ゲヘナ特務執行隊「レイヴン」   作:ゴリさん39

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第25話 潜入

 

 カイザー施設の見取り図が、モニタの上に白く浮かんでいた。

 

 旧市街の広域地図とは違う。

 もっと人工的で、もっと息の詰まる図面だった。

 

 外周フェンス。

 搬入口。

 警備塔。

 管理棟。

 地下区画。

 

 無駄がない。

 整いすぎていて、逆に気分が悪い。

 

 先輩はモニタの前に立ったまま、いつも通り短く言う。

 

「今回の目的は制圧じゃない」

 

 ユウは端末を開き、表示された情報を追う。

 

「内部侵入。資料確認。搬送記録の確保。観測者の痕跡があれば最優先で拾う」

 

 先輩の指先が、施設内部のルートをなぞる。

 

「見つかれば戦闘になる。だから見つからないのが理想だ」

 

 机の端で補助端末を操作していた支援担当が言葉を継いだ。

 

「カイザーに発見された時点で、資料焼却か対象移送の可能性が上がる。静かに入って、静かに持ち帰れ」

 

 ユウは小さく息を吐く。

 

 旧市街の時みたいな、“前へ出る圧”とは違う。

 今回は最初から最後まで、息を潜める側だった。

 

「正面は囮が引き受ける」

 

 モニタが切り替わる。

 施設正面ゲート。

 警備塔。

 監視線。

 その外に、赤く引かれた誘導線。

 

「囮部隊はヘルメット団に偽装する」

 

 ユウは少しだけ目を瞬いた。

 

「ヘルメット団に?」

 

「カイザーが一番雑に反応しやすい相手だ」

 

 先輩の声は平坦だった。

 

「重戦車まで見せれば、正面警備は外に寄る」

 

「つまり、“また面倒な連中が来た”って思わせるんですね」

 

「そうだ」

 

 雑な襲撃。

 頭の悪そうな威嚇。

 でも中身はきっちりした囮運用。

 

 ユウは少し嫌そうな顔をする。

 

「そんなのアリなんですか」

 

「通ればいい」

 

 先輩の返しは即答だった。

 

「正面で律儀に名乗る方が馬鹿だ」

 

 その通りだったが、少しくらい丸めてほしい。

 

 先輩はさらに言う。

 

「囮が警備を引いたら、第8班《トレイス》は南側の保守導線から侵入する」

 

 モニタの一角に細いルートが浮かぶ。

 正面とは違い、外からは目立たない。

 保守員や点検要員が使うための線なのだろう。

 

 戦闘向きではない。

 だからこそ潜入向きだった。

 

「完全に空いてるわけじゃない」

 

 支援担当が補足する。

 

「巡回はある。最小接触で抜けろ。見つかった場合は独自判断で処理。ただし騒ぎを大きくするな」

 

「……かなり嫌な任務ですね」

 

 ユウが本音を漏らすと、先輩が短く返した。

 

「嫌で済むなら軽い」

 

「そういう言い方します?」

 

「事実だ」

 

 窓際ではアノミマスが静かにモニタを見ていた。

 白い横顔は少しだけ硬い。

 

「……いや」

 

 小さな声だった。

 

 ユウはそちらを見る。

 先輩もすぐ反応した。

 

「まだ嫌か」

 

 アノミマスは少し間を置いて頷く。

 

「うん」

 

「糸は」

 

「見える。でも、いや」

 

 先輩はそれ以上無理に聞かなかった。

 ユウも何も言えない。

 

 嫌なのに、見る。

 怖いのに、追う。

 

 たぶんそれが、第8班が観測者を追う時のいつもの形なのだろう。

 

 ブリーフィングが終わる頃には、部屋の空気はかなり静かになっていた。

 

 旧市街任務の時のような派手さはない。

 でも、だからこそ落ち着かない。

 

 静かに入って、見つけて、持ち帰る。

 その途中で線が切れたら、また終わらない。

 

 移動車両の中でも、空気は重かった。

 

 ユウは窓の外を流れる景色を見ながら、端末に目を落とす。

 

 カイザー施設。

 未登録搬送。

 旧施設接触。

 観測者痕跡疑い。

 

 文字だけ並べると、ひどく乾いて見える。

 でも、その乾いた文字の奥にあるものが一番嫌だった。

 

