試験用のエンフォーサーは、思っていたより目立っていた。
格納区画の端。
他の黒い機体群とは明らかに違う、黄色い外装。
識別しやすさを最優先にした塗装なのだろう。
派手というより、誤認防止の色だった。
ユウは訓練区画の手前で立ち止まり、その機体を見上げた。
「……ほんとに黄色い」
「見ればわかる」
先輩の返しはいつも通り短い。
「もっとこう、警戒色っぽい一部塗装とかかと思ってました」
「試験機だと一目でわからせる方が先だ」
横では相馬が笑う。
「実戦機と並べると笑うくらい浮くぞ」
「実際浮いてますね」
ユウはそう返しながらも、視線を離せなかった。
試験用とはいえエンフォーサーだ。
体格もフレームも本物に近い。
ただし装甲の一部は軽量化され、肩や関節部には出力制限用の補助ユニットが追加されている。
右腕の試験用ライフルには、はっきりと訓練仕様のマーキング。
装弾は非殺傷ペイント弾。
左腕側の近接装備も、展開制御付きの訓練用ユニットへ換装されていた。
ロマンは少し削られている。
でもその分だけ、現実味が増していた。
「乗る前に確認」
先輩が端末を開く。
「識別色」
「試験機体だと一目でわかるように黄色塗装」
「出力」
「抑制されてます。通常機より制限強め」
「武装」
「訓練用。非殺傷ペイント弾、低出力模擬装備、強制停止あり」
先輩が小さく頷く。
「最低限は入ったな」
「昨日の勉強の成果ですよ」
「昨日だけで身についたと思うな」
「言ってて悲しくなるんでやめてください」
アノミマスは少し離れた見学位置で、静かにこちらを見ていた。
今日は追跡でも解析でもなく、ただ見ているだけだ。
「……ゆう、黄色」
「黄色だな」
「……目立つ」
「試験機だからな」
ユウはそう返してから、改めて機体を見上げた。
実戦機じゃない。
隊長機でもない。
ただの試験機。
でも、ここから先へ行くための入口ではある。
胸の奥が、少しだけうるさい。
搭乗補助台へ上がる。
機体の足元まで来ると、急に実感が強くなる。
大きい。
想像していたよりずっと大きい。
格納庫で見上げた時とは違う圧があった。
「……うわ」
「今さらか」
先輩が下から言う。
「見るのと乗るのは違います」
「当然だ」
コックピットへ入る。
シートへ身体を収める。
固定具が降りる。
視界モニタが順番に起動する。
生身の目で見る世界が、機体越しの情報へ切り替わっていく。
ユウは無意識に息を詰めた。
機体の起動音は思っていたより静かだった。
うるさいのではなく、重い。
低い振動が身体の奥へ入ってくる。
『聞こえるか』
通信に先輩の声が入る。
「聞こえます」
『起動確認』
「起動確認、異常なし」
『姿勢制御だけ先にやる。歩くな。立て』
ユウは小さく唾を飲み込んだ。
手順は覚えた。
操作系も叩き込まれた。
頭ではわかっている。
でも実際に自分がそれをやるとなると、別の怖さがある。
ゆっくり出力を上げる。
姿勢制御補助が効く。
試験機だからこそ、かなり手厚く支えてくれている感触がある。
立ち上がる。
「……立った」
『当たり前だ』
「もっと感動してくださいよ」
『感動はしてない』
冷たい。
でも、それで少し落ち着く。
数秒、静止。
揺れを読む。
機体重心を感じる。
ユウはそこで、ふと気づいた。
「あれ」
『何だ』
「思ったより……いけます」
その声に、相馬が外から笑う。
『お、ユウわりとやるじゃん』
「だろ?」
思わず返した声が少し弾む。
最初の一歩。
足を出す。
接地。
重心移動。
次の一歩。
大きく崩れない。
