次の瞬間には、もう戦うしかなかった。
黒い装甲が一歩踏み込む。
それだけで、店の中の空気が変わる。
美食会の面々がどれだけ問題児でも、どれだけ騒がしくても、あれとは質が違う。
あっちは暴風だ。読むのが難しい代わりに、勢いに波がある。
でもこっちは違う。
静かで、重くて、迷いがない。
逃げ道を潰して、囲って、終わらせるための動きだった。
「ハルナ!」
呼ぶと、彼女は視線だけをこちらへ寄越した。
「このままだと捕まる!」
「ええ、見ればわかりますわ」
「じゃあ――」
「ですから、抜けますのよ」
言うが早いか、ハルナが身を翻した。
美食会の連中は、思った以上に動きが早い。いや、正確には“散る”のが早い。統制が取れているというより、全員が全員、勝手に最適だと思った方角へ走っているだけだ。なのに、妙な形で噛み合っている。
先生はそこでようやく理解する。
この連中、こういう状況に慣れている。
慣れていてほしくはないが、慣れている。
右側の壁際から黒装備の隊員が二人、回り込む。
左からも一人。
中央の黒い装甲――エンフォーサーと呼ばれているらしい機体が、その間を押し潰すように前へ出る。
正面突破を許さず、横へ逃げても刈り取る。
きれいな制圧だった。
「先生、伏せて!」
ジュンコの声に反射的に身を低くした瞬間、頭上を火線が走る。
店の照明が弾け、天井の残骸がさらに降ってくる。
ハルナが撃ち返した。
正面の装甲ではなく、エンフォーサーの少し左、ちょうどその後ろにいた隊員たちの前へ。遮るように、近づかせないための射線だった。
なるほど、と先生は短く息を吐く。
あれは倒すための撃ち方じゃない。切るための撃ち方だ。
隊員と黒い装甲の間を、一瞬でも断つための。
「先生!」
今度はアカリだった。
なぜか楽しそうに手を振っている。
「こっち!」
「こっちって――」
彼女の足元には、いつの間にか何かが転がっていた。
小型の爆薬。しかも一個じゃない。店内のあちこち、崩れた机の陰や柱の根元に、さっきから自然に散らされていたらしい。
先生は一瞬だけ頭を抱えたくなった。
戦闘の最中に、いつの間にそんなものを。
いや、違う。
考えるべきはそこじゃない。
あれを、どこに置いた?
先生は目を細める。
店内の崩れた床、ひびの入った梁、吹き飛んだ壁際、そして今エンフォーサーが前に出ようとしている動線。
美食会の連中が無茶苦茶に暴れているように見えて、その実、崩れている場所には妙な偏りがあった。
中央。
エンフォーサーが最短で押し込んでくるための直線上。
「……アカリ」
「うん?」
「まだ起爆するな」
彼女がきょとんとする。
「えっ、今じゃないの?」
「今じゃない。前に出た時だ」
言った瞬間、アカリの目が少しだけ丸くなった。
次いで、にっと笑う。
「先生、わかってきたじゃん」
嬉しくない褒め言葉だった。
だが、たぶん今必要なのはこれだ。
正面から撃ち合って勝てる相手じゃない。
あの黒い装甲は硬い。盾もある。隊員の動きも早い。
なら、勝つんじゃなくて崩す。
正しく受けられない瞬間を作るしかない。
「ジュンコ!」
「何よ!」
「正面で一回、あいつを引きつけて!」
「はあ!? なんで私が!」
「一番向いてる!」
「最悪!」
文句を言いながら、ジュンコは本当に飛び出した。
こういう時の美食会は、理屈より先に体が動く。それを先生が後から繋ぐ。
めちゃくちゃだ。
でも、今はそのめちゃくちゃさがありがたい。
ジュンコの突撃に反応して、エンフォーサーが正面の盾をわずかに上げる。
武装隊員たちも動く。右へ一人、左へ一人。包囲を狭めるための動きだ。
「イズミ、右!」
「え、なんで私!?」
「いいから!」
「わ、わかった!」
イズミがほとんど転がるように右へ走った。
わざと雑な動きだ。隠れる気配もない。
だからこそ、隊員の一人がそちらへ意識を割く。
「ハルナ、今は隊員を寄せさせないで」
「最初からそのつもりですわ」
乾いた音。
ハルナの射撃が、今度は右側の壁際へ着弾する。崩れた柱が横倒しになり、黒装備の隊員が一瞬だけ足を止めた。
その瞬間、中央が前に出る。
エンフォーサーが来た。
盾を前に、重いはずの機体が見た目に反して速い。
歩くというより滑るように距離を詰める。青白いスラスター光が床の粉塵を巻き上げ、赤いセンサーが真っ直ぐ前を射抜いていた。
怖い、と先生は思った。
理屈抜きで、ああいうものが真正面から来るのは怖い。
だからこそ、止める。
「アカリ!」
「了解!」
起爆音は、爆発音より先に来た。
エンフォーサーが踏み込んだ床の下で、仕込まれていた小型爆薬が一斉に弾ける。
直接機体を吹き飛ばす威力はない。
だが目的はそこじゃない。
床が抜けた。
重い機体の片足が一瞬沈み込み、踏み込みの軸がずれる。
ほんのわずか。
ただ、それで十分だった。
『警告。姿勢制御補正』
機械音声が店内に響く。
エンフォーサーは即座に立て直そうとした。強い。異常に強い。普通ならそのまま持ち直していたはずだ。
だが、そこでジュンコが正面から撃ち込む。
ハルナが少し遅れて左から撃つ。
イズミがわけのわからないタイミングで横から飛び出す。
そして先生は叫ぶ。
「盾を上げさせろ! 今!」
エンフォーサーが咄嗟にパルスシールドを展開した。
