ゲヘナ特務執行隊「レイヴン」   作:ゴリさん39

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第36話 重さ

 

 訓練のあと、腕より先に頭が疲れることを、ユウはその日初めて知った。

 

 部室の机に端末を置き、先輩から送られてきた試験機の訓練ログを開く。

 画面の中には、歩幅、姿勢角、出力推移、射線、着弾位置、停止までの遅れ――思っていたよりずっと細かい数字が並んでいた。

 

「……うわ」

 

 思わず声が漏れる。

 

 感想としては一つだった。

 こんなの、ちゃんと見てたのか。

 しかも先輩はたぶん、これを見ながらユウの動きそのものも見ていた。

 

 部屋の向こうでは、先輩がいつものように何かを書いている。

 アノミマスは窓際で静かに座っていた。

 

 火種消しも、解析も、訓練もない日。

 だからこそ、こういう“あとでちゃんと見る時間”が回ってくる。

 

 ユウはログの最初を再生した。

 

 黄色い試験機が立ち上がる。

 初めて自分が乗ったエンフォーサー。

 視点は訓練機の記録カメラと計測情報つきで、妙に客観的だった。

 

「……あれ、意外と立ててるな」

 

 最初に思ったのはそこだった。

 

 初回にしては悪くない。

 先輩にもそう言われた。

 実際、見返しても最初の数歩はそれなりに形になっている。

 

 嬉しい、という感覚が少しだけ戻る。

 

 だが、そのすぐあとだった。

 

「うわ、そこ危な」

 

 停止動作が遅い。

 ほんの少しだけ。

 でも、そのほんの少しの遅れで、機体の爪先が区画ラインを踏み越えている。

 

 別の場面。

 射線を振る時の肩の動きが雑で、訓練区画なら問題なくても、実戦で味方がいたら危ない角度だ。

 

 さらに別の場面。

 出力の戻しが甘く、一歩目の踏み込みに無駄な力が乗っている。

 試験機だから補助が入って止まっているが、あれが実戦機なら崩れていたかもしれない。

 

 ユウの口から、自然に笑いが消えた。

 

「……こんなに危なかったのか」

 

 訓練中は“動けた”と思った。

 それは嘘じゃない。

 

 でも、こうして外から見ると、動けたことと安全だったことはまるで別だとわかる。

 

 画面を一時停止する。

 

 そこに映っているのは、少し浮かれている自分だった。

 黄色い機体の中で、うまくいった感触に少しだけ乗りかけている。

 

 その直後に来る、先輩の声。

 

 基礎を絶対に忘れるな。

 人を殺したくなければ。

 

 あの時は重いと思った。

 今見返すと、それ以上だった。

 

 ユウは小さく息を吐いて、端末に肘をつく。

 

「……あぶな」

 

 窓際から、アノミマスの声が落ちる。

 

「……ゆう」

 

「ん?」

 

「顔、しずんでる」

 

 ユウは少しだけ振り返る。

 アノミマスはブランケットを膝にかけたまま、こちらを見ていた。

 

「そんなにわかる?」

 

「……わかる」

 

「まじか」

 

 ユウは端末の画面を少し持ち上げる。

 

「訓練ログ見てたんだけどさ」

 

「……うん」

 

「思ってたより、かなり危なかった」

 

 アノミマスは少しだけ首を傾げる。

 

「でも、動いた」

 

「動いた」

 

「……うれしかった」

 

 ユウは少しだけ黙ってから頷く。

 

「嬉しかったよ」

 

 それはちゃんと本音だった。

 試験機とはいえ、エンフォーサーに乗れた。

 動かせた。

 それ自体はやっぱり嬉しい。

 

「でも、ちょっと怖くなった」

 

 自分で言って、少しだけしっくり来た。

 

 怖かったのは失敗そのものじゃない。

 失敗しても、訓練だから笑って済むと思っていた自分の軽さの方だ。

 

 アノミマスはしばらく黙っていたが、やがてブランケットを抱えたまま立ち上がった。

 いつもよりゆっくりした足取りで、ユウの机のそばまで来る。

 

「……れいじゃない」

 

「え?」

 

「こわれてない」

 

 ユウは少しだけ目を瞬く。

 

 アノミマスは端末の画面を見て、それからユウを見る。

 

「……見た」

 

「うん」

 

「……こわかった」

 

「うん」

 

「……でも、次はわかる」

 

 それは慰めのつもりなのだと、すぐにわかった。

 

 大丈夫、とは言わない。

 平気、とも言わない。

 でも、“見たから次は違う”と、静かに言ってくれている。

 

 ユウは少しだけ息を抜く。

 

「……慰めてる?」

 

「……うん」

 

「そっか」

 

 アノミマスは少し迷ってから、空いている手でユウの袖をつまんだ。

 

「……ゆう、だめじゃない」

 

 その言い方が、妙に胸に残った。

 

 下手に優しい言葉より、ずっと効いた。

 

「失敗した、とは思うけど」

 

「……失敗、見つけた」

 

「うん」

 

「……それ、いい」

 

 ユウはそこで、ようやく少しだけ笑う。

 

「ありがとな」

 

 アノミマスは小さく頷いて、袖を離した。

 

「……先輩、そういうの先に言う」

 