「今回、旧市街みたいに派手じゃないですね」

 

 思わずそう言うと、先輩は前を見たまま答えた。

 

「見つかれば派手になる」

 

「それはそうなんですけど」

 

「なら静かなうちに入れ」

 

 反論の余地がなかった。

 

 やがて車両は、施設近くの一時待機地点へ滑り込む。

 すでに囮部隊の準備は終わっていた。

 

 遠目には本当にヘルメット団みたいだった。

 

 雑な外装。

 荒っぽい塗り。

 通信波形まで少し粗く見せてある。

 

 だが近くで見れば、雑なのは見せ方だけで、中身はきっちり整っている。

 

 道路脇では重戦車が一両、低く唸っていた。

 威嚇用。

 放置できない脅威を外に作るための駒だ。

 

「……本当にやるんだ」

 

 ユウが小さく言うと、支援担当が肩をすくめた。

 

「相手が一番反応しやすい音に化ける。それだけだ」

 

「普通じゃないですよね」

 

「レイヴンでは普通だ」

 

 その基準はやっぱりおかしい。

 

 短い無線が入る。

 

『囮部隊、展開開始』

 

 正面側へ車列が動く。

 少し遅れて砲声。

 威嚇。

 だが軽くはない。

 

 施設の外周灯が一斉に切り替わり、警報が走る。

 

『カイザー警備、正面寄せ確認』

『東西警備線、移動中』

『今だ。第8班、侵入開始』

 

 先輩が短く顎を引いた。

 

「行くぞ」

 

 ユウは封止杭のケースを背負い直す。

 アノミマスが先頭。

 先輩がその横。

 ユウが後ろにつく。

 

 外壁沿いの保守導線は、思っていたより狭かった。

 

 点検蓋。

 配線束。

 排気ダクト。

 

 人が使うための線ではある。

 だが、人に見せる場所ではない。

 施設の裏側そのものだった。

 

「……こういう場所、落ち着かないですね」

 

「静かにしろ」

 

「小声です」

 

「それでもだ」

 

 アノミマスは前を見たまま、ぽつりと言った。

 

「……中、変」

 

 ユウの背筋に、少しだけ冷たいものが走る。

 

 外壁脇のサービスハッチから内部へ入る。

 空気が変わった。

 

 暗い。

 整いすぎている。

 床も壁も、必要以上に管理されている感じがある。

 

 神秘が腐った嫌さとは違う。

 もっと人工的で、人の都合で隠された嫌さだった。

 

 通路へ出る前に、先輩が手を上げる。

 三人とも止まる。

 

 巡回の足音。

 

 ユウは息を止める。

 数秒。

 靴音はゆっくりと遠ざかっていった。

 

 先輩が動く。

 第8班も続く。

 

 施設内部は異様に静かだった。

 正面では囮が騒いでいるはずなのに、その音は壁越しにかすかに届くだけだ。

 

 ユウは思う。

 

 旧市街みたいな、音だらけの戦場も嫌だった。

 でもこういう、静かすぎる施設の中を見つからないように進むのは、それと別の意味で嫌だ。

 

 アノミマスが一度だけ立ち止まる。

 

「……こっち」

 

 白い指先が左の通路を示す。

 

「資料?」

 

 ユウが小さく聞くと、アノミマスは首を横に振った。

 

「……糸」

 

 先輩は何も言わず、その方向へ進路を変える。

 

 曲がった先の廊下はさらに暗かった。

 照明が少ない。

 管理用か、表には出していない区画なのかもしれない。

 

 その時だった。

 

 遠くで、何かが弾ける音がした。

 

 小さくない。

 銃声だ。

 それが一つではなく、続く。

 さらに警報音が施設内部のどこかで一段上がる。

 

 ユウが反射で顔を上げる。

 

「……見つかりましたね」

 

 先輩は一瞬だけ耳を澄ませるようにして、それから短く言った。

 

「おそらく、他の誰かが入ってる」

 

「他の誰か?」

 

「別導線だ。囮とは音が違う」

 

「味方ですか」

 

「知らん」

 

 即答だった。

 

「だが、カイザーの警備はそっちへ寄る。なら利用する」

 

 ユウはその言葉を飲み込む。

 

