レイヴン本部の応接区画を離れると、空気は少しだけやわらかくなった。
硬いこと自体は変わらない。
けれど、さっきまでのような“言葉一つで場が締まる”感じではない。
少なくとも今は、事情聴取ではなく案内の時間らしかった。
先頭を歩くユウも、ほんの少しだけ肩の力が抜けているように見えた。
「このあたり、特務調査群〈ハウンド〉寄りの区画です」
振り返りながら、ユウが言う。
「現場に出る前の情報整理とか、回収資料の仕分けとか、そのへんをよくやってます」
壁際には複数の端末。
簡易掲示板には地図、報告用紙、付箋の貼られた現場写真。
整頓はされている。
だが、整いすぎてはいない。
人が使っている場所の雑多さが少し残っていた。
「こっちの方が、少しシャーレに近いかもしれないですね」
ユウがそう付け足した。
「近い?」
「いや、雰囲気だけですけど」
先生は周囲を見ながら小さく頷く。
「たしかに、考えるための場所って感じはする」
「そうですそうです」
ユウの返しが少しだけ早い。
やはり緊張はしているが、案内そのものは嫌いではないらしい。
その時、端末を抱えて通り過ぎようとしていた下級生らしい二人が、先生の姿を見てぴたりと止まった。
「……あ」
片方が小さく声を漏らす。
もう片方がすぐ肘で突いた。
「おい、やめろって」
「でも、ほんとに先生じゃん」
視線がこちらへ向く。
気づいているし、かなり気になっている顔だ。
ユウが少し困ったように眉を下げる。
「えっと……」
その前に、下級生の片方が思い切ったように口を開いた。
「あの、先生って……」
そこで少し詰まる。
勢いで声をかけたわりに、本当に聞きたいことが雑に出てくる。
「エンフォーサー、どうやって倒したんですか?」
先生は少しだけ目を瞬いた。
そこから来るのか、と思った。
横でユウがすぐ反応する。
「お、おい、今それ聞くか?」
「だって気になるだろ!」
もう片方も続ける。
「普段は何してるんですか? やっぱりずっと事件のとこ回ってるんですか?」
質問が一気に二つ飛んだ。
先輩が低い声を出しかけるより先に、先生は少し苦笑して答えた。
「エンフォーサーを倒したのは、状況がよかったのもあるよ」
二人の下級生が揃って身を乗り出す。
「正面から一人でどうにかした、っていうほど格好いい話じゃない」
「でも倒したんですよね?」
「結果としてはね」
その返答に、下級生たちは顔を見合わせる。
納得したような、していないような顔だ。
先生は続ける。
「普段は、相談を受けたり、問題が大きくなる前に動いたりかな」
「思ったより地味だよ」
「え、でもアビドスでめちゃくちゃ活躍してるって聞きました」
「それは否定しない」
そこまで言うと、二人とも少しだけ笑った。
緊張がようやくほぐれたらしい。
その時、通路の奥から別の上級生の声が飛んできた。
「そこ! 仕事止めるな!」
二人がびくりと肩を跳ねさせる。
「す、すみません!」
「戻ります!」
慌てて走り去っていく背中を見送りながら、先生は少しだけ息を吐いた。
レイヴンは硬い。
でも硬いだけではない。
こういう年相応の好奇心もちゃんと残っている。
横でアノミマスがぽつりと言う。
「……人気」
ユウがすぐに返す。
「人気っていうか、物珍しいだけだろ」
「噂の相手ではあるな」
先輩の補足は相変わらず容赦がない。
先生は少しだけ苦笑した。
「思ったより知られてるんだね」
「まあ……レイヴンの中だと、色んな意味で」
ユウが言いにくそうに言う。
「エンフォーサー倒した人、っていうので」
「その上、不良をまとめた危険人物扱いもある」
先輩の追撃がすぐ入る。
「その言い方やめてくださいよ」
「事実は消えん」
先生は小さく息を吐く。
