第27話 持ち帰ったもの
撤収後の仕事は、戦闘より静かで、そのぶん時々重い。
ユウは端末の画面に並ぶ報告欄を見ながら、そんなことを思っていた。
施設の中で拾ったものは、どれも大きくない。
拘束したカイザー職員一名。
神秘由来遺物一基。
簡易供述。
現場記録。
それだけだ。
けれど、その一つひとつが妙に重かった。
「止まってるな」
先輩の声が横から落ちる。
ユウは小さく顔を上げた。
「文章が、こう……うまくまとまらなくて」
「事実だけ書け」
「それが一番難しいんですよ」
「余計な感想を混ぜるからだ」
その通りすぎて何も言えない。
ユウは小さく息を吐き、もう一度端末へ視線を落とした。
対象一名拘束。
神秘由来遺物一基回収。
追跡対象本人ではない可能性高し。
回収物は観測対象由来の痕跡を模したダミーである疑い。
文字にすると簡潔だ。
でも実際にあの場にいた感覚は、そんなに簡単ではなかった。
届いたと思った。
掴めるのかと思った。
でも違った。
その感触だけが、まだ少し指先に残っている。
「先輩」
「何だ」
「これ、どう書けばいいですか。
『追跡対象に到達したと判断したが、アノミマスの識別により別物と判明』でいいですか」
「それで足りる」
「味気ないなあ」
「報告書に味はいらん」
ユウは小さく口を曲げたが、結局そのまま打ち込んだ。
部屋の中は静かだった。
旧市街任務のあととは、また違う静けさだ。
前は大きい戦闘のあとで、身体だけが重かった。
今回は、それに加えて頭の奥に薄い疲れが残っている。
視線を横へ向ける。
アノミマスは窓際の椅子に座っていた。
白い髪が光を受けて、いつもより少しだけ薄く見える。
手元にはブランケット。
肩へ掛けているのに、どこか落ち着かない様子で端を握っていた。
静かだ。
でもそれは、いつもの静かさではない。
明らかに疲れている静かさだった。
ユウは端末を置いて立ち上がる。
「……アノミマス」
白い少女がゆっくり顔を上げる。
「ん」
「飲む?」
「……あまいの」
即答だった。
ユウは少しだけ笑う。
「了解」
給湯スペースで甘い飲み物を探して戻ると、先輩が椅子にもたれたまま言った。
「砂糖入れすぎるなよ」
「そこまで子ども扱いしてないです」
「甘いのが好きなのと、糖分で誤魔化すのは別だ」
「細かいなあ」
「見てる側はそうなる」
その返しに、ユウはほんの少しだけ黙る。
見てる側。
たぶん先輩は、こういう時のアノミマスをもう何度も見ているのだ。
飲み物を差し出すと、アノミマスは両手で受け取った。
「……ありがと」
「今日はもう見なくていいって」
ユウがそう言うと、アノミマスは一度だけ先輩の方を見た。
先輩は端末を見たまま、短く言う。
「今日はもう見るな」
「……うん」
「糸も遺物も、後は本部が拾う」
アノミマスは小さく頷く。
その返事だけで、今日は本当に疲れているのだとわかった。
ユウは席へ戻り、端末を開き直した。
報告書の次の欄は、回収物の簡易所見共有だった。
すでに初期鑑定の速報が返ってきている。
対象遺物は神秘由来。
観測対象に類似した残留特性あり。
ただし個体反応ではなく、外部付与・加工痕の可能性が高い。
追跡誘導、誤認誘発用途が疑われる。
「……やっぱり餌だったんですね」
ユウがそう言うと、先輩は短く返した。
「そう見るのが妥当だ」
「最初から引っかけるつもりで置かれてたってことですか」
「そこまでは断定しない」
「でも、かなり嫌な置き方してますよね」
「嫌な置き方をする相手だ」
先輩の声は平坦だった。
怒っているわけでも、悔しさを滲ませているわけでもない。
ただ、何度も似た線を見てきた人間の声だった。
「先代の人たちも、こういうの追ってたんですか」
ユウが聞くと、先輩は少しだけ沈黙した。
「全部が同じではない」
「でも、似たようなことは」
「あった」
短い肯定。
「だから今回も、あまり驚かないんですか」
「驚かんわけじゃない」
先輩はそこで初めて少しだけ視線を上げた。
「ただ、毎回まっすぐ本体に触らせてくれる相手なら、今ごろ終わってる」