 誰かはわからない。

 味方かもわからない。

 でも、施設の中で別口の侵入者が暴れた。

 それだけで十分、こっちには追い風になる。

 

「行かなくていいんですか」

 

「行かない」

 

 先輩は前を見たまま続ける。

 

「向こうは見つかった。なら、もう隠れる必要がない。こっちはアノミマスを連れてる。混乱に寄るより、利用した方が早い」

 

 冷たい判断にも聞こえる。

 でも、間違ってはいない。

 たぶんこれが、今の第8班の正解だ。

 

「……任せるってことですか」

 

「先に任せる」

 

 先輩は短く言った。

 

「こっちはこっちの任務を通す。今が一番通りやすい」

 

 アノミマスも静かに前を見ていた。

 騒ぎの方には顔を向けない。

 きっと今は、それでいい。

 

 先輩が手で合図する。

 

「進むぞ」

 

 第8班は施設の奥へ向かった。

 

 壁の向こうでは警報が鳴り、遠くで銃声が重なっている。

 けれどその騒ぎの分だけ、こちらの通路は薄くなっていた。

 

 潜入は、ここからが本番だった。

 

 さらに二つほど通路を抜けたところで、アノミマスの足がまた止まる。

 

「……近い」

 

 白い声は小さい。

 でも、今までより少しだけ張っていた。

 

「どっちだ」

 

「前。少し右」

 

 先輩は視線だけで進路を測る。

 ユウも息を浅くした。

 

 近い。

 また切れる前に届くかもしれない。

 

 そう思った、その時だった。

 

 前方の角の向こうで、人の気配が止まる。

 

 先輩の手が即座に上がる。

 アノミマスを背に入れる位置。

 ユウも反射で構えた。

 

 数秒後、角の向こうから現れたのは――生徒たちだった。

 

 制服。

 見覚えのあるアビドスの面々。

 そして、その中心に立つ大人。

 

 ユウの喉がわずかに鳴る。

 

(……この人が、先生)

 

 向こうもこちらに気づき、止まっていた。

 

 静かな施設の中で、空気だけがぴんと張る。

 

 セリカが真っ先に声を上げた。

 

「ちょ、誰!? なんでこんなところにいるのよ!」

 

 シロコは何も言わないまま、わずかに前へ出る。

 ノノミは少し驚いたように目を丸くし、アヤネは露骨に警戒を強めていた。

 

 先輩が一歩だけ前へ出る。

 声は低く、短い。

 

「動くな」

 

 通路の空気がそこでわずかに止まる。

 

「こっちに敵対意思はない」

 

 生徒たちは先生を庇うようにしながら、すぐに攻撃の構えは取らなかった。

 その判断の速さに、ユウは少しだけ驚く。

 

 先輩は続ける。

 

「レイヴン所属、第8班《トレイス》」

 

 アヤネの眉がぴくりと動いた。

 

「レイヴン……?」

 

 セリカは露骨に怪しそうな顔をする。

 

「いやいや、急に出てきて敵じゃないって言われても怪しいでしょ!?」

 

「怪しむのは正しい」

 

 先輩は淡々と返した。

 

「その上で言う。こちらは別件調査でこの施設に入っている。そちらの行動を妨害する意図はない」

 

 先生がそこで初めて口を開いた。

 

「君たちもカイザーを追っているのか」

 

「元は別班案件だ。今は違う」

 

「違う?」

 

「観測対象の痕跡が出た」

 

 その言葉で、先生の目つきが少しだけ変わった気がした。

 

 シロコが短く聞く。

 

「観測対象?」

 

 先輩は答えを濁した。

 

「今ここで全部は話さない」

 

「でも敵じゃない、ってことは本当?」

 

 ノノミの声はやわらかいが、内容はちゃんと核心だった。

 

「本当だ」

 

 先輩は即答した。

 

「同行はしない。だが、そちらの捜索対象を発見した場合は情報を流す」

 

 先生が小さく返す。

 

「こちらは人を探している」

 

 ユウは少しだけ眉を寄せる。

 

「人?」

 

「ホシノだ」

 

 名前だけではわからない。

 ユウが反応する前に、先輩が短く聞いた。

 

「特徴は」

 

 アヤネが一歩だけ前へ出る。

 

