特務開発群〈フォージ〉の解析室は、静かなのに落ち着かない場所だった。
音がないわけではない。
端末の駆動音。
記録媒体を読む薄い電子音。
隔離ケースの制御音。
それぞれは小さいのに、全部まとめて聞くと妙に神経を削る。
ユウは入口の少し手前で立ち止まり、思わず中を見回した。
「……苦手かもしれないです、ここ」
横で先輩が短く返す。
「賑やかな場所じゃないからな」
「そういう意味じゃなくて」
「わかってる」
先輩は、わかっていてあえて雑に返したらしい。
部屋の中央には、今回回収した遺物が透明な隔離ケースごと置かれていた。
黒い。
小さい。
でも目に入るだけで、施設の中で感じたあの嫌な気配を思い出す。
その周囲で、フォージの解析担当が何人か端末を操作していた。
装飾のない白衣。
機械油と薬品の匂い。
感情より先に手が動く人たちの空気だ。
先輩が短く声をかける。
「第8班だ」
奥で端末を見ていた一人がこちらを振り返った。
年齢は上だろうが、雰囲気はやたら若い。
眠そうでもあるし、逆に目だけは起きている感じもする。
フォージの人間らしい、少しねじれた落ち着き方だった。
「来たか」
その人はユウより先に先輩を見て、それから隔離ケースへ視線を戻す。
「例の餌、開けずに済んでる。褒めていいぞ」
「褒めなくていい。結果だけ寄こせ」
「つれないねえ」
口調は軽いが、操作している手は止まらない。
ユウは小さく息を吐いて、ケースの中を見た。
やはり黒い。
ただの石片にも見えるのに、そこへ“そうは見えない何か”が重なっている。
解析担当が端末を一枚切り替えた。
「一次解析の結論から言う。神秘由来なのは確定」
画面に反応波形が映る。
ユウには細かいことはわからない。
だが、“普通じゃない”ことだけは伝わる。
「ただし、あれそのものが観測対象本人ってことはない」
ユウが小さく口を開く。
「……やっぱり」
「やっぱりだ。これは“そう見えるように作られてる”」
解析担当はケースを指先で軽く示した。
「残留痕の出方が妙に綺麗だろ。自然に染みついた神秘じゃなくて、意図的に層を重ねてある」
先輩が短く聞く。
「模倣か」
「かなり悪質なやつだな」
画面がもう一段切り替わる。
比較図。
今回の遺物と、過去案件の未分類痕跡。
完全一致ではない。
でも、似ている。
「追跡されることを前提に、“それっぽい匂い”だけを強く残す作りになってる」
ユウはそこで、施設の中での感覚を思い出した。
届いたと思った。
掴めると思った。
でも違った。
「……最初から、こっちを引っかけるために?」
「断定はしない」
解析担当は肩をすくめる。
「でも、追跡誘導か誤認誘発の用途は濃厚だ。少なくとも“拾われても困らない形”にはなってる」
嫌な作り方だ。
先輩が画面を見たまま言う。
「観測対象そのものではない。だが、向こうの手は入ってる」
「そういうこと」
ユウは隔離ケースの中の遺物を見つめた。
完全な外れではなかった。
アノミマスの糸も、施設の中での違和感も、間違いじゃなかった。
ただ、その先にいた“本人”だけがいなかった。
悔しさとは少し違う。
でも、簡単に飲み込める感じでもない。
その時、部屋の端で別の端末を見ていた担当が小さく声を上げた。
「復元一件、通った」
解析担当がそちらへ歩く。
ユウと先輩も自然に続いた。
別画面には、施設内端末の残存ログが開かれていた。
先生たちが撤退したあと、フォージ側が回収した機材と記録媒体を復元したらしい。
「こっちが本題」
解析担当の声が少しだけ低くなる。
「遺物の方は“何がやられていたか”の話だ。名前が出るのはこっちだ」
ユウは無意識に背筋を伸ばした。
表示されたのは断片化された通信記録。
カイザー内部のやり取り。
責任者権限のログ。
外部接続履歴。
すべて穴だらけだが、繋がる部分だけでも十分嫌だった。
最初の断片には、こうあった。
対象搬送継続
観測準備完了
外部協力者指示待ち
次の断片。
黒服より伝達
追跡線接近時は遺物を優先保持
ユウは画面を見たまま、ゆっくり瞬きをした。
「……黒服」
先輩は何も言わない。
ただ、その視線が少しだけ鋭くなる。
解析担当が続ける。
「外部協力者の呼称、または名乗りだろうな。カイザー側の記録に複数回出てる」
さらに画面が切り替わる。
黒服との通信接続確認
対象価値は依然高い
生徒反応優先、施設維持は二次
ユウの喉が少しだけ乾いた。
生徒。
対象価値。
施設維持は二次。
つまりこの相手は、最初から施設そのものを大事にしていない。
カイザーを使っているだけだ。
「……これ、観測者なんですよね」
ようやく出た声に、解析担当は画面から目を離さず答える。
「少なくとも、お前らが追ってた線の一つには名前がついた」
