ゲヘナ特務執行隊「レイヴン」   作:ゴリさん39

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第39話 静かな準備

 

「……つぎ、オムライス」

 

 アノミマスがぽつりと言ったのは、昼前の静かな部室だった。

 

 ユウは端末から顔を上げる。

 

「お、もう次決まってるのか」

 

「……きいろい、ごはん」

 

「そこなの?」

 

「……すきそう」

 

 ユウは少しだけ笑う。

 

「まあ、好きだけど」

 

 向かいで端末を見ていた先輩が、顔も上げずに言う。

 

「作るなら卵を無駄にするな」

 

「まだ作るって決まってないでしょ」

 

「お前が乗るとだいたい決まる」

 

「言い方が雑なんですよ」

 

 アノミマスは少しだけ考えてから、また小さく言う。

 

「……れい、まく?」

 

「いや、あの包むやつは難しいぞ」

 

「……れんしゅう」

 

「やる気あるなあ」

 

 先輩がそこで短く挟む。

 

「まず薄焼きを破るな」

 

「もう失敗前提なんですか」

 

「成功前提で言っても現実は変わらん」

 

「ほんと容赦ないな……」

 

 それでもユウは少しだけ笑っていた。

 

 こういう会話が自然に出るくらいには、この部室の空気にも慣れてきた。

 窓の外の光はやわらかく、部室の中もいつも通りだった。

 アノミマスは静かで、先輩は淡々としていて、ユウはその間で雑務を片付けている。

 

 前なら、この静けさの中にいてもどこか居場所が定まらなかった。

 今は少なくとも、机のどこに何を置くべきか、どの端末が不安定か、先にやるべき確認が何かくらいはわかる。

 

 ユウは回収記録の簡易整理を終えると、備品表へ目を落とした。

 

「卵って、今どのくらい残ってましたっけ」

 

「六」

 

 先輩の返答は早い。

 

「数えてるんですか」

 

「担当だからな」

 

「料理担当って、そこまで細かく見てるもんなんですね」

 

「見ないと足りなくなる」

 

 もっともだった。

 

 アノミマスが小さく言う。

 

「……たまご、たいせつ」

 

「それはそう」

 

「特にオムライスやるならな」

 

 ユウがそう返すと、アノミマスはほんの少しだけ頷いた。

 

 そこで先輩は、ようやく端末から少しだけ視線を上げた。

 

 アノミマスがこうして、次に何を作りたいかを自分から口にするのは珍しい。

 見る。覚える。静かに真似る。

 そういうことはあっても、「次」を先に言うことはあまりない。

 

 しかも相手はオムライスだ。

 見た目で興味を持ったのだろうが、それでもちゃんと“やってみたい”側へ踏み込んでいる。

 

 先輩はその小さな変化を、口には出さなかった。

 ただ、悪くないとは思った。

 

 会話はそこで一度途切れる。

 

 先輩は端末へ戻る。

 ユウは記録を揃える。

 アノミマスは動画で見つけたらしい料理の手順を、静かに何度も見返している。

 

 それだけだった。

 それだけなのに、こういう時間は妙に落ち着く。

 

「ユウ」

 

 先輩が不意に呼ぶ。

 

「はい」

 

「昨日の整理、上げたか」

 

「半分は」

 

「半分で止めるな」

 

「今やります」

 

「最初からやれ」

 

「今それ言います?」

 

「今だから言う」

 

 ユウは小さく息を吐きながら端末を取り直す。

 

 こういうやり取りも、最初の頃ほど刺さらなくなった。

 きついのはきつい。

 でも、先輩が本気で見ていない相手には、そもそもここまで細かく言わないのもわかってきている。

 

「……ゆう、また顔」

 

「しんでる?」

 

「……半分」

 

「半分なら生きてるな」

 

 ユウがそう返すと、アノミマスの口元がほんの少しだけ緩んだ。

 笑ったと言うには小さい。

 でも第8班では、それで十分だった。

 

 昼を回る頃には、部室の空気はさらに静かになっていた。

 

 報告書の整理。

 備品の確認。

 資料の端末転記。

 派手さは何もない。

 だが、何も起きない時間ほど、こういう小さい作業が積み重なる。

 

 ユウはふと顔を上げる。

 

「今度オムライスやるなら、買い出しってどこまで足りないですかね」

 

「卵、ケチャップ、鶏肉、玉ねぎ」

 

 先輩は即答した。

 

「もう決まってるじゃないですか」

 

「お前が聞いた」

 

「そうだけど」

 

 アノミマスが小さく言う。

 

「……けちゃっぷ、いる」

 

「オムライスにそれないと始まらんからな」

 

「……あかい」

 

「そうだな、赤い」

 

 ユウが笑う。

 先輩は相変わらず表情をあまり変えない。

 でも止めもしない。

 

 こういう日があるのは悪くない。

 ユウは素直にそう思う。

 

 追跡もない。

 火種もない。

 戦場の匂いもしない。

 

 ただ部室で、次に何を作るかなんて話をしている。

 それだけのことが、妙にありがたかった。

 

 だから最初に違和感を覚えた時も、ユウはすぐにはそれを大きなものだと思わなかった。

 

 午後に入る頃、廊下を通る足音が少し増えた。

 

 誰かが走っているわけじゃない。

 怒鳴り声が飛んでいるわけでもない。

 でも、人の出入りが目に見えて多い。

 

 ユウは端末から顔を上げた。

 

「……なんか今日、外ちょっと騒がしくないですか」

 

 先輩は端末を見たまま言う。

 

「そうだな」

 

「そうだな、じゃなくて」

 

「気づいたなら遅くはない」

 

「いや、だから何なんですか」

 

