっきまでより明らかに軽かった。
ユウはようやく、小さく息を吐いた。
「……止まった」
アノミマスが小さく頷く。
「ほどけた」
先輩はまだ前方を見たままだ。
ライフルも下ろしていない。
けれど声だけは、さっきよりわずかに静かだった。
「確認が終わるまで気を抜くな」
「はい」
返事はした。
怖さが消えたわけじゃない。
ただ、押し潰されそうだった戦場の圧が、一段だけ抜けた。
無線が続く。
『第8班、中心点処理完了を確認。各線、残存汚染反応の再走査を実施』
『バリケード、封鎖範囲更新。周辺街区への流出なし』
『スコープ、異常濃度低下中。沈静化への移行を確認』
自分たちが刺した杭が、広い戦場全体の流れを変えた。
その実感が、数秒遅れてユウの胸へ落ちてくる。
背後から足音が近づいた。
エンフォーサー前線の一機が街路の角から姿を見せ、その後ろに別班の隊員が続く。
「第8班」
声をかけてきたのは、ヘルメットを片手にした制圧群の隊員だった。
顔には薄く煤がついている。
「中心点、よく通した」
「……はい」
ユウが返すと、その隊員は視線をアノミマスへ向けた。
「白いのも無事か」
アノミマスは小さく頷く。
「よし」
それだけ言って、隊員はすぐに無線の方へ戻っていった。
立ち止まって長々話す余裕はない。
だが、その短さが逆によかった。
少し離れた位置では、戦車の乗員たちが車体の外で何かを確認していた。
別のエンフォーサー部隊も、停止したオートマタの周囲を慎重に見て回っている。
勝った、という空気ではない。
終わった後の仕事が、もう始まっている空気だった。
「ユウ」
先輩が言う。
「はい」
「杭、数値」
ユウは慌てて端末を見る。
神秘偏差、さらに低下。
局所濃度、継続減衰。
再励起兆候、なし。
「安定してます」
「記録しろ」
「了解です」
指を動かして入力する。
まだ少し手は震えていたが、文章にすることで少しずつ現実感が戻る。
その横で、アノミマスがふいに空を見た。
「……上」
ユウもつられて見上げる。
空にはもうアパッチはいない。
黒煙も、さっきより薄れている。
その不在が少しだけ寂しく見えて、ユウは思わず小さく呟いた。
「……パイロット、大丈夫ですかね」
先輩はすぐには答えなかった。
無線へ意識を向けたまま、数秒だけ間を置く。
その時、別回線から短い報告が入った。
『上空支援機の搭乗者、回収班接触。生存確認、搬送中』
ユウは反射で顔を上げる。
「……生きてる」
ほっとした声が、そのまま口から出た。
先輩は短く言う。
「不時着には成功したらしい」
「よかった……」
その一言には、さすがに実感がこもった。
アパッチは頼もしかった。
何度も前線を支えてくれた。
あの一機が落ちた瞬間、戦場の空気が変わったのを、ユウはちゃんと覚えている。
だから、生きていたと聞けたのは素直に大きかった。
「感傷は後だ」
先輩の声はいつも通りだった。
「撤収準備に入る」
「はい」
第8班は中心点周辺を最後にもう一度だけ確認し、最低限の機材回収だけを済ませて後退に入った。
杭自体はそのまま残す。
沈静化の最終確認と後送回収は別班の仕事だ。
崩れた街路を引き返す途中、ユウは何度か停止したオートマタの脇を通った。
ついさっきまで前線を押していたはずの機体群が、今はただの黒い残骸みたいに沈黙している。
止まるべきものが止まった。
それだけなのに、景色がまるで別物に見えた。
旧市街の外縁まで戻ると、撤収用の輸送ヘリがすでに待機していた。
回転するローターが砂埃を巻き上げる。
「乗れ!」
誘導の声に従って、ユウたちは順に機内へ入る。
腰を落ち着けた瞬間、全身の力がようやく抜けた。
今になって腕が重い。
喉も乾いている。
息は落ち着いてきたのに、身体の方が遅れて疲れを思い出したみたいだった。
アノミマスは静かに座っている。
先輩はいつも通り外を見ている。
ユウは膝の上の端末をぼんやり眺め、それから窓の外へ視線を向けた。
ヘリが浮上する。
旧市街の戦場が少しずつ遠ざかる。
崩れた街区。
止まったオートマタ。
まだ動いている回収班。
その時だった。
「……あ」
思わず、小さく声が漏れる。
地上。
主戦場から少し外れた瓦礫帯の近く。
黒い機体が一つ、止まっていた。
隊長機。
遠目にも、それとわかる。
ほとんど動かないまま、ただ立っている。
戦闘直後とは思えないほど、損傷は少なく見えた。
