ゲヘナ特務執行隊「レイヴン」   作:ゴリさん39

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第29話 連絡

 

 部屋の窓は半分だけ開いていた。

 

 外の空気は少し乾いていて、洗った布の匂いがうっすら残る。

 今日は先輩が洗濯当番だった。

 

 部屋の隅には簡易ハンガーラックが広げられていて、タオルやインナー、洗った上着が等間隔で吊られている。

 妙に整っている。

 無駄に整っている。

 そういうところが、なんとも先輩らしい。

 

 ユウはその横で端末を見下ろしたまま、三回目の打ち直しをしていた。

 

「……違うな」

 

 小さく呟くと、洗濯物を干していた先輩が振り向きもせずに言う。

 

「まだ送ってないのか」

 

「文面に困ってるんですよ」

 

「事実だけ送れ」

 

「それが難しいんですって」

 

 ユウは椅子に座り直し、端末を持ったまま唸る。

 

「相手、先生ですよ?」

 

「相手が誰でも用件は変わらん」

 

「それはそうなんですけど」

 

 洗濯ばさみの位置を微調整しながら、先輩は淡々と続ける。

 

「変に飾るな。余計に怪しくなる」

 

「怪しくはしたくないです」

 

「なら早く送れ」

 

 雑だ。

 でも間違ってはいない。

 

 ベッドの端では、アノミマスがブランケットを膝にかけたまま、小さな菓子を食べていた。

 今日はもう追跡も資料確認もさせられていない。

 ただ休む日だ。

 そのはずなのに、端末を睨んでいるユウの方が落ち着かない。

 

「……ゆう、まだ」

 

「まだです」

 

「おそい」

 

「うるさいなあ」

 

 アノミマスは少しだけ考えてから、ぽつりと言った。

 

「……先生、逃げない」

 

「いや、逃げる逃げないじゃなくて」

 

「返す」

 

「まあ……返してはくれそうだけど」

 

 その返答に、アノミマスは小さく頷く。

 ユウよりよほど迷いがない。

 

 ユウは端末を見下ろす。

 

 送る文面は、もう大体決まっている。

 でも送信ボタンを押す前で、指が止まる。

 

 軽い気持ちで渡した連絡先だった。

 施設の通路で、勢いのまま差し出したものだ。

 何かあったらこれにください。

 その程度のつもりだった。

 

 それが今では、レイヴン本部案件の窓口になっている。

 少しだけ現実感がない。

 

「ユウ」

 

 先輩の声が落ちる。

 

「はい」

 

「その顔の時は、だいたい余計な一文を足そうとしてる」

 

「……なんでわかるんですか」

 

「わかる」

 

 それだけだった。

 雑なのに説得力だけはあるのが腹立たしい。

 

 ユウは小さく息を吐いて、文面を整え直す。

 

 

先生、お疲れ様です。第8班のユウです。

急にすみません。

この前の施設の件で、レイヴン本部から先生に少し話を聞きたいそうです。

施設で接触していた相手のことと、その時のやり取りについて確認したいみたいで……。

以前の件も含め、敵対を前提にした話ではないので、その点は大丈夫です。

来てもらえそうなら、都合のいい時間を教えてもらえると助かります。

 

 

 読み返す。

 

 変に固すぎない。

 でも軽すぎもしない。

 少し気を使っている感じもある。

 たぶんこれでいい。

 

「……送ります」

 

「最初からそうしろ」

 

「言い方!」

 

 ユウは文句を言いながら、でも結局そのまま送信した。

 

 送った瞬間、少しだけ肩の力が抜ける。

 

「送った」

 

「そうか」

 

 先輩の返事は短い。

 洗濯物を干す手は止まらない。

 

 ユウは端末を持ったまま、しばらく画面を見ていた。

 すぐ返ってくるとは限らない。

 そもそも先生だって忙しいはずだ。

 ホシノを助け出したばかりで、アビドス側も落ち着いていないだろう。

 

 なのに。

 

「……はや」

 

 思わず声が漏れた。

 

 返信が来た。

 

 先輩が少しだけこちらを見る。

 アノミマスも顔を上げた。

 

 ユウは画面を開く。

 

 

 端末に届いた通知を見た時、先生は少しだけ手を止めた。

 

 差出人の名前には見覚えがある。

 

 第8班のユウ。

 

 施設の薄暗い通路で会った少女だった。

 勢いのまま連絡先を差し出してきた、少し軽くて、でも悪い意味ではなくまっすぐな子。

 

 先生はメッセージを開く。

 

 

先生、お疲れ様です。第8班のユウです。

急にすみません。

この前の施設の件で、レイヴン本部から先生に少し話を聞きたいそうです。

施設で接触していた相手のことと、その時のやり取りについて確認したいみたいで……。

以前の件も含め、敵対を前提にした話ではないので、その点は大丈夫です。

来てもらえそうなら、都合のいい時間を教えてもらえると助かります。

 

