エンフォーサーが床に膝をついた光景は、まだ先生の目に焼きついていた。
崩れ落ちた、という表現がいちばん近い。
爆発で吹き飛んだわけでも、装甲を貫かれて派手に火を噴いたわけでもない。
けれど確かに、あの黒い装甲は止まった。
そして、その事実だけで美食会の空気は目に見えて変わっていた。
「ふふっ……」
最初に笑ったのはハルナだった。
いつもの上品な、少しだけ温度の低い笑い方。
ただ今は、その奥にはっきりと満足があった。
「やりましたわね」
アカリはもう隠す気すらない。
「やったああっ!」
両手を上げて飛び跳ねる。
ついさっきまで本気で撃ち合っていたとは思えないくらい元気だった。
「見た!? 見たよね!? 倒れた! 黒いの倒れたって!」
「うるさいですわ、アカリ」
そう言うハルナ自身も、機嫌はかなり良さそうだった。
「ですが、ええ。確かに見事でしたわ」
ジュンコも腕を組んだまま、まだ少し荒い息で吐き捨てる。
「ざまあみろって感じだわ。いつもは何食わぬ顔で出てきて、はい終了、みたいなツラしてんのよ。たまにはこういう日があってもいいでしょ」
「うんうん!」
アカリがものすごい勢いで頷く。
「しかも叫んでたし! “エンフォーサーが崩された!”、“バカな!”って!」
「そこだけやたら楽しそうに真似しないでよ……」
ジュンコは呆れたように言ったが、口元は少しだけ上がっていた。
否定はしていない。
イズミまで珍しくはしゃいでいた。
「すごいよね!? だって、あれ誰も倒せないって感じだったじゃん!」
先生はそこでようやく、少し遅れて現実へ追いつく。
誰も倒せないと思われていた。
たぶん、それくらいの相手だったのだ。
あの黒い集団にとっても、あの装甲は象徴だったのかもしれない。
だからこそ、美食会は喜んでいる。
いつも終わらせる側だったものが、目の前で崩れたのだから。
「先生」
ハルナがこちらを振り返る。
「今日は少しだけ、良い食後になりましたわね」
「食後って言うには爆発が多すぎる」
「ですが、あのエンフォーサーを崩したんですのよ」
言われて、先生は壊れた店内を見回した。
確かに、結果だけ見ればそうだ。
美食会の無茶。
先生のその場しのぎの指示。
偶然と必然が嫌な感じで噛み合って、あの黒い装甲を止めた。
けれど、それでも先生の胸の中には、勝ったという実感とは別のものが残っていた。
怖さだ。
あの黒い連中は、最後まで怒鳴り散らしてこなかった。
取り乱したのは一瞬だけで、その後はすぐに戻っていた。
むしろ、悔しさを押し殺して撤収と回収へ移るのが早すぎた。
だから先生は、素直に浮かれきれない。
その時、外から別のサイレンが近づいてくる。
一拍置いて、美食会全員の表情が変わった。
「あ」
最初に固まったのはイズミだった。
ジュンコが露骨に顔をしかめる。
「……まずいわね。風紀委員会、近い」
「近いですわね」
ハルナはあくまで落ち着いた声で言った。
落ち着いているだけで、残る気は一切ないらしい。
アカリはまだ半分くらいテンションの高いままだ。
「え、でも今いいところじゃない?」
「十分いいところよ」
ジュンコが即答する。
「ここで長居したら第2ラウンド始まるわ。レイヴン終わったと思ったら次は風紀委員会とか、やってらんない」
先生は思わず笑いそうになって、やめた。
言っていることは本当にその通りだったからだ。
「先生」
ハルナがこちらを振り返る。
「逃げますわよ」
「即決なんだな!?」
「何を言ってますの。せっかく勝ち筋を通したのに、ここで捕まっては意味がありませんわ」
「それはそうなんだけど」
「今日は十分な成果がありました」
ハルナは壊れた天井を見上げる。
もう黒いヘリの影はなかった。
「あのエンフォーサーを崩した。私としては、食後としては悪くない締めですわ」
「締めに爆発と逃走を含めるのやめませんか」