そのすぐ近くには、ゴリアテが横たわっている。
通常型よりさらに分厚い装甲。
肩部と脹脛部へ増設されたミサイルポッド。
旧市街の前線を押し潰しかけた、あの重装甲型だ。
巨体は大きく崩れていない。
爆散もしていない。
けれど、胴体中央には大きく穿たれた穴があった。
そこだけが、装甲をまるごと抉り抜かれたみたいに消えている。
「……仕留めてる」
呟いた声は、ローター音にほとんど飲まれた。
隊長機とゴリアテの周囲では、すでに何人もの人影が動いていた。
回収班か、調査班か。
機材を持った隊員たちが周囲を測り、別の誰かがゴリアテの外装付近を確認している。
終わった瞬間から、もう次の仕事が始まっている。
ユウは窓の外から目を離せなかった。
戦っている最中は、細かいことなんて見えなかった。
ただ、来て、ぶつかって、消えた。
それだけだと思っていた。
でも違う。
あれはただ押し出したんじゃない。
主戦場から切り離して、止めて、その上で終わらせている。
しかも、壊して撒き散らすんじゃない。
調べられる形で残しているようにすら見えた。
先輩が、その視線に気づいたのか短く言う。
「見る余裕が出たか」
「……少しだけ」
「なら次は、見たものを忘れるな」
「はい」
ユウはもう一度だけ下を見た。
停止した隊長機。
その近くで沈黙しているゴリアテ。
周囲で調査と回収を始めている隊員たち。
派手な勝利の絵じゃない。
でも、それがレイヴンの戦いの終わり方なのだと、今なら少しわかる気がした。
壊して終わりじゃない。
止めて、確認して、回収して、次へ回す。
隣で、アノミマスが小さく窓の外を見ていた。
白い横顔はいつも通り静かだ。
けれど、その視線の先にあるものは、たぶんユウとは少し違う。
「……もう、だいぶ消えた」
小さな声。
ユウはそちらを見る。
「糸が?」
アノミマスは頷く。
「うん。まだ少し残ってる。けど、ほどけてる」
その言葉を聞いて、ユウはようやく本当に終わったのだと実感した。
前線が押し返した。
精鋭機が道を作った。
隊長機が怪物を引き受けた。
そして、流れを変える最後の一手に、自分たちの杭は確かに届いていた。
それが少しだけ、信じられなかった。
先輩は外を見たまま言う。
「今回の所見、忘れるな」
「所見って……」
「前線だけ見てると、何で勝ったかを見失う」
短い言葉だった。
「通したのは前線だ。変えたのは中心点処理だ。両方要る」
ユウは小さく息を飲む。
「……はい」
それしか言えなかった。
窓の外で、旧市街の輪郭が少しずつ遠ざかっていく。
さっきまで命のやり取りをしていた場所が、上から見ればただの崩れた街区に戻っていくのが、少しだけ不思議だった。
でも、その中で確かに何かが起きて、確かにそれを止めたのだ。
アノミマスがふいに目を閉じる。
疲れたのか、それともただ静かになっただけなのか。
ユウにはわからない。
ただ、その小さな肩がいつも通りそこにあるのを見て、少しだけ力が抜けた。
怖かった。
苦しかった。
正直、途中で本気で終わるかもしれないと思った。
それでも《トレイス》としてやるべきことは通した。
火種へ届いた。
止めるべき場所へ、ちゃんと杭を打ち込めた。
それだけは、確かな事実だった。
ユウは背もたれに体を預け、小さく息を吐く。
疲労が遅れて全身へ落ちてくる。
腕が重い。
喉が渇く。
でも、嫌な重さだけじゃなかった。
前より少しだけ、自分が何のためにここにいるのかがわかる。
レイヴンの前線は強い。
精鋭機も、隊長機も、見ているだけで息を呑むくらい強かった。
でも、それだけじゃ終わらない。
終わらせるために、火種へ届く班がいる。
その中に、自分もいる。
ヘリの振動に揺られながら、ユウは窓の外を最後にもう一度見た。
旧市街はもう遠い。
けれど、さっき地上で見た光景は、しばらく頭から消えそうになかった。
黒い隊長機。
崩れず進む精鋭機。
静かに糸を追うアノミマス。
そして、前だけを見ろと言い切った先輩の声。
初めての大きな合同任務は終わった。
だが、ユウの中ではたぶん、今日やっと始まったものもあった。
ゴリアテ(重装甲型)
旧市街で前線を押し潰しかけた大型重火力個体。
通常型より装甲が大幅に強化されており、肩部と脹脛部には追加ミサイルポッドを装備。
正面からの火力戦ではエンフォーサー前線すら押し返しかねない圧力を持ち、今回の戦場では最大の壁になっていました。