もちろんぎこちない。
でも、想像していたよりずっとまともだった。
ユウは小さく息を呑む。
動ける。
日頃から勝手にしていたイメトレ。
格納庫で機体を見て、頭の中で何度もやっていた妄想。
それが、まるきり無駄ではなかったらしい。
「……動ける」
『聞こえてる』
「いや、だってほんとに」
少しだけ調子が出る。
旋回。
腕の保持。
ライフルの向き。
訓練用の補助が強いとはいえ、初回にしては悪くない。
『射線確認、前方マーカーへ』
「了解」
前方の簡易標的へ照準を向ける。
ペイント弾の模擬射撃。
三点バースト。
着弾は少し右へ散る。
「うわ、ズレた」
『初回ならそんなもんだ』
先輩の声は平坦だったが、否定一色ではない。
ユウにはそれが少し嬉しかった。
もう一度。
今度は少しだけ修正。
着弾はさっきよりまとまる。
『……悪くない』
その一言で、ユウの口元が少しだけ上がる。
悪くない。
先輩がそう言うなら、本当に悪くないのだろう。
「これ、思ったよりいけるかも」
ほんの少しだけ気分が浮いた。
でも、その少しは機体の中では十分すぎた。
『ユウ』
先輩の声で空気が変わる。
低い。
短い。
さっきまでと同じようでいて、今は違った。
「はい」
『補助、姿勢制御以外を一段切る』
ユウが一瞬黙る。
「……え」
『今だ。やれ』
軽くない声だった。
ユウは息を吸い、操作を入れる。
補助制御のいくつかが落ちる。
途端に、感覚が変わった。
「っ」
まず、機体が重くなる。
いや、重さが急に“見えてくる”。
さっきまでは勝手に真っ直ぐ立ってくれていたものが、今は少し油断しただけで変な方向へ流れそうになる。
足裏の接地感が鈍る。
上半身と下半身のつながりが、ほんの少しだけ遅れる。
まるで、床が平らじゃなくなったみたいだった。
「うわ、違う」
『何が違う』
「全然違います!」
踏み出した足がわずかに外へ逃げる。
慌てて修正。
その修正で今度は肩が遅れる。
ライフルの銃口が、思ったよりぶれる。
「え、ちょ、待って、なんだこれ……!」
『待たない。立て直せ』
ユウは操縦桿を握り直した。
怖い。
派手に転ぶわけではない。
でも、少し気を抜いたらそのまま機体が妙な方向へ倒れそうな、嫌な不安定さがある。
補助がある時は、機体の方が先回りして支えてくれていた。
今は違う。
遅れた分を、自分で拾わないといけない。
「……っ」
それでも、完全には崩れなかった。
昨日から叩き込まれた姿勢。
重心。
出力。
確認。
頭の中で何度も繰り返したイメトレ。
考えるより先に、なんとなく身体が“こうだろう”と修正に入る。
ぎこちない。
でも止まらない。
ユウは小さく息を呑んだ。
「……動ける」
『聞こえた』
「いや、さっきのと全然違いますけど、でも……」
恐る恐る一歩。
接地。
ズレる。
修正。
もう一歩。
明らかに不格好だ。
でも歩ける。
想像だけでやっていた動きが、ぎりぎりで繋がっている。
相馬の声が通信へ混じる。
『おー、崩れてねえな』
『思ったより踏ん張るじゃん』
「踏ん張ってるだけですよこれ!」
『最初はそれで十分だ』
先輩の返答は短い。
ユウはようやく少しだけ理解する。
補助がある時は、動かしている感じより“動かされている中で自分が合わせる”感覚に近かった。
今は違う。
全部が少しずつ遅い。
少しずつ鈍い。
そのズレを自分で拾わないといけない。
違和感はすごい。
でも、動かせないわけじゃない。
それが逆に、怖かった。
『ユウ』
また先輩の声が落ちる。
今度はさっきより、さらに低い。