「難しい相談ですわね」
外ではもう、風紀委員会の足音が近い。
複数。しかも速い。
イズミは落ち着かない。
「先生、早く! 早く行かないと本当に捕まるよ!」
「いや君たちはいつもそういう危機感をもう少し早く持つべきじゃないかな!?」
「持ってますわよ」
ハルナがしれっと言う。
「だから今、きちんと逃げるんですの」
言葉の筋だけは通っているのが腹立たしい。
アカリがにこにこと手を振る。
「やったー、勝ち逃げだ!」
「それ自分で言うのか……」
ジュンコはもう先生の腕を掴んでいた。
「いいから行くわよ! あいつら来たら今度こそ説教じゃ済まないんだから!」
「さっきから基準が全部そっちなんだよ!」
だが反論しながらも、先生の足はすでに動いていた。
ここに残ってもろくなことにならないのは本当だ。
店の裏口へ向かう途中、先生はふと振り返る。
黒い装甲は、すでに回収態勢へ移されていた。
黒装備の隊員たちは短い指示だけを交わしながら、機体と搭乗者の収容を進めている。
さっきまでの戦闘の熱が嘘みたいに、動きだけが静かで速かった。
早い。
悔しさを抱えているのは見て取れるのに、動きだけは乱れない。
その中の一人が、ほんの一瞬だけこちらを見た気がした。
赤いセンサー越しではなく、生身の、冷たい視線。
錯覚かもしれない。
でも先生は、なぜかはっきりとそう感じた。
たぶん、忘れられない。
向こうも、こっちも。
店の裏口へ向かう途中、先生はふと振り返る。
「先生!」
ハルナの声に引かれて、先生は前を向く。
「置いていきますわよ」
「行きます!」
半ば引きずられるように店の外へ出る。
夜風が顔に当たった。煙と粉塵の匂いがまだ強い。
遠くで風紀委員会の灯が揺れる。
こっちへ向かってきている。早い。かなり早い。
「こっち!」
アカリが先頭で駆け出し、イズミがそれに続く。
ジュンコはまだぶつぶつ文句を言いながら先生を引っ張っていて、ハルナだけが最後に一度、現場の方を振り返った。
「……たまにはこういう日も必要ですわね」
静かに、満足そうに言う。
「レイヴンにも、自分たちが崩れる日があると知ってもらわないと」
先生はその言葉に、少しだけ引っかかった。
今のは冗談半分かもしれない。
でも半分は本気だ。
美食会にとって、あの黒い連中はそれくらい厄介で、鬱陶しくて、何度も捕まえられかけた相手だったのだろう。
だから今日は喜ぶ。
もっと喜ぶべきなのかもしれない。
誰も倒せないと思っていたものを、実際に崩したのだから。
けれど先生だけは、どうしてもそこまで軽くはなれなかった。
あの黒い連中は、ただの嫌な警備じゃない。
何者なのか、まだよくわからない。
でもきっと、次はもっと面倒になる。
「先生、何ぼーっとしてますの」
ハルナが振り返る。
「置いていきますわよ」
「その台詞、今日は三回目だよ」
「では急いでくださいませ」
そのまま美食会は、まるで最初からそう決めていたみたいに、ちゃっかり夜のゲヘナへ消えていった。
風紀委員会が店内へ踏み込んだ頃には、もう十分離れていたはずだ。
結局、最後までひどい一日だった。
でも先生は、走りながら思う。
あの黒い装甲が崩れた瞬間の、
あの「バカな」という声だけは、たぶんしばらく忘れない。
ゲヘナ学園支部直轄 即応制圧班
主にゲヘナ学園内で発生する高危険度治安案件、不良集団の武装化、危険対象の拘束、学園組織だけでは処理しきれない突発事案への初動対応を担当する。
主任務は、
•危険対象の制圧
•現場封鎖
•対象の拘束
•騒乱拡大の阻止
•必要時のエンフォーサー投入
雰囲気として
•普段から不良や問題児を相手にしてる
•でも遊び半分の警備じゃない
•ちゃんと本物の危険案件を処理してる
•ゲヘナ支部勤務なので、美食会みたいな連中とも顔なじみ
•そのぶん「またお前らか」がある