ゲヘナ特務執行隊「レイヴン」   作:ゴリさん39

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第26話 別々の先

 

 先生たちと別れてからも、施設の中はうるさかった。

 

 壁の向こうで銃声が重なる。

 短い破裂音。

 何かが倒れる鈍い音。

 警報は切れずに鳴り続け、赤い非常灯が通路を薄く染めていた。

 

 その全部を背中で聞きながら、第8班《トレイス》は反対側の深部へ進んでいた。

 

 先輩の読み通り、警備はかなりそちらへ寄っている。

 今までなら巡回がいてもおかしくない通路が、妙に静かだった。

 

「……本当に薄いですね」

 

 ユウが小声で言うと、先輩は前を見たまま返した。

 

「だから今のうちだ」

 

 アノミマスはさらにその先を見ている。

 白い横顔は静かなままだが、目だけは落ち着かない。

 

「糸は」

 

 先輩の問いに、アノミマスは小さく答えた。

 

「……近い」

 

 ユウは息を浅くした。

 

 近い。

 その一言だけで、通路の温度が少し変わる気がする。

 

 遠くでは先生たちが戦っている。

 それでも第8班はそちらへ行かない。

 今追うべきなのは、別の線だ。

 

「見るなよ」

 

 先輩が短く言った。

 

「え?」

 

「音に引っ張られるな。糸だけ見ろ」

 

「……はい」

 

 図星だった。

 

 さっきから壁の向こうの戦闘音がどうしても気になる。

 先生たちはどう動いているのか。

 アビドスの面々は無事か。

 そんな考えが頭をよぎる。

 

 でも先輩は、それを切る。

 今ここで必要なのは関心じゃない。

 追跡だ。

 

 アノミマスがまた角を一つ曲がる。

 通路の先はさらに暗く、管理外区画のような空気になっていた。

 壁の端に古いパネル。

 床には使われていない搬送レール。

 人を見せる場所ではなく、物を通す場所だ。

 

 その時、前方で慌ただしい足音が跳ねた。

 

 先輩の手が上がる。

 

「止まれ」

 

 第8班が止まる。

 

 角の向こうから飛び出してきたのは、戦闘員ではなかった。

 

 白衣まがいの上着。

 端末ケース。

 顔には露骨な焦り。

 研究職らしいカイザー職員だった。

 

「……っ!」

 

 男は第8班を見た瞬間、反射で向きを変えようとした。

 だが遅い。

 

 先輩が一歩で詰める。

 短い制圧。

 男の身体が壁へ叩きつけられ、次の瞬間には床へ押しつけられていた。

 

「動くな」

 

「離せ! 私は研究主任だぞ!」

 

「だからだ」

 

 先輩の声は冷たい。

 

 ユウもすぐに寄る。

 息は上がっている。

 でも目の前の男を見た瞬間、少しだけ拍子抜けした。

 

 普通だ。

 

 少なくとも見た目は。

 黒い影みたいな身体でも、妙な発光でもない。

 ただの、追い詰められたカイザー職員に見える。

 

 それでも、ここまで糸を引いてきた相手だ。

 

「……この人が、観測者ですか」

 

 思わず出た声に、先輩はすぐには答えなかった。

 

 押さえつけた男を見下ろしたまま、数秒だけ黙る。

 それから低く言った。

 

「……本当にそう見えるか」

 

「え」

 

「先代が探し回った対象が、こんなにあっけないものなのかと思ってな」

 

 ユウは息を呑んだ。

 

 その違和感は、たぶん正しい。

 目の前の男は小さい。

 怯えている。

 狡猾さも、底知れなさも、何か決定的なものが足りない。

 

 その時、アノミマスが小さく近づいてきた。

 

 白い少女は男をじっと見て、少しだけ眉を寄せる。

 

「……違う」

 

 先輩の視線が動く。

 

「何がだ」

 

「似てる。でも、違う」

 

 ユウの背筋に冷たいものが走る。

 

「糸は?」

 

「ある。でも、人じゃない」

 

 先輩の目が細くなる。

 

「身体を見ろ」

 

「はい」

 

 ユウはすぐに男の上着へ手を伸ばした。

 男が激しく抵抗する。

 

「やめろ! 触るな!」

 

「ユウ、懐だ」

 

「はい!」

 

 内ポケットに指が触れた瞬間、妙な熱があった。

 

 取り出す。

 

 手のひらに収まる程度の黒い遺物。

 欠片のようでいて、妙に形が整っている。

 それを引き抜いた瞬間、アノミマスが小さく息を呑んだ。

 

「……それ」

 

 男の顔色が変わる。

 

「返せ!」

 

 ユウは反射で一歩引いた。

 遺物の表面には、見覚えのないはずの嫌な気配がまとわりついていた。

 それでもなぜか、今まで追ってきた“観測者の匂い”に、確かによく似ている。

 