 先輩は返事をしない。

 そのかわり、端末を閉じるまでの間がほんの少しだけ短かった。

 

 アノミマスも窓際から顔を上げる。

 

「……うごいてる」

 

「何が?」

 

「……いっぱい」

 

 ユウは少しだけ眉を寄せる。

 

 足音だけじゃない。

 遠くから低い駆動音も混ざっている。

 搬送用か、整備用か、そこまではわからない。

 ただ、普段より多い。

 

 部室の扉の向こうを、二人組の隊員が早足で通り過ぎた。

 続いて、別の班らしい重い足音。

 短い無線。

 何かが一ヶ所へ集まり始めているような気配。

 

 ユウは立ち上がって扉の方を見た。

 

「ちょっと見てきてもいいですか」

 

「だめだ」

 

 先輩の返答は早かった。

 

「え、なんでですか」

 

「今は部屋にいろ」

 

「それ、理由になってないでしょ」

 

「今はそれで足りる」

 

 言い方はいつも通りだ。

 だが、今は少しだけ切るようだった。

 

 ユウもそれでようやく、これはただの騒がしさではないのだと気づく。

 

「……何かあるんですか」

 

 先輩は数秒だけ黙った。

 

「ある」

 

「重いですか」

 

「たぶんな」

 

 たぶん。

 その言い方が逆に嫌だった。

 先輩が曖昧にする時は、たいてい軽くない。

 

 アノミマスがブランケットを膝の上で握り直す。

 白い指先が少しだけ動いた。

 

「……ざわざわする」

 

 ユウはそちらを見る。

 

「わかるのか」

 

「……いやな、うごき」

 

 その言葉に、部屋の空気が少しだけ沈む。

 

 ユウは何となく喉が乾いた。

 ただ人が動いているだけなのに、妙に落ち着かない。

 

 その時だった。

 

 先輩の端末が短く鳴る。

 

 部室の中ではやけに大きく聞こえた。

 

 先輩が画面を見る。

 表情は変わらない。

 でも、視線が一瞬だけ鋭くなる。

 

「来たか」

 

「何がです?」

 

 ユウが聞くより早く、部室の外の空気がさらに変わった。

 

 今度は明確にわかる。

 足音が増える。

 無線が短く飛ぶ。

 遠くで格納区画のシャッターが動くような重い音まで混じる。

 

 もう“少し騒がしい”では済まない。

 

 先輩が立ち上がった。

 

「ユウ」

 

「はい」

 

「端末持て」

 

「え」

 

「アノミマス、準備しろ」

 

「……うん」

 

 ユウの身体が反射で動く。

 まだ何も聞いていない。

 でもこの空気の中で、聞き返す余裕なんて最初からなかった。

 

「どこ行くんですか」

 

「格納区画だ」

 

「何があったんです?」

 

「向こうで聞け」

 

 短い。

 でも今は、その短さが逆に現実味を持っていた。

 

 ユウは端末と認証タグを掴む。

 アノミマスは静かに立ち上がる。

 ブランケットは畳まれ、椅子の上へ残された。

 

 部室を出ると、廊下の空気はもう完全に変わっていた。

 

 モービルの搬送担当らしい隊員が早足で通る。

 別班の生徒が端末を見ながら走りすぎる。

 遠くの交差通路では、制圧群らしい重い装備の人影まで見えた。

 

 ユウは思わず小さく呟く。

 

「……なんだこれ」

 

「静かにしろ」

 

 先輩は止まらずに言う。

 

「いや、でも」

 

「今はまだ喋るな」

 

 その声に、ユウも口を閉じる。

 

 階段を一つ下り、渡り通路を抜ける。

 普段は広く感じる本部の中が、今日は妙に狭く見えた。

 人が多い。

 動きが速い。

 視線も落ち着かない。

 

 ユウの横で、アノミマスが小さく言う。

 

「……ゆう」

 

「ん?」

 

「きょう、ごはん、むずかしいかも」

 

 ユウは一瞬だけ息を止めた。

 こんな時にそんなことを言うのが、妙にアノミマスらしかった。

 

「……だな」

 

 それだけ返すのが精一杯だった。

 

 格納区画の手前まで来た時には、もう隠しようがなかった。

 

 重い搬送音。

 金属の噛み合う音。

 駆動前点検の短い読み上げ。

 開いたままのシャッターの向こうでは、輸送ヘリの機影が照明の下に並んでいる。

 

 そこにあるのは準備ではなく、もう展開の途中だった。

 

 ユウはそこでようやく、言葉の形で理解する。

 

「……スクランブル」

 

 先輩は一度だけ頷いた。

 

「そうだ」

 

「何が出たんですか」

 

「移動しながら共有が入る」

 

「軽いやつじゃないですよね」

 

「軽いならここまで動かない」

 

 答えは十分だった。

 

 区画の奥から、聞き覚えのある声が飛ぶ。

 

「第8班、こっち!」

 

 相馬だった。

 

 すでに飛行装備側の搬送担当として動いている。

 手を上げる動きはいつも通り軽いのに、周囲の空気だけが軽くない。

 

「遅いぞ!」

 

「呼ばれてすぐ来たんですけど!」

 

「なら優秀!」

 

「褒めてる感じしない!」

 

 そのやり取りさえ、今日はどこか薄かった。

 

 相馬の向こう、輸送ヘリの後部ハッチはすでに開いている。

 中では別班の隊員が固定具を確認し、誰かが地図データを転送していた。

 

 ユウは乾いた喉を一度だけ鳴らす。

 

 オムライスの話なんて、もう遠かった。

 さっきまで部室にあったやわらかい空気は、どこかへ消えている。

 

 今わかるのは一つだけだ。

 

 何か大きいものが、もう動き始めていた。

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