「ピンク髪の小柄な女子生徒です。アビドスの制服を着ています」

 

 シロコが短く足す。

 

「眠そうに見える」

 

 セリカがすぐに言い足した。

 

「でも強いわよ。かなり」

 

 ノノミが小さく頷く。

 

「見ればたぶん、わかると思います〜」

 

 先輩は数秒で情報を飲み込んだように言う。

 

「了解した。こちらの主任務は変わらない。だが、任務遂行中にその特徴と一致する対象を確認した場合は報告する」

 

 その返しに、アビドス側の空気が少しだけ変わる。

 完全な信頼ではない。

 でも敵でもない。

 

 それで十分だった。

 

 その時、アノミマスがふいに先生の方を見た。

 

 白い横顔が少しだけ止まる。

 

「……」

 

 ユウはその変化に気づく。

 アノミマスが、珍しく“人”を見て少し引っかかったような顔をした。

 

「どうした」

 

 先輩が短く聞く。

 

 アノミマスは小さく首を振った。

 

「……なんでもない」

 

 そう言ったが、ユウには少しだけ嘘っぽく聞こえた。

 

 先生が一歩だけ前へ出る。

 

「わかった。こちらも君たちに敵対するつもりはない」

 

 ユウは少しだけ息を吐いた。

 

 これで話は終わる。

 そう思った、その時だった。

 

 先輩が言葉を切ろうとした瞬間、ユウは反射みたいに端末を取り出していた。

 

「あ、じゃあ何かあったらこれにください」

 

「ユウ」

 

 先輩の低い声が飛ぶ。

 でももう遅い。

 

 ユウは先生の方へ、自分の連絡先コードを表示していた。

 

「緊急用でいいので。こっちも、もし見つけたら流します」

 

 一瞬だけ、通路の空気が妙な沈黙になる。

 

 アヤネが目を瞬く。

 セリカは「えっ」みたいな顔をする。

 ノノミは少し困ったように笑い、シロコはユウを静かに見ていた。

 

 先生はほんの少しだけ驚いた顔をしたあと、静かに頷く。

 

「……わかった。ありがとう」

 

 端末同士が短く反応する。

 識別交換完了。

 

 ユウはそこで初めて、自分がわりと勢いでやったことに気づいた。

 

「じゃ、じゃあ、そういうことで」

 

「軽い」

 

 先輩の声が横から刺さる。

 

 セリカが半分呆れたみたいに言う。

 

「いや、連絡先渡すの早くない!?」

 

「え、いや、その方が早いかなって……」

 

「そこは否定しにくいですね……」

 

 アヤネが小さくため息をつく。

 先生は少しだけ苦笑していた。

 

「こちらも何か見つけたら連絡する」

 

「お願いします」

 

 ユウがそう返すと、先輩は一瞬だけ目を閉じた。

 たぶん呆れている。

 

 それでも、その場では止めなかった。

 

「行くぞ」

 

 先輩が短く言う。

 

「これ以上同じ場所にいる意味はない」

 

 その言葉で、第8班は再び動き出す。

 アノミマスが先。

 先輩がその横。

 ユウは一度だけ後ろを振り返る。

 

 先生とアビドスの面々も、まだこちらを見ていた。

 敵意ではない。

 でも、完全な信頼とも違う。

 

 それで十分だと思った。

 

 通路を曲がって先生たちの姿が見えなくなってから、先輩がようやく口を開いた。

 

「ユウ」

 

「はい」

 

「なんで自分の連絡先を渡した」

 

 ユウは歩きながら視線を逸らす。

 

「……いや、その方が早いかなって」

 

「班の共通連絡を使え」

 

「その場でそこまで頭回らなかったんですよ」

 

「軽い」

 

「でも先生、悪い人には見えなかったですし」

 

 少しだけ沈黙。

 

 先輩は呆れたように、小さく息を吐いた。

 

「だからって即座に個人連絡を出すな」

 

「怒ってます?」

 

「呆れてる」

 

「すみません……」

 

 その横で、アノミマスが小さく言った。

 

「……ゆう、先生に懐いた」

 

「懐いてない」

 

「早い」

 

「アノミマスまで言うのかよ」

 

 ユウがそう返すと、白い少女はほんの少しだけ口元を緩めた。

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