だが、それは普段みたいな“きれいな受け”じゃなかった。
片足を抜かれた無理な姿勢。
傾いた重心。
角度のずれたまま上げられたシールド。
そこへ一方向ではなく、ばらけた複数方向から集中する火力。
シールド表面が激しく明滅する。
先生には構造まではわからない。
でも、あれがまずいことになっているのは見てわかった。
『警告。防御系統過負荷』
高いノイズ音。
『警告。想定外受圧。安全制御を優先します』
赤い光が乱れる。
シールドの発光が、さっきまでの密度を失う。
受け切れていない。
というより、受け方そのものが狂っている。
「押して!」
先生の声に、美食会の連中がさらに前へ出る。
ハルナが一点へ撃ち込み、アカリがもう一発、床際を爆ぜさせ、ジュンコが吠えるように距離を詰める。
甲高い音がした。
シールドがショートした。
完全に砕けたわけではない。
だが表面を走る光が乱れ、制御が切れたように一気に失速する。
『防御系統停止。主系統保護を優先』
「まず――」
搭乗者の声が、そこで途切れた。
エンフォーサーが片側から崩れる。
先生は思わず息を呑んだ。
落ちる。
次の瞬間、機体背部が弾けるように開き、何かが後方へ射出された。
人影。搭乗者保護のための排出機構だと、遅れて理解する。
黒い装甲が、ついに床へ膝をついた。
「エンフォーサーが……!」
隊員の誰かが、信じられないものを見る声で叫ぶ。
「バカな!」
別方向で分断されていたレイブン隊員たちが一気に合流し始める。
先生はそこで初めて、勝ったとも何とも思えなかった。
ただ、やばいことをした、という実感だけがあった。
目の前の連中は、たぶんまだ終わっていない。
案の定、空気が一瞬で変わる。
さっきまでの制圧の圧ではない。
もっと冷たい、切り詰めた殺気に近い何かが、黒い隊員たちの間に走った。
まずい。
そう思った時だった。
『こちら上空班。風紀委員会の現着を確認』
無線が割り込む。
ローター音の向こう、別のサイレンが聞こえた。
外で車両が止まる気配。
増援――いや、現場引き継ぎだ。
『学園支部担当班、戦闘を打ち切れ。繰り返す、撤退しろ』
短い沈黙。
「……まだいけます」
低い声が返る。
さっきまで上から喋っていた、あの冷たい声だった。
『命令だ。現場は風紀委員会に引き継ぐ。これ以上は任務外になる』
先生は机の残骸越しに、黒装備の連中を見る。
誰も喚かない。怒鳴らない。
でも、食い下がりたいのはわかった。
特に、落ちた装甲の近くに駆け寄った隊員の肩が、ほんの少しだけ硬い。
「……了解。撤収する」
吐き捨てるような声だった。
黒い隊員たちが一斉に動く。
倒れたエンフォーサーへ数人が取りつき、排出された搭乗者も抱え上げる。
撤収が速い。迷いがない。
悔しがっているくせに、動きだけは崩れない。
それが余計に、よくわからなくて怖かった。
天井の穴から再びロープが降り、黒いヘリの影が揺れる。
去っていく背中を見送りながら、先生はようやく息を吐いた。
ハルナが隣に立つ。
「……やりましたわね」
「喜んでいいのか、これ」
「少なくとも捕まらずには済みましたわ」
それはそうだ。
だが、先生の胸の中には勝利感よりも、妙な引っかかりだけが残っていた。
あの黒い連中は、最後まで自分たちを倒すために戦っていたようには見えなかった。
止めるために来て、途中で計算を崩されて、それでも任務外には踏み込まなかった。
何者なのか、よくわからない。
でも少なくとも、もう一度会いたい相手ではない。
そのはずなのに。
「先生」
ハルナが少しだけ楽しそうに言う。
「たぶん、また会いますわよ」
先生はすぐには否定できなかった。
特務輸送ヘリ〈ストラティオス〉
レイヴンが前線即応展開のために運用する重武装輸送ヘリ。
主用途は、エンフォーサーおよび武装隊員の迅速投入。
高危険度案件において、戦線崩壊直前の増援投入、封鎖線再建、強行展開を担う。
到着後は低高度ホバリングまたは着地展開によって即時投入を実施。
輸送機でありながら、自衛火力と制圧能力を備えた前線支援機としても運用される。
主兵装
機首機関砲/速射砲
前方制圧、着陸前掃射、軽装甲目標への火力支援に使用される主兵装。
進入経路の安全確保と、投入直前の制圧支援を担当する。
副兵装
側面ガンポッド
投入中の周辺制圧用兵装。
降下・展開中の味方部隊を守るため、機体側面から持続的な制圧射撃を行う。
小型ミサイルポッド
対車両、対陣地、対逃走目標用の補助火力。
密集目標への牽制、進路上の障害排除、短時間での火力投射に用いられる。
特殊装備
外部懸架ラック
エンフォーサーを機体下部に懸架して輸送可能。
これにより、通常輸送では困難な重装戦力を短時間で戦場へ投入できる。
急速展開支援機構
低高度からの即応投入に対応した展開補助機構。
ホバリング下での迅速降下、懸架機体の切り離し、前線直上での短時間投入を可能とする。
備考
一般生徒にとって、ストラティオスは「レイヴンが来た」という印象を最も強く与える機体である。
黒い機体が低空へ現れ、その下からエンフォーサーが降りてくる光景そのものが、現場では恐怖の象徴として認識されている。
単なる輸送機ではなく、
“終わっていない現場に、レイヴンの本気が届く瞬間”を可視化する機体
とも言える。
見た目:ACVD輸送ヘリ