 先輩が低く言う。

 

「なるほどな」

 

「これが……」

 

「本人じゃない」

 

 先輩は男を見下ろしたまま続ける。

 

「持たされていた餌だ」

 

 ユウは遺物を見つめた。

 

 似ている。

 でも違う。

 アノミマスの言葉が、そのまま胸に落ちる。

 

 届いたと思った。

 やっと掴めるのかと思った。

 でも違った。

 

 これが観測者案件なのか。

 こういうふうに外されるのか。

 

 悔しさというより、まず先に妙な空白が来た。

 それから少し遅れて、腹の奥が重くなる。

 

「……そういうことか」

 

 小さく漏れた声に、先輩が答える。

 

「糸は間違ってない。神秘由来ではある」

 

「でも、相手そのものじゃない」

 

「そうだ」

 

 先輩は即答した。

 

「観測者は最初から、自分を追わせる気がない」

 

 その一言がやけに重かった。

 

 床に押さえつけられた男はまだ喚いている。

 

「離せ! 私は命令に従っただけだ! 知らん! 本当に知らん!」

 

 先輩が男の腕をひねり上げる。

 短い悲鳴。

 

「悔しがるのは後だ」

 

 低い声だった。

 

「身柄を押さえる。遺物を回収する。ここでの任務はまだ終わってない」

 

 ユウは息を飲み、すぐに頷く。

 

「はい」

 

 アノミマスは遺物を見たまま、小さく言った。

 

「……似てた」

 

「十分だ」

 

 先輩は短く返す。

 

「だからここまで来れた」

 

 その言葉に、ユウは少しだけ救われる。

 

 完全に外れたわけじゃない。

 追っていた線は確かにあった。

 ただ、本物の喉元ではなく、その手前に置かれた餌だった。

 

 先輩が無線を開く。

 

「第8班。対象一名拘束。神秘由来遺物を一基回収。回収班を寄こせ」

 

 短く、必要なことだけ。

 

 別回線で、遠くからまだ銃声が響いている。

 先生たちの方だろう。

 けれど先輩はそちらを見ない。

 

「ユウ」

 

「はい」

 

「拘束補助」

 

「了解」

 

「アノミマスは下がれ。遺物から離れすぎるな」

 

「……うん」

 

 ユウは素早く拘束具を取り出す。

 研究職の男はまだ何か喚いていたが、もう聞く価値は薄い。

 供述は後だ。

 今は持ち帰れる形にする方が先だった。

 

 先輩が短く言う。

 

「向こうは向こうで通す」

 

 ユウは一瞬だけ壁の向こうの音へ意識を向けかけて、すぐ戻す。

 

「……任せるんですね」

 

「任せる」

 

 即答だった。

 

「こっちは拾うものを拾った。これ以上深入りする理由はない」

 

 その判断は冷たい。

 でも、正しい。

 ユウにももうわかる。

 

 先生たちは自分たちの目的を追っている。

 第8班は第8班の成果を押さえる。

 ここで無理に全部を混ぜない方がいい。

 

 先輩が回収した遺物をユウへ一瞬見せる。

 

「これだけでも十分重い」

 

「……はい」

 

「持ち帰れば次に繋がる」

 

 それがレイヴンの勝ち方だった。

 

 やがて回収班到着までの時間が返る。

 数分。

 

 先輩は時計を見るでもなく言った。

 

「受け渡したら撤収する」

 

「素早いですね」

 

「長居する理由がない」

 

 ユウは少しだけ口を引き結ぶ。

 

 たしかにそうだ。

 本人はここにいない。

 でもダミーは回収した。

 カイザー職員は押さえた。

 ここで熱くなっても得るものは少ない。

 

 悔しさだけを残して、必要なものだけ持って引く。

 それが今の第8班の答えだった。

 

 アノミマスが小さく言う。

 

「……切れてない」

 

 ユウがそちらを見る。

 

「え?」

 

「ほんとの糸じゃない。でも、完全には消えてない」

 

 先輩の視線がわずかに動く。

 

「遺物側に残ってるか」

 

 アノミマスは静かに頷く。

 

「少しだけ」

 

 それで十分だった。

 

 今ここで追いきれなくても、次はある。

 少なくとも、何も残らなかったわけじゃない。

 

 ユウは遺物を見つめながら、小さく息を吐いた。

 

 これが観測者案件。

 初めて触れたその線は、思っていたよりずっと嫌で、ずっと狡猾だった。

 

 でも、だからこそ追う価値があるのだとも、少しだけ思った。

 

 遠くで銃声がまた重なる。

 

 先生たちは、きっともう別の答えへ近づいている。

 第8班はその場に行かない。

 行かずに、自分たちの拾ったものを持って引く。

 

 同じ施設の中にいたのに、向かった先は少し違った。

 

 それでよかったのだと、ユウは自分に言い聞かせた。

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