扉が閉まる音は、思っていたより軽かった。
レイヴン本部の応接室は静かで、整っていて、その分だけ息が詰まる。
机上の書類は揃いすぎていた。壁際の端末は余計な光を出さない。人の気配も薄い。
その中央に座る生徒を見た瞬間、この場で一番決める側の人間が誰かはすぐにわかった。
オールバックに眼鏡。
姿勢は崩していない。威圧するために身を乗り出してもいない。
それでも、部屋の線がその人間を中心に揃っているように見えた。
施設の中で会った第8班とは、明らかに空気が違った。
「改めて、来訪に感謝する」
その生徒が言う。
丁寧語ではない。だが礼は外していない。
その曖昧さが、かえって扱いづらかった。
「レイヴン総帥、神崎だ」
短い名乗りだった。
肩書を誇る調子ではない。
だが、それが自然に通る場所にずっといた人間の声だった。
先生は軽く頷く。
「シャーレの先生だ」
神崎はそこで少しだけ目を細めた。
「噂ほど物騒には見えないな」
褒め言葉ではなかった。
最初から一枚だけ皮膚を剥いでくるような言い方だった。
ユウが横で小さく肩をこわばらせる。
その少し後ろに控えていた補佐役が、間を切りすぎない声で口を開いた。
「ご来訪ありがとうございます、先生。補佐付きの佐伯です。本日は進行補助を務めます」
やわらかい声だった。
ただし、やわらかいだけではない。
神崎の鋭さを知った上で、この場が折れすぎないよう角度を調整している声だった。
神崎は資料へ目を落としたまま続ける。
「時間も惜しい。確認だけする」
「施設内で接触した相手についてだ」
先生は頷いた。
「黒い服の男のことだね」
その返答に、神崎の視線がわずかに上がる。
「話が早いのは助かる。第8班が拾った線とも一致している」
「君はその相手から何を聞いた」
先生は少しだけ言葉を選んだ。
「自分を黒服と名乗っていた。外の研究者だとも言っていたよ」
「研究者」
神崎が小さく復唱する。
「都合のいい肩書きだな。胡散臭さを多少薄めたい時によく使う」
嫌味っぽい言い方だった。
感情で腐しているわけではない。最初から信じる気がないだけだ。
先生は軽く息を吐く。
「少なくとも、本人はそう説明した」
「こちらを勧誘もしてきた」
ユウが少しだけ目を瞬く。
佐伯も端末へ何かを打ち込んだ。
神崎はそこでようやく少しだけ椅子にもたれた。
「エンフォーサーを倒し、現地の不良をまとめ上げ、その上で正体不明の外部干渉者に勧誘される大人か」
ほんの少しだけ口元が動く。
笑ったわけではない。
「君一人で面倒事の密度が高いな」
ユウが耐えきれないみたいに少し顔をしかめる。
先生は逆に少しだけ苦笑した。
「歓迎されている感じではなさそうだ」
「歓迎していないとは言っていない」
神崎は即答した。
「ただ、こちらも君を“普通の来客”として扱うほど暇ではない」
そこで佐伯が、空気を切りすぎない程度の声で入る。
「本件は継続確認になります。本日は導入整理と認識合わせが主です」
「詳しい確認は、解析班の資料整理後に改めて実施します」
つまり今日は本格的な追及ではない。
入口の確認だけ。
それなら先生にも納得しやすかった。
「わかった」
神崎が小さく頷く。
「では、こちらも一つ確認する」
先生は黙って視線を返す。
「最初の件は、連邦生徒会との間で誤認戦闘として整理済みだ」
神崎の声は平坦だった。
「君もそれは承知しているはずだ」
「承知してる」
「ならいい」
その言い方には、納得はしているが好感は持っていない、という温度がそのまま乗っていた。
「整理は済んでいる。だが印象までは消えない」
神崎の視線がわずかに細くなる。
「エンフォーサーを倒した事実も、現場でこちらの戦力と交戦した事実も残る。警戒される理由としては十分だ」
先生はそこで小さく息を吐いた。
「それも承知してるよ」
「結構」
短い返しだった。
そこでユウが、場の硬さに耐えかねたみたいに少しだけ口を開く。
「えっと、今のはその……神崎先輩なりに、もう話は付いてるって意味なので」
「余計な通訳をするな」
「でも空気が!」