「はい」
『それが補助を切った時の機体だ』
ユウは返事をする前に、もう一度足を止めた。
『汚染現場じゃ、そこからさらに悪くなることもある』
重い。
その言葉が、そのまま機体の中に落ちてくる。
『だから基礎を絶対に忘れるな』
『姿勢、確認、出力管理、射線、停止手順』
『一つでも雑にするな』
「……はい」
『人を殺したくなければな』
玲音の喉が一瞬だけ詰まる。
浮いていた気分が、一気に冷えた。
重い。
危ない。
兵器。
頭の隅に置いていた言葉が、急に真正面へ出てくる。
ユウは小さく息を吸って、操縦桿を握り直した。
「……了解」
その返事は、さっきより低かった。
先生ではない。
ヒーロー機体でもない。
自分が今乗っているのは、訓練用に出力を落とされた兵器だ。
試験機ですら、これだけ違う。
『続けろ』
「はい」
ユウはもう一度、前方の標的へ視線を戻した。
今度は浮かれない。
いや、浮かれてはいけない。
基礎。
確認。
出力。
射線。
停止。
先輩に叩き込まれた言葉を順番に頭へ並べながら、ユウは機体を動かす。
最初より少し慎重に。
でも、怖がりすぎずに。
その後の訓練は、さっきよりずっと地味だった。
歩く。
止まる。
向きを変える。
撃つ。
確認する。
また止まる。
派手さはない。
でも、たぶんこっちの方が大事だ。
ユウはそれを、機体の重さと一緒に少しずつ理解していく。
一区切りついたところで、先輩が終了を告げた。
『そこまでだ。降りろ』
「了解」
コックピットが開く。
外の空気が急に軽く感じる。
補助台へ足をかけて降りた瞬間、ユウは思ったより脚に力が入っていないことに気づいた。
「うわ、ちょっと変な感じする」
「生身の重さに戻っただけだ」
先輩がそう言いながら端末を閉じる。
相馬は笑っていた。
「いやー、初回にしては悪くなかったな」
「ですよね?」
「補助ありならな」
先輩の言葉がすぐ飛ぶ。
「うっ」
「補助を切った後で崩れなかったのは評価する」
ユウが少しだけ顔を上げる。
「……そこはいいんですか」
「そこはいい」
短い。
でも、ちゃんと拾ってくれている。
アノミマスが静かに近づいてくる。
「……ゆう、動いた」
「動いた」
「……ちょっとかっこよかった」
ユウは思わずそちらを見る。
「え、ほんと?」
「……ちょっと」
「ちょっとでも嬉しいな……」
先輩がそこで短く言う。
「初回としては悪くない」
ユウは顔を上げる。
「じゃあ――」
「だが浮くな」
「はい」
「今日動けたのは、試験機の補助が厚いからだ」
「はい」
「それと、お前の妄想が全部無駄だったとも言わん」
「イメトレです」
「だが実戦機は、これより重いし、速いし、雑に人を殺せる」
ユウは小さく息を呑む。
「……はい」
「忘れるな」
その言葉は静かだった。
でも、さっき通信越しに言われた時と同じ重さがあった。
ユウは頷く。
嬉しかった。
動けたことは、素直に嬉しい。
でもそれだけで触っていいものじゃない。
その当たり前を、今日は骨の近くまで叩き込まれた気がした。
先輩が端末をしまう。
「次までに今日のログ見直せ」
「え、復習もあるんですか」
「当然だ」
「うわ……」
相馬が横で笑う。
「お前ほんと、乗り物好きな時だけ顔が明るいな」
「好きですからね」
「知ってる」
ユウはもう一度、黄色い試験機を見上げた。
実戦機じゃない。
隊長機でもない。
でも、入口ではある。
ここから先へ行くなら、ロマンだけじゃ足りない。
基礎と覚悟が要る。
それでもやっぱり、少しだけ胸が熱かった。