否定しづらいのが一番困る。
ハウンド区画を抜けて、少し広い渡り通路へ出たところで、前方から陽気な声が飛んできた。
「おっ、トレイスじゃん」
先生が顔を上げる。
向こうから歩いてきたのは、背の高い三年生だった。
制服の着方は乱れていない。
だが立ち姿そのものが妙に軽い。
仕事中なのに、仕事中に見えないタイプの余裕がある。
モービル寄りの人間だと、先生にもなんとなくわかった。
その三年生は第8班と先生を見比べて、すぐ口元を緩めた。
「珍しい客連れてるな、お前ら」
ユウがすぐ少し嫌そうな顔をする。
「関係ないでしょ」
「関係あるだろ。格納庫方面ならうちの導線だ」
そのまま先生を見る。
「へえ。そっちが噂の先生?」
言い方は軽い。
でも視線の奥ではちゃんと見ている。
「もっと怖い感じかと思ってた」
先生は少しだけ口元を緩める。
「噂が一人歩きしてるのかもしれないね」
「レイヴンじゃよくある」
三年生はあっさり言って、それからユウへ向き直る。
「で、どこまで案内してんの?」
「まだハウンド寄りの区画です」
「格納庫行くんだろ?」
ユウが一瞬だけ止まる。
「……まあ、そのつもりでは」
「じゃあ乗せてく」
即答だった。
「歩かせるより早い。ちょうどモービルの搬送カート空いてるし」
ユウが少しだけ眉を寄せる。
「いや、別に歩いても――」
「歩いても遠い」
かぶせ気味に言われる。
さらに先輩が短く言った。
「使えるなら使え」
ユウがそちらを見る。
「先輩まで」
「合理的だ」
反論の余地がなかった。
三年生は少し得意げに顎を上げる。
「だろ? ほら、こういう時のモービルだよ」
それから先生へ向き直って、軽く片手を上げた。
「特務機動群〈モービル〉三年、相馬です」
軽い名乗りだった。
「見ての通り、だいたいこういう雑用と機動支援やってます」
「先生」
先生も軽く頷く。
「よろしく、相馬」
「こっちこそ。噂は色々聞いてるよ」
ユウが小声で呟く。
「聞かなくていいやつまで含めて、ですよね」
「それも噂の醍醐味だろ」
相馬は悪びれもしない。
そのまま通路脇の小型搬送カートへ手を振る。
見た目は簡素だが、かなり整備されている。
レイヴンの中で人や軽資材を動かすためのものらしい。
「ほら、乗って。格納庫まで運ぶ」
先生は少しだけ意外に思いながらカートを見る。
「レイヴンって、こういうのも普通なんだね」
「普通普通」
相馬が笑う。
「広いからな。毎回歩いてたら日が暮れる」
「モービルがいるならなおさらだ」
先輩の補足は短い。
どうやら本当に珍しいことではないらしい。
先生が乗り込むと、ユウが少し気まずそうに続いた。
アノミマスは静かにその横へ座る。
先輩は最後まで立ったままだった。
相馬が操作席へ座りながら、ちらりとユウを見る。
「案内役、ちゃんとやってんじゃん」
「うるさいです」
「緊張してる顔がいつもより一段硬いぞ」
「余計なお世話です」
「その返しができるなら大丈夫だな」
相馬はそう言って、カートをゆっくり発進させた。
通路の景色が流れ始める。
先生はその揺れの中で、レイヴンという組織の輪郭を少しずつ掴んでいく。
硬い本部。
興味津々の下級生。
距離感のうまい第8班。
そして、こうして軽口を叩きながら必要な足を出すモービル。
一枚岩ではない。
だが、ばらばらでもない。
その中でユウは少しだけ肩の力を抜きながら、先生へ言った。
「次、格納庫です」
先生は小さく頷く。
「楽しみにしておくよ」
それを聞いたユウの声が、ほんの少しだけ明るくなった。
「……たぶん、ちょっと面白いと思います」
その言い方に、先生は少しだけ気づく。
ここから先は、ユウが少し好きな話題に入るのだろうと。
それは悪くない予感だった。