 

 読み終わって、先生は小さく息を吐いた。

 

「やっぱり来たか」

 

 独り言みたいな声だった。

 

 不思議ではない。

 施設の中でレイヴンの第8班と接触した。

 しかもその場には、こちらが話していた相手とは別に、彼らが追っている線もあったらしい。

 

 そして、最初にぶつかった件も、今では誤認戦闘として整理されている。

 先生側から見れば正体不明の黒い武装部隊。

 レイヴン側から見れば、美食会に同行する身元不明の大人。

 事情聴取のあと、双方の認識違いだったことは確認済みだ。

 

 だから今回の呼び出しも、敵対の延長ではない。

 少なくとも、表向きはそう考えていい。

 

 もっとも、気楽でいられるほど先生も鈍くはない。

 

 少しだけ考える。

 

 レイヴン本部。

 事情確認。

 施設で接触していた相手。

 その時のやり取り。

 

 つまり、あの不気味な“黒服”のことだ。

 

 先生は端末を持ったまま、視線を落とした。

 

 ユウの文面は、かなり気を使っている。

 敵対ではないとわざわざ書いてあるあたり、向こうもその前提をはっきりさせたいのだろう。

 

 少なくとも、呼びつけるための文章ではない。

 ちゃんと来てほしいという頼み方をしている。

 

 それに、あの場で見た限り、第8班の先輩が本気でこちらを危険視しているなら、ユウに連絡役など任せないはずだ。

 

 つまりレイヴン側としても、警戒はしているが、話す価値があると見ている。

 

「……行った方が早いか」

 

 先生は小さくそう言って、端末を操作した。

 

 

ありがとう。

事情はわかった。

応じるよ。都合は合わせられる。

日時と場所が決まったら教えてほしい。

 

 

 送信してから、少しだけ考える。

 

 レイヴン。

 エンフォーサー。

 あの白い少女。

 観測対象。

 そして、黒い服の男。

 

 施設の中では、全部がまだ別々の線だった。

 でも今はもう、別々のままではいられないところまで来ているのかもしれない。

 

 ホシノは取り戻した。

 それでも終わっていないものがある。

 

 先生は端末を置き、静かに息を吐いた。

 

 今度は自分が、彼らの場所へ行く番だった。

 

 

「来るそうです」

 

 ユウは端末の画面を先輩へ見せた。

 

 先輩は一目だけ確認して、短く頷く。

 

「なら本部へ上げる」

 

「……普通に返ってきましたね」

 

「普通の大人だろ」

 

「いや、そうなんですけど」

 

 ユウは画面を見下ろしたまま、少しだけ気を抜いた。

 

 もっと探るような返事が来るかと思っていた。

 あるいは少し時間が空くかと思っていた。

 でも、拍子抜けするくらいまっすぐだった。

 

 その横で、アノミマスがぽつりと言う。

 

「……ゆう、先生と連絡してる」

 

「してるけど」

 

「もう知り合い」

 

「そんな大したもんじゃないだろ」

 

「連絡先ある」

 

「それはまあ、あるけど」

 

 ユウがそう返すと、アノミマスは少し考えてから頷いた。

 

「……知り合い」

 

「基準が軽いなあ」

 

 先輩がそのやり取りを聞きながら、小さく息を吐く。

 

「軽いのはお前だ」

 

「まだ言います?」

 

「本部案件の連絡を個人端末で始めたやつには言う」

 

「ぐうの音も出ない……」

 

 ユウは端末を握り直した。

 

 軽い気持ちで渡した連絡先だった。

 でも今は、そこから少しずつ話が大きくなっている。

 

 施設。

 観測者。

 名前のついた痕跡。

 先生。

 そして、本部。

 

 たぶんここから先は、もう前みたいな“なんとなく嫌な案件”では済まない。

 

 先輩が最後のタオルを干し終えて、ハンガーラック全体を見た。

 

「ユウ」

 

「はい」

 

「明日は案内だ」

 

「……本部まで、ですよね」

 

「そうだ」

 

 先輩は平然としている。

 でもユウの方は、平然とはいかなかった。

 

 先生が来る。

 レイヴンに。

 しかも本部へ。

 

 あの通路で会った時とは、たぶん空気が全然違う。

 

 ユウは小さく息を吐いた。

 

「ちょっと緊張してきました」

 

「今さらだ」

 

「そういう言い方しかできないんですか」

 

「できるが、これで足りる」

 

 アノミマスがブランケットを膝にかけたまま、小さく言った。

 

「……先生、来る」

 

「来るな」

 

「……また会う」

 

 ユウはその声を聞いて、端末の画面をもう一度見た。

 

 明日、先生がレイヴンへ来る。

 その事実だけで、部屋の中のいつもの空気が少しだけ変わった気がした。

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