第23話 いつもの部屋
旧市街任務の翌日は、静かだった。
いや、正確には静かすぎた。
支部の中が本当に止まっているわけじゃない。
廊下には足音があるし、遠くでは無線も鳴っている。
でもユウの感覚では、昨日までの音が大きすぎたせいで、今日の全部が一段だけ遠く感じた。
机に肘をつき、端末を開いたまま少しぼんやりする。
報告書の追記は終わっている。
補足記録も送った。
封止杭の使用記録も確認した。
やることはやった。
なのに、身体だけがまだ戦場の続きみたいだった。
「死んでるな」
先輩が、いつもの調子で言う。
「死んではないです」
「顔は近い」
「旧市街帰りの翌日くらい、許してくださいよ」
ユウがそう返すと、先輩は端末を見たまま黙った。
否定されないだけ、今日はだいぶ甘い方だ。
窓際ではアノミマスが静かに座っている。
膝の上には小さなメモ帳。
白い指先がゆっくりとページをめくっていた。
部屋の景色そのものは、いつも通りだった。
いつもの机。
いつもの椅子。
いつもの距離。
でも、ユウの方だけが少し追いついていない。
「……なんか変な感じします」
ぼんやりしたまま言うと、先輩が短く返した。
「何がだ」
「戦闘の次の日なのに、普通に朝なんだなって」
「朝だからな」
「もっとこう、劇的な何かとか」
「あると思ったか」
「ちょっとは」
「ない」
きっぱりしていた。
でも、そのきっぱりした感じが妙に落ち着いた。
レイヴンはそういう組織なんだろう。
昨日どれだけ大きな任務があっても、次の日には普通に朝になって、普通に端末を開いて、普通に仕事が回る。
それが少しだけ悔しくて、少しだけありがたかった。
部屋の扉が軽く叩かれる。
ユウが顔を上げる前に、先輩が「開いてる」とだけ言った。
入ってきたのは、旧市街で顔を見た制圧群の隊員だった。
腕に軽い包帯を巻いている。
傷は浅そうだ。
「第8班」
呼ばれて、ユウは少しだけ背筋を伸ばす。
「はい」
隊員は机の上に小さな紙袋を置いた。
「旧市街の件。助かった」
それだけだった。
ユウは少しだけ目を瞬かせる。
紙袋の中身を見れば、缶コーヒーが二本と、小さな菓子がいくつか入っている。
「……え、これ」
「前線からだ」
隊員はアノミマスの方を一度見た。
それから小さな包みを一つ、別に取り出して机の端へ置く。
「白いのにはこっち」
飴だった。
アノミマスは少しだけその包みを見て、静かに会釈する。
「……ありがとう」
「礼はいい。中心点を通してくれた方がでかい」
そう言って、その隊員はすぐに出ていった。
長居はしない。
でも十分だった。
ユウはしばらく紙袋を見下ろす。
「……普通に差し入れだ」
「そうだな」
先輩の返答はいつも通り短い。
「こんなのあるんですね」
「珍しくはない」
「もっとこう、レイヴンって全員ドライかと」
「大げさに褒めないだけだ」
その言い方は妙にしっくりきた。
たしかに、旧市街でもそうだった。
よくやったと頭を撫でられるわけじゃない。
でも「通したな」「助かった」と短く言われる。
それがこの組織の評価の仕方なのだろう。
アノミマスが机の端の飴を見つめている。
ユウは少しだけ笑った。
「よかったな」
「……うん」
その返事は小さい。
でも、少しだけ柔らかかった。
ユウが紙袋から缶コーヒーを一本取り出すと、先輩がそちらを見た。
「それ、お前のだろ」
「え、自分のですかね」
「二本あるなら一本はお前だ」
「ざっくりしてるなあ」
もう一本を先輩の方へ寄せると、先輩は少しだけ眉を動かした。
「いらん」
「いや、先輩の分でしょ、たぶん」
「勝手に決めるな」
「無糖ですよ」
缶を見せる。
少しの沈黙。
ユウは少しだけ口元を緩める。
「図星ですか」
「……置いておけ」
「はいはい」
結局受け取るらしい。
アノミマスはそのやり取りを静かに見ていたが、少ししてからぽつりと言った。
「旧市街、みんな生きてる」
ユウは缶を開ける手を止めた。
「……ああ」
その言葉は軽くなかった。
でも、重すぎもしなかった。
アパッチのパイロットも無事だった。
前線も大きく崩れなかった。
隊長機も戻っている。
全員無傷じゃない。
でも、生きてる。
「そうだな」
先輩も短く返す。
「死んでたら、こんな朝じゃない」
その言葉はやけに真っ直ぐだった。
ユウは缶コーヒーを一口飲む。
少し苦い。
でも悪くない。
部屋の外では、また誰かの足音が通り過ぎる。
支部は止まらない。
任務のあとの仕事も、別の班の動きも、たぶんもう普通に回っている。
それでも、昨日と同じではないこともちゃんとあった。
昼前、簡単な補給確認に出たユウは、廊下ですれ違った別班の隊員に軽く顎を引かれた。
「第8班」
「はい」
「旧市街、よく通したな」
短い。
でもその一言で十分だった。
別のところでは、観測班らしい隊員が端末を抱えたまま、
「白いの、今回はほんと助かった」
とアノミマスへ言って通り過ぎていく。
本人は小さく頷くだけだが、その横顔は少しだけ前より落ち着いて見えた。
ユウはそこでようやく、自分たちがちゃんと“結果を出した班”として見られていることを実感する。
隊長機みたいに目立ったわけじゃない。
華々しい戦いをしたわけでもない。
でも、第8班が通したことはちゃんと戦果として数えられている。
それが思っていた以上に、胸の奥へ静かに効いた。
部屋へ戻ると、先輩はすでにいつもの位置で端末を見ていた。
アノミマスはもらった飴を一つだけ開けている。
ユウは自分の席へ座り、背もたれに体を預けた。
「……なんか」
「何だ」
先輩が目を上げずに返す。
「ちょっとだけ、班っぽくなった気がします」
数秒、沈黙が落ちる。
変なことを言ったかと思ったが、先輩はそれを笑わなかった。
代わりに、ほんの少しだけ間を置いて言う。
「今さらだ」
ユウは少しだけ口元を緩める。
「そういう言い方しかできないんですか」
「できるが、これで足りる」
「足りてるのかなあ」
そこでアノミマスが、小さく言った。
「……足りてる」
ユウはそちらを見る。
白い少女は飴を舐めながら、こちらを見ていた。
声はいつも通り小さい。
でもその一言は、妙にまっすぐだった。
「そっか」
ユウはそれだけ返す。
たぶん本当に、それで十分だった。
旧市街の音はもうここにはない。
崩れた街区も、黒煙も、爆発もない。
あるのはいつもの部屋と、いつもの三人だ。
でも、その“いつもの”が少しだけ変わったことを、ユウはちゃんと知っていた。
大きい任務を一つ越えて、成果がちゃんと見られて、短い言葉で評価されて、差し入れまで来る。
そんなものを一つずつ積み重ねて、班は班になっていくのかもしれない。
ユウは机の上の缶コーヒーをもう一口飲む。
苦さはまだ少し強い。
でも、前よりちゃんと味がする気がした。