「読める相手なら十分だ」
容赦がない。
だが佐伯はそこで小さく咳払いをして、話を本筋へ戻した。
「確認事項に戻ります。先生が接触した“黒服”と、第8班が拾った観測線は現時点で重なっています」
「今日はそこまで確認できれば十分です」
先生も頷いた。
「了解した」
神崎が資料を閉じる。
「なら今日はここまででいい。こちらが欲しかったのは一致確認だ。君の証言でそれは足りた」
そして第8班の方へ視線を流す。
「トレイス」
「はい」
先輩が短く返した。
「以後の接触導線は維持しろ。特にユウ」
「……はい」
ユウの返事に少しだけ気まずさが混じる。
神崎はその顔を見て、わずかに眉を上げた。
「何だ」
「いや、別に……」
「個人連絡で本部案件を始めた件なら、後で反省しろ」
「やっぱりそこ言われるんですね」
「当然だ」
ユウが小さく肩を落とす。
先生はそのやり取りを見て、少しだけ口元を緩めた。
重い。
でも重すぎるだけの場ではない。
この組織なりの温度が少しずつ見えてくる。
そこでユウが、おそるおそる口を開いた。
「えっと」
全員の視線が一瞬だけ集まる。
ユウは少しだけ肩をすくめた。
「もし先生、お時間あるならですけど」
「何だ」
神崎の声は相変わらず冷たい。
それでもユウは続けた。
「レイヴンの中、少し案内しましょうか」
一瞬、部屋が静かになる。
先生も少し意外に思ってユウを見る。
ユウは本気らしい。軽い思いつきではなく、ちゃんと提案している顔だった。
神崎が先に反応する。
「ここは観光地ではないんだが」
「いや、それはそうなんですけど」
ユウがしどろもどろになりかけたところで、佐伯が静かに入った。
「公開導線と、見学可能区画程度であれば問題ありません」
「応接区画周辺と整備見学通路までなら、運用上の支障もありません」
神崎が佐伯を見る。
少し嫌そうではある。
だが、完全には否定しなかった。
「……見せて困る場所へ行かなければ好きにしろ」
先輩がすぐに言う。
「ユウ」
「はい」
「調子に乗るなよ」
「乗ってないです」
「今ちょっと乗りかけてた」
「否定しづらいなあ……」
その横で、アノミマスが小さく言った。
「……先生、来た」
「来たな」
「……案内する」
その声は不思議と当然そうだった。
先生はそこで少しだけ考えてから頷く。
「いいのかい?」
「全部は無理ですけど」
ユウが少しだけ姿勢を正す。
「見せられる範囲なら」
先生はそれに小さく笑った。
「じゃあ、お願いしようかな」
神崎はもう興味を切ったように次の資料へ目を落としていた。
だが、それが許可の形なのだとわかる。
佐伯が一歩下がる。
「ユウさん、範囲は把握していますね」
「はい」
「アノミマスさんの負担にならない導線で」
「わかってます」
先輩が短く言った。
「行くぞ」
第8班が動く。
先生も立ち上がった。
応接室を出る瞬間、先生は一度だけ神崎を見た。
眼鏡の向こうの視線はもうこちらに向いていない。
忙しいのだろう。
それでも必要な確認は確実に済ませた。
嫌なやつだ。
でも無能ではない。
それどころか、かなり有能だ。
それが一番面倒だと先生は思う。
廊下へ出ると、空気が少しだけ軽くなった。
ユウも目に見えて息を吐く。
「……思ったより刺されなかったですね」
「刺される前提で入ってたのか」
先生がそう言うと、ユウは少しだけ困ったように笑う。
「いや、まあ、その……神崎先輩、ちょっと言い方きついので」
「ちょっとで済むか」
先輩の補足は容赦がない。
「でも、今日はかなり抑えてた方です」
「そうなんだ」
「先生相手だからだろうな」
その返しに、先生は少しだけ肩の力を抜いた。
トレイスが前を歩く。
先輩は平常運転。
ユウは少し緊張しながらも、さっきより話しやすそうだった。
アノミマスは静かについてくる。
次に向かうのは、本部のもっと奥ではない。
第8班が日常的に使っている側の場所だ。
先生はそこで初めて思う。
今から見るのは、レイヴンの“顔”ではなく、たぶん“暮らしに近い部分”なのだと。
その方が、少しだけ興味深かった。