ユウは小さく息を吐く。
たしかにそうだ。
今回だって、アノミマスの糸は確かに何かを掴んでいた。
でもその先にいたのは、本物の観測者ではなかった。
追えていないわけじゃない。
ただ、最後の最後でずらされる。
それが観測者案件なのだと、今はもう少しだけ実感できる。
端末へ戻り、ユウは報告書の最後の欄を埋める。
第8班としての所見。
ここだけは少し迷った。
「先輩」
「何だ」
「所見欄、どうします?」
「書け」
「いや、だから何を」
「お前が現場で見たことだ」
ユウは数秒だけ考える。
見たこと。
感じたこと。
事実で、でも嘘じゃない言葉。
少し迷ってから、打ち込んだ。
観測対象由来と思われる神秘痕は確かに存在した。
ただし本体ではなく、誘導・誤認を目的とした可能性が高い。
対象は追跡されること自体を前提に行動している節がある。
打ち終わって、自分で少しだけ顔をしかめる。
「生意気ですかね」
「少しな」
「やっぱり」
「だが間違ってはいない」
それならまあ、いいかと思えた。
部屋の外で、短いノック音がした。
先輩が「開いてる」と言う。
入ってきたのは回収班の人間だった。
腕に端末を抱え、いかにも事務連絡だけ持ってきた顔をしている。
「第8班」
「何だ」
「後報」
先輩が端末を受け取り、ちらりと見て、そのままユウの方へ寄こした。
ユウは画面を覗き込み、目を走らせる。
対象救出成功。
施設外離脱確認。
同行生徒群損耗軽微。
それだけだった。
短い。
でも十分だった。
「……先生たち、間に合ったんですね」
思わず零れた声に、先輩は短く頷く。
「らしいな」
「捜索してた子も」
「救出成功とある」
詳しい経緯は書いていない。
どこでどう戦ったかも、誰がどう動いたかもない。
ただ結果だけがある。
でも今は、それでよかった。
先生たちは先生たちで、ちゃんと通した。
第8班は第8班で、持ち帰るものを持ち帰った。
同じ施設にいたのに、向かった先は少し違う。
その結果だけが、こうしてあとから並ぶ。
「よかった」
ユウがそう言うと、回収班の人間はそれ以上何も言わずに頷き、すぐ出ていった。
長居しない。
必要なものだけ置いていく。
レイヴンらしい連絡だった。
窓際では、アノミマスが甘い飲み物を少しずつ飲んでいる。
その横顔を見ながら、ユウは小さく息を吐いた。
何も残らなかったわけじゃない。
それでも、何かが足りない感じは残る。
「ユウ」
先輩の声が落ちる。
「はい」
「報告書を上げたら終わりじゃない」
「……本部ですか」
「動く」
短い断言だった。
ユウは端末を見下ろす。
拘束したカイザー研究職。
回収したダミー遺物。
観測者に似せた神秘痕。
そして、先生たちがホシノを救出して無事に撤退したという後報。
全部が別々のようでいて、たぶん同じ線の上にある。
「本部、何するんでしょうね」
「知る必要が出たら教える」
「その言い方だと、ほぼ出ますよね」
「勘が悪くないな」
褒められている感じは相変わらず薄い。
アノミマスが小さく呟く。
「……ねむい」
ユウはそちらを見る。
「寝ていいぞ」
「……うん」
白い少女はブランケットを少しだけ引き寄せて、目を閉じた。
ほんの数分で眠るわけではないだろう。
でも、もう今日は“追う目”を使わなくていい。
それだけで少し、部屋の空気がやわらいだ気がした。
ユウは最後に報告書を見直し、送信する。
送信完了の表示。
それを見届けて、ようやく背もたれに体を預けた。
施設の中で拾ったものは小さい。
けれど、その一つひとつは確実に次へ繋がっている。
観測者。
まだ何も掴めていないようで、少しだけ近づいた感覚もある。
その感覚を言葉にする前に、先輩がぽつりと言った。
「次はたぶん、面倒だぞ」
ユウは苦笑する。
「今まで面倒じゃなかったことありました?」
「ないな」
あっさりしていた。
その返しに、少しだけ笑える自分がいる。
前よりは慣れたのかもしれない。
慣れたくない種類の面倒ばかりだとしても。
部屋の中には、静かな疲労と、持ち帰ったものの重さだけが残っていた。