解析担当は少しだけ端末をスクロールした。
「まだ個体名か役割名かは不明。だが単独とは思わん方がいい。接続元の出方が雑じゃない。複数口で処理してる」
ユウは画面を見たまま聞く。
「じゃあ、観測者って呼んでたやつの中の……」
「一つだろうな」
先輩の返答は短かった。
それで十分だった。
第8班がずっと“観測者”と呼んで追ってきたもの。
その中の一つに、初めて具体名が乗った。
「だから本部が動く」
その一言で、部屋の空気が少しだけ締まる。
ユウは小さく息を飲んだ。
本部。
それはつまり、第8班だけの話じゃなくなるということだ。
「拘束したカイザー職員の供述は?」
先輩が聞く。
別端末が開かれる。
簡易聴取の要約。
遺物は外部から渡された。
保持命令を受けていた。
相手は黒い服の男。
現場責任者層では“黒服”と呼ばれていた。
ユウは眉を寄せる。
「名前、普通に出てたんですね」
「呼ばせたのか、勝手にそう呼ばれていたのかは不明だ」
解析担当は軽く肩をすくめる。
「だが、少なくともカイザー側はその名で認識していた」
先輩が静かに画面を見つめる。
「やっと名前が出たな」
ユウはその言葉に、少しだけ驚いた。
先輩は淡々としている。
でも、今の一言には確かに重さがあった。
「名前が出ただけだ」
先輩は自分で言い直すように続ける。
「中身はまだだ」
「それでも、大きいですよね」
ユウが言うと、先輩は短く頷いた。
「追っていた線に、初めて輪郭がついた」
部屋の端を見る。
アノミマスも来ていた。
ただし今回は解析台の近くまでは寄せられていない。
椅子に座り、少し離れたところから画面を見ている。
今日の彼女は静かだ。
嫌がってはいない。
でも、これ以上近づきたくない顔をしている。
ユウは少しだけ歩み寄った。
「大丈夫か」
アノミマスはゆっくり顔を上げる。
「……だいじょうぶ」
「無理するなよ」
「……うん」
短いやり取りだったが、それで十分だった。
解析担当が端末を閉じる。
「一次報告はここまで。詳細は本部へ上げる」
「本部はどう動く」
先輩の問いに、解析担当はユウの方を一度だけ見た。
「先生を呼ぶ」
ユウの喉が少しだけ詰まる。
「やっぱり、ですか」
「この“黒服”と接触した大人がいる。しかも第8班と接点を持ってる。呼ばない理由がない」
先輩が淡々と頷く。
「妥当だ」
「連絡は?」
解析担当がそう聞くと、先輩はユウの方を見た。
嫌な予感がした。
「……まさか」
「お前だ」
「ですよねえ……」
先輩は容赦がない。
「連絡先を渡したのはお前だ」
「軽率だったの、まだ擦ります?」
「本部案件に育った時点で擦る」
その返しがあまりにも正しくて、ユウは反論を諦めた。
ただ、まったく嫌なだけでもなかった。
先生。
あの施設の薄暗い通路で会った大人。
ホシノを探していた人。
自分の差し出した連絡先を、ちゃんと受け取った人。
その相手が、今度はレイヴン本部へ来る。
事が大きくなっている。
かなり面倒だ。
でも、それだけじゃない。
「ユウ」
先輩が短く呼ぶ。
「はい」
「文面を三回は打ち直すなよ」
ユウは思わず顔を上げる。
「……なんで知ってるんですか」
「お前がそういう顔をしてる時は大体そうだ」
横で解析担当が小さく笑った。
「頑張れよ、第8班」
「他人事だと思って……」
「他人事だからな」
そう返されると、もう何も言えない。
部屋を出る前に、ユウはもう一度だけ隔離ケースの中の遺物を見た。
黒い。
小さい。
でも、その小さな塊の向こう側に、ようやく“黒服”という名がついた。
観測者。
黒服。
カイザー。
先生。
全部がまだ一本にはなっていない。
けれど、もう別々でもない。
ユウは小さく息を吐く。
次はきっと、面倒だ。
でも、知りたい。
その気持ちは、もうごまかせそうになかった。
その時、先輩が隔離ケースの方を見たまま言った。
「一つ厄介なのは、向こうも学ぶってことだ」
ユウが振り向く。
「え」
「今回の餌は、十分こっちを引いた」
先輩の声は低い。
「しかも、どの程度まで似せれば追跡線が食いつくか、向こうはたぶん見た」
解析担当も軽く頷く。
「これが有効だと知れた以上、次はもっと露骨に来るか、逆にもっと巧妙に混ぜてくる」
ユウは眉を寄せた。
「……これからの調査、やりにくくなるってことですか」
「なる」
先輩は即答した。
「今回より追いづらくなると思え」
その一言は、短いのに重かった。
ようやく名前が出た。
輪郭も少しついた。
でもそれと同時に、向こうもこちらの追い方を知った。
近づいた分だけ、また厄介になる。
それが観測者案件なのだろう。
ユウはもう一度、黒い遺物を見る。
小さい。
でも、その小ささの向こうにあるものは、まるで軽くなかっ