「うん」

 

「……ゆう、止まった」

 

「止められた、が正しいかな」

 

 少しだけ笑う。

 でも、軽い笑いではなかった。

 

 その時、向こうの机から先輩の声が飛んできた。

 

「聞こえてるぞ」

 

 ユウが肩をすくめる。

 

「盗み聞きしないでくださいよ」

 

「距離が近いだけだ」

 

 先輩は手を止めずに続けた。

 

「で、見てどうだった」

 

「……危なかったです」

 

「どこが」

 

 ユウは画面を見直す。

 

「一歩目の出力、ちょっと強すぎました。停止も遅いです」

 

「射線も甘い」

 

「そこもです」

 

「他は」

 

 ユウは少しだけ迷ってから言う。

 

「うまくいってる気になってたのが、たぶん一番危なかったです」

 

 部屋が少しだけ静かになった。

 

 やがて、先輩が短く言う。

 

「そうだ」

 

 それだけだった。

 でも、その一言で十分だった。

 

 ユウは端末へ視線を戻す。

 褒められたわけではない。

 でも、見当違いでもないらしい。

 

 先輩はようやく手を止めて、椅子にもたれた。

 

「動けること自体は悪くない」

 

「はい」

 

「イメトレが全部無駄だったわけでもない」

 

「はい」

 

「だが、感覚が噛んだ時ほど雑になる」

 

 ユウは頷く。

 それは、さっきログで見た通りだった。

 

「気持ちよく動いた時ほど、基礎に戻れ」

 

 先輩の声は平坦だった。

 怒っているわけではない。

 脅しているわけでもない。

 ただ、何度もそういう場面を見てきた人間の声だ。

 

「そこで浮くと事故る。事故で済めばまだいい」

 

「……はい」

 

「実戦機は、試験機より重い。速い。止まりにくい」

 

 ユウは無意識に姿勢を正す。

 

「お前が今日見たのは、かなり優しい側だ」

 

 優しい側。

 その言葉が妙に残った。

 

 黄色い試験機でさえ、あれだけ重かった。

 なら黒い実戦機は、どれだけ違うのか。

 格納庫で見上げた隊長機の姿が、頭の中で少しだけ別の意味を持ち始める。

 

「先輩」

 

「何だ」

 

「先輩も、最初こんな感じだったんですか」

 

 先輩は少しだけ黙った。

 ユウは聞きすぎたかと思ったが、やがて返ってきた声は予想より静かだった。

 

「最初は誰でも浮く」

 

「……やっぱり」

 

「そこで何を壊すかの違いだ」

 

 ユウは息を止める。

 

 先輩はそれ以上詳しくは言わなかった。

 だが、その短さだけで十分だった。

 

 誰かを見た。

 あるいは何かを見た。

 だからあの時、あそこまで強い声で言ったのだろう。

 

 ユウは画面を閉じる代わりに、もう一度最初から再生した。

 

 今度は“動けたか”じゃなく、“どこが危ないか”を見る。

 最初よりずっと面白くない。

 でも、こっちの方が大事だ。

 

 アノミマスが小さく身を乗り出す。

 

「……まだ見る」

 

「見る」

 

「……好き」

 

 ユウは少しだけ笑った。

 

「好きだよ」

 

「でも」

 

「うん。好きなだけじゃ駄目なんだろうな」

 

 その言葉に、アノミマスは小さく頷く。

 

「……うん」

 

 それから少しだけ考えて、また静かに言った。

 

「……でも、好きなら覚える」

 

 ユウがそちらを見る。

 

「え?」

 

「……好きなら、ちゃんと見る」

 

 アノミマスはブランケットの端を握ったまま、ゆっくり続ける。

 

「……ゆう、見てる」

 

 ユウはそこで、少しだけ力が抜けた。

 

 そうかもしれない、と思った。

 怖くなった。

 でも目を逸らしてはいない。

 今もこうして、ログを見返している。

 

 それはたぶん、駄目なことじゃない。

 

「……ありがと、アノミマス」

 

「……うん」

 

 玲音は再生中のログを見つめる。

 

 黄色い試験機。

 少し浮かれている自分。

 その直後に来る、先輩の冷たい声。

 

 嬉しかった。

 今も嬉しい。

 でも、嬉しいだけで触っていいものじゃない。

 

 その当たり前が、ようやく少し自分の中に入ってきた気がした。

 

 しばらくして、先輩が立ち上がる。

 

「ユウ」

 

「はい」

 

「次回までに停止動作と射線管理の項目、要点三つにまとめろ」

 

「うわ、宿題追加だ」

 

「嫌か」

 

「嫌じゃないですけど」

 

「ならやれ」

 

「はいはい」

 

 反射みたいに返してから、ユウは少しだけ言い直す。

 

「……やります」

 

 先輩はそれに短く頷いた。

 

 アノミマスがブランケットを整えながら、ぽつりと呟く。

 

「……ゆう、ちょっと大人」

 

「ちょっとだけな」

 

 ユウはそう返しながら、端末を閉じた。

 

 機体の重さ。

 兵器の重さ。

 言葉の重さ。

 

 まだ全部はわからない。

 でも、少しだけ前よりわかった気がする。

 

 それだけで、今日の復習には意